名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

名馬録
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テイクオーバーターゲットのイメージビジュアル
テイクオーバーターゲットTakeover Target
Takeover Target

テイクオーバーターゲット

通算成績23戦13勝

獲得賞金12,285万円

生年月日 1999.09.27(平成11年)毛色 鹿毛セン

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
テイクオーバーターゲットの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
GI香港スプリント 香港 芝1200 フォード 映像
1 GIスプリンターズS 中山 芝1200 1人気 J.フォード 1:08.1 上り35.3映像
2 GIIセントウルS 中京 芝1200 2人気 J.フォード 1:09.1 上り35.6
7 GIジュライC イギリス 芝1200 フォード 1:11.4
3 GIゴールデンジュビリー イギリス 芝1200 フォード 1:13.5
1 GIIキングズスタンドS イギリス 芝1000 フォード 0:59.7
1 GIニューマーケットH オーストラリア 芝1200 フォード 1:08.0
3 GIオークレイプレート オーストラリア 芝1100 フォード 1:05.1
1 GIライトニングS オーストラリア 芝1000 フォード 0:56.8
1 OPドゥーンベンS オーストラリア 芝1350 フォード 1:17.2
1 GIIIサマーS オーストラリア 芝1200 フォード 1:07.8
7 GIIジエイジクラシック オーストラリア 芝1200 アーノル 1:10.5
4 GIサリンジャーS オーストラリア 芝1200 フォード 1:09.7
2 GIIIカールトンドラーフト オーストラリア 芝1200 フォード 1:09.4
10 GIストラドブロークH オーストラリア 芝1400 フォード 1:21.3
3 GIドゥーンベン1万 オーストラリア 芝1350 フォード 1:18.6
4 GIIBTCCUP オーストラリア 芝1200 フォード 1:09.3
1 GIサリンジャーS オーストラリア 芝1200 フォード 1:08.2
1 OPラモーニーH オーストラリア 芝1200 フォード 1:08.4
1 OPペースセッターS オーストラリア 芝1200 フォード 1:09.7
1 一般戦 オーストラリア 芝1200 フォード 1:09.5
1 一般戦 オーストラリア 芝1400 フォード 1:23.9
1 一般戦 オーストラリア 芝1200 フォード 1:09.4
1 未勝利戦 オーストラリア 芝1200 フォード 1:09.9

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
テイクオーバーターゲットの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
Celtic SwingダミスターDamisterMr. Prospector
Batucada
Celtic RingWelsh Pageant
Pencuik Jewel
Shady StreamArchregentVice Regent
Respond
Merry ShadeSpectacular Spy
Parasol
STORY

旅程 — この馬の物語

1999年生まれの鹿毛のせん馬。父Celtic Swing、母Shady Stream。主な勝ち鞍はサリンジャーS・ライトニングS・ニューマーケットH。

1250ドル

2003年7月18日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州で開かれたセリ市に、一頭の鹿毛が出た。豪州の季節でいえば三歳の暮れである。落札額は1250オーストラリア・ドル、日本円で11万円ほどだった。 買ったのはジョセフ・ジャニアック。1947年生まれ。キャンベラの隣町クイーンビヤンに住み、馬主であり、調教師であり、タクシーの運転手でもあった。 オーストラリアで調教だけを仕事にして暮らせるのは、ごく一部の人間に限られる。たいていは別の職と掛け持ちする。ジャニアックもそうだった。朝はパン屋で働き、昼に馬を追い、夜はタクシーのハンドルを握る。調教師をやめようかと考えた時期もある。 その男が11万円で連れ帰った馬は、脚に故障を抱えていた。膝と関節の具合が悪く、三十か月近く競馬に使えなかった。やがて去勢され、せん馬になった。 父はセルティックスウィングという。1994年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬で、ドンカスターのレーシングポストトロフィーを12馬身差で勝ち、翌年のジョッケクルブ賞を制した。ヨーロッパと南半球を行き来するシャトル種牡馬だった。母シェイディストリームは、一度も競馬に出ていない。 馬の名は Takeover Target といった。企業買収の標的、を意味する言葉である。

