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トランセンド
通算成績24戦10勝
獲得賞金(海外含む・概算)約8億5,211万円
生年月日 2006.03.09(平成18年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 7 | GI東京大賞典 | 大井 ダ2000 | 6人気 | 藤田伸二 | 2:08.2 | 上り40.5 | — | |
| 16 | GIジャパンカップダート | 阪神 ダ1800 | 5人気 | 藤田伸二 | 1:51.8 | 上り39.0 | 映像 | |
| 3 | JpnⅠJBCクラシック | 川崎 ダ2100 | 1人気 | 藤田伸二 | 2:14.1 | 上り40.5 | 映像 | |
| 13 | GIドバイワールドカップ | アラブ首長国連邦 ダ2000 | 9人気 | 藤田伸二 | — | 映像 | ||
| 7 | GIフェブラリーS | 東京 ダ1600 | 1人気 | 藤田伸二 | 1:36.6 | 上り37.6 | 映像 | |
| 1 | GIジャパンカップダート | 阪神 ダ1800 | 1人気 | 藤田伸二 | 1:50.6 | 上り37.4 | 映像 | |
| 2 | JpnⅠJBCクラシック | 大井 ダ2000 | 2人気 | 藤田伸二 | 2:02.3 | 上り37.3 | 映像 | |
| 1 | GIマイルCS南部杯 | 東京 ダ1600 | 1人気 | 藤田伸二 | 1:34.8 | 上り36.8 | 映像 | |
| 2 | GIドバイワールドカップ | アラブ首長国連邦 ダ2000 | 藤田伸二 | — | 映像 | |||
| 1 | GIフェブラリーS | 東京 ダ1600 | 1人気 | 藤田伸二 | 1:36.4 | 上り36.3 | 映像 | |
| 1 | GIジャパンカップダート | 阪神 ダ1800 | 1人気 | 藤田伸二 | 1:48.9 | 上り36.6 | 映像 | |
| 1 | GIIIみやこS | 京都 ダ1800 | 2人気 | 藤田伸二 | 1:49.8 | 上り36.8 | 映像 | |
| 2 | JpnⅡ日本テレビ盃 | 船橋 ダ1800 | 2人気 | 藤田伸二 | 1:49.3 | 上り36.8 | — | |
| 2 | GII東海S | 京都 ダ1900 | 1人気 | 藤田伸二 | 1:55.4 | 上り36.0 | — | |
| 8 | GIIIアンタレスS | 京都 ダ1800 | 1人気 | 安藤勝己 | 1:50.5 | 上り37.5 | — | |
| 1 | OPアルデバランS | 京都 ダ1900 | 2人気 | 安藤勝己 | 1:55.4 | 上り36.6 | — | |
| 6 | GIII東京中日S杯武蔵野S | 東京 ダ1600 | 3人気 | 松岡正海 | 1:35.9 | 上り36.5 | — | |
| 4 | GIIIエルムS | 新潟 ダ1800 | 1人気 | 内田博幸 | 1:51.4 | 上り36.3 | — | |
| 1 | レパードS | 新潟 ダ1800 | 1人気 | 松岡正海 | 1:49.5 | 上り37.2 | 映像 | |
| 1 | 麒麟山特別 | 新潟 ダ1800 | 1人気 | 内田博幸 | 1:49.5 | 上り37.2 | — | |
| 9 | GII京都新聞杯 | 京都 芝2200 | 5人気 | 安藤勝己 | 2:14.4 | 上り36.0 | — | |
| 1 | 3歳500万下 | 京都 ダ1800 | 1人気 | 安藤勝己 | 1:49.7 | 上り36.2 | — | |
| 1 | 3歳未勝利 | 阪神 ダ1800 | 2人気 | 安藤勝己 | 1:53.7 | 上り37.9 | — | |
| 取 | 3歳未勝利 | 阪神 芝1600 | 安藤勝己 | — | — | |||
| 2 | 3歳新馬 | 京都 芝1800 | 1人気 | 川田将雅 | 1:51.1 | 上り36.0 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父ワイルドラッシュWild Rush | Wild Again | Icecapade |
| Bushel-n-Peck | ||
| Rose Park | Plugged Nickle | |
| Hardship | ||
