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スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。
タップダンスシチー
通算成績42戦12勝
獲得賞金10億8,422万円
生年月日 1997.03.16(平成9年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 12 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 5人気 | 佐藤哲三 | 2:33.3 | 上り36.9 | 映像 | |
| 10 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 7人気 | 佐藤哲三 | 2:23.1 | 上り37.3 | 映像 | |
| 9 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 6人気 | 佐藤哲三 | 2:00.6 | 上り33.9 | 映像 | |
| 7 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 1人気 | 佐藤哲三 | 2:12.7 | 上り37.3 | 映像 | |
| 1 | GII金鯱賞 | 中京 芝2000 | 1人気 | 佐藤哲三 | 1:58.9 | 上り33.8 | 映像 | |
| 2 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 3人気 | 佐藤哲三 | 2:29.6 | 上り35.7 | 映像 | |
| 17 | GI凱旋門賞 | フランス 芝2400 | 佐藤哲三 | — | 映像 | |||
| 1 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 1人気 | 佐藤哲三 | 2:11.1 | 上り36.1 | 映像 | |
| 1 | GII金鯱賞 | 中京 芝2000 | 1人気 | 佐藤哲三 | 1:57.5 | 上り35.3 | 映像 | |
| 8 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 2人気 | 佐藤哲三 | 2:32.8 | 上り37.8 | 映像 | |
| 1 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 4人気 | 佐藤哲三 | 2:28.7 | 上り37.4 | 映像 | |
| 1 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 1人気 | 佐藤哲三 | 2:26.6 | 上り34.0 | 映像 | |
| 3 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 4人気 | 佐藤哲三 | 2:12.2 | 上り37.0 | 映像 | |
| 1 | GII金鯱賞 | 中京 芝2000 | 4人気 | 佐藤哲三 | 1:58.9 | 上り35.8 | 映像 | |
| 1 | OP東京リニューアル記念 | 東京 芝2400 | 7人気 | 佐藤哲三 | 2:23.7 | 上り34.6 | — | |
| 2 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 13人気 | 佐藤哲三 | 2:32.7 | 上り35.9 | 映像 | |
| 5 | GIII京阪杯 | 京都 芝1800 | 6人気 | 佐藤哲三 | 1:45.7 | 上り35.3 | — | |
| 3 | GIIアルゼンチン共和国杯 | 中山 芝2500 | 2人気 | 佐藤哲三 | 2:31.4 | 上り35.4 | — | |
| 3 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 3人気 | 佐藤哲三 | 2:24.0 | 上り34.5 | 映像 | |
| 1 | GIII朝日チャレンジカップ | 阪神 芝2000 | 5人気 | 佐藤哲三 | 1:58.1 | 上り35.2 | 映像 | |
