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テーマ別に名馬の歴史を読む・観る年表ICHINEN-ISSO — 2400m
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スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。
テイエムプリキュア
通算成績37戦4勝
獲得賞金2億474万円
生年月日 2003.04.08(平成15年)毛色 黒鹿毛性 牝
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 17 | GIエリザベス女王杯 | 京都 芝2200 | 11人気 | 国分恭介 | 2:14.7 | 上り38.5 | 映像 | |
| 16 | GIII新潟記念 | 新潟 芝2000 | 11人気 | 国分恭介 | 1:59.6 | 上り35.4 | — | |
| 16 | GIII函館記念 | 函館 芝2000 | 12人気 | 荻野琢真 | 2:03.7 | 上り41.2 | — | |
| 12 | GII日経新春杯 | 京都 芝2400 | 5人気 | 熊沢重文 | 2:27.7 | 上り38.5 | — | |
| 14 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 14人気 | 熊沢重文 | 2:35.7 | 上り41.0 | 映像 | |
| 2 | GIエリザベス女王杯 | 京都 芝2200 | 12人気 | 熊沢重文 | 2:13.8 | 上り36.9 | 映像 | |
| 14 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 9人気 | 荻野琢真 | 2:27.5 | 上り40.3 | — | |
| 18 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 14人気 | 荻野琢真 | 3:20.6 | 上り40.3 | 映像 | |
| 9 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 7人気 | 荻野琢真 | 3:16.0 | 上り43.4 | — | |
| 1 | GII日経新春杯 | 京都 芝2400 | 11人気 | 荻野琢真 | 2:26.6 | 上り36.6 | — | |
| 18 | GIII愛知杯 | 中京 芝2000 | 9人気 | 荻野琢真 | 2:00.6 | 上り37.2 | — | |
| 13 | GIII鳴尾記念 | 阪神 芝1800 | 12人気 | 熊沢重文 | 1:47.8 | 上り37.8 | — | |
| 4 | GIIアルゼンチン共和国杯 | 東京 芝2500 | 12人気 | 石神深一 | 2:31.2 | 上り36.4 | — | |
| 12 | OPアイルランドT | 東京 芝2000 | 11人気 | 後藤浩輝 | 2:00.0 | 上り33.7 | — | |
| 15 | OPメトロポリタンS | 東京 芝2400 | 12人気 | 田面木博公 | 2:27.2 | 上り39.2 | — | |
| 14 | OP大阪ーハンブルクカップ | 阪神 芝2400 | 5人気 | 酒井学 | 2:28.2 | 上り40.2 | — | |
| 16 | GIIIトヨタ賞中京記念 | 中京 芝2000 | 11人気 | 藤岡康太 | 1:59.3 | 上り35.5 | — | |
| 6 | GIIIダイヤモンドS | 東京 芝3400 | 10人気 | 酒井学 | 3:34.3 | 上り36.3 | — | |
| 3 | GII日経新春杯 | 京都 芝2400 | 12人気 | 酒井学 | 2:27.7 | 上り37.7 | — | |
| 8 | OP万葉S | 京都 芝3000 | 12人気 | 酒井学 | 3:08.5 | 上り35.5 | — | |