| 母シネマスコープ | トニービンTony Bin | カンパラKampala |
| Severn Bridge | ||
| ブルーハワイ | スリルショーThrill Show | |
| サニースワップスSunny Swaps |
旅程 — この馬の物語
2006年生まれの鹿毛の牡馬。父ワイルドラッシュ、母シネマスコープ。主な勝ち鞍はジャパンカップダート・フェブラリーS・マイルCS南部杯。
「超越する」という名 ― 新冠の血
2006年3月9日、北海道新冠町。ノースヒルズマネジメントの牧場で、鹿毛の牡馬が生まれた。名はトランセンド。英語で「超越する」という意味を持つ。 父はワイルドラッシュ。アメリカでカーターハンデキャップとメトロポリタンハンデキャップを勝ち、2004年に日本へ渡って種牡馬となった馬である。その父ワイルドアゲインは、1984年に創設された第一回ブリーダーズカップ・クラシックの初代王者だ。八頭立ての六番人気という低い評価を覆したその勝ち方が、いま思えば示唆的だった――スタートから先頭に立ち、直線で二頭に馬体を並べられながら、最後まで先頭を譲らなかったのである。 母はシネマスコープ。1993年生まれの栗毛で、父はトニービン。芝の短いところを二十九戦して五勝、1998年の新潟日報賞を勝った。管理していたのは栗東の安田隆行――のちにこの仔を預かることになる、その人である。母の全弟パルスビートもまた安田厩舎の馬で、1997年に京都新聞杯、北九州記念、ラジオたんぱ賞と、重賞で三度も二着に泣いた。 牝系をさかのぼれば祖母ブルーハワイ、その母サニースワップス。サニースワップスの父の名はハワイという。銀幕と南の島を思わせる名が並ぶ一族には、確かな実績があった。サニースワップスの息子サクラサニーオーは1986年のアルゼンチン共和国杯を勝ち、前年の皐月賞と菊花賞ではミホシンザンの三着に食い下がっている。同じサニースワップスの娘ダイナスワップスの仔ダンディコマンドが勝った1997年の北九州記念では、二着に入ったのがパルスビートだった。一族が、同じレースの一着と二着に並んでいた。 ただし、この一族はみな芝を走っていた。「超越する」と名づけられた鹿毛が砂の上で何をすることになるのか、このときはまだ誰にも分からない。
芝の二着、砂の四連勝
2009年2月14日、京都の芝千八百。デビュー前から調教で古馬並みの時計を出して評判を集めていた三歳馬は、単勝一番人気でゲートに入った。手綱は川田将雅。重馬場を走り、アドマイヤアゲインに〇秒一届かず二着。この馬の物語は、勝てなかった一戦から始まっている。 二戦目も芝に登録したが、フレグモーネを発症して出走を取り消した。三戦目、陣営は初めて砂を選ぶ。4月11日、阪神のダート千八百、鞍上は安藤勝己。ここを勝ち上がると、二週間後の京都五百万下は不良馬場だった。道中ずっと先頭を走り、二着に七馬身。 それでも陣営は、まだ東京優駿を諦めていなかった。5月9日、京都新聞杯。芝二千二百で五番人気に支持されたが、いつものように先行して直線でついていけず、勝ったベストメンバーから離された九着。芝の扉は、そこで静かに閉じた。 夏、新潟。7月26日の麒麟山特別で初めて古馬と走り、二着に八馬身をつけてレコードで千八百を駆け抜けた。そして8月23日、この年に新設された三歳ダート重賞・レパードステークス。内田博幸がイギリスで騎乗停止となっていたため、松岡正海に手綱が渡った。前年の二歳ダート王スーニらを相手に一番人気。二番手から抜け出して三馬身、勝ち時計は前走とまったく同じ一分四十九秒五だった。ここまでダートは四戦四勝、そのうちの一つが重賞である。
一年二か月
そこから、止まった。9月のエルムステークスは一番人気で四着。11月の武蔵野ステークスでは初めて後方に構えてみたが、じりじりとしか伸びずに六着。安田は、この馬が東京ダート千六百の芝からダートへ替わる境目を気にしていたのだと振り返っている。ジャパンカップダートへは向かわず、休養に入った。 明けて2010年2月13日、アルデバランステークス。安藤勝己が久々に手綱を取り、四連勝中のフサイチセブンに次ぐ二番人気。重馬場のハイペースを直線で捉え切って一分五十五秒四――1983年にリュウボーイが刻んだ記録を一秒二縮めるレコードだった。しかし4月のアンタレスステークスは一番人気で八着。そして5月23日の東海ステークスから、鞍上が藤田伸二に替わる。 藤田伸二は1972年、北海道新冠町のメイタイ牧場のなかで生まれた。トランセンドが生まれたのと同じ町である。1991年にデビューし、翌年エリザベス女王杯でGIを初めて勝ち、1996年にはフサイチコンコルドで日本ダービーを制した。検量室で若手に苦言を呈することを厭わず、「番長」と呼ばれた男だった。 その藤田を背に、トランセンドは不良馬場の東海ステークスで逃げた。だがゴール前、中団から伸びてきたシルクメビウスに、ほとんど紙一重の差で交わされる。秋初戦の日本テレビ盃も、直線でフリオーソにかわされて二着。スマートファルコンやテスタマッタには先着したが、二着は二着だった。 四歳の秋になっても、この馬はまだGIの舞台に立ったことがなかった。
