名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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ゼンノロブロイのイメージビジュアル
ゼンノロブロイZenno Rob Roy
Zenno Rob Roy

ゼンノロブロイ

通算成績20戦7勝

獲得賞金113,565万円

生年月日 2000.03.27(平成12年)毛色 黒鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ゼンノロブロイの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
8 GI有馬記念 中山 芝2500 2人気 K.デザーモ 2:32.8 上り35.4映像
3 GIジャパンカップ 東京 芝2400 1人気 K.デザーモ 2:22.4 上り34.7映像
2 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 1人気 横山典弘 2:00.1 上り32.7映像
2 GIインターナショナルS イギリス 芝2080 武豊
3 GI宝塚記念 阪神 芝2200 2人気 K.デザーモ 2:11.7 上り36.1映像
1 GI有馬記念 中山 芝2500 1人気 O.ペリエ 2:29.5 上り35.3映像
1 GIジャパンカップ 東京 芝2400 1人気 O.ペリエ 2:24.2 上り34.3映像
1 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 1人気 O.ペリエ 1:58.9 上り34.4映像
2 GII京都大賞典 京都 芝2400 1人気 岡部幸雄 2:25.2 上り34.0
4 GI宝塚記念 阪神 芝2200 2人気 田中勝春 2:11.6 上り35.7映像
2 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 4人気 D.オリヴァー 3:19.5 上り35.1映像
2 GII日経賞 中山 芝2500 1人気 柴田善臣 2:32.8 上り34.9
3 GI有馬記念 中山 芝2500 3人気 柴田善臣 2:32.1 上り36.8映像
4 GI菊花賞 京都 芝3000 2人気 O.ペリエ 3:05.3 上り35.6映像
1 GII神戸新聞杯 阪神 芝2000 3人気 K.デザーモ 1:59.5 上り34.8映像
2 GI東京優駿 東京 芝2400 3人気 横山典弘 2:28.6 上り35.7映像
1 GIIテレビ東京杯青葉賞 東京 芝2400 1人気 横山典弘 2:26.3 上り34.1映像
1 山吹賞 中山 芝2200 1人気 横山典弘 2:14.9 上り34.7
3 OPすみれS 阪神 芝2200 2人気 横山典弘 2:17.3 上り34.5
1 3歳新馬 中山 芝1600 1人気 横山典弘 1:37.8 上り35.0

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ゼンノロブロイの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
サンデーサイレンスSunday SilenceHaloHail to Reason
Cosmah
Wishing WellUnderstanding
Mountain Flower
ローミンレイチェルRoamin RachelマイニングMiningMr. Prospector
I Pass
One Smart LadyClever Trick
Pia's Lady
STORY

