名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

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スリーロールスのイメージビジュアル
スリーロールスThree Rolls
Three Rolls

スリーロールス

通算成績12戦4勝

獲得賞金18,795万円

生年月日 2006.04.26(平成18年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
スリーロールスの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
GI有馬記念 中山 芝2500 6人気 浜中俊 映像
1 GI菊花賞 京都 芝3000 8人気 浜中俊 3:03.5 上り35.2映像
1 野分特別 阪神 芝1800 3人気 浜中俊 1:45.0 上り33.6
5 弥彦特別 新潟 芝2000 2人気 内田博幸 1:59.3 上り34.1
1 3歳500万下 京都 芝1800 1人気 浜中俊 1:47.1 上り33.8
2 はなみずき賞 阪神 芝1800 1人気 浜中俊 1:48.2 上り33.4
8 GIII毎日杯 阪神 芝1800 11人気 浜中俊 1:48.4 上り34.2
4 3歳500万下 阪神 芝1800 4人気 福永祐一 1:50.1 上り35.1
5 OP報知杯中京2歳S 中京 芝1800 5人気 太宰啓介 1:49.7 上り35.4
1 2歳未勝利 京都 芝1800 3人気 福永祐一 1:49.3 上り35.1
5 2歳未勝利 京都 芝2000 1人気 岩田康誠 2:02.4 上り35.9
4 2歳新馬 京都 芝1800 8人気 横山典弘 1:52.2 上り34.3

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
スリーロールスの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ダンスインザダークDance in the DarkサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
ダンシングキイNijinsky
Key Partner
スリーローマンブライアンズタイムBrian's TimeRoberto
Kelley's Day
アコニットローマンブレイヴェストローマンBravest Roman
カミモリレディー
STORY

旅程 — この馬の物語

2006年生まれの鹿毛の牡馬。父ダンスインザダーク、母スリーローマン。主な勝ち鞍は菊花賞。

印象に残らない仔 ― 武牧場の三番仔

2006年4月26日、北海道日高郡新ひだか町の武牧場に、青毛の牝馬スリーローマンの三番仔が生まれた。父はダンスインザダーク。 母スリーローマンは1997年生まれ、父ブライアンズタイム。デビューしたての頃は一時400キロを割るほど小柄で、そこから四歳の夏には460キロまで増やした、極端に遅い成長の馬だった。成熟した秋には府中牝馬ステークスでマルカキャンディ、ティコティコタックに次ぐ3着まで出世し、エリザベス女王杯にも駒を進めている。35戦4勝。その母アコニットローマンは1993年の東京プリンセス賞を勝った牝馬で、スリーローマンの半兄には、1999年に東京王冠賞を制しジャパンダートダービーで2着したオペラハットがいた。派手ではないが、下から着実に上がってくる一族である。 牧場を営んでいたのは、栗東の調教師・武宏平の弟だった。宏平は母スリーローマンを自分の厩舎で管理しており、その母が繁殖に上がって三年目、交配相手を強く希望して決めている。1996年の菊花賞馬ダンスインザダーク。理由は単純で、好きな馬だったからだという。 生まれた牡馬は、父にも母にも似なかった。両親はどちらも気性が激しかったのに、この仔は入れ込むことも暴れることもない。場長の山ノ井紀明は幼駒時代をこう振り返っている。「大人しすぎて印象に残っていない」[^1] 馬主は母と同じく永井啓弍。三重で自動車販売を営む実業家で、サイレンススズカで宝塚記念を、スズカマンボで天皇賞(春)を、スズカフェニックスで高松宮記念を勝っていたが、クラシックのタイトルだけが手元になかった。永井商事名義となったこの仔には、冠名「スリー」に「ロールス」を継いだ名が与えられる。母スリーローマンの一字と、自身の生業と――ロールス・ロイス。スリーロールス。

出典:スポーツニッポン「【菊花賞】ロールス生産者『この先がすごい楽しみ』」2009年10月25日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/25/kiji/K20091025Z00000680.html 、閲覧日:2026年8月1日。

