名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

名馬録
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ワグネリアンのイメージビジュアル
ワグネリアンWagnerian
Wagnerian

ワグネリアン

通算成績17戦5勝

獲得賞金51,243万円

生年月日 2015.02.10(平成27年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ワグネリアンの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
18 GIジャパンカップ 東京 芝2400 13人気 戸崎圭太 2:27.1 上り36.6映像
6 GII富士S 東京 芝1600 4人気 福永祐一 1:33.8 上り34.3映像
12 GI大阪杯 阪神 芝2000 5人気 吉田隼人 2:05.2 上り39.9映像
5 GII京都記念 阪神 芝2200 2人気 武豊 2:11.1 上り35.1映像
13 GI宝塚記念 阪神 芝2200 7人気 福永祐一 2:16.8 上り39.6映像
5 GI大阪杯 阪神 芝2000 5人気 福永祐一 1:58.8 上り34.0映像
3 GIジャパンカップ 東京 芝2400 2人気 川田将雅 2:26.2 上り36.6映像
5 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 4人気 福永祐一 1:56.8 上り34.0映像
4 GII札幌記念 札幌 芝2000 2人気 福永祐一 2:00.3 上り35.9映像
3 GI大阪杯 阪神 芝2000 4人気 福永祐一 2:01.1 上り35.1映像
1 GII神戸新聞杯 阪神 芝2400 2人気 藤岡康太 2:25.6 上り34.2映像
1 GI東京優駿 東京 芝2400 5人気 福永祐一 2:23.6 上り34.3映像
7 GI皐月賞 中山 芝2000 1人気 福永祐一 2:01.6 上り35.2映像
2 GII報知杯弥生賞 中山 芝2000 2人気 福永祐一 2:01.2 上り33.7映像
1 GIII東京スポーツ杯2歳S 東京 芝1800 1人気 福永祐一 1:46.6 上り34.6映像
1 OP野路菊S 阪神 芝1800 1人気 福永祐一 1:49.3 上り33.0
1 2歳新馬 中京 芝2000 2人気 福永祐一 2:04.7 上り32.6

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ワグネリアンの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ディープインパクトDeep ImpactサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
ウインドインハーヘアWind in Her HairAlzao
Burghclere
ミスアンコールキングカメハメハKing KamehamehaKingmambo
マンファスManfath
ブロードアピールBroad Brush
Valid Allure
STORY

