名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

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トーホウジャッカルのイメージビジュアル
トーホウジャッカルToho Jackal
Toho Jackal

トーホウジャッカル

通算成績13戦3勝

獲得賞金21,328万円

生年月日 2011.03.11(平成23年)毛色 栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
トーホウジャッカルの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
11 GII金鯱賞 中京 芝2000 5人気 酒井学 2:00.4 上り33.6映像
15 GI宝塚記念 阪神 芝2200 6人気 酒井学 2:14.9 上り38.5映像
5 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 7人気 酒井学 3:15.6 上り34.9映像
7 GII阪神大賞典 阪神 芝3000 2人気 M.デムーロ 3:07.8 上り37.3映像
8 GII札幌記念 札幌 芝2000 1人気 酒井学 1:59.5 上り36.3映像
4 GI宝塚記念 阪神 芝2200 7人気 酒井学 2:14.7 上り34.8映像
1 GI菊花賞 京都 芝3000 3人気 酒井学 3:01.0 上り34.5映像
3 GII神戸新聞杯 阪神 芝2400 9人気 酒井学 2:24.4 上り34.8
2 玄海特別 小倉 芝2000 3人気 酒井学 1:59.1 上り34.7
1 3歳以上500万下 小倉 芝1800 6人気 酒井学 1:48.3 上り34.6
1 3歳未勝利 中京 芝1600 8人気 酒井学 1:36.8 上り34.3
9 3歳未勝利 阪神 ダ1800 5人気 幸英明 1:56.4 上り38.9
10 3歳未勝利 京都 芝1800 10人気 酒井学 1:50.5 上り34.1

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
トーホウジャッカルの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
スペシャルウィークSpecial WeekサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
キャンペンガールマルゼンスキーMaruzensky
レディーシラオキ
トーホウガイアUnbridled's SongUnbridled
Trolley Song
AgamiNureyev
Agacerie
STORY

旅程 — この馬の物語

2011年生まれの栗毛の牡馬。父スペシャルウィーク、母トーホウガイア。主な勝ち鞍は菊花賞。

2011年3月11日 ― 日高で生まれた尾花栗毛

北海道日高町、竹島幸治牧場。繁殖牝馬15頭ほどの小さな牧場に、2011年3月11日、栗毛の牡馬が生まれた。東日本大震災が起きた、その日の数時間あとのことである。牧場にも馬にも被害はなく、牧場長の飯田秀倫が津波の映像を見たのは、その日の夜遅くだったという。地震があると産気づく馬が多い、と竹島幸治は言う。この母は産が遅れがちなのに、この年は普通の早さで産んだ。 母トーホウガイアは2001年のアメリカ生まれ。輸入されて美浦で2戦したが勝てず、岩手へ移ってからは18戦9勝、5連勝と3連勝を重ねた馬である。引退後、日高のこの牧場で繁殖に上がった。交配相手を決めていたのは、冠名「トーホウ」を持つ東豊物産株式会社の社長・高橋照夫。繁殖5年目の2010年、長距離で活躍する馬を作りたいという考えから選んだ種牡馬が、スペシャルウィークだった。牧場長の飯田がこの世界に入るきっかけになったのも、そのスペシャルウィークである。 生まれた4番仔は、たてがみと尾だけが淡く抜けた尾花栗毛だった。体重62キロの立派な仔だったが少食で、体を大きくするのに試行錯誤を要した。気性は穏やかで、人に歯向かうことがなかったという。冠名に「ジャッカル」を重ねて、トーホウジャッカルと名が付く。2つ上の半姉トーホウアマポーラは、この馬が3歳になった夏にCBC賞を勝つことになる。

骨と皮 ― 生きるか、走るか

2歳の夏、入厩を目前にして原因不明の熱発が起きた。ウイルス感染に伴う肺炎と、重度の腸炎。熱に浮かされて正しく歩くこともできず、点滴で栄養を入れる日が続いた。19日間の入院を経て一命は取り留めたものの、500キロあった馬体は50キロ以上落ちていた。骨と皮のようだった、と牧場の竹島は振り返っている。調教師の谷潔は、その姿を見て競走馬になれないかもしれないと考えた。 育成先の武田ステーブルを出たのは、3歳の1月31日。滞在は276日に及び、この育成場でも最長クラスの日数だった。2歳11月と3歳1月、クラシックの登録は2回とも見送られている。デビューが遅れたことによる判断だった。栗東の谷潔厩舎に入ったのは、3歳の3月末である。 その厩舎に入ったのには経緯がある。この馬の兄姉は田島良保厩舎に入厩していたが、2013年に田島が勇退して厩舎は解散した。高橋が代わりに指名したのが、田島の弟弟子にあたる谷だった。谷潔は、調教師・谷八郎の長男である。そして田島良保は、その谷八郎の管理馬ヒカルイマイに乗って1971年の皐月賞と東京優駿を勝った騎手でもあった。ヒカルイマイは二冠のあと、菊花賞を前に屈腱炎を発症して出走を断念している。谷の家に埋まっていない一冠は、菊花賞だった。