| 8 | GIII函館記念 | 函館 芝2000 | 7人気 | 四位洋文 | 2:06.2 | 上り38.9 | — | |
| 5 | GII目黒記念 | 東京 芝2500 | 8人気 | 勝浦正樹 | 2:32.4 | 上り37.8 | — | |
| 3 | OPメトロポリタンS | 東京 芝2300 | 1人気 | 勝浦正樹 | 2:21.2 | 上り36.8 | — | |
| 2 | GII日経賞 | 中山 芝2500 | 3人気 | 勝浦正樹 | 2:37.0 | 上り34.5 | — | |
| 1 | 御堂筋S | 阪神 芝2200 | 1人気 | O.ペリエ | 2:12.3 | 上り35.7 | — | |
| 1 | 春日特別 | 京都 芝1800 | 1人気 | 武豊 | 1:46.9 | 上り35.0 | — | |
| 3 | GII日経新春杯 | 京都 芝2400 | 6人気 | 川原正一 | 2:26.6 | 上り34.4 | — | |
| 2 | 江坂特別 | 阪神 芝2500 | 3人気 | 四位洋文 | 2:33.5 | 上り35.5 | — | |
| 4 | 3歳以上1000万下 | 阪神 芝2000 | 4人気 | 四位洋文 | 2:01.3 | 上り35.6 | — | |
| 5 | OP大阪ーハンブルクカップ | 阪神 芝2500 | 2人気 | 四位洋文 | 2:33.8 | 上り34.8 | — | |
| 2 | 但馬S | 阪神 芝2000 | 3人気 | 安藤勝己 | 2:00.0 | 上り35.5 | — | |
| 3 | 関門橋S | 小倉 芝2000 | 2人気 | 中舘英二 | 2:02.8 | 上り36.6 | — | |
| 5 | OP万葉S | 京都 芝3000 | 3人気 | 四位洋文 | 3:09.3 | 上り35.4 | — | |
| 1 | 天竜川特別 | 中京 芝2500 | 2人気 | 松田大作 | 2:31.4 | 上り36.2 | — | |
| 2 | 八瀬特別 | 京都 芝2400 | 4人気 | 幸英明 | 2:28.4 | 上り35.0 | — | |
| 4 | 4歳以上500万下 | 京都 芝2400 | 5人気 | 四位洋文 | 2:27.3 | 上り36.5 | — | |
| 5 | 野苺賞 | 阪神 芝2200 | 2人気 | 熊沢重文 | 2:17.2 | 上り34.7 | — | |
| 7 | 白百合S | 中京 芝1800 | 2人気 | 熊沢重文 | 1:49.2 | 上り36.3 | — | |
| 3 | GIII京都新聞杯 | 京都 芝2000 | 5人気 | 四位洋文 | 2:00.3 | 上り35.6 | — | |
| 5 | OP若草S | 阪神 芝2200 | 7人気 | 四位洋文 | 2:18.7 | 上り35.1 | — | |
| 1 | 4歳新馬 | 阪神 芝2200 | 4人気 | 四位洋文 | 2:18.4 | 上り35.5 | — | |
| 9 | 4歳新馬 | 阪神 芝2000 | 6人気 | 四位洋文 | 2:10.5 | 上り38.5 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父Pleasant Tap | Pleasant Colony | His Majesty |
| Sun Colony | ||
| Never Knock | Stage Door Johnny | |
| Never Hula | ||
| 母All Dance | Northern Dancer | Nearctic |
| Natalma | ||
| All Rainbows | Bold Hour | |
| Miss Carmie |
旅程 — この馬の物語
1997年生まれの鹿毛の牡馬。父Pleasant Tap、母All Dance。主な勝ち鞍はジャパンC・宝塚記念・朝日チャレンジC。
名前が先だった