旅程 — この馬の物語

2000年生まれの黒鹿毛の牡馬。父サンデーサイレンス、母ローミンレイチェル。主な勝ち鞍は天皇賞・ジャパンC・有馬記念。

白老の五番仔

白老ファームは北海道白老町にある。夏は霧が出て日が差さず、冬は樽前山から風が下りてくる。牧草がまっすぐには育たない土地だった。 社台の創業者・吉田善哉は早くにこの場所を見限り、良い繁殖牝馬を千歳と早来へ移していく。牝馬の質を、千歳は大リーグ、早来は日本のプロ野球、白老は高校野球、と彼は言った。生産馬が中央のGIを勝ったのは1988年のサッカーボーイが最後で、ダービーに馬を送ったのも1990年で止まっていた。 1993年に善哉が死に、社台が三つに分かれると、白老は息子たちの共有として残る。土地を改良し、古い繁殖牝馬を手放し、牝馬を買い直した。そのとき牧場が最も高い金を払って連れてきたのが、ローミンレイチェルというアメリカ産の牝馬である。 父はマイニング。北米で15戦9勝。勝ち鞍のボーモントステークス、ブラウン&ウィリアムソンハンデキャップ、そしてG1のバレリーナハンデキャップは、三つとも7ハロンのダートだった。短い距離を速く走る血である。アメリカで産んだ2番仔ダーリンマイダーリンは、1999年にフリゼットステークスとメイトロンステークスで2着に来ている。ストームキャットを宿した状態で白老が買い取り、1999年に日本へ渡ってきた。日本での最初の相手には、サンデーサイレンスが選ばれる。 2000年3月27日、その五番仔が生まれた。黒鹿毛の牡で、左の後脚に白が一つある。当歳でセレクトセールに上場され、9450万円で売れた。買ったのは大迫忍。北九州で地図をつくる会社を父から継いだ二代目で、持ち馬には「ゼンノ」の冠名を使っていた。彼はこの仔に、18世紀のスコットランドの英雄、ロバート・ロイ・マグレガーの通称をつける。ゼンノロブロイ。母の名は Roamin Rachel と綴った。 デビューする前に、この馬は父と母の両方を失っている。母ローミンレイチェルは2001年5月2日に、父サンデーサイレンスは2002年8月19日に死んだ。 美浦の藤沢和雄厩舎に入る。世話をしたのは調教厩務員の川越靖幸。当時この厩舎で助手をしていた古賀慎明は、入厩検疫をわざわざ見に行ったと話している。所属馬すべての検疫を見に行くわけではないが、評判の高い馬だったので足を運んだ。オーラがあった、というのがそのときの印象だという。 最初は武豊で新馬戦に登録し、除外になって走れなかった。仕切り直した2003年2月9日、中山の芝1600メートル。1番人気。後方から進み、直線は外を回って前を全部かわした。鞍上は横山典弘である。

半馬身

3月のすみれステークスは3着。走っている途中で蹄鉄が外れていた。4月の山吹賞を3番手から抜け出して勝ち、5月3日の青葉賞へ向かう。 前年、同じ厩舎のシンボリクリスエスが山吹賞と青葉賞を連勝してダービーに出て、2着だった。同じ順路をなぞる形になる。青葉賞は好位の外から抜け出し、内のタカラシェーディーと外のクラフトワークに一度は詰め寄られたが、突き放して1馬身4分の1差。重賞初勝利だった。この日も蹄鉄が外れている。 6月1日、東京優駿。前夜の雨で芝は重い。皐月賞をアタマ差で分けたネオユニヴァースとサクラプレジデントが1番人気と2番人気で、ゼンノロブロイは3番人気だった。2枠3番から出て、逃げるエースインザレースの2番手につける。四コーナーも2番手で回った。直線、内で失速したエースインザレースに代わって先頭に立つ。内からネオユニヴァース、外からザッツザプレンティが来て、三頭が横に並んだ。荒れた内を通ったネオユニヴァースの脚がいちばん残っていた。ザッツザプレンティには4分の3馬身先着した。ネオユニヴァースには半馬身届かなかった。 夏は門別のファンタストクラブで過ごす。前年にシンボリクリスエスが滞在した場所で、そのときの反省がこの馬に使われた。 秋は神戸新聞杯から。3番人気で出て、直線でサクラプレジデントとネオユニヴァースを置き去りにし、3馬身半差で勝つ。ダービーの借りは返した形になる。この勝ち方を見た藤沢は、菊花賞の距離を持つと判断した。大迫は天皇賞(秋)を望んでいたが、藤沢が説き伏せて京都へ向かう。 菊花賞は2番人気。好位の内で進み、三コーナーで外からまくったネオユニヴァースを追いかけようとしたが、外に馬が群がって出るところがなかった。4着。三冠を止めたのはザッツザプレンティだった。 12月28日の有馬記念で、厩舎の先輩と最初で最後の一戦を走る。シンボリクリスエスの引退レースだった。ペリエがそちらに乗ったので、こちらは柴田善臣。シンボリクリスエスは三コーナーから外を回って上がり、直線は一頭だけの競馬になる。ゼンノロブロイはそれを追いかけて、9馬身以上離された3着だった。あのときクリスエスがロブロイを心配しているようだった、と藤沢は言っている。 厩舎のエースは去った。後継者と目された馬は、9馬身の後ろにいた。