七つ

2004年4月23日、クイーンビヤン競馬場の未勝利戦、芝1200メートル。ジャニアックの地元である。 鞍上は二十歳のジェイ・フォードだった。父が競走馬を数頭持っていた縁で子どもの頃から厩舎と競馬場に出入りし、その2003/04シーズンにシドニー地区の見習騎手のリーディングを獲ることになる青年である。 七馬身差で勝った。 そこから連勝が始まる。ワガワガ、ケンジントン、ローズヒル。六月のゴスフォードでペースセッターステークス、七月のグラフトンでラモーニーハンデキャップ。ローズヒルでは51キロ、ラモーニーでも54.5キロ。まだ軽いほうに置かれる馬だった。 10月30日、フレミントン。サリンジャーステークスは芝1200メートルのG1である。1分8秒2で走り、二着に1馬身半をつけた。デビューから七戦して七勝、その七つ目がG1になった。 フォードにとっても、これが初めてのG1だった。

蹄の中の骨

勝ち続けていた馬が次に競馬場に現れたのは、半年後である。 十一月の終わり、ゴールドコーストでバリアトライアル(実戦形式の調教)を勝った直後に脚を引きずった。ドゥームベンの重賞へ向かう予定は消える。年が明けて秋のシドニー開催に備えていると、今度は蹄の中の骨に感染が見つかり、その一部を削り取る手術を受けた。 2005年は勝てなかった。四月末のBTCカップが4着。ドゥームベン10000は3着、ストラドブロークハンデキャップは10着、六月のカールトンドラフトステークスはアタマ差の2着。十月末のフレミントンではサリンジャーステークスの連覇を狙って4着に敗れ、翌週のエイジクラシックは7着だった。この一戦だけ、鞍上がS・アーノルドに替わっている。六戦して、勝ち鞍はない。 12月10日、ドゥームベンのサマーステークス。59.5キロを積んで1分7秒88で走り、コースレコードを更新した。二週間後のドゥームベンステークスは60.5キロで勝っている。 軽い斤量から走り出した馬が、いつのまにか一番重い荷を積まされる側に回っていた。

フレミントンの三つ

2006年2月4日、フレミントンの直線1000メートル。ライトニングステークスを0分56秒8で走り、ゴッズオウンをアタマ差で抑えた。G1の二つ目である。 三週間後のオークレイプレートは3着に終わった。勝ったのはスニッツェルという馬である。 3月11日、ニューマーケットハンデキャップ。57キロを背負って半馬身差で勝ち、二着にそのスニッツェルを置いた。 フレミントンには短距離の大レースが三つある。サリンジャー、ライトニング、ニューマーケット。11万円の馬は、その三つを自分の名前で埋めてしまった。 イギリスから、ロイヤルアスコットへの招待が届いたのはこの後である。

アスコットの五ハロン

6月20日、アスコット競馬場。キングズスタンドステークスは芝五ハロン(約1000メートル)の直線だけの一戦で、当時はG2に格付けされていた。0分59秒79。ハナ差で、ベンバウンという馬を退けた。 国際競馬統括機関連盟は、この勝利のあと、芝の短距離で彼を世界の一番に置いた。 四日後のゴールデンジュビリーステークスは3着。勝ったのはレザークである。三週間後、ニューマーケットのジュライカップにも出た。7着。勝ったのは、またレザークだった。 イギリスでの三戦は、一勝と三着と七着。それでもシーズンの終わりに、彼はその年のオーストラリア最優秀スプリンターに選ばれている。 秋、日本へ渡った。9月10日、中京のセントウルステークス。先行して、シーイズトウショウの二着に入っている。 この馬の父の父はダミスターといった。1994年に日本へ輸入され、その産駒トロットスターが2001年のスプリンターズステークスを勝っている。血のほうは、五年前に一度この舞台を踏んでいた。