逃げるという答え ― 二〇一〇年十二月五日
11月7日、京都。この年に新設された第一回みやこステークスで、トランセンドはスタートから迷わずハナを切った。脚色は最後まで衰えず、キングスエンブレムに〇秒二差。レパードステークス以来、一年二か月ぶりの重賞だった。新設の重賞を、二つとも第一回で勝った馬になった。 そして12月5日、阪神。ジャパンカップダート。エスポワールシチーとスマートファルコンが回避したメンバーで一番人気に推され、内の三番から、やはりハナへ。通過順位は一コーナーから四コーナーまで、1―1―1―1。稍重の千八百を先頭で走り続け、四角でバーディバーディに迫られると突き放し、後方から八番人気グロリアスノアが強襲してきたところがゴールだった。クビ差。一分四十八秒九。 祖父ワイルドアゲインが二十六年前のハリウッドパークで見せたのと、ほとんど同じかたちの勝ち方だった。二着が続いた一年二か月の答えは、逃げることだった。 この日、もう一人が初めて頂に立っている。安田隆行、開業十六年目にして調教師としてのGI初制覇。騎手時代の彼は小倉を主戦場に選んで「小倉の安田」と呼ばれ、デビュー二十年目の1991年にトウカイテイオーで皐月賞と東京優駿を勝つまで、大きなタイトルとは無縁だった。後年、テイオーが自分を表舞台へ連れ出してくれたのだと語っている。二度目に彼を表舞台へ連れ出したのは、かつて自分の厩舎で走った牝馬の仔だった。
一分三十六秒四、そして三月十一日
2011年2月20日、東京。フェブラリーステークス。芝から始まるダート千六百を、トランセンドは気合いをつけながら先手を奪い、そのまま直線へ持ち込んだ。マチカネニホンバレとバーディバーディが代わる代わる迫っては離れ、最後に追い込んできたフリオーソを一馬身半抑えて、一分三十六秒四。前年秋の日本テレビ盃で先着を許した相手への、きれいな借り返しだった。 この一勝で、藤田伸二はデビュー以来の連続年重賞勝利を二十一年に伸ばした。 陣営は予定していたゴドルフィンマイルを取りやめ、ブエナビスタ、ヴィクトワールピサとともにドバイワールドカップへ向かうことを決める。世界最高賞金の一戦だった。 ドバイに着いた、その翌日である。日本で、東日本大震災が発生した。 遠征馬たちは異国にいた。藤田は現地で各国の騎手に声をかけ、日本へ向けたメッセージを集めて回っている。レースまで、二週間だった。
メイダンの二頭
3月26日、メイダン競馬場。当時のドバイワールドカップは砂ではなくオールウェザーの二千メートルで行われており、その馬場をこの逃げ馬がこなせるかどうかは不安視されていた。 ゲートが開くと、トランセンドはいつもどおり先頭に立った。後方に置かれたヴィクトワールピサが向正面で一気に押し上げ、外の二番手につく。日本馬二頭が併走のまま直線へ向いた。残り三百メートル、ミルコ・デムーロのヴィクトワールピサが前へ出る。トランセンドは食い下がり、一度は差し返す素振りさえ見せて、世界の一線級を従えたまま二着でゴールした。 日本調教馬による、ワンツーフィニッシュ。日本の馬がこの競走を勝ったのは、これが初めてだった。 勝ったのは自分の馬ではなく、同じ国から来た馬だった。レースのあと、藤田はこう言っている。「もちろん勝ちたかったけど、日本の馬に負けたのだからヨシとします」[^1]
出典:Number Web(文藝春秋)平松さとし「「この勝利をニッポンの皆様に捧げます」デムーロが涙した2011年ドバイワールドC【ヴィクトワールピサの激走】」2021年3月27日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/847536 、閲覧日:2026年8月1日。
東京で行われた南部杯 ― 十月十日