一年一か月

年が明けて古馬になる。3月の日経賞は単勝1.1倍。逃げるウインジェネラーレに大外から並びかけ、競り合って、クビ差届かなかった。5月の天皇賞(春)は10番人気イングランディーレの大逃げが最後まで捕まらず、7馬身差の2着。6月の宝塚記念はローエングリンの作った速い流れに脚が溜まらず4着。10月の京都大賞典は1.4倍で、直線に向いて先頭に立ってからもたついた隙に、大外から来たナリタセンチュリーに残り50メートルで交わされ、またクビ差の2着だった。 神戸新聞杯から1年1か月、勝っていない。未完の大器、善戦マン。呼ばれ方はそういうものになった。 過去1年に重賞を勝っていない馬は、出走希望の多い大レースで順番を後ろに回される。頭数が膨らめば、天皇賞(秋)に出られない可能性があった。17頭に収まって、出走はできた。

十月三十一日

その秋の主役になるはずだったのはキングカメハメハである。NHKマイルカップと東京優駿をどちらもレコードで連勝した3歳が、初めて古馬と走る。ところが直前に屈腱炎を発症して天皇賞を回避し、そのまま引退が決まった。本命が消える。押し出されるようにして、GIを五度走って一度も勝っていない馬が1番人気になった。 曇り。前日の雨が残って、芝は稍重。17頭立て。7枠13番。鞍上は、菊花賞で追い出しが遅れて4着に終わったあの日以来のペリエだった。 ローエングリンが引っ張る。最初の1ハロンが12秒6、次が11秒4。そこから11秒台と12秒台が交互に並ぶ、締まりきらない流れになった。ゼンノロブロイは内で待っている。二コーナーで11番手、三コーナーで9番手。外を大きく回っていく馬が何頭もいたが、この馬は動かなかった。 四コーナーも9番手のまま。馬場は内と前が有利で、外へ持ち出した馬から順に伸びを欠いていく。内では逃げたローエングリンの脚が上がり、そこを突いて同じ厩舎のダンスインザムードが抜け出した。ペリエは真ん中を選ぶ。 残り600メートルからの1ハロンが11秒4、その次の1ハロンも11秒4。レース全体がそこで加速している。加速する集団の中を、この馬はさらに速く上がっていった。残り300メートル、右のステッキが一発入る。ダンスインザムードに並ぶ。並んだところで内へもたれた。左のステッキで真っ直ぐに戻す。もう一度伸びた。 最後の1ハロンは12秒3に落ちる。前を走っていた馬たちが軒並み止まる区間である。この馬だけが止まらなかった。1馬身4分の1差。 決勝線を過ぎたところで、ペリエは隣のダンスインザムードに乗るルメールと馬上で手を打ち合わせた。 この日、大迫忍は競馬場に来られなかった。代わりに長男の正善がスタンドにいる。馬群の真ん中から抜け出してくるのを見ていて、震えが止まらなかったという。父がいちばん欲しがっていたタイトルだった。

