名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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ヤマニンシュクルのイメージビジュアル
ヤマニンシュクルYamanin Sucre
Yamanin Sucre

ヤマニンシュクル

通算成績19戦4勝

獲得賞金26,962万円

生年月日 2001.04.01(平成13年)毛色 黒鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ヤマニンシュクルの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
11 GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 10人気 四位洋文 2:12.8 上り35.7映像
7 GIII府中牝馬S 東京 芝1800 3人気 四位洋文 1:48.1 上り33.8
2 GIIIクイーンS 札幌 芝1800 2人気 四位洋文 1:47.0 上り35.9
8 GIIIマーメイドS 京都 芝2000 1人気 四位洋文 2:01.6 上り34.8
7 GIヴィクトリアマイル 東京 芝1600 5人気 四位洋文 1:34.8 上り34.0映像
1 GIII中山牝馬S 中山 芝1800 1人気 四位洋文 1:47.8 上り34.5
4 GIII京都牝馬S 京都 芝1600 2人気 四位洋文 1:33.6 上り34.0
7 GIII鳴尾記念 阪神 芝2000 3人気 小牧太 2:02.4 上り35.6
4 GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 8人気 四位洋文 2:13.1 上り33.9映像
2 GI秋華賞 京都 芝2000 5人気 四位洋文 1:58.5 上り34.6映像
3 GIIIクイーンS 札幌 芝1800 3人気 四位洋文 1:47.8 上り35.3
5 GI優駿牝馬 東京 芝2400 2人気 四位洋文 2:28.1 上り34.9映像
3 GI桜花賞 阪神 芝1600 4人気 四位洋文 1:34.3 上り34.6映像
3 GIIIチューリップ賞 阪神 芝1600 2人気 四位洋文 1:35.8 上り34.9映像
1 GI阪神ジュベナイルフィリーズ 阪神 芝1600 6人気 四位洋文 1:35.9 上り34.5映像
3 GIII札幌2歳S 札幌 芝1800 2人気 四位洋文 1:54.4 上り35.2
1 OPコスモス賞 札幌 芝1800 2人気 北村宏司 1:51.8 上り35.9
2 OPクローバー賞 札幌 芝1500 3人気 四位洋文 1:30.4 上り35.3
1 2歳新馬 函館 芝1800 2人気 四位洋文 1:57.5 上り37.7

血統

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ヤマニンシュクルの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
トウカイテイオーTokai TeioシンボリルドルフSymboli RudolfパーソロンPartholon
スイートルナ
トウカイナチュラルナイスダンサー
トウカイミドリ
ヤマニンジュエリーNijinskyNorthern Dancer
Flaming Page
ティファニーラスTiffany LassBold Forbes
Sally Stark
STORY

旅程 — この馬の物語

2001年生まれの黒鹿毛の牝馬。父トウカイテイオー、母ヤマニンジュエリー。主な勝ち鞍は阪神ジュベナイルF・中山牝馬S。

砂糖という名前

2003年7月19日、函館の芝1800メートル。二歳の新馬戦に、大外十番枠から黒鹿毛の牝馬が出てきた。二番人気。鞍上は四位洋文。勝った。 この馬は生涯で十九回ゲートに入る。そのうち十七回、背にいたのは同じ男だった。 名前をヤマニンシュクルという。ヤマニンは馬主・土井肇の冠名で、この馬主の持ち馬はこの三文字から始まる。固有の部分はシュクル。フランス語で砂糖のことだ。 血のほうは、砂糖よりずいぶん騒がしい。祖母はティファニーラスといって、ケンタッキーオークスまで無傷の七連勝を並べ、1986年のエクリプス賞最優秀三歳牝馬に選ばれたアメリカの牝馬である。ケンタッキーで二頭産んだあと繁殖牝馬のセールに出され、ニジンスキーの仔を宿したまま新冠の錦岡牧場に買われて海を渡った。翌1991年に生まれたその牝駒が、シュクルの母ヤマニンジュエリーになる。 ただし母は走っていない。栗東の浅見国一厩舎に競走馬として登録されながら、一度もゲートに入らないまま繁殖に上がった。 父はトウカイテイオー。1993年の有馬記念を、三百六十四日ぶりの実戦で勝った馬だ。種牡馬としては長く地味な立場が続いていたが、前年にトウカイポイントがマイルチャンピオンシップを勝ち、産駒として初めてのGIがようやく出たところだった。 新馬戦のあと、シュクルは北海道に居残る。八月末のクローバー賞は二着。九月のコスモス賞は北村宏司が乗って勝ち、十月の札幌2歳ステークスは三着。函館と札幌だけで夏を使い切り、四戦して二勝。重賞でも二番人気に推される馬になっていた。

