名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

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ザッツザプレンティのイメージビジュアル
ザッツザプレンティThat's the Plenty
That's the Plenty

ザッツザプレンティ

通算成績16戦3勝

獲得賞金4836万円

生年月日 2000.05.26(平成12年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ザッツザプレンティの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
10 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 7人気 岩田康誠 3:17.3 上り35.3映像
4 OP大阪ーハンブルクカップ 阪神 芝2500 1人気 M.デムーロ 2:32.7 上り34.8
5 GI宝塚記念 阪神 芝2200 5人気 M.デムーロ 2:12.0 上り35.8映像
3 GII金鯱賞 中京 芝2000 2人気 安藤勝己 1:57.9 上り35.1映像
16 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 3人気 安藤勝己 3:20.8 上り36.2映像
2 GII阪神大賞典 阪神 芝3000 2人気 安藤勝己 3:08.6 上り34.9
11 GI有馬記念 中山 芝2500 5人気 安藤勝己 2:34.2 上り39.3映像
2 GIジャパンカップ 東京 芝2400 5人気 安藤勝己 2:30.2 上り38.0映像
1 GI菊花賞 京都 芝3000 5人気 安藤勝己 3:04.8 上り35.8映像
5 GII神戸新聞杯 阪神 芝2000 4人気 安藤勝己 2:00.4 上り35.9映像
3 GI東京優駿 東京 芝2400 7人気 安藤勝己 2:28.7 上り35.7映像
8 GI皐月賞 中山 芝2000 5人気 安藤勝己 2:02.2 上り35.5映像
6 GII報知杯弥生賞 中山 芝2000 1人気 武豊 2:02.6 上り35.6
1 GIIIラジオたんぱ杯2歳S 阪神 芝2000 2人気 河内洋 2:04.5 上り35.2
2 OP京都2歳S 京都 芝2000 1人気 後藤浩輝 2:01.3 上り35.4
1 2歳新馬 京都 芝2000 4人気 河内洋 2:01.8 上り35.1

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ザッツザプレンティの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ダンスインザダークDance in the DarkサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
ダンシングキイNijinsky
Key Partner
バブルプロスペクターBubble ProspectorMiswakiMr. Prospector
Hopespringseternal
バブルカンパニーBubble CompanyLyphard
Prodice
STORY

旅程 — この馬の物語

2000年生まれの鹿毛の牡馬。父ダンスインザダーク、母バブルプロスペクター。主な勝ち鞍は菊花賞・ラジオたんぱ杯2歳S。

五日あとに

2000年5月26日、北海道千歳市の社台ファームで鹿毛の牡が生まれた。五日前に、同じ牧場で同じ毛色の牡が生まれている。のちにネオユニヴァースと名づけられる馬である。二頭は同じ勝負服を着て、三歳のクラシックを三度ともに走ることになる。 父はダンスインザダーク。1996年11月3日、京都の三千メートルを武豊で勝った菊花賞馬である。ただしその馬は、レースの翌日に屈腱炎が判明して引退した。競走馬としてターフに立ったのは、その一戦が最後になる。 父が淀で冠を獲る一週間前、東京では別の一頭が天皇賞(秋)を勝っていた。バブルガムフェロー。母バブルプロスペクターの半弟にあたる。母はミスワキの娘で、その母バブルカンパニーは、社台ファームが1990年にアメリカの繁殖セールで買って日本へ入れた牝馬である。 半姉が二頭いる。マニックサンデーはサンスポ賞4歳牝馬特別を勝った。もう一頭のバブルウイングスは、のちに阪神ジュベナイルフィリーズを勝つショウナンパントルを産む。 名前は、そこへ乗せられた期待そのものだった。ザッツザプレンティ。JRAの競走馬情報が記す馬名意味は、「こいつは最高!」である。父ダンスインザダークの最高傑作になれ、という願いを込めた名だった。 預けられたのは栗東の橋口弘次郎厩舎。父を預かっていた厩舎だった。