八週間

六度目のGI挑戦で、1年1か月ぶりの勝利だった。ペリエは前年のシンボリクリスエスに続く連覇で、天皇賞(秋)を続けて勝った騎手は1957年の保田隆芳以来、二人目になる。藤沢は同じGIを三年続けて勝った最初の調教師になった。白老ファームの生産馬が中央のGIを勝つのは、サッカーボーイ以来である。 四週間後、11月28日のジャパンカップ。晴れて芝は良。16頭立て。中団の7番手で進んだ。途中で流れが緩む。12秒3、12秒8、12秒7と続いた区間で、隊列はほとんど動かなかった。そこから最後の3ハロンが11秒7、11秒4、11秒9。四コーナーを6番手で回り、直線は馬場の中央へ持ち出して、残り200メートルで先頭に立つ。そこから先は一頭だけの競馬になった。ペリエは左手でガッツポーズをしながら決勝線を過ぎている。2着のコスモバルクに3馬身。 天皇賞(秋)とジャパンカップを続けて勝ったのは、スペシャルウィークテイエムオペラオーに次いで三頭目だった。藤沢はこの競走に八度目の挑戦で初めて勝っている。同じ日のジャパンカップダートを勝ったのも、白老ファームの生産馬だった。 さらに四週間後、12月26日の有馬記念。1枠1番。タップダンスシチーがハナを切り、ゼンノロブロイはその2番手についた。一周目から二周目の四コーナーまで、この位置を動かない。 タップダンスシチーは三コーナーから加速する。残り1200メートルからの五つのハロンが、11秒7、11秒8、11秒9、11秒6、11秒6。中山の2500メートルで、五つ続けて12秒を切った。最後の1ハロンだけが12秒4に落ちる。後ろは千切れた。ついていったのは1頭だけだった。 直線で並ぶ。並んでからの200メートルほど、二頭は横に並んだままだった。最後に半馬身出る。2分29秒5。一年前に同じ中山の同じ距離でシンボリクリスエスが出した2分30秒5を、ちょうど1秒縮めた。JRAの芝2500メートルのレコードでもあった。 天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念。八週間で三つ。テイエムオペラオーに次ぐ二頭目で、JRAが用意していた2億円のボーナスがついた。 JRA賞の年度代表馬は279票。次点のキングカメハメハが6票だった。最優秀4歳以上牡馬は285票の満票である。藤沢の管理馬が年度代表馬に選ばれるのは、三年続けてだった。 年内に引退して種牡馬に、という話も出る。大迫は現役続行を選んだ。古馬にスターが足りない、というのがその理由だった。

言い置き

藤沢はこの年の海外遠征を考えていた。大迫は前年に勝った秋の三つを重んじていた。話し合って一度は国内専念に決まり、そのあと藤沢が説き伏せて、夏のイギリス行きが決まる。5月4日に帰厩し、次走は6月26日の宝塚記念となった。 その八日前、6月18日に大迫忍が死んだ。59歳。肝臓を病んでの死で、北九州の病院だった。秋は国内の三戦に全力を尽くしてほしい――生前の言葉が、そのまま言い置きになる。7月28日から、ゼンノの馬はすべて妻の大迫久美子が引き継いだ。 宝塚記念は3着。四コーナーでコスモバルクの内へ入ろうとしたところを塞がれ、外へ出し直している。GI四連勝はならなかった。 7月20日にイギリスへ入り、ニューマーケットのジェフリー・ラグ厩舎に置かれた。一頭でいると遊んでしまう馬なので、現地の馬に混ぜて乗る。着いた頃は小動物が近づいただけで驚いたが、しまいには隣家の犬が来ても動じなくなったという。帯同したのは騎手の鹿戸雄一である。 8月16日、ヨークのインターナショナルステークス。鞍上は武豊。武の誕生日に騎乗を依頼していた。7頭立ての直線を外から伸び、決勝線の手前でいったん先頭に出たが、大外のエレクトロキューショニストに差し返される。クビ差の2着。パドックでの仕上がりが評価され、主催者は川越靖幸に、いちばん美しく仕上げた厩務員へ贈る賞を渡している。川越はそんな賞があることを知らず、封筒を手渡されて驚いたそうだ。 レースの直後、ヨーロッパに残ってアイリッシュチャンピオンステークスへ、という案が出た。登録もした。藤沢はそれを取り下げる。言い置きのとおり、秋の三つを選んだ。 8月22日に帰国する。ジャパンカップと有馬記念はデザーモに決まっていて、天皇賞だけ鞍上が空いていた。藤沢は横山典弘を呼び戻す。東京優駿の2着以来のコンビだった。 10月30日、天皇賞(秋)。天皇と皇后が観戦に来た日である。中団から直線で馬場の中央へ持ち出し、内で先に抜け出したダンスインザムードに並んだ。並んだ二頭の隙間を、内から来た牝馬が割る。アタマ差。東京優駿で半馬身足りなかったコンビは、同じ府中の直線で、今度はアタマ差足りなかった。 11月27日、ジャパンカップ。速い流れを13番手で追走し、直線は大外から伸びて、残り200メートルでほとんど先頭に出る。そこで止まった。内からアルカセットハーツクライが来る。決着は2分22秒1の日本レコードだった。3着。 12月25日、有馬記念。引退レースである。無敗の三冠馬ディープインパクトがいた。2枠3番から出た直後に両隣の馬に挟まれ、後方へ押し込められる。促しても反応が鈍かった。8着。レース中に捻挫していたという。二十戦目にして初めて、五着以内を外した。 12月28日、競走馬の登録が消えた。