同じ勝負服が、二つ

十二月七日、阪神競馬場の芝1600メートル。十八頭立て。 八枠に、同じ勝負服が二つ並んだ。水色に、袖へ赤い輪が三本。十六番がヤマニンシュクル、十七番がヤマニンアルシオン。馬主も厩舎も同じである。ただし体つきは似ていない。シュクルは四百七十八キロ、アルシオンは四百三十キロ。四十八キロの差があった。 単勝でいちばん売れていたのは、前走で重賞を勝ってきたスイープトウショウである。シュクルは六番人気だった。 ゲートが開くと、小さいほうが先頭に立った。大きいほうは、後ろから数えたほうが早い位置にいる。向正面に入っても、シュクルの前には十三頭ほどの背中があった。 流れはそこでいったん緩む。三コーナーの手前で各馬の脚色が落ち着き、隊列が固まった。その淀みが、四コーナーを回って直線に向くところで急に締まる。ラップがひとつだけ十一秒台の前半まで速くなった。先頭で流れを作っていたのはアルシオンだから、そこを速くしたのはその一頭である。逃げ馬が、後ろに脚を使わせにいった。 シュクルは四コーナーで十一、二番手まで押し上げていた。前はまだ遠い。 直線に入ると、時計はもう一度鈍った。粘っている一頭にとっても、外から迫る一頭にとっても、同じだけ苦しい二百メートルだったということだ。上がり三ハロン——最後の六百メートルのことである——を、シュクルは三十四秒五で上がっている。この日のレースの上がりより、〇秒七速い。 ゴール板の上で、四百七十八キロが四百三十キロをクビだけ上回った。時計は二頭とも一分三十五秒九である。 枠連は八—八。同じ枠から出た二頭が、そのまま一着と二着に入った。三着は四分の三馬身うしろ。一番人気は五着だった。

父と子の、同じ阪神

年が明けて、シュクルは2003年のJRA賞最優秀2歳牝馬に選ばれた。 管理していた浅見秀一が自分の厩舎を開いたのは1992年である。それまでの十五年は、父・浅見国一の厩舎で調教助手をしていた。 その父も1994年、同じ阪神の二歳牝馬決定戦を勝っている。馬はヤマニンパラダイス、馬主はやはり土井の名義だった。あの馬もその年の最優秀牝馬に選ばれている。当時は馬齢の数え方が違ったので、競走の名は阪神3歳牝馬ステークス、賞の名は最優秀3歳牝馬といった。国一は1997年に定年で厩舎を閉じ、パラダイスは息子の管理馬として現役を終えている。 そのパラダイスの三番仔が、ヤマニンアルシオンだった。父はサンデーサイレンス。九年前に母が勝った競走で逃げ、ゴール前でクビだけ届かなかった、あの十七番である。 もうひとつある。走らないまま繁殖に上がったヤマニンジュエリーを預かっていたのも国一だった。父が一度も走らせられなかった牝馬の娘を、息子が同じ競馬場の同じ競走まで連れていったことになる。 三歳になったシュクルは、五回走って一度も勝てなかった。 三月のチューリップ賞は三着。勝ったのはスイープトウショウで、暮れの借りを返された形になる。四月の桜花賞も三着。勝ったダンスインザムードから〇秒七だった。五月のオークスは二番人気に推されて五着、ダイワエルシエーロから〇秒九。夏の札幌でクイーンステークス三着。 三着、三着、五着、三着。掲示板——五着までのことだ——は一度も外さない。ただ、勝ち馬の欄にはいつも他人の名前が入った。

半馬身と、五馬身

十月十七日、京都の芝2000メートル。秋華賞。五番人気。 この日のシュクルは前のほうを進んだ。四コーナーで七、八番手あたり。スイープトウショウは十六番手にいる。 直線を向いた時点で、前にいたのはシュクルのほうである。外から伸びてきたスイープトウショウが、ゴール前で半馬身だけ前に出た。 三着のウイングレットは、その二頭から五馬身うしろにいた。二千メートルを走って、上の二頭だけが別の競走をしていたことになる。 四位洋文は結局、この馬でクラシックの三戦を三着、五着、二着と回った。あと半馬身が、三歳の一年でどうしても縮まらなかった。 そのあと、屈腱炎が出た。前脚の腱を痛める故障で、治るまでに長くかかり、治っても再発しやすい。秋華賞を最後に、シュクルは競馬場から消えた。

