名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

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ヴィクトワールピサのイメージビジュアル
ヴィクトワールピサVictoire Pisa
Victoire Pisa

ヴィクトワールピサ

通算成績15戦8勝

獲得賞金108,504万円

生年月日 2007.03.31(平成19年)毛色 黒鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ヴィクトワールピサの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
8 GI有馬記念 中山 芝2500 4人気 M.デムーロ 2:36.5 上り34.3映像
13 GIジャパンカップ 東京 芝2400 4人気 M.デムーロ 2:25.8 上り35.0映像
1 GIドバイワールドカップ アラブ首長国連邦 ダ2000 M.デムーロ 2:05.9 映像
1 GII中山記念 中山 芝1800 1人気 M.デムーロ 1:46.0 上り33.9
1 GI有馬記念 中山 芝2500 2人気 M.デムーロ 2:32.6 上り34.6映像
3 GIジャパンカップ 東京 芝2400 8人気 M.ギュイヨン 2:25.2 上り34.4映像
7 GI凱旋門賞 フランス 芝2400 12人気 武豊 映像
4 GIIニエル賞 フランス 芝2400 武豊 映像
3 GI東京優駿 東京 芝2400 1人気 岩田康誠 2:27.2 上り33.1映像
1 GI皐月賞 中山 芝2000 1人気 岩田康誠 2:00.8 上り35.2映像
1 GII報知杯弥生賞 中山 芝2000 1人気 武豊 2:06.1 上り36.1
1 GIIIラジオNIKKEI杯 阪神 芝2000 1人気 武豊 2:01.3 上り34.2
1 OP京都2歳S 京都 芝2000 1人気 武豊 2:01.6 上り34.2
1 2歳未勝利 京都 芝2000 1人気 武豊 2:01.8 上り34.2
2 2歳新馬 京都 芝1800 1人気 武豊 1:49.0 上り34.1

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ヴィクトワールピサの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ネオユニヴァースNeo UniverseサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
ポインテッドパスPointed PathKris
Silken Way
ホワイトウォーターアフェアWhitewater AffairMachiavellianMr. Prospector
Coup de Folie
Much Too RiskyBustino
Short Rations
STORY

旅程 — この馬の物語

2007年生まれの黒鹿毛の牡馬。父ネオユニヴァース、母ホワイトウォーターアフェア。主な勝ち鞍は皐月賞・有馬記念・ドバイワールドC。

勝利の山 ― 名と血

2007年3月31日、北海道千歳市の社台ファームに、黒鹿毛の牡馬が生まれた。父ネオユニヴァース、母ホワイトウォーターアフェア。 名はヴィクトワールピサ。フランス語の「勝利の山」に、馬主・市川義美の冠名を重ねたものである。冠名の「ピサ」は市川が会長を務める宝飾と時計の会社の名で、もとを辿れば取引先の卸店の屋号だという。勝利と、商いの看板。二つの言葉が一頭の名の中で並んだ。 母はイギリスの生まれで、現役時代はフランスのポモーヌ賞を勝ち、ジョンポーターステークスでは牡馬を負かしている。ヨークシャーオークスでは2着に入った。日本へ渡ってからは安田記念を勝つアサクサデンエン、小倉記念を勝つスウィフトカレントを産み、七番仔が、この馬である。イギリスとフランスの芝で重賞を勝った牝馬の血は、海を渡って日本に根を下ろしていた。 預けられたのは栗東の角居勝彦厩舎。ウオッカを送り出した厩舎である。そしてもう一人、父を知る男がいた。父ネオユニヴァースの背にいたイタリア人である。2003年、ミルコ・デムーロはその馬で皐月賞と東京優駿を勝ち、外国人騎手として初めて日本のダービーを制していた。父を知る男が、いつか息子の手綱を取ることになる。

京都の秋 ― 最初の一敗

2009年10月25日、京都の芝1800m。武豊を背に1番人気に支持されたデビュー戦は、前を行くローズキングダムを捉えきれず、0秒1差の2着に終わった。生涯で最初の一戦が、そのまま二歳時唯一の敗戦になる。 中一週で同じ京都の未勝利戦に出て、今度は0秒6差をつけて勝ち上がった。11月の京都2歳ステークスは直線で先頭に立ってそのまま押し切り、暮れの阪神・ラジオNIKKEI杯2歳ステークスでは後方から順位を上げ、逃げるコスモファントムをクビ差で捉えて重賞初制覇。デビューから三連勝で年を越した。 唯一先着を許した相手は、その年のJRA賞最優秀2歳牡馬に選ばれる馬だった。負けた相手の格がそのまま、この馬の位置を示していた。