分け合う一着

2006年から安平の社台スタリオンステーションに立つ。初年度に216頭の牝馬が集まり、そこから10年、三桁を集め続けた。 初年度の産駒にサンテミリオンという牝馬がいる。管理したのは古賀慎明だった。藤沢厩舎の助手だった頃にこの馬の父に跨り、入厩検疫まで見に行った男が、自分の厩舎を構えていた。2戦目の若竹賞に乗った横山典弘は、戻ってきて、ロブロイに似ている、と言ったという。首の使い方が似ている、と古賀も言う。オークスの前、彼はこう話していた。「ましてやお父さんは思い入れのあるロブロイでしょう?もう条件が全部揃っていますよ」[^1] 2010年5月23日、雨の府中。芝は稍重。父が半馬身届かなかった2400メートルを、サンテミリオンは先頭のまま帰ってきた。写真判定に十二分かかり、アパパネとの1着同着になる。JRAのGIで1着同着が出たのは、これが初めてだった。父が一度も手にしなかったクラシックが、分け合う形で届いたことになる。 母ローミンレイチェルがアメリカに残した半姉、ダーリンマイダーリンの血も、向こうで続いていた。その孫にシエラレオネとフォーエバーヤングがいる。2024年と2025年、ブリーダーズカップ・クラシックを続けて勝った二頭である。白老がいちばん高い金を払って連れてきた牝馬は、日本で秋の三つを勝つ牡馬を産み、海の向こうではその二頭の曾祖母にもなった。 ゼンノロブロイは2016年に日高のブリーダーズスタリオンステーション、2021年に新冠の村上欽哉牧場へ移る。2022年8月に腰が悪くなり、心臓が弱った。9月2日、心不全で死んだ。22歳。晩年は同じ冠名を持つゼンノエルシドと仲が良かったという。 大迫忍が遺したのは、勝ってくれ、ではなかった。秋は国内の三戦に全力を尽くしてほしい、である。その通りに三つとも走って、三つとも勝てなかった。アタマ差の2着、日本レコード決着の3着、そして二十戦目で初めて外した五着以内。頼まれたのは勝つことではなく、走り切ることだった。この馬は最後まで、頼まれたとおりにした。 2004年の天皇賞の日、府中のスタンドで震えていたのは、父の代わりに来た息子である。いちばんそのタイトルを欲しがっていた人だけが、その場にいなかった。地図をつくる会社を継いだ男は、自分の馬がどこまで行ったのかを、人づてに聞くことになる。それでも、行き先だけは自分で決めてあった。秋になったら府中へ二度、中山へ一度。ゼンノロブロイはその三つに、二年続けて立っている。 一度目の秋は三つとも先頭で帰り、二度目の秋は一度も先頭では帰れなかった。秋になれば、いまも同じ三つが同じ順番で行われる。一年のうちに三つとも勝った馬は、二頭しかいない。そのうちの一頭は、勝てない馬と呼ばれていた頃、四コーナーの内側でじっと動かずにいた黒鹿毛である。

出典:競馬ラボ「【古賀 慎明調教師】父の果たせなかったクラシック勝利を!」2010年5月14日配信、https://www.keibalab.jp/column/interview/172/、閲覧日:2026年8月2日。

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