ビビッときた ― 志願した鞍上

2014年5月31日、京都競馬場の芝1800m、3歳未勝利。日本ダービーの前日だった。ゲート試験に受かったばかりで仕上がりも足りず、スタートを出られずに最後方から。直線だけの競馬で10着に敗れたが、上がり3ハロンは最速タイだった。 鞍上の酒井学は、その1回で決めている。「デビュー戦で、ビビッときたんです」[^1]。追走に戸惑って最後だけ脚を伸ばす馬は珍しくない、それを承知したうえで、この馬の感触は他と違うと感じた。酒井は直後に谷のもとへ行き、次走以降も乗せてほしいと自分から頼んだ。 酒井は1980年、新潟市の生まれ。1998年にデビューしたが、所属厩舎の解散後は騎乗が細り、2006年は年の瀬の2週前まで勝ち星がなかった。手持ちのCDを中古店に売り、引っ越しをやめた際の違約金2000円が払えず、同僚の騎手に金を借りた――後年、本人がそう語っている。レースの前後にやたらと馬を撫でる騎手として知られるが、可愛がっているのではなく馬の気持ちを落ち着かせるためだ、というのが本人の説明である。34歳のその年、自分から手綱を求めた相手が、大病を越えたばかりの馬だった。 6月22日は酒井が函館を選んだため幸英明が乗り、阪神のダートで9着。7月12日、中京の芝1600mに酒井が戻ると、5番手から抜け出してハナ差の初勝利。8月3日、小倉の重馬場で500万下を1馬身1/4差、9月6日の玄海特別は中団から追い込んでクビ差の2着。2か月あまりで、条件戦の階段を駆け上がっていた。

出典:スポーツナビ「伝説の菊花賞馬となるまで――トーホウジャッカルここまでの歩みを聞く」2015年6月26日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201506260002-spnavi 、閲覧日:2026年7月28日。

アタマ、アタマ ― 神戸新聞杯の借り

9月28日、阪神の神戸新聞杯。重賞初出走のオッズは63.6倍、9番人気だった。人気は日本ダービー馬ワンアンドオンリー、きさらぎ賞を勝っていたトーセンスターダム、重賞で3着2回のサトノアラジンに集まっている。 中団に待機し、直線はワンアンドオンリーサウンズオブアースの間から抜けるつもりだった。そのサウンズオブアースに進路を阻まれ、外に持ち出してから追い上げる。3頭が並んで入線し、着順はワンアンドオンリーサウンズオブアース、トーホウジャッカルの順。それぞれアタマ差で、タイム差はなかった。 3着で菊花賞の優先出走権を得た。ただしクラシック登録を2回とも見送っていたため、200万円の追加登録料を払わなければ、淀の3000mには立てない。谷は出走を表明している。

3分1秒0 ― 淀の3000m

2014年10月26日、京都競馬場。晴、芝は良。18頭立ての第75回菊花賞に、トーホウジャッカルは1枠2番から3番人気で臨んだ。1番人気は二冠を狙うワンアンドオンリーである。 序盤はサングラスが引っ張り、2周目の3コーナーからはシャンパーニュが先導して、ペースは緩まなかった。トーホウジャッカルは絶好枠を活かして先行集団の内で折り合い、坂の上り下りから進出を始める。4コーナー、外ではトゥザワールドが気合いをつけられ、それを見る形でワンアンドオンリーが追撃の態勢に入った。その機先を制するように、内から外へ持ち出して押し上げると、直線の入口では、もう先頭に立っていた。 残り200m、最内から伸びてきたサウンズオブアースが馬体を併せてくる。「あの馬が来たら、もう一回伸びてくれた」[^1]。二の脚を使って半馬身を保ち、先頭でゴール板を通過した。 3分1秒0。2006年にソングオブウインドが出した3分2秒7を1秒7も更新するレースレコードであり、芝3000mの中央競馬最速タイムだった。デビューから149日目での菊花賞制覇は史上最速で、2008年オウケンブルースリの184日を35日縮めている。クラシックに追加登録して菊花賞を勝ったのは、2002年のヒシミラクル以来2例目だった。