伝説の新馬戦

2008年10月26日、京都競馬場の芝1800m。デビュー戦に選ばれたのは、菊花賞当日の一鞍だった。大レースのある日は有力騎手が関西に集まり、結果として評判の関西馬が同じレースに集まる。ビワハイジの仔でアドマイヤオーラ、アドマイヤジャパンの妹にあたるブエナビスタ。調教で並外れた時計を出していたリーチザクラウン。フサイチコンコルドの弟アンライバルド。武宏平は、デビュー前の動きに手応えを感じていたからこそ、あえてこの相手にぶつけている。 鞍上は、菊花賞に乗るため関西へ遠征していた関東の横山典弘。単勝49.7倍の8番人気だった。エーシンビートロンが逃げる展開の四番手を進み、直線でその逃げ馬までは捕まえた。だが、後方から来た三頭には抗えない。アンライバルドに突き放され、リーチザクラウンにも先着され、ブエナビスタにはすんなり交わされて4着。 のちにこの一鞍は「伝説の新馬戦」と呼ばれるようになる。ただしその日そこにあったのは、評判の三頭と、その後ろにいた一頭という構図でしかなかった。レースを終えた横山は、この馬には力がある、と陣営に伝えている。

二十歳の主戦

三戦目、京都の未勝利戦を福永祐一で勝ち上がる。続くオープンの中京2歳ステークスは5着。年が明けて三歳になっても、歩みは速くならなかった。3月の500万下で4着、初めての重賞となった毎日杯は11番人気の8着。 その毎日杯で初めて手綱を取ったのが、浜中俊だった。デビュー三年目、二十歳。前年に小倉2歳ステークスで重賞は勝っていたが、GIには一度乗って二桁着順に終わっただけの若手である。所属する坂口正大厩舎は、武厩舎の三軒先にあった。 浜中を乗せたまま、馬のほうが変わっていく。4月のはなみずき賞は1番人気で2着ながら、上がり3ハロン33秒4という、それまでにない脚を使った。5月3日の500万下では直線入口から馬なりのまま前を捉え、2馬身半差で完勝する。この直後、武宏平と浜中のあいだで主戦の約束が交わされた。 春のクラシックには向かわなかった。父も母も晩成で、腰もまだ甘い。菊花賞に照準を合わせ、脚腰を鍛えるために障害を飛ばせもして、夏の放牧に出した。 その春、皐月賞はアンライバルドが勝ち、桜花賞と優駿牝馬はブエナビスタが連取し、東京優駿ではリーチザクラウンがロジユニヴァースの2着に敗れている。一年前の新馬戦で四着だった馬は、その頃ようやく1000万下に上がったところだった。

七分の六

8月1日に帰厩。復帰戦の弥彦特別は、浜中が他馬と重なって乗れず、あの新馬戦でエーシンビートロンに乗っていた内田博幸が代わりに跨って5着だった。浜中が戻った9月26日、阪神の野分特別で、この馬は初めて爆ぜる。残り600mから11秒0-11秒2という厳しいラップに楽についていき、残り300mで先頭。上がり33秒6、後続に4馬身をつける圧勝だった。 これで収得賞金は1500万円に達した。ところがその額は、菊花賞に出られるか出られないかの、ちょうど境目だった。同額の馬が七頭いて、残る出走枠は六つ。抽選になり、当たった。 当日の予報は雨だった。腰の甘いこの馬に道悪は向かない。武宏平は半ば敗北を覚悟していたが、朝の淀は晴れていた。良馬場である。

淀の三千 ― 二十五年越しの菊

2009年10月25日、第70回菊花賞。単勝19.2倍の8番人気は、一年前の新馬戦とちょうど同じ序列だった。支持は春の実績馬と前哨戦の勝ち馬に集まり、リーチザクラウン、イコピコ、アンライバルドナカヤマフェスタの四頭が一桁台のオッズで並んでいる。 1枠1番。好スタートから、大逃げを打ったリーチザクラウンを遠くに見る三、四番手を進んだ。淀の坂を二度越え、じわじわ差を詰めながら直線を向く。すぐ横にいたアンライバルドを振り切り、最内で粘るリーチザクラウンに残り200mで並びかけた――その瞬間、スリーロールスはターフビジョンに驚いて大きく外へ膨れる。先頭を取り損ね、空いた内を7番人気のフォゲッタブルに突かれた。 浜中が矯正する。馬が我に返る。リーチザクラウンを差し切り、内から伸びてくるフォゲッタブルと鼻面を並べたまま決勝線を通過した。ハナ差。審議のランプが灯り、そのまま確定した。3分03秒5。 重賞の経験は、春に11番人気で8着に沈んだ毎日杯の一度きりだった。二度目の挑戦で、初めての重賞制覇がそのままクラシックになった。浜中俊はデビュー三年目でGI級競走初制覇。永井啓弍は七十四歳にして初めてのクラシック。厩務員の永山良介はキャリア二十九年目で、担当馬を大レースに送り込むこと自体が初めてだった。そして武宏平は、開業32年目で平地の頂に立った。障害の中山大障害は2004年と2007年に勝っていたが、平地のGI級競走はこれが最初の一つである。 二十五年前の1984年11月11日、この人は同じ京都の三千メートルにゴールドウェイで臨み、外から襲いかかりながらシンボリルドルフに四分の三馬身届かなかった。無敗の三冠が成った日の、二着の側にいた男である。京都競馬場所属の調教師・武平三の長男として生まれ、淀の菊花賞と天皇賞(春)だけは勝ちたいと言い続けてきた。四半世紀かかって、その一つが手に入った。 父ダンスインザダークにとっては、ザッツザプレンティデルタブルースに続く三頭目の菊花賞馬。2着フォゲッタブルも同じ父の産駒で、菊花賞史上六例目となる同一種牡馬によるワンツーだった。そして一年前の新馬戦は、この日をもって三頭のクラシック優勝馬を出したことになる。ひとつの新馬戦から三頭というのは、史上初めてのことだった。