旅程 — この馬の物語

2015年生まれの鹿毛の牡馬。父ディープインパクト、母ミスアンコール。主な勝ち鞍は東京優駿・東京スポーツ杯2歳S・神戸新聞杯。

ワーグナー狂 ― 名と血

ブロードアピールは、1994年にアメリカで生まれた黒鹿毛の牝馬である。金子真人が所有し、栗東の松田国英が管理して、中央で32戦12勝、地方でも1勝を挙げた。重賞は六つ。2000年のシルクロードステークスと根岸ステークス、2001年のかきつばた記念、プロキオンステークス、シリウスステークス、2002年のガーネットステークス。芝でもダートでも勝った。とりわけ2000年の根岸ステークスは、先頭が残り400メートルの標識にさしかかる頃まで最後方にいて、そこから前をすべて飲み込んでいる。鬼脚と呼ばれた。 引退したブロードアピールは金子の手を離れ、ノーザンファームの関連会社の所有となって、北海道早来のノーザンファームで仔を産み続けた。2006年に生まれた父キングカメハメハの牝馬、その4番仔が、セレクトセールの当歳牝馬セッションに上場される。落札したのは金子だった。税別1億1200万円。その日の当歳牝馬セッションでは2番目に高い値である。一度手放した牝馬の、その娘を買い戻したことになる。 牝馬にはミスアンコールという名が与えられた。競走成績は9戦1勝。繁殖に上がってからは、金子がかつて所有した牡馬ばかりが配された。ディープインパクトクロフネ、そしてまたディープインパクト。初年度から三年続けて生まれたのは、いずれも牝馬だった。テンダリーヴォイス、ハマヒルガオ、ミンネザング。四年目の2015年2月10日、安平のノーザンファームで鹿毛の牡馬が生まれる。この腹から出た、最初の牡馬だった。 アンコール、テンダリーヴォイス、ミンネザング。あとから生まれる全弟にカントル、全妹にミスフィガロ。この腹の名には、音楽にまつわる言葉が並んでいる。牡馬に与えられた名も、同じ流れの中にあった。ワグネリアン――ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの、熱心な愛好家を指す言葉である。 祖母も母も、乳が痛むのを嫌って授乳を怠る傾向があった。そのためこの仔は乳母に育てられている。安平の早来で乳母と対面し、同じ町の遠浅の厩舎で育った。二つの厩舎の長が、きれいな馬だ、このまま自分の手で育てたい、と口を揃えたという。当歳の夏に離乳してノーザンファームイヤリングへ移ってからも評価は高く、担当者は健康そのものだと言った。おとなしく、何事も一度で覚える。難点があるとすれば、小柄なことくらいだった。 1歳の秋、ノーザンファーム空港牧場へ移る。引き渡しのとき、イヤリングの担当者は、ダービーを頼みますと言い添えたという。受け取った側は、ディープインパクト産駒としては目立つほうではない、という程度の印象しか持たなかった。ただ、触れているうちに前進気勢の豊かさと、祖母譲りのピッチ走法と、体幹の強さを感じ取っていく。 2017年5月中旬、北海道を出て本州へ渡り、栗東の友道康夫厩舎に預けられた。担当は持ち乗り調教助手の藤本純。その年の3月に友道厩舎へ移ってきたばかりで、これが最初の担当馬だった。名義は金子真人ホールディングス。父ディープインパクト、母ミスアンコール、母の父キングカメハメハ、母の母ブロードアピール。四頭とも、金子が持っていた馬である。

中京の三十二秒六 ― 二〇一七年

友道康夫と福永祐一の付き合いは、厩舎を開く前からのものだった。友道の重賞初勝利は2005年の朝日チャレンジカップ、ワンモアチャッターで、そのとき手綱を取っていたのが福永である。友道は福永の騎乗を、馬の気持ちを大切にして当たりが柔らかい、新馬戦の騎手として理想的だと評していた。毎年7月の中京、芝2000メートルの新馬戦は空けておいてくれ――そう頼む間柄だったという。2015年はジュンヴァルカン、2016年はトリコロールブルー。三年目にその枠へ入ってきたのが、ワグネリアンだった。 デビュー戦の前日、福永はキセキで500万円以下を勝ち、JRA通算2000勝に到達している。史上8人目、武豊に次いで史上2番目の速さだった。記録達成の催しで今後の目標を訊かれ、口を開く前に観客席から「ダービー」の声が飛んだ。そのとおりだと福永は答えている。 翌7月16日、中京競馬場、芝2000メートルの2歳新馬。10頭立て。1番人気はシルバーステートの弟で高額取引馬のヘンリーバローズ、ワグネリアンはそれに次ぐ2番人気だった。前半1000メートルの通過は67秒0という遅い流れで、ワグネリアンは中団、ヘンリーバローズの背後に張りついている。直線、先に抜け出したヘンリーバローズを大外から追った。二頭は競り合ったまま他を5馬身突き放し、優劣がつかないまま決勝線へ入る。ハナ差だけ前に出ていたのはワグネリアンだった。追う側が使った上がり3ハロンは32秒6。前を行くヘンリーバローズの32秒8を上回り、中京競馬場の史上最速だった。福永の2001勝目である。 9月16日、阪神の野路菊ステークス。重馬場、9頭立て、単勝1.9倍の1番人気。遅い流れの中団を進み、後方3番手で最終コーナーを回ると、直線は大外から抜け出して独走になった。2馬身半差の2連勝。 11月18日、東京スポーツ杯2歳ステークス。関東初参戦であり、重賞も初めてだった。7頭立てで、モーリスの全弟ルーカスとの一騎打ちと見られ、オッズが一桁台なのはこの二頭だけ。ワグネリアンが1.4倍、ルーカスが3.1倍である。3枠3番から控え、ルーカスとともに後方で待った。前でハナ争いが起きて流れが速くなり、先行勢と後方勢の間が大きく開く。直線に入って前が鈍ると、ワグネリアンは大外から伸びてルーカスを突き放し、先行勢もまとめて差し切った。3馬身差。無傷の3連勝で重賞初制覇である。無敗でこのレースを勝ったのは2014年のサトノクラウン以来3年ぶり、福永にとってはキングヘイローアドマイヤマックスフサイチリシャールに続く4勝目だった。 暮れの朝日杯フューチュリティステークスも、この年からGIに昇格したホープフルステークスも使わず、福島のノーザンファーム天栄で休養に入る。朝日杯を3馬身半差で勝ったのはダノンプレミアム、無敗の3連勝だった。JRA賞最優秀2歳牡馬はそのダノンプレミアムが全290票中275票を集めて受賞し、ワグネリアンに入ったのは1票である。