最内から ― 二〇一〇年皐月賞

2010年3月7日、中山の弥生賞。重馬場の馬群の中ほどでじっと我慢し、直線では前が詰まり気味になりながら、残り100mでエイシンアポロンを捉えた。デビューから五戦、一度も連対を外していない。 ところがクラシックの直前で鞍上が代わる。3月27日の毎日杯で武豊が落馬して負傷し、皐月賞の手綱は岩田康誠に託された。 4月18日、稍重の中山。1番人気に応えた勝ち方は、大跳びの馬らしからぬものだった。後方の内で脚を溜め、直線もそのまま最内を突いて抜け出す。2着ヒルノダムールに0秒2差。父ネオユニヴァースに続く、父子二代の皐月賞だった。 そして九日後の4月27日、母ホワイトウォーターアフェアが死んだ。十七歳。自らの産駒が初めてクラシックを勝つのを見届けた、その直後のことである。欧州から連れてこられた牝馬が日本に遺したものは、この日をもって完結した。

府中とロンシャン ― 三歳の遠回り

5月30日、東京優駿。1番人気。上がり33秒1の脚を使ったが、先に抜け出したエイシンフラッシュローズキングダムを捉えることができず、0秒3差の3着に敗れた。 6月26日、角居は凱旋門賞への挑戦を発表する。日本調教馬が三歳でこのレースに挑むのは、これが初めてだった。8月、帯同馬とともにフランスへ渡り、シャンティイで調整を積む。母が重賞を勝った国である。 9月12日、前哨戦のニエル賞。中団のやや後ろから追い上げたが、残り200m付近で脚が上がって4着。続く10月3日の凱旋門賞は、直線入口での位置取りが利かなかった。勝ったワークフォースから8馬身半差の7着——8位で入線し、7位入線馬の失格によって着順が繰り上がっての7着だった。同じレースの2着に入っていたのは、同じ日本から来たナカヤマフェスタである。 三歳の秋を、この馬は海の向こうで使い切った。持ち帰ったのは着順ではなく、大跳びの脚が欧州の芝でどこまで通じ、どこで止まるかという手触りだけだった。

ハナ差の暮れ ― 父の背にいた男

帰国初戦は11月28日のジャパンカップ。主戦の武豊はローズキングダムへの騎乗が決まっており、鞍上はマキシム・ギュイヨンとなった。当初はミルコ・デムーロの名が挙がっていたが、契約する別の馬に乗るため直前に変わっている。二人はまだ、すれ違ったままだった。 レースは2番手グループで流れに乗り、直線はローズキングダムとの叩き合いになった。ハナ差だけ届かず3着。8番人気での好走である。 そして12月26日、有馬記念。手綱は、ようやくデムーロに渡った。七年前、父ネオユニヴァースで皐月賞と東京優駿を勝った男である。 最内の1番枠から四、五番手を追走し、早めに先頭へ立つ。追い込んできた1番人気ブエナビスタを、ハナ差だけ抑え込んだ。写真判定の結果が出た瞬間、デムーロは馬上で涙を流している。 この年、三歳馬でGIを二つ勝ったのはこの馬だけだった。JRA賞最優秀3歳牡馬。父の血が、父と同じ鞍上とともに、その年の暮れの中山を制した。

メイダンの二週間 ― 二〇一一年三月二十六日

2月4日、ブエナビスタとともにドバイワールドカップへの招待を受諾。前哨戦の中山記念は、道中やや後ろから四コーナー手前で一気に大外を回り、直線で後続を突き放して0秒4差で勝った。順調そのものだった。 そして3月11日が来る。 角居は迷った。日本中が悲しみに打ちひしがれ、大変な事態になっているときに、競馬のために海を渡っていいのか——のちにそう振り返っている。悩んだ末に「日本に朗報をお届けできれば」と決め、遠征を実行した。決戦の二日前、デムーロもまた、日本の人たちのために勝って良い報告を届けたい、と口にしている。イタリアでも、あの震災はニュースとして流れていた。 当時のドバイワールドカップは、メイダンのタペタ製オールウェザー2000m。芝で実績のある馬が多く集まるレースだった。日本からはこの馬のほか、フェブラリーステークスを勝ったばかりのトランセンド、芝GI5勝のブエナビスタ。角居は、誤解を恐れずに言えば日本の馬ならどれが勝ってくれてもうれしい、と語っていた。 発走前の派手なセレモニーの花火に備え、メンコを着けて二人曳きでパドックを回ったヴィクトワールピサは、落ち着き払っていた。 ゲートが開くと、行き脚がつかない。最後方。だが向正面で一頭、また一頭と交わし、逃げるトランセンドの外、2番手まで上がっていく。直線残り300m、先頭。内から差し返してくるトランセンドを半馬身だけ抑えて、先にゴール板を通過した。日本馬のワンツーフィニッシュ。日本調教馬が、初めてこのレースを勝った。 2着の鞍上・藤田伸二は、勝ちたかったけれど日本の馬に負けたのだからいい、と言った。表彰式では君が代が流れた。デムーロは右腕につけた喪章を左手で何度もつまみ上げ、目を潤ませたまま言った。「この勝利をニッポンの皆様に捧げます」[^1]