二周目の向正面

ジャパンカップは疲れを考えて見送り、暮れの有馬記念へ向かった。中山に、あの新馬戦の四頭が揃う。ブエナビスタが1番人気、リーチザクラウンが5番人気、スリーロールスが6番人気、アンライバルドが8番人気だった。 中団で一周目を通過した。二周目の向正面に入ってすぐ、三コーナーの手前で脚が止まる。浜中はただちに追うのをやめた。左前の浅屈腱不全断裂。競走中止である。 検量室へ引き上げてきた浜中は泣いていた。向正面に入ってすぐ歩様が乱れたので止めた、残念でならない、何とか無事に回復してほしい――そう語ったと伝えられている。獣医学部を出た調教師の言葉のほうは、短かった。「生き物はこれがあるから…」[^1] 年が明けて1月3日、再検査。腱は完全に切れていた。5日に武宏平から引退が発表され、6日付で競走馬登録が抹消される。12戦4勝。最後の一戦となった中山は、菊花賞のわずか二か月と二日後だった。

出典:スポーツニッポン「【有馬記念】競走中止スリーロールス」2009年12月28日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/28/kiji/K20091228Z00001580.html 、閲覧日:2026年8月1日。

生まれた牧場へ

北海道新ひだか町のレックススタッドで種牡馬になった。初年度に13頭、二年目も13頭の繁殖牝馬を集めたが、そこからは年々細り、2014年に一頭へ種付けしたのを最後に役目を終える。2015年1月13日付で用途変更。いまは功労馬繋養展示事業の助成を受け、生まれた武牧場の放牧地にいる。 人はそれぞれ先へ進んだ。浜中俊は2012年、二十四歳で全国リーディングジョッキーに立ち、2019年には12番人気のロジャーバローズで東京優駿を勝った。武宏平は2014年に定年を迎え、同年2月22日、京都競馬場で引退式に臨んでいる。永井啓弍は2025年7月23日、九十歳で世を去った。あの菊花賞が、生涯でただ一度のクラシックだった。 この厩舎には、もうひとり若いスタッフがいた。調教助手の杉山晴紀。中学三年のとき、1996年の菊花賞でダンスインザダークが勝つのを見て競馬を仕事にすると決め、卒業文集の将来の夢の欄に「日本中央競馬会トレーニングセンター攻め馬専業調教助手」とだけ書いた男である。その馬の仔を担当し、同じレースを勝った。のちに調教師となり、2020年にデアリングタクトで牝馬三冠を制する。 その杉山は、有馬記念のあとで自分のメールアドレスを変えている。入れたのはスリーロールスの名前と、勝った菊花賞ではなく、故障した有馬記念の日付だった。「人間、いいことはいつまでも覚えているけど悪いことはすぐに忘れてしまう」[^1] 十二回走って、四回勝った。そのうちの一回が菊花賞だった。牧場では手のかからない、印象にすら残らない仔だったという。その馬が2009年10月25日の一日で、二十五年待った調教師と、二十歳の騎手と、七十四歳の馬主と、キャリア二十九年目の厩務員を、まとめて同じ場所へ連れていった。日高の放牧地で草を食んでいるのは、その一日を持っている馬である。

出典:スポーツニッポン「【ジャパンC】杉山晴師、メアドに刻んだスリーロールス G1を勝つ喜び知った」2020年11月25日配信、https://keiba.sponichi.co.jp/news/20201124s00004048496000c 、閲覧日:2026年8月1日。

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