三百九十二日

秋華賞の日から、次にゲートに入る日までが三百九十二日ある。 父トウカイテイオーが有馬記念の前に空けた時間は、三百六十四日だった。娘のほうが、四週間ほど長い。 その空白の途中、十月七日に祖母が死んでいる。ティファニーラスは蹄葉炎を発症し、二十二歳だった。日本へ来てから十五年が経っていた。 五週間後の2005年11月13日、京都のエリザベス女王杯。シュクルは十八頭立ての八番人気で戻ってきた。四着。勝ち馬から〇秒六。最後の六百メートルを三十三秒九で上がっている。一年以上使われていない馬の脚ではなかった。 勝ったのは、またスイープトウショウだった。 続く鳴尾記念は牡馬の混じる一戦で、小牧太が乗って七着。デビュー以来はじめて掲示板を外した。年が明けた京都牝馬ステークスは四着、勝ち馬とは〇秒一。 そして三月十二日、中山の芝1800メートル。中山牝馬ステークス。 この日、シュクルはデビュー以来はじめて一番人気に推された。十四戦目のことである。 勝った。二着のディアデラノビアに一馬身四分の一。三着に入ったヤマニンアラバスタも、同じ水色の勝負服だった。二歳の暮れの阪神で、七着に敗れていた馬である。 阪神ジュベナイルフィリーズの日から、二年三か月が過ぎていた。

一枠二番

五歳の春から秋にかけて、シュクルは牝馬の重賞を回り続けた。ヴィクトリアマイル七着。六月のマーメイドステークスは一番人気で八着、五十七キロを背負っていた。夏の札幌のクイーンステークスで二着に入り、秋の府中牝馬ステークスは七着。 十一月十二日、京都。エリザベス女王杯。一枠二番、十番人気。 この日、七枠十四番には従妹が入るはずだった。ヤマニンメルベイユという。祖母ティファニーラスの別の娘が産んだ牝馬で、二年後に中山牝馬ステークスとクイーンステークスを勝つ。シュクルが勝った競走と、二着だった競走である。だがレース当日に歩様の乱れが出て、出走を取り消した。一族の重賞馬はもう一頭いて、メルベイユの弟にあたるヤマニンキングリーが、三年後に札幌記念を勝っている。 レースはシェルズレイが大きく逃げた。一枠から出たシュクルは、直線でも内にいる。 その外から、一頭が真ん中を割って伸びてきた。カワカミプリンセスである。前へ出るときに内へ切れ込み、シュクルと接触した。シュクルは体勢を崩した。 入線は十二番目、確定した着順は十一着。二桁の着順は、この馬にとって最初で最後になった。裁決はカワカミプリンセスの走行妨害を認め、一位で入線した同馬を十二着に降着させている。優勝は繰り上がってフサイチパンドラのものになった。日本のGIで一位入線の馬が降着になるのは、1991年の天皇賞・秋のメジロマックイーン以来、十五年ぶり史上二頭目だった。 ゴールを過ぎたところで、四位洋文が下馬した。右前の浅屈腱不全断裂。腱が切れていた。 十一月十八日、競走馬登録が抹消される。十九戦四勝。五歳だった。

二月二十九日

シュクルは北海道の錦岡牧場で繁殖牝馬になり、2008年から仔を産んだ。全部で十一頭。父にはディープインパクトスペシャルウィークダイワメジャーもいたが、重賞を勝った仔は出なかった。2020年に繁殖牝馬を退き、翌年から引退名馬繋養展示事業の対象になっている。 最後に産んだのは牝馬だった。生まれたのは2020年2月29日。父はイスラボニータ。ヤマニンティンクという名前がついた。 四位洋文が騎手として最後にレースに乗ったのも、その2020年2月29日である。阪神競馬場で二十九年の騎手生活を終え、翌日づけで調教師の免許が発効した。厩舎を開いたのは、その一年後になる。 2023年、ヤマニンティンクは阪神でデビューした。預かっていたのは栗東の四位洋文である。二戦して勝てず、岩手の水沢へ移り、そこでも勝てないまま登録を抹消された。三戦。母の十九戦には遠く届かない。 屈腱炎で一年以上を失い、戻ってきて重賞を勝ち、最後は腱が切れて競馬場を去った馬だった。父トウカイテイオーも、壊れては戻ってくる馬である。娘は父より四週間だけ長い空白を越え、戻ってきた春に中山で勝った。父の有馬記念がそうだったように、それが最後の勝利になった。 ブラッドスポーツの帳簿で数えるなら、この牝馬が繁殖で残したものはほとんど無い。それでも、渡したものが無かったわけではない。十九回ゲートに入って、そのうち十七回、同じ男を乗せて走った。最後の一回だけ、その男はゴール板を過ぎたところで馬から降りている。 十七年後、彼女の最後の仔の出馬表に、その男の名前は調教師の欄で載っていた。

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