二つの敗北 ― 二〇一八年春

1月26日に天栄から栗東へ戻り、3月4日の弥生賞で始動した。無敗のディープインパクト産駒が三頭揃う一戦で、ダノンプレミアムが1.8倍の1番人気、ワグネリアンが3.6倍、新馬と500万円以下を連勝したオブセッションが4.7倍という序列である。 7枠8番から中団に控えた。ダノンプレミアムは大逃げを打つ一頭から離れた二番手につけている。最終コーナーで逃げ馬を捉えたダノンプレミアムが抜け出し、ワグネリアンがそれを追う形になったが、直線での差は詰まらなかった。勝ち馬は途中で手を緩めるほどの独走で、ワグネリアンは大逃げのサンリヴァルを捉えるのが精一杯の2着。1馬身半差の初黒星だった。ただし上がり3ハロンは33秒7で、グレード制導入以降の弥生賞では2016年の勝ち馬マカヒキの33秒6に次ぐ数字である。福永は、長い休み明けに負荷のかかる調教を積んだせいでテンションが上がってしまったと振り返っている。 4月15日、皐月賞。ダノンプレミアムが挫跖で十分に調教を積めず回避し、目標をダービーへ切り替えた。無敗の大本命が消えた中山で、代わって1番人気に推されたのがワグネリアンだった。単勝3.5倍。弥生賞の反省から、今度は負荷をかけない調教で臨んでいる。曇天、馬場は稍重だった。 1枠2番からスタートして中団に控えた。前では三頭が飛ばし、ワグネリアンの属する後ろの一団は緩い流れになる。最終コーナーから直線にかけて逃げた三頭が失速し、そこへ後方勢が殺到した。ワグネリアンは馬群の大外へ持ち出して追い上げたが、逃げ集団に代わって台頭したエポカドーロには全く届かない。0秒8差の7着。大逃げをしていたジェネラーレウーノにも、ステルヴィオにも、キタノコマンドールにも先着を許した。 大本命が回避したのだから多少強引に乗っても勝てる、と福永は思ってしまったという。のちに、こう振り返っている。「皐月賞のメンバーを見回して、そう過信したのが何よりの過ち」[^1]。 無敗のまま春を迎えた馬は、二戦して二度負けた。

出典:Number Web「福永祐一が語ったダービーでの“挫折のち栄光”… エピファネイアとキングヘイローでの失敗とワグネリアン、父と周囲への感謝とは」2021年5月31日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/848280 、閲覧日:2026年7月25日。