河内洋の二勝と、入れ替わり

2002年11月2日、京都の芝2000メートル。4番人気の新馬戦を、2着に0.6秒差をつけて勝った。鞍上は河内洋である。 この日から引退まで、この馬が2000メートルより短いところを走ることはない。 三週間後の京都2歳ステークスは後藤浩輝で2着。0.1秒だけ前にいたエイシンチャンプは、その年の暮れに朝日杯フューチュリティステークスを勝って二歳の王者になる。 12月21日、阪神。ラジオたんぱ杯2歳ステークスは不良馬場だった。河内が戻り、2着に0.7秒差をつける。出世競走として知られる一戦で、三戦目にして重賞を手にした。 その河内洋は、二か月後に騎手をやめている。2003年2月限りでの引退で、中央での通算2111勝は当時、史上二番目の数字だった。のちに調教師になる。 入れ替わるように、2月23日にJRAの騎手免許を受け取った男がいた。笠松の安藤勝己である。1976年のデビューから二十七年、その競馬場の最多勝利騎手に十九回なっていた。3月1日、中央の騎手として初めてゲートに入る。 年明け初戦の弥生賞には武豊が乗った。父に菊を獲らせた男である。単勝1.5倍の1番人気に推されたが、レース中に落鉄して6着。勝ったのは、京都で先着されたエイシンチャンプだった。

春、前で潰れる

4月20日の中山は小雨だった。皐月賞から、鞍上が安藤勝己に替わる。 5番人気。ゲートを出るとすぐ前へ行き、一コーナーでは三番手にいた。四コーナーでも二、三番手。前で運んで、直線で止まった。勝ったネオユニヴァースから1.0秒差の8着である。 6月1日、東京。重馬場のダービーは7番人気で、枠は大外の十八番だった。ここで乗り方が変わる。序盤は十番手あたり。三コーナーで四、五番手まで押し上げ、四コーナーではゼンノロブロイと並んで二、三番手を回った。ネオユニヴァースは、そのとき四、五頭うしろにいる。 直線で、その位置関係が崩れた。ゴールしたときの順は、ネオユニヴァースゼンノロブロイ、ザッツザプレンティ。半馬身と、四分の三馬身。0.2秒差の3着だった。 負けはしたが、この日にひとつ形ができている。中団で待ち、三コーナーから長く脚を使い、四コーナーで前に並ぶ。それが、この馬の競馬の形になっていく。あとは、それを三千メートルに当てはめればいい。 秋初戦の神戸新聞杯は5着。勝ったゼンノロブロイに0.9秒離された。

淀の、残り八百

10月26日、京都は晴れて芝は良。十八頭が三千メートルに並んだ。二冠を勝ったネオユニヴァースに、史上六頭目の三冠がかかっている。ザッツザプレンティは5番人気だった。 発走。最初の一ハロン——200メートル——が13秒0、次が11秒1。速い。この馬は、その速さに乗らなかった。一コーナーを回るとき、前から八、九番手にいる。 向正面で、時計が13秒0のまま二つ並んだ。長距離戦のいちばん緩む区間である。緩いあいだは、誰の脚も減らない。この馬の位置も、まだ動かない。 残り1000メートルからの一ハロンが12秒9。ここからだった。 次が11秒8。その次が11秒5。中盤より一ハロンあたり一秒半も速い区間を、坂を下りながら作っていく。九番手にいた馬は、二周目の三コーナーを回りきったときには三、四番手にいた。 四コーナー。先頭はもう、この馬だった。 残りは四〇〇メートルあまり。あれだけ長く脚を使えば、最後は必ず鈍る。実際、時計は12秒0、12秒3と落ちた。 落ちたのは、うしろも同じである。付き合わされた馬たちは、坂を下りきってから伸びなかった。二番手で直線を向いたのはネオユニヴァースだった。後方からリンカーンが追い込み、ゴール前でそのネオユニヴァースをかわす。二頭とも、先頭には届いていない。 四分の三馬身。そこからさらにクビ。 3分04秒8。最後の三ハロンは35秒8で、褒められるような数字ではない。速さで勝ったのではなく、長さで勝った競馬だった。 三冠は、そこで消えた。 橋口弘次郎にとって菊花賞は二度目で、一度目は七年前、この馬の父である。安藤勝己にとっては、初めてのクラシックだった。笠松に入って二十七年、中央へ移って七か月あまり。四十三歳になっていた。 父ダンスインザダークにとっても、産駒によるGI制覇はこれが最初だった。ネオユニヴァースはサンデーサイレンスの産駒で、ザッツザプレンティはその孫にあたる。子が二つ勝った年に、孫が三つ目を止めたことになる。