1997年3月16日、アメリカで鹿毛の牡馬が生まれた。母はオールダンス。ノーザンダンサーの娘で、フランスと北米で24戦して1勝しかしていない牝馬である。生まれたのは、その11番目の仔だった。 オールダンスの母オールレインボーズは、もう1頭、名の残る牝馬を産んでいる。ウイニングカラーズという。1988年のケンタッキーダービーで先手を取り、最後にフォーティナイナーへクビ差まで詰め寄られながら凌ぎ切った。牝馬があの一戦を勝ったのは、史上3度目のことである。この鹿毛にとっては叔母にあたる。 父はプレザントタップ。アメリカで32戦9勝、1992年のジョッキークラブゴールドカップを勝ち、ブリーダーズカップではスプリントとクラシックの両方で2着に来ている。ダートの短距離から中距離までを走った馬だった。 日本には、すでに2つ上の半兄がいた。父クリプトクリアランス、名をクリプトシチーという。愛馬会法人の友駿ホースクラブが買い、栗東の佐々木晶三厩舎からデビューしていた。その弟も導入したと聞いた佐々木は、検分に出向き、その場で自分に管理させてほしいと申し出ている。ひと目見て、兄より走りそうだと感じたからだった。 出資は一口6万円、500口、総額3000万円で募られた。クラブの冠名「シチー」を付けて、タップダンスシチーと名づけられる。父の名には「タップ」があり、母の名には「ダンス」がある。 ところが厩舎に入ってから、気性の難しさが露わになる。曳き運動の最中に大暴れして舌を切り、デビューが半年延びた。それ以来、他の馬を怖がるようにもなった。鞍を置くと頭に血が上って、まっすぐ歩けなくなる。 「装鞍をするとカッカして普通に歩けなくなり、名前の通り“タップ”を踏むような歩様になってしまいました」[^1] 佐々木はそう振り返っている。名前が先で、癖が後だった。 2000年3月4日、阪神の芝2000メートル。9着。2週間後、同じ阪神の2200メートルで初めて勝った。
出典:Number Web「金鯱賞3連覇、GI2勝の名馬タップダンスシチーを覚えているか? “変わった子”と言われた騎手・佐藤哲三との“名コンビ”誕生秘話」(文・平松さとし)2022年3月12日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/852323 、閲覧日:2026年8月3日。
十人の鞍上
そこから2年半のあいだに、この馬の背には10人の騎手が乗った。四位洋文、熊沢重文、幸英明、松田大作、中舘英二、安藤勝己、川原正一、武豊、ペリエ、勝浦正樹。使われた距離も、1800メートルから3000メートルまで動いた。 4戦目の京都新聞杯では、のちにダービーを勝つアグネスフライトから3馬身ほどの3着に来ている。素質は見込まれていた。ただ、勝ち星が増えない。 2勝目は3歳の暮れ、中京の天竜川特別だった。年が明けた2001年は6戦して未勝利。オープンと準オープンと1000万下を行き来したまま、一年が終わる。 動いたのは2002年である。1月の日経新春杯に格上挑戦して3着。2月の春日特別と3月の御堂筋ステークスを連勝し、オープンに上がった。3勝目まで、デビューから2年近くかかったことになる。 昇格初戦の日経賞ではアクティブバイオにアタマ差の2着。以後、メトロポリタンステークス3着、目黒記念5着、函館記念8着。夏が来て、22戦して4勝だった。 なぜ出世が遅れたのか。佐々木は気性を挙げている。パドックでは「タップダンス」を防ぐために二人がかりで曳いた。ゲートで出遅れ、走りながら外へ逃げようとする。 専門誌の回顧はもう二つ挙げている。鞍上が定まらず、この馬に合う乗り方が見つからないままだったこと。そして父もその産駒たちも、短いところから長いところまで、若いうちから歳を取ってからも勝つ血だったために、適距離も盛りの時期も測りかねていたこと。 取扱説明書が、まだどこにもなかった。
十一人目