八枠十七番 ― 二〇一八年五月二十七日

東京優駿は毎年、東京競馬場の芝2400メートル、内ラチを二段階外へ動かしたCコースで行われる。この年の当日は第2回東京開催の12日目で、Cコースに替えてまだ2日目だった。内側はさほど荒れておらず、内を通る馬が有利とされる。加えてこの時期は芝の伸びが早く決着が速くなるため、外を回り続けた馬が直線で内の馬を差し切るのは難しいと言われていた。 福永は、その有利な内枠が来るものと決めてかかっていた。枠順が決まる木曜の午前中には、内で脚を溜めて直線は馬群を縫う、という内枠ありきの戦法を周囲に披露してしまっている。同じ日の夕方、手元の端末で自分の枠を知った。8枠17番。この時点で終わったな、と思ったという。友道も、最悪だ、と口にした。1枠1番はダノンプレミアム、4枠8番はブラストワンピース、3枠5番はキタノコマンドール。人気を分け合う馬たちが、有利な枠を先に持って行っていた。 単勝はダノンプレミアムが2.0倍、ブラストワンピースが4倍、キタノコマンドールが8倍。皐月賞馬エポカドーロが10.5倍で4番人気、ワグネリアンは12.5倍の5番人気で、これがこの時点での自己最低の支持である。皐月賞で掲示板を外したことと、大外枠が嫌われた結果である。 用意していた勝ちパターンは、大外枠に収まったことでほとんど捨てることになった。残ったのは一つだけだった。折り合いを欠いて惨敗する危険を冒してでも、先行する。 外枠から五分のスタートを切ると、それまでの中団待機をやめて前へ行った。ハナを奪ったのはエポカドーロ、8枠からハナを取れずに二番手へ回ったのがジェネラーレウーノ、その背後にダノンプレミアム。ワグネリアンは四番手の外で、傍らにコズミックフォース、背後にブラストワンピースを置く位置だった。2コーナーまでは行きたがる素振りを見せている。そこで傍らのコズミックフォースが前へ出て、その背中が空いた。前に馬を置くとワグネリアンはたちまち落ち着き、好位のまま脚を溜められる形になる。先頭のエポカドーロが刻んだ前半1000メートルは60秒8。この日にしては遅い流れだった。 最終コーナー、コズミックフォースの背後を離れて外へ持ち出す。同じくコズミックフォースの陰から出ようとしていたブラストワンピースは、その動きに蓋をされ、余計に外を回らされた。直線、後方勢の出番はなかった。逃げるエポカドーロへ、外からワグネリアンとコズミックフォースが並びかけていく。背後から抜け出そうとしたダノンプレミアムは、その二頭に進路を塞がれて脱落した。残り200メートルでコズミックフォースが力尽き、残り100メートルからはエポカドーロとの二頭になる。福永の右ムチを合図に伸びたワグネリアンが、残り50メートルで前に出た。半馬身。2分23秒6だった。 8枠の優勝は2001年のジャングルポケット以来17年ぶり。17番の優勝は1982年のバンブーアトラス、1994年のナリタブライアンに続く3度目で、24年ぶりである。単勝5番人気の優勝は1967年のアサデンコウ以来51年ぶり3度目、皐月賞で入着を逃した馬の巻き返しは2009年のロジユニヴァース以来9年ぶりだった。内が有利とされる馬場で、当時としては東京優駿史上4番目に速い決着になりながら、大外を回った馬が勝っている。 友道は2016年のマカヒキ以来のダービー2勝目。金子は2004年キングカメハメハ、2005年ディープインパクト、2016年マカヒキに続く4勝目で、これが当時の史上最多単独記録になった。父も母も母の父も母の母も自分の所有馬という配合でのダービー制覇は、金子にとってこれが初めてである。生産したノーザンファームはドゥラメンテから数えて4連覇、通算9勝目。中京の新馬戦から出た馬のダービー制覇は、1980年オペックホース、1991年トウカイテイオー、1992年ミホノブルボンに続く4頭目だった。 この日の誘導馬を務めたのは、金子が競走馬として所有していたクロフネ産駒のシュガーヒルとアルバリサである。シュガーヒルは、レース前に動かなくなった皐月賞馬エポカドーロに寄り添う役をこなしていた。落ち着きを取り戻したエポカドーロは、半馬身差の2着に粘っている。