| 10 | GIII愛知杯 | 中京 芝2000 | 15人気 | 酒井学 | 1:59.5 | 上り34.0 | — | |
| 16 | OPトパーズS | 京都 ダ1800 | 13人気 | 酒井学 | 1:54.0 | 上り37.9 | — | |
| 14 | GIII府中牝馬S | 東京 芝1800 | 14人気 | 津村明秀 | 1:47.1 | 上り34.4 | — | |
| 8 | GIII福島牝馬S | 福島 芝1800 | 8人気 | 熊沢重文 | 1:47.1 | 上り35.1 | — | |
| 7 | GIIサンスポ杯阪神牝馬S | 阪神 芝1400 | 7人気 | 安部幸夫 | 1:21.5 | 上り34.4 | — | |
| 15 | GIIIマーチS | 中山 ダ1800 | 13人気 | 大野拓弥 | 1:56.1 | 上り43.6 | — | |
| 16 | GIIIトヨタ賞中京記念 | 中京 芝2000 | 9人気 | 菊沢隆徳 | 1:59.2 | 上り37.7 | — | |
| 6 | GIII小倉大賞典 | 小倉 芝1800 | 14人気 | 芹沢純一 | 1:47.3 | 上り36.5 | — | |
| 12 | TCK女王盃 | 大井 ダ1800 | 4人気 | 熊沢重文 | 1:54.4 | 上り39.0 | — | |
| 16 | GIII京都金杯 | 京都 芝1600 | 14人気 | 安部幸夫 | 1:35.8 | 上り36.4 | — | |
| 11 | GI優駿牝馬 | 東京 芝2400 | 10人気 | 熊沢重文 | 2:27.5 | 上り36.2 | 映像 | |
| 7 | GIIサンスポ賞フローラS | 東京 芝2000 | 1人気 | 熊沢重文 | 2:02.0 | 上り34.7 | — | |
| 8 | GI桜花賞 | 阪神 芝1600 | 3人気 | 熊沢重文 | 1:35.7 | 上り36.3 | 映像 | |
| 4 | GIIIチューリップ賞 | 阪神 芝1600 | 1人気 | 上村洋行 | 1:37.1 | 上り36.3 | — | |
| 1 | GI阪神ジュベナイルフィリーズ | 阪神 芝1600 | 8人気 | 熊沢重文 | 1:37.3 | 上り35.7 | 映像 | |
| 1 | かえで賞 | 京都 芝1400 | 5人気 | 熊沢重文 | 1:22.6 | 上り35.7 | — | |
| 1 | 2歳新馬 | 小倉 芝1200 | 5人気 | 赤木高太郎 | 1:09.6 | 上り36.0 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父パラダイスクリークParadise Creek | Irish River | Riverman |
| Irish Star | ||
| North Of Eden | Northfields | |
| ツリーオブノレッジTree of Knowledge | ||
| 母フェリアード | ステートリードンStately Don | Nureyev |
| Dona Ysidra | ||
| ユキグニYukiguni | Caro | |
| デリケートアイスDelicate Ice |
旅程 — この馬の物語
2003年生まれの黒鹿毛の牝馬。父パラダイスクリーク、母フェリアード。主な勝ち鞍は阪神ジュベナイルF・日経新春杯。
二百六十二万五千円