2002年7月21日、函館記念。7番人気で8着に敗れた。手綱を取っていたのは四位洋文である。デビュー戦から乗り、この馬にいちばん多く跨っていた騎手だった。 レースのあと、四位は佐々木に一人の名を挙げた。 「こういう馬は“哲っちゃん”が合っていると思います」[^1] 佐藤哲三。1970年に北九州で生まれ、大阪府泉佐野市で育った。中学生のころは競艇の選手になることも考えていたが、1984年のジャパンカップで日本の馬が初めて勝つのをテレビで見て、騎手を志す。逃げ切ったのはカツラギエースだった。1989年にデビューし、1996年にマイネルマックスで朝日杯3歳ステークスを制している。JRAのGIで勝ったのは、その時点でその1つきりだった。 9月7日、阪神の朝日チャレンジカップ。初めて跨る馬で5番人気。3番手を進み、直線で抜け出した。内から2番人気のイブキガバメントと1番人気のトゥルーサーパスが並びかけ、3頭が横に並ぶ。そこから差し返してクビ差。重賞初勝利で、1分58秒1はコースレコードだった。 佐藤はのちに、この馬を乗りこなそうとはしなかった、と語っている。御そうとせず、なんとかしようと思った。結果としてそれが御した形になった、と。 以後、引退まで鞍上が替わることはない。 秋は京都大賞典3着、アルゼンチン共和国杯3着、京阪杯5着。有馬記念のファン投票は50位、6025票だった。それでも暮れの中山に駒を進める。14頭立ての13番人気、単勝は86倍を超えていた。 5枠8番。ハナを主張したが、外からファインモーションに制されて2番手に下がる。前が息を入れにかかった。この馬は後ろを離して行かなければ持ち味が出ない。控える理由がなかった。向正面でファインモーションをかわし、先頭に立つ。 4コーナーを回っても差は縮まらなかった。直線で伸びてきたのは1頭だけである。天皇賞(秋)を勝ったばかりのシンボリクリスエスに、ゴール前でかわされた。半馬身。 有馬記念で外国産馬が1着と2着を占めたのは、このときが初めてだった。 佐々木がこの馬を国外へ連れて行くことを最初に意識したのは、その半馬身だったという。
出典:Number Web「金鯱賞3連覇、GI2勝の名馬タップダンスシチーを覚えているか? “変わった子”と言われた騎手・佐藤哲三との“名コンビ”誕生秘話」(文・平松さとし)2022年3月12日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/852323 、閲覧日:2026年8月3日。
フロック
年が明けての始動戦は、4月26日の東京競馬場リニューアル記念だった。改修を終えた府中の、初日に組まれた一戦である。GIで2着に来た馬が格を落として出走したのに、単勝は7番人気にとどまった。 勝った。追ってきたオークス馬レディパステルに2馬身。フロック視されたのが納得いかなかった。勝ってすっきりした。佐々木は後年そう語っている。 5月31日の金鯱賞は、台風が抜けたあとの稍重。ダイタクフラッグが逃げ、こちらは2番手につけた。最初の800メートルは47秒1。前に行った馬に楽な流れではない。実際、逃げたダイタクフラッグは13着まで沈んでいる。3コーナーで代わって先頭に立ち、早めに仕掛けて後続を離した。大外から来たツルマルボーイを半馬身抑える。 離して行ったほうが力を出せる馬なのだ、と佐藤はレース後に言っている。 6月29日の宝塚記念は4番人気。大外枠から中団の外を回り続け、最終コーナーで先頭に立つ場面もつくった。そこへヒシミラクルとツルマルボーイが外から来て、かわされる。3着。ネオユニヴァースとシンボリクリスエスは後ろに置いた。 夏は浦河の日進牧場で休んだ。秋の始動は10月12日の京都大賞典。天皇賞(春)と宝塚記念を連勝中のヒシミラクルを2番人気に押しやり、1番人気に推される。ハナを奪い、真後ろにヒシミラクルを置いたまま、仕掛けられるたびに突き放した。1馬身1/4。逃げ切りでこの競走を勝ったのは、1998年のセイウンスカイ以来である。 佐々木は、府中の2000メートルはこの馬に向かないと考え、天皇賞(秋)を使わなかった。狙いは、その4週間後のジャパンカップにあった。 1981年、第1回ジャパンカップ。勝ったのはアメリカのメアジードーツだった。当時の佐々木は騎手で、あのレースにいちばん乗りたいと思いながら、ついに騎乗の機会を得ないまま1983年限りで鞍を降りている。騎手として勝った大レースは、1979年の桜花賞ひとつきりだった。揉まれると走らない怖がりの牝馬に乗り、逃げることだけを考えて、そのまま先頭でゴールした一戦である。 1994年に厩舎を開いてからは、東京優駿よりジャパンカップに出したい、勝ちたい、と言い続けていた。
一枠一番