福永家の悲願

福永祐一の父は、騎手だった福永洋一である。1948年12月生まれ、1968年にデビューし、1970年から1978年まで九年続けて全国最多勝を挙げた。菊花賞をニホンピロムーテーで、天皇賞(秋)をヤマニンウエーブで、天皇賞(春)をエリモジョージで、桜花賞をインターグロリアとオヤマテスコで、皐月賞をハードバージで勝っている。天才と呼ばれた騎手だった。 ダービーには七度乗って、最高が1978年のカンパーリの3着である。1977年には自分が皐月賞を勝たせたハードバージではなく、先約のホリノエンジェルを選んで15着に敗れた。ハードバージの手綱は武邦彦に渡り、ラッキールーラにクビ差の2着まで来ている。一番欲しいと周囲に漏らしていたのが、そのダービーだった。 1979年3月4日、阪神。その日の4競走でエイシンタローに乗って通算983勝目を挙げたあと、メインの毎日杯にマリージョーイで騎乗する。最後の直線で馬が大きく前のめりになり、洋一は投げ出されて頭を強打した。三十歳。二度と競走に乗ることはなかった。 1996年、長男の祐一が騎手としてデビューし、その年の最多勝利新人騎手になった。十九歳のとき、目標を訊かれて、親父が勝てなかったダービーを勝ちたい、と答えている。二年目に東京スポーツ杯3歳ステークスをキングヘイローで勝って重賞初制覇。三年目の1998年、そのキングヘイローでダービーに初めて乗った。スペシャルウィークに次ぐ2番人気で、GI初勝利も懸かっていた。だが緊張のあまり我を失い、末脚のある馬を先行させてしまう。終いでまったく抵抗できず14着だった。 2003年は、朝日杯フューチュリティステークスを勝たせたエイシンチャンプと、重賞戦線へ押し上げたネオユニヴァースの二択で、エイシンチャンプを選んで10着。乗らなかったネオユニヴァースがダービーを勝ち、春の二冠を達成した。オヤジみたいなことをして、と周囲に言われたという。父が二十六年前にハードバージでしたことを、息子がそのまま繰り返していた。 2007年は14番人気のアサクサキングスで逃げ粘りながら、牝馬のウオッカに差されて2着。2012年は皐月賞2着のワールドエースで初めて1番人気に推され、ディープブリランテに届かず4着。2013年は同じく皐月賞2着のエピファネイアで直線を抜け出しかけたが、後方の外から武豊のキズナに差し切られ、半馬身及ばず2着だった。次第に諦めが混じり、騎手ではなく調教師になって勝つしかない、と考えたこともあったという。 十九回目が、8枠17番のワグネリアンだった。十九回を要しての戴冠は、1993年にウイニングチケットで勝った柴田政人と並ぶ、当時の史上最多である。 決勝線を先頭で越え、ウイニングランでスタンド前を通るとき、福永は泣いていた。勝って涙を見せたのは、師匠・北橋修二の管理馬マルカコマチで1999年の京都牝馬特別を勝って以来、二度目のことだった。レース後、こう語っている。「ようやく福永洋一の息子として誇れる仕事ができた」[^1]。 洋一は滋賀の自宅で、テレビの前にいた。

出典:デイリースポーツ「【日本ダービー】ユーイチ 男泣き「福永家の悲願」達成 ダービージョッキーに」2018年5月28日配信、https://www.daily.co.jp/horse/2018/05/28/0011299858.shtml 、閲覧日:2026年7月25日。