2003年4月8日、北海道新冠町のタニグチ牧場で、黒鹿毛の牝馬が生まれた。母フェリアードの三番仔である。 生まれてまもなく、母が腸捻転を起こした。手術で命は取り留めたものの、乳が出なくなる。牧場主・谷口貞保の妻と娘が、母馬の代わりに八月までミルクを与え続けた。この牝馬は、生後の数か月を人の手から飲んで育っている。 母系は細くない。祖母ユキグニは父にカロを持つアメリカ産の芦毛で、その母デリケートアイスはアメリカのG2ブラックアイドスーザンステークスを勝っている。1989年に輸入され早田牧場で繁殖に上がったユキグニは、1992年にブライアンズタイムとの間に牡馬を産んだ。エムアイブランである。ダートの重賞を四つ勝ち、武蔵野ステークスは連覇し、1999年のフェブラリーステークスではメイセイオペラに次ぐ二着に入って、通算五億円を超える賞金を稼いだ。フェリアードは、その半妹にあたる。 フェリアード自身は十一戦二勝で、ローズステークスにも出走した。競走をやめたとき、生まれ故郷の早田牧場は資金繰りが行き詰まっていた。まもなく倒産する牧場に彼女は戻らず、売却されて谷口貞保のものになる。谷口は、半兄エムアイブランの馬主でもあった人である。新冠のタニグチ牧場は、1992年の阪急杯を勝ったホクセイシプレー、2002年のフィリーズレビューを勝ったサクセスビューティを送り出してきた家族経営の牧場だった。 三年目の交配相手にパラダイスクリークが選ばれたのは、谷口の競馬仲間の助言による。1994年のアーリントンミリオンを含めてアメリカで十四勝を挙げ、同じ年のジャパンカップではマーベラスクラウンにハナ差の二着に来て、そのまま日本で種牡馬になった馬である。 フェリアードの初仔――父はラストタイクーン――は、2001年の北海道の市場で税込七百三十五万円の値がついた。落札したのは「テイエム」の冠名を持つ馬主・竹園正繼で、テイエムハクバオーと名づけられて栗東の五十嵐忠男厩舎に入る。調教では良く動く馬だったが、噛み合わないまま故障し、十三戦して未勝利で終わった。 2003年の秋、北海道オータムセール。竹園は、その兄の妹であることを意識しないままこの黒鹿毛と向き合い、絶対に走るという確信を得ている。細かい長所を挙げればきりがないが、何より兄よりはるかに立派な、骨格のしっかりした馬体が印象に残ったと、のちに振り返っている。開始価格は二百五十万円。競り合う相手は現れず、そのまま税込二百六十二万五千円で落札した。竹園が競馬人生で最も安く買った馬である。彼はこの馬なら桜花賞を勝てると考えていた。 ところが預け先が決まらない。父パラダイスクリーク、母父ステートリードンでは血統が売り物にならず、値も安いとなると、調教師が寄ってこなかった。竹園は、兄を管理していた五十嵐に半ば押しつけるようにして託す。翌日、検分に訪れた五十嵐の第一印象は、地味、というものだったという。それでも入厩させてみると、値段よりは良い馬で、牝馬にしては骨がしっかりしている、と評価は変わった。 名前は竹園の娘がつけた。テレビアニメ『ふたりはプリキュア』からキャラクターの呼び名を借り、冠名と組み合わせる。その冠名「テイエム」は、竹園正繼という名前のイニシャルである。こうしてテイエムプリキュアという馬になった。 五十嵐忠男は1952年、京都の生まれである。1973年に騎手としてデビューし、二十年の騎乗で百七十六勝、重賞は二つ勝った。1990年にはイソノルーブルでラジオたんぱ杯三歳牝馬ステークスを制してクラシックを期待されたが、翌春のエルフィンステークスを勝ったあとで松永幹夫に乗り替わりとなり、その馬でクラシックに騎乗することはなかった。イソノルーブルは1991年の優駿牝馬を勝っている。五十嵐は1993年に鞍を降り、翌年に厩舎を開いた。開業から十年あまり、重賞はまだ勝っていない。
十四年ぶりの師走
2005年9月3日、小倉の芝1200メートル、二歳新馬。鞍上は赤木高太郎、五番人気。ゲートを出るとハナを奪い、そのまま逃げ切った。二着はコスモルビー、三着には高田潤を背にデビューした牡馬がいる。ドリームパスポート――翌年、皐月賞で二着、東京優駿で三着、菊花賞で二着に入り、ジャパンカップではディープインパクトの二着まで来る馬である。 五十嵐は次走に門別のエーデルワイス賞を提案したが、竹園が北海道への輸送を嫌って却下した。代わりに選ばれたのが十月二十三日、京都のかえで賞。ここから熊沢重文が乗る。先行して直線で抜け出したところを、半ばでナイスヴァレーにかぶされ、いったん交わされた。それを終いにもう一度伸びて、ゴール板の手前で差し返す。四分の三馬身。二連勝だった。 十二月四日、阪神ジュベナイルフィリーズ。十八頭立ての八番人気。六枠十二番から出て、アサヒライジングが逃げる隊列の中団を進む。