出典:日本中央競馬会「第75回菊花賞 驚異の“速さ”を見せつけて、トーホウジャッカルがレコード勝利」2014年10月26日、https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/kikka/result/kikka2014.html 、閲覧日:2026年7月28日。

初めてが重なった一勝

この1勝には、いくつもの「初めて」が重なっていた。 谷潔は開業20年目でJRA・GI初勝利。重賞は2002年のダイヤモンドステークス以来12年ぶりの3勝目だった。父・谷八郎はヒカルイマイで1971年の皐月賞と東京優駿を制し、菊花賞は屈腱炎で断念している。43年後、息子の管理馬が残されていた一冠を持ち帰り、親子で三冠が揃ったと報じられた。 馬主の高橋照夫も、馬主歴20年でJRA・GIは初めてだった。2000年の菊花賞をトーホウシデンで戦い、エアシャカールにクビ差で敗れている。同じ淀の3000mを、14年後に半馬身で。竹島牧場にとってもJRA・GIは初。厩務員の佃幸一はキャリア35年を超えた60代で、担当馬がJRA・GIに出走すること自体が1991年の秋以来、優勝は初めてだった。 谷は勝ったあと、トーホウジャッカルが菊花賞に出られるだけで最高だと思っていたと明かし、こう続けた。「もう嬉しいを通り越して何が何だか分からないですね」[^1]。2歳の夏に生死をさまよった馬である。出走そのものが目標で、優勝は計算に入っていなかった。 父スペシャルウィークにとっても初めてだった。1998年の菊花賞でセイウンスカイに届かず2着に終わった父に代わって、息子が淀の一冠を持ち帰り、スペシャルウィーク産駒の牡馬として初のJRA・GI制覇となった。

出典:スポーツナビ「大病乗り越えたジャッカル最速の菊花賞V ワンアンドオンリー敗因は展開と枠順か」2014年10月26日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201410260004-spnavi 、閲覧日:2026年7月28日。

爪、球節、そして腱

菊花賞まで休みなく使い続けた反動で、その年は年内を休養に充てた。石川県小松市の小松トレーニングセンターで放牧に出され、高橋が提案した有馬記念参戦は谷が却下している。 2015年1月に帰厩。阪神大賞典で始動するはずだったが、最終追い切りのあと右前脚の爪を痛めて回避した。天皇賞(春)も爪の治りが間に合わず回避。復帰は6月の宝塚記念になり、7番人気で4着、上がりは34秒8だった。8月の札幌記念は1番人気に推されて8着。秋は球節の疲れが出て天皇賞(秋)を取りやめ、2年続けて年内を休んだまま暮れを迎える。 2016年、走れなかった2つに挑んだ。3月の阪神大賞典は2番人気、M・デムーロを背に7着。5月の天皇賞(春)は淀の3200mで5着、上がり34秒9で、勝ったのはキタサンブラックだった。6月の宝塚記念は15着、12月の金鯱賞は11着。菊花賞のあと、勝ち星は増えていない。それでも爪が痛めば治るのを待ち、球節が張れば休んで、そのたびにゲートへ戻ってきた。 2017年1月、6歳。日経新春杯で始動する直前に、右前脚の屈腱炎が判明する。復帰は断念され、1月13日付で競走馬登録が抹消された。ヒカルイマイに菊花賞を諦めさせたのと同じ腱の故障が、45年を隔てて、その一冠を取り返した馬の現役を終わらせたことになる。 13戦のうち11戦の手綱は酒井学だった。デビュー戦のあとに自分から志願した男は、最後の金鯱賞まで乗り続けている。

新冠にて

2017年からアロースタッド(北海道新ひだか町)で種牡馬になった。種付頭数は初年度から11頭、8頭、7頭、14頭と推移し、初年度産駒は9頭が生まれている。 2021年2月20日、小倉のダート1700m、3歳未勝利。トーホウスザクが勝って産駒初勝利を挙げた。父と同じ竹島牧場の生まれで、その日は竹島幸治の誕生日だったという。2022年10月31日、新冠町のクラックステーブルへ移った。 3分1秒0は、いまも菊花賞のレースレコードであり、芝3000mのJRAレコードとして残っている。震災の日に生まれ、2歳の夏に骨と皮になり、5月末にデビューして10月に淀の3000mを走り切った馬が、そこでつかんだGIタイトルに付いた数字である。 新冠の放牧地に、淡く抜けた尾花のたてがみが揺れている。生き延びたことと、走り切ったこと。この馬においては、それは同じ1つのことだった。

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