代打の五百勝 ― 二〇一八年秋

ダービーの翌日にはノーザンファーム天栄へ入り、夏を休んだ。秋の目標はクラシック第三弾の菊花賞ではなく別路線と決め、始動戦にはその菊花賞のトライアルである神戸新聞杯を選ぶ。8月22日に栗東へ帰厩した。 ところがレースの一週間前、福永が落馬して馬に頭を蹴られる。その日の騎乗を全うしてから受けた検査で、頭蓋骨骨折と気脳症という診断が広く報じられた。実際には側頭骨の骨折で、頭蓋骨骨折という字面が独り歩きして必要以上に心配されたという。福永は乗る意向を示していたが、しばらくして断念する。代わりに手綱を託されたのは、以前この馬の調教に乗っていた藤岡康太だった。 9月23日、阪神の芝2400メートル。菊花賞へ向かうエポカドーロも出走し、皐月賞馬と東京優駿馬が神戸新聞杯で顔を合わせるのは、2000年のエアシャカールとアグネスフライト以来18年ぶりだった。単勝はどちらも2.7倍で、わずかな差でエポカドーロが1番人気、ワグネリアンが2番人気になっている。 エポカドーロはゲートで躓いて後方へ下がった。ワグネリアンは中団から外を回って進出し、直線で逃げるメイショウテッコンら先行勢を捉える。残り50メートルで先頭に立ち、大外から追い上げるエタリオウを退けて入線した。重賞3勝目である。そしてこの一鞍が、藤岡康太のJRA通算500勝目になった。区切りの勝利が、代打で回ってきた重賞だった。 菊花賞の優先出走権は手に入れたが、予定どおり使わなかった。次の目標を天皇賞(秋)に置いたものの、そこから思うように疲れが抜けない。出走登録こそしたが、先を考えて回避し、天栄へ戻った。年内はもう走らなかった。この年のJRA賞最優秀3歳牡馬は全276票中88票で次点。受賞したのは、有馬記念と毎日杯と新潟記念を勝ち、ダービーでは5着だったブラストワンピースである。 藤岡康太は2024年4月6日、阪神競馬第7競走で騎乗中に落馬し、四日後の10日に亡くなった。三十五歳。JRA通算803勝、GIは2勝だった。

届かない ― 二〇一九年

四歳の始動は3月31日の大阪杯だった。GIの優勝馬が八頭も集まる一戦で4番人気。中団から追い上げて3着に入り、勝ったアルアインとの差は0秒1である。 宝塚記念は使わず、夏は8月18日の札幌記念へ向かった。2番人気で4着。優勝したブラストワンピースまで0秒2だったが、レース中に落鉄しており、伸び切れなかったのはその影響だと福永は話している。 10月27日、天皇賞(秋)。同期の牝馬三冠馬アーモンドアイをはじめ、GI級の優勝馬が十頭並ぶ中で4番人気に支持され、5着だった。もう一列前で競馬がしたかった、というのが鞍上の弁である。 11月24日のジャパンカップは、福永が騎乗停止となったため川田将雅に乗り替わった。レイデオロマカヒキ、そしてワグネリアン。三つの世代のダービー馬が揃った一戦である。重馬場の中、レイデオロに次ぐ2番人気で中団に控え、直線で追い上げたが、スワーヴリチャードカレンブーケドールには届かず3着。勝ち馬とは0秒3差だった。暮れの有馬記念は回避している。 この年は四度ゲートに入り、四度とも掲示板に載って、四度とも勝てなかった。