出典:Number Web(文藝春秋)平松さとし「「この勝利をニッポンの皆様に捧げます」デムーロが涙した2011年ドバイワールドC【ヴィクトワールピサの激走】」2021年3月27日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/847536 、閲覧日:2026年7月30日。

帰り道 ― 最後の二戦

ドバイから香港へ移り、クイーンエリザベス2世カップへ向かうはずだった。しかし右後肢に軽度の跛行が出て回避し、4月27日に日本へ帰る。 秋は再び凱旋門賞を目指した。8月10日にフランス入りしたが、13日の調教後に左後肢の跛行が生じ、左飛節の炎症で五週間程度の安静が必要と診断され、遠征は打ち切られた。母の国での雪辱は、ついに一度きりの記憶のまま残された。 11月27日、ジャパンカップで復帰。終始後方のまま13着。連覇を狙った暮れの有馬記念は2番手を追走したが、直線で一杯になり、オルフェーヴルの前に8着に終わった。 この年に勝ったGIはドバイの一つだけである。それでもJRA賞は、天皇賞・秋を勝ったトーセンジョーダンとの接戦を制して最優秀4歳以上牡馬にこの馬を選んだ。三月の一勝が、それだけの重さを持っていたということだった。 12月27日に引退が決まり、翌2012年1月15日、京都競馬場で引退式が行われた。15戦8勝、獲得賞金10億8504万円。大跳びでありながら小回りを苦にせず、中山だけで重賞を四つ勝った馬だった。

第二の故郷 ― トルコからの手紙

2012年、社台スタリオンステーションで種牡馬となる。 2016年4月10日、桜花賞。産駒のジュエラーが大接戦を制し、父に初のGIをもたらした。その鞍上は、ミルコ・デムーロだった。父で有馬記念とドバイを勝った男が、その娘で桜の一冠を勝ったことになる。以後もスカーレットカラー、ウィクトーリア、アサマノイタズラ、ロングランらが重賞を勝ち、母の父としては2025年のNHKマイルカップを勝ったパンジャタワーを送り出している。 2020年12月、トルコジョッキークラブがこの馬を購買した。翌2021年2月、種牡馬はふたたび海を渡る。 2025年6月29日、イスタンブールのヴェリエフェンディ競馬場。トルコの三歳最強馬を決めるガジ賞——現地でガジダービーと呼ばれる一戦で、1着クサ、2着ハンサムキング。トルコで生まれた初年度産駒が、ワンツーで入線した。メイダンから十四年、父とまったく同じ形である。 日本の新聞社が問い合わせると、トルコジョッキークラブは近影とともに手紙を寄こした。日本で最優秀三歳牡馬と最優秀古馬牡馬に選ばれた馬を本気で信じて買ったこと、皐月賞を勝った馬が2500mの有馬記念も勝ってみせたこと。そして最後にこう結ばれていた。「すべての日本の競馬ファンのみなさんに心からお祝いを申し上げます」[^1] トルコはいま、日本から渡った馬たちの第二の故郷になっている、とも書き添えられていた。 あの日ドバイの表彰台で、デムーロはニッポンが自分にとっても第二の故郷だと言った。第二の故郷から届いた一勝が日本を励ましてから十四年、今度は日本の馬が、誰かの第二の故郷で血を伝えている。勝利の山という名を負った黒鹿毛は、遠い牧場で、静かにその日々を送っている。

出典:日刊スポーツ「トルコから種牡馬ヴィクトワールピサの近影届く「すべての日本のファンに心からお祝いを」」2025年7月4日配信、https://www.nikkansports.com/keiba/news/202507030002793.html 、閲覧日:2026年7月30日。

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