2003年11月30日、東京競馬場。前の日から雨が降り、朝は不良馬場だった。第9競走で一段階戻って重になる。ジャパンカップが重馬場で行われるのは、11年ぶりだった。 装鞍所で、この日は誰も二本目の曳き手綱を握らなかった。 「このジャパンCは2人曳きの必要がありませんでした」[^1] 佐々木はそう言っている。名の通りに踊る馬が、その朝は踊らなかった。 枠は1枠1番。佐藤は返し馬で芝を確かめ、この脚抜きの悪い馬場で2番手3番手にいたら脚を取られると考えた。行かせるほかない。 ゲートが開く。最初の200メートルは12秒9。ここまでは、ごく普通の逃げである。 次の200メートルで、11秒7を刻んだ。重い芝で、この区間だけが際立って速い。2コーナーを回ったとき、2番手との間はもう4馬身から5馬身あった。 そして、緩めた。3ハロン目は13秒1。1秒4も落としている。離してから、息を入れる。タップダンスシチーがいちばん力を出せる形が、そのまま実行されていた。 向正面。誰も追ってこない。追えば自分の脚が残らない馬場である。差は10馬身まで広がった。 残り1000メートルからの5ハロンは、12秒8、12秒2、12秒0、12秒4、13秒0。いちばん速いのは、四つ角を回って直線へ入るあたりの12秒0だった。逃げ馬がふつういちばん苦しくなる場所で、時計はむしろ上がっている。 最後の600メートル——上がり三ハロンは37秒4。後続でいちばん速い脚を使ったネオユニヴァースでも、37秒0だった。府中の長い直線を使って詰められた差は、その0秒4ぶんしかない。 2着ザッツザプレンティとの差は、9馬身。 グレード制が敷かれた1984年以降、JRAのGI(平地)でこれより大きな着差はついていない。ジャパンカップを逃げ切ったのは、1984年のカツラギエース以来2頭目だった。 19年前のその一戦をテレビで見て騎手を志した男が、同じ競馬場で、同じ戦法で勝ったことになる。第1回から見続けてきた男は、初めてこのレースに馬を出し、初めて勝った。 叔母がケンタッキーで同じことをしてから、15年が経っていた。
出典:Number Web「金鯱賞3連覇、GI2勝の名馬タップダンスシチーを覚えているか? “変わった子”と言われた騎手・佐藤哲三との“名コンビ”誕生秘話」(文・平松さとし)2022年3月12日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/852323 、閲覧日:2026年8月3日。
七歳の六月
暮れの有馬記念は2番人気で8着。勝ったシンボリクリスエスにとっては、それが最後の一戦になった。 年が明けて、5か月休んだ。 5月29日、金鯱賞。12頭のうち9頭が重賞を勝っており、4頭はGI馬だった。1番人気。ゲートで暴れて立ち上がったが、扉が開くと出て行った。好位の3番手から向正面でまくり、4コーナーを先頭で回る。大外から迫ったブルーイレヴンに、アタマ差だけ残した。 1分57秒5。1998年にサイレンススズカがこの競走を大差で勝ったときの1分57秒8を、0秒3縮めたコースレコードである。金鯱賞を連覇した馬は、それまでいなかった。 6月27日、宝塚記念。ファン投票6位、単勝3.5倍の1番人気。8枠15番から出て、ローエングリンとホットシークレットに前を譲り、3番手を進んだ。ローエングリンが前半1000メートルを58秒5で飛ばす。速い。 やがてローエングリンが息を入れにかかった。一年半前の中山で、ファインモーションが同じことをしている。あのとき、この馬は緩んだ前をかわして行った。今度も同じだった。3コーナーの手前で先頭を奪い、そこから長く脚を使う。 直線でシルクフェイマスが並びかけてくる。並ばれてから、もう一度伸びた。2馬身。 2分11秒1は、阪神で行われた宝塚記念の、当時のレコードだった。7歳以上の馬がこの競走を勝つのは、1970年のスピードシンボリ以来34年ぶり、2頭目である。 佐藤は、よほど強くないとできない乗り方だった、と評した。佐々木は、負ける気がしなかったと言っている。競馬人生で3度目の感覚だったという。
パリの二人曳き