追いかけた馬、逃げた馬

11月30日、東京。ジャパンカップは重馬場になった。 逃げたのはタップダンスシチーである。二コーナーを回るころには、後続とのあいだにはっきりした空きができていた。追いかけたのは一頭だけだった。ザッツザプレンティは二番手のまま、三コーナーも四コーナーも同じ位置で回っている。 届かなかった。九馬身。 それでも、勝った一頭を除けば、この馬より前でゴールした馬はいない。前年の年度代表馬シンボリクリスエスは四分の三馬身うしろ、ネオユニヴァースはさらにアタマうしろにいた。逃げ切りを止めにいって、止められずに二着に残る。追わずにいた馬たちは、その後ろに並んでいた。 ひと月後、中山。有馬記念の一コーナーで、この馬は先頭にいた。 菊花賞と正反対の競馬である。二ハロン目から11秒2が三つ続いた。中山の2500メートルで、その入りは速すぎる。折り合いを欠いて前へ出てしまい、アクティブバイオと二頭で作った流れに、自分から焼かれていった。 二周目の三コーナーまで先頭。四コーナーで抜かれ、直線は下がる一方だった。最後の三ハロンは39秒3。勝ったシンボリクリスエスから3秒7離された11着である。 三歳の一年が、そこで終わった。淀で冠を獲ってから、二か月しか経っていない。

四歳の始動は3月の阪神大賞典だった。同じ三千メートルで、リンカーンに0.2秒差の2着。 5月2日、京都の天皇賞(春)。1番人気がリンカーン、2番人気にネオユニヴァース、3番人気がザッツザプレンティ、4番人気はゼンノロブロイ。前の年のクラシックを争った四歳が、上位を四頭で占めた。 勝ったのは十番人気のイングランディーレである。大逃げを打ち、その差は最後まで縮まらなかった。二着に七馬身。ザッツザプレンティは一コーナーの六、七番手あたりから大きく位置を動かさないまま四コーナーを回り、16着に終わっている。五か月前に一頭だけで逃げ馬を追いかけた馬は、この日は動かなかった。 5月29日の金鯱賞は3着、6月27日の宝塚記念は5着。どちらも勝ったのはタップダンスシチーで、宝塚では鞍上がミルコ・デムーロに替わっていた。菊で三冠を止められた側の男が、止めた馬の背にいたことになる。 そのあと、右前脚に屈腱炎が見つかった。 戻ってきたのは九か月あまり後、2005年4月9日の大阪ーハンブルクカップである。デムーロで1番人気に推され、0.2秒差の4着。走れるところまでは戻っていた。 5月1日、京都。天皇賞(春)。鞍上は岩田康誠だった。兵庫県競馬組合に籍を置いたまま中央のGIに乗っていた騎手で、翌年にはJRAへ移る。7番人気の10着。レースのあと、屈腱炎が再発した。 5月7日、競走馬登録が抹消される。十六回走って、先頭でゴールしたのは三度だった。

最高傑作という名前

ダンスインザダークは、菊花賞を勝った翌日に屈腱炎が判明し、そのまま種牡馬になった。獲って、終わった。 息子は、獲ってから一年半走った。ジャパンカップで二着に来て、天皇賞(春)に二度出て、古馬になってからも重賞で三度掲示板に載っている。同じ厩舎で、同じ冠を獲り、同じ屈腱炎で終えた。違ったのは、獲ったあとに残っていた時間の長さだけである。 種牡馬としては続かなかった。2006年から供用されたが有力な産駒は出ず、2010年の種付けシーズンを最後に退いている。そのあと去勢されて、乗馬になった。競馬というブラッドスポーツの帳簿の上で、この馬が残したのは血ではなく、走った記録のほうだった。 その記録の中に、笠松から来た男の最初のクラシックがある。 安藤勝己は2013年1月に騎手をやめた。中央での勝ち鞍は1111、笠松を中心とした地方では3353。生涯の四分の三は、中央ではない場所で挙げた星である。彼が移ってから、地方から中央へ移る騎手が続いた。道筋を開いた先駆者だと評される。 その道を早くにくぐった一人が、岩田康誠だった。この馬の背は、笠松から来た男に最初の冠を渡し、最後に兵庫から通ってきた男を乗せたことになる。 「こいつは最高!」。名づけた人が思い描いたのは、父を超える一頭だったのだろう。実際に起きたのは、少し違うことだった。 淀の下り坂で九番手が三、四番手になり、角を回りきったときには前に誰もいなくなっていた。あの数十秒のあいだ、ザッツザプレンティは名前のとおりだった。その背には、笠松で二十七年走ってきた男が乗っていた。

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