中山、十月一日

小雨が降っていた。芝は良。 発走の前、列の終わりでメイショウボーラーがゲートに入るのを嫌がった。じりじりと時間が流れる。雨も、待たされたことも、この馬は意に介さなかった。 ゲートが開く。 外の一頭が好スタートを切った。三歳のステキシンスケクンも果敢に前を取りにいく。その二頭を交わして、先に行ったのは彼だった。 最初の200メートルより、次の200メートルのほうが速い。10秒1。1200メートルでこの区間にこの数字が出れば、前にいる馬はたいてい直線で止まる。 止まらなかった。鞍上は手綱を抑えたままである。フォードは、この速さで走らせながら、まだ追い出してはいない。 外にサイレントウィットネスがいた。前年の勝ち馬で、その日いちばん大きな馬体を持っていた馬である。三つ目の角でも、四つ目の角でも、二頭は並んだままだった。 中山の芝1200メートルは、四つ目の角を回りきってから坂を上る。 直線に入って、隣の馬体が離れた。 そこで後続を突き放し、そのまま先頭でゴールへ入った。二馬身半。1分8秒1。 二番目にゴールしたのは福永祐一のメイショウボーラー、四番目がサイレントウィットネス。アスコットでハナ差だったベンバウンは五番目、ロイヤルアスコットとニューマーケットで二度先着していたレザークは七番目に沈んだ。 「とにかく勝つことが好きな馬ですよ、本当に」[^1]。レースの後、フォードはそう言った。 この日、JRAの記録には二つの「初勝利」が同時に刻まれている。騎手J・フォード、初勝利。調教師J・ジャニアック、初勝利。どちらも、GIだった。

出典:日本中央競馬会「第40回スプリンターズステークス(GI)レース結果・外国人騎手のコメント」2006年10月1日、https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/sprint/result/sprint2006.html、閲覧日:2026年8月3日。

沙田の朝

オーストラリア、イギリス、日本、香港の七つのレースを結ぶグローバル・スプリント・チャレンジは、この中山の一戦で決着した。最終戦の香港を待たずに、総合優勝が決まる。 それでも彼は沙田へ向かった。12月10日の香港スプリントを勝てば、三つの国のG1を勝った馬に用意された100万USドルのボーナスが加わるはずだった。 レース当日の朝に採られた検体から、禁止薬物にあたる黄体ホルモンが検出された。裁決委員は出走を取り消す。走らないまま、その日は終わった。 馬は帰り、また走った。2007年5月、ドゥームベン10000を勝つ。2008年5月にはシンガポール・クランジのクリスフライヤー国際スプリントをコースレコードで勝った。 2009年4月18日、ランドウィックのTJスミスステークス。斤量の都合で鞍上はN・ローウィラーに替わっていたが、レースレコードで勝っている。二週間後、モーフェットビルのグッドウッドハンデキャップはフォードが戻って勝った。十歳の春だった。 7月10日、ニューマーケットのジュライカップを走ったあと、左の後肢の管骨に骨折が見つかる。現地の馬病院でボルト五本を入れる手術を受け、ジャニアックが引退を発表した。

ローレンス、六月

2010年の九月、ジャニアックは一度だけ、この馬をもう一度走らせるかもしれないと口にしている。脚は治り、走る気も残っていると。ひと月後、彼はやめておくと言った。関節が擦り減っていた。 2012年、オーストラリア競馬の名誉の殿堂に迎えられる。厩舎で「アーチー」と呼ばれていた馬は、ニューサウスウェールズ州ローレンスの牧場で余生を送り、2015年6月20日、放牧地で脚に大きな傷を負って、安楽死の処置がとられた。 引退の後、この馬の本が一冊出ている。題には『ジョー・ジャニアックが使った、いちばん良い1375ドル』とあった。1250ドルに税を足した、実際の支払額である。買収の標的、という名を与えられた馬の一生を、結局は買い物の話として言い切ってしまう題だった。それでも、間違ってはいない。11万円を出した男はタクシーの運転席を降り、厩舎に十頭を並べられるようになった。ジャニアックは、この馬が自分の人生を変えたのだと語っている。 ブラッドスポーツの言い方をすれば、せん馬が競馬に残せるのは血ではなく、走った記録だけである。その記録はクイーンビヤンの未勝利戦から始まり、フレミントン、アスコット、中山、クランジ、ランドウィック、モーフェットビルへと続く。どの競馬場でも、背にいたのはほとんど同じ青年だった。 安値で売られた鹿毛と、夜ごとハンドルを握っていた男がいた。十月の中山で坂を上りきった先頭に、追いつく馬はいなかった。

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