震災は、岩手の競馬も直撃していた。岩手県競馬組合は大きな被害を受け、水沢競馬場や沿岸部の施設が損壊する。開幕を控えていた開催は延期に追い込まれ、盛岡での開催が再開したのは5月に入ってからだった。6月29日、JRAは10月10日を「岩手競馬を支援する日」と定め、盛岡で行われるはずだったマイルチャンピオンシップ南部杯を東京競馬場で代替開催すると発表した。 トランセンドにとってはドバイからの帰国初戦だった。秋初戦に予定していた日本テレビ盃は回避している。それでも単勝一・六倍の支持を集めた。 レースはエスポワールシチーが千メートル通過五十七秒八で飛ばした。トランセンドは本格化してから初めて、逃げずに二番手を走ることになる。三コーナーを過ぎて藤田の手綱が動いても、前との差は縮まらない。直線、後ろにいたダノンカモンと、大外を回ったシルクフォーチュンが並びかけてくる。残り百メートルでダノンカモンがエスポワールシチーを捉えたとき、トランセンドは一度、勢いを失ったように見えた。 そこから、差し返した。アタマ差。一分三十四秒八は、当時の東京ダート千六百のコースレコードまで〇秒二という時計だった。藤田も安田も、この競走を勝つのは初めてだった。 この日の東京競馬場には五万九千四百七十五人が集まり、売得金は前年の南部杯の約十四倍に達した。JRAはのちに岩手県競馬組合と岩手県へ支援金を拠出し、馬主の前田幸治は優勝賞金のうち一千万円を岩手へ寄付している。 同じレースで、岩手三冠馬ロックハンドスターが芝からダートへ替わる境目で歩様を乱して転倒し、右上腕骨を骨折して還らなかった。岩手県競馬組合は年度末に彼を特別表彰馬として遇し、その年のダービーグランプリには彼の名が副題として掲げられた。支援の日は、そういう日でもあった。
大外十六番 ― 連覇
11月3日、大井のJBCクラシック。二番手から逃げるスマートファルコンを追い、直線でじりじりと差を詰めたが、〇秒二届かず二着。 12月4日、阪神。ジャパンカップダート。引いた枠は八枠十六番、十六頭立ての大外だった。それでもトランセンドは外から一気にハナを奪う。あとは去年と同じだった。1―1―1―1。ワンダーアキュートに二馬身、一分五十秒六。 ジャパンカップダート史上初の、連覇である。 この年、中央で行われたダートGIは三つあった。フェブラリーステークス、東京へ舞台を移した南部杯、そしてジャパンカップダート。トランセンドは、その三つすべてを勝っている。震災という例外がなければ、そもそも成立しなかった巡り合わせだった。2009年のレパードステークスと2010年のみやこステークス――新設された重賞の第一回を二つ勝ったことも含めて、この馬はどこか、暦の綾に選ばれていた。 JRA賞最優秀ダートホース。 そして藤田伸二にとって、このジャパンカップダートが最後のGI勝利になった。翌2012年は重賞を一つも勝てず、二十一年続いた連続年重賞勝利の記録も途切れる。2015年9月、彼は騎手免許の取消願を提出してターフを去った。
超越のあとに
2012年は、一度も勝てなかった。2月のフェブラリーステークスは一番人気で七着。二年続けて臨んだドバイワールドカップは、ハナを奪ったものの三コーナーで失速して十三着。七か月の休養を挟んで出たJBCクラシックも一番人気に応えられず三着。12月のジャパンカップダートはハナを奪えないまま三番手を進み、三コーナーからずるずると後退して十六着。年の暮れの東京大賞典が七着。前へ出られなくなった逃げ馬に、できることは残っていなかった。 2013年1月3日、陣営は引退を決めた。9日付で競走馬登録が抹消される。二十四戦十勝。 移った先は、新ひだか町のアロースタッドだった。そこには父ワイルドラッシュがいた。2018年の夏に父が世を去るまでの五年あまり、父と子は同じ場所で種牡馬を務めている。 産駒の多くは地方の砂で走った。ゴールドホイヤーが2020年の羽田盃を勝ち、翌年はトランセンデンスが同じ羽田盃を勝った。中央ではジェミニキングが2023年の阪神スプリングジャンプを制している。近年はリケアカプチーノが東北優駿やみちのく大賞典を勝ち、父の名を岩手の砂に残した。 2025年かぎりで種牡馬を退き、いまは日高町のヴェルサイユリゾートファームで功労馬として暮らしている。二十歳になった。 「超越する」という名は、何を超えることを求めていたのだろう。最初の一戦で負けたところからか。芝を諦めたところからか。四歳の秋になってもGIの舞台にすら立てなかった、あの一年二か月からか。この馬が答えを言葉で持っていたはずはない。ただ、ゲートが開いたら誰より先に前へ出て、最後まで譲らないという一つのやり方を見つけ、それで砂の頂に二度立った。異国の馬場でも、そのやり方を変えなかった。 もう、誰より先に前へ出なくてよい。名の意味を果たし終えた鹿毛は、いま北の牧場で静かに余生を送っている。
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