凱旋門賞へ行きたい、と佐々木が言い出したのは、ジャパンカップを勝った直後だった。翌春に金鯱賞をレコードで勝ったことで、参戦が正式に決まる。 計画は、日本で仕上げてから直前に運ぶというものだった。9月26日に関西国際空港を発ち、翌27日に現地へ入り、10月3日に走る。 ところが、馬を積むはずのカーゴ便が故障した。代わりの便も用意できない。次の便は29日である。陣営は間に合わないと判断し、出走の断念を発表した。 その決定を引き返させたのは、走らせてほしいというファンの声だった。予定を組み直す。29日に栗東で最終追い切りを消化し、10月1日に成田を発って、その日の午後にパリへ着いた。ジョン・ハモンド厩舎に入る。 レース前日の馬体重は、宝塚記念のときより3キロ減っただけだった。フランスに来ていた矢作芳人は、まだ厩舎を開く前だった。着いたばかりなのに落ち着いて歩いている、とその姿を評している。 佐々木はロンシャンの芝を見て、向正面は小倉の開幕週、直線は札幌の開幕週のようだと言った。佐藤は、ジャパンカップや宝塚記念のほうがしんどい馬場だった、大丈夫だと答えている。 10月3日。当日の輸送を終えたところで、気持ちが高ぶった。パドックで、二人が曳いた。府中では要らなかった二本目の手綱が、パリでは要った。矢作は、前の日とは別の馬のようだったと振り返っている。 先行し、直線で逃げていた馬に並びかけ、そこで止まった。勝ったバゴから17馬身の17着。 帰国して日進牧場で検疫に入ると、年内での引退が決まった。有馬記念を最後の一戦にする、と発表される。 11月25日に帰厩。仕上がりは七分で、あと2週間ほしい、という状態だった。 そして有馬記念の4日前、引退の発表は撤回された。来年も走る、と。 12月26日、中山。単騎で逃げ、4コーナーまで後ろを離した。差し切ったのはゼンノロブロイで、その時計は当時のJRAの芝2500メートルレコードだった。半馬身。 七分の仕上げで、レコードから半馬身のところにいた。
一番のゼッケン
2005年5月28日、中京。単勝1.4倍。大外からハナを奪って流れを緩め、3コーナーあたりから押し切りにかかった。ヴィータローザに2馬身半。金鯱賞3連覇である。 JRAの平地で同じ重賞を3年続けて勝った馬は、1956年から鳴尾記念を3つ重ねたセカイオー以来、47年ぶり2頭目だった。稼いだ賞金は10億8422万円。引退した時点でテイエムオペラオー、スペシャルウィークに次ぐJRA3位で、外国産馬が10億円を超えたのは、この馬が初めてだった。 それが最後の勝利になった。1番人気で臨んだ宝塚記念は7着。秋は天皇賞(秋)9着、ジャパンカップ10着、有馬記念12着。8歳の一年で勝ったのは、春の中京だけだった。 有馬記念のあと、中山で引退式が行われた。背に載せられていたのは、ジャパンカップを勝った日の1番のゼッケンだった。憧れのジャパンカップに勝つなど夢をすべて叶えてもらった、と佐々木は挨拶している。 門別で種牡馬になった。シンジケートは組まれず、走っていたころと同じクラブの所有のままだった。初年度は163頭の繁殖牝馬を集めたが、あとは減る一方で、6年目は1頭。産駒にはタッチデュールがいて、兵庫クイーンカップなどを勝っている。種牡馬を退いてからは去勢され、人を乗せる練習馬になった。 母の一族は続いている。半姉カレッツァの子孫からは、2026年の羽田盃を勝ったフィンガーが出た。 佐藤哲三は2012年11月24日、京都の直線で落馬し、内埒に激突した。全身7か所の骨折、外傷性気胸、右肘関節脱臼。6度の手術とリハビリを重ねても左腕は戻らず、2014年に引退している。中央と地方を合わせて954勝を挙げていた。 佐々木は、あの馬があれだけの成績を残せたのは間違いなく彼がいたからだと語っている。佐藤のほうは、こう言い残した。 「タップは僕の騎乗スタイルの原型を作ってくれた馬」[^1] 二人は、互いに相手の功にしている。けれど起きたことは、もっと単純だったのではないか。10人が代わるがわる乗って、答えは出なかった。11人目は、御することをやめた。 装鞍所でタップを踏み、ゲートで立ち上がり、走りながら外へ逃げようとする癖は、七歳になっても残っていた。その癖を抱えたまま、雨に濡れた府中の芝を、前に一頭も置かずに2400メートル走り切った日がある。その日のゼッケンには、1と書いてあった。
出典:『優駿』2014年11月号 61-65頁(日本中央競馬会)。フリー百科事典『ウィキペディア』「佐藤哲三 (競馬)」経由で確認、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%93%B2%E4%B8%89_(%E7%AB%B6%E9%A6%AC) 、閲覧日:2026年8月3日。
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