声を切る ― 二〇二〇〜二〇二一年

五歳は二戦しか走らなかった。4月5日の大阪杯は5番人気で5着、ラッキーライラックに届かない。6月28日の宝塚記念は13着で、勝ったのはクロノジェネシスだった。止まり方が急すぎた。 レースのあと、陣営はのどを検査し、手術を選ぶ。三歳の頃からの持病だった喘鳴症――のどが鳴る症状である。ダービーを勝ったときも鳴ってはいたが、走りには響いていなかった。調べてみると、異常はむしろ声帯のほうにあった。のどと一緒に、声帯が切除された。友道はこう説明している。「声帯を切っても声は出るのですが、鳴き声が低くなりましたね」[^1]。息遣いは良くなっていた。名の由来は、歌劇を書いた作曲家の熱心な愛好家を指す言葉である。その名を負う馬が、低い声になって戻ってきた。 復帰は八か月後の2021年2月14日、京都競馬場の改修工事のため阪神で行われた京都記念だった。鞍上は武豊。この馬と組むのは初めてである。2番人気で5着、勝ったのはラヴズオンリーユーだった。使って良くなるはずだ、と武豊は言った。これが、この馬にとって最後の入着になる。 4月4日の大阪杯は吉田隼人で12着。夏を休み、秋は10月23日の富士ステークスへ向かった。生涯で初めて走るマイルで、鞍上は福永。6着だったが、今後に希望が持てる走りだと福永は話している。そしてこれが、この二人が一緒にゲートへ入る最後の一鞍になった。 11月28日、東京、ジャパンカップ。18頭立て。鞍上は戸崎圭太である。福永はこの日、コントレイルに乗っていた。三冠馬の引退レースで、福永はそれを勝った。同じ芝2400メートル、同じ府中で、13番人気のワグネリアンは18頭の最後尾でゴール板を過ぎている。2分27秒1。三年半前に半馬身だけ前に出た直線を、この日は誰よりも遅く通過した。

出典:中日スポーツ「ダービー馬『声帯切除』で復活へ!武豊と新コンビのワグネリアン「鳴き声が低く…息遣いは良くなった」」2021年2月9日配信、https://www.chunichi.co.jp/article/198944 、閲覧日:2026年7月25日。

一月五日、栗東

ジャパンカップのあと、肝臓を病んで栗東トレーニングセンター内の競走馬診療所、その入院馬房に入った。治療で一度は症状が落ち着き、放牧にも出ている。だが年末に容体が急変して再び入院した。年を越して七歳を迎え、2022年1月5日の午後六時ごろ、入院馬房で死んだ。同じ日付でJRAの競走馬登録が抹消され、そのまま競走馬としての引退になった。 解剖の結果、鶏の卵ほどの大きさの胆石が胆管に詰まり、そこから多臓器不全に至ったと分かった。馬に胆石が見つかること自体が極めて稀で、日本中央競馬会では初めての例だったという。友道は、一戦一戦が思い出だが、ダービーが一番の思い出だ、と語っている。 東京優駿の優勝馬が引退を経ずに現役のまま生涯を終えたのは、1935年のガヴアナー、1940年のイエリユウ、1951年のトキノミノル、1965年のキーストンに続いて五頭目である。平成に勝った馬では、これが初めてだった。 6日の朝、香港での落馬で左の鎖骨を折り、東京でリハビリをしていた福永が栗東へ駆けつけ、手を合わせている。自分の人生を変えてくれた、特別な思い入れのある馬だ、ダービーのあと何も返せなかったのが心残りだ――そう述べた。 1月15日、中京の愛知杯を金子の所有馬ルビーカサブランカが勝ち、アタマ差の2着に同じ金子の所有馬マリアエレーナが入った。マリアエレーナは、ワグネリアンの全姉テンダリーヴォイスの娘である。翌16日、同じ中京の日経新春杯を、金子が持ち友道が管理するヨーホーレイクが勝った。マリアエレーナはその夏、小倉記念を勝っている。 何も返せなかった、と福永は言った。だが、十九回目でようやく開いた扉である。その取っ手に手をかけさせたのは、この馬だった。2020年、福永はコントレイルでダービーを勝ち、そのまま三冠へ導いた。翌2021年にはシャフリヤールで三度目のダービーを勝ち、四年で三勝という記録を残している。2023年2月28日に二十七年の騎手生活を終え、翌年3月に自分の厩舎を開いた。 乳母に育てられ、小柄で、ディープインパクト産駒としては目立たないと言われた仔だった。中京の新馬戦で32秒6を使い、皐月賞では大本命として七着に沈み、大外枠を引いてその時点の自己最低評価まで落ち、それでも前へ行って半馬身だけ先に出た。声帯を失っても、声は出た。イヤリングの担当者が空港牧場へ引き渡すとき、ダービーを頼みますと言い添えた仔は、その一つだけを、たしかに置いていった。

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