直線は外へ持ち出したフサイチパンドラ、アルーリングボイスと並んで追い上げ、その二頭が伸びあぐねるなか、内で抜け出していたエイシンアモーレとシークレットコードをまとめて差し切って独走に入った。一馬身半。 無敗の三連勝で二歳女王になる。重賞もGIも、初出走で初勝利だった。 鞍上の男には、別の十四年があった。熊沢重文、愛知県刈谷市の生まれ。1986年にデビューし、三年目の1988年、代打で回ってきたコスモドリームで優駿牝馬を勝つ。満二十歳三か月、当時のGI最年少勝利である。三年後の1991年十二月、二十三歳。中山競馬場に乗りに行くのはその日が初めてで、当日は道に迷った。単勝百三十七倍台のダイユウサクに跨り、一・七倍のメジロマックイーンを一馬身四分の一差し切って、二分三十秒六の日本レコードで有馬記念を勝つ。どちらも人気薄で気楽に乗れたのだと、彼はのちに振り返っている。 そこから十四年、GIから遠かった。三つ目を連れてきたのは、二百六十二万五千円の牝馬だった。 五十嵐にとっても意味が違った。クラシックに乗れなかった騎手が調教師になり、開業十二年目にしてようやく勝った初めての重賞が、いきなりGIだったのである。 年末のJRA賞、最優秀二歳牝馬の投票では、二百九十一票のうち二百八十二票が彼女の名を書いた。
鞍が空く
2006年3月4日、チューリップ賞。主戦の熊沢が骨折して乗れず、上村洋行が代打に立った。一番人気で四着。 四月九日、桜花賞。三番人気に推されて、八着に終わる。勝ったのはキストゥヘヴンだった。竹園の見立ては、この日、当たらなかった。 四月二十三日のフローラステークスは一番人気で七着。五月二十一日の優駿牝馬は十番人気で十一着、勝ったのはカワカミプリンセスだった。二歳の暮れに彼女が立っていた場所に、春の三か月のあいだ、別々の馬が代わる代わる立った。 そこから半年、姿を消す。 2007年、四歳。京都金杯で十六頭立ての最下位。大井のダートへ遠征し、小倉へ行き、中山のダートを走り、牝馬限定戦に戻り、また負けた。秋は府中牝馬ステークスで十四着、京都のダートで十六着、暮れの愛知杯で十着。跨る人間が替わり続けた。生涯で三十七回ゲートを出るあいだに、十五人の騎手がこの馬の背に乗っている。 手がかりは翌年の正月に出た。2008年1月20日、日経新春杯。ハンデ五十キロ、十二番人気、酒井学。三番手を追走し、三コーナーから早めに動いて先頭を奪う。直線でよく粘り、アドマイヤモナークとダークメッセージにかわされて三着に終わったが、アドマイヤジュピタやグロリアスウィークには先着した。三着以内に入るのは、二歳女王になったあの日以来だった。 十一月九日、アルゼンチン共和国杯。四十九キロ、石神深一。セタガヤフラッグと二頭で大逃げを打ち、後続を大きく離して四コーナーを回る。直線でセタガヤフラッグを競り落として単独先頭に立ち、残り二百メートルまで守った。そこをスクリーンヒーローにかわされ、ゴール前でジャガーメイル、アルナスラインにも差されて四着。 分かったことがある。差してGIを勝った馬が、軽いハンデを背負って前へ行くと、長く粘れる。二歳の暮れに使ったあの脚は戻らない。けれど、いちばん最初の新馬戦で使った走り方のほうは、まだ残っていた。 阪神ジュベナイルフィリーズから数えて、勝てないまま二十四戦。三年が過ぎていた。陣営は競走馬としての引退を決め、翌一月の日経新春杯を最後の一戦に定める。
引退レース
2009年1月18日、京都、芝2400メートル。ハンデ四十九キロは十六頭で最も軽かった。単勝三十四・四倍の十一番人気。支持を集めたのは、未勝利から四連勝で乗り込んできたヒカルカザブエ、前年の優勝馬で暮れの有馬記念をダイワスカーレットに次ぐ二着で終えたアドマイヤモナーク、重賞二勝のナムラマースである。 鞍上には荻野琢真が起用された。デビュー三年目、二十歳。六日前、兵庫県丹波市の成人式に出たばかりだった。 彼は競馬と無縁の家に生まれている。小学五年の夏、家族で北海道を旅していて道を間違え、日高町の牧場に迷い込んだ。そこで見たサラブレッドに心を動かされ、乗馬を始めた。兵庫のクラブで腕を磨き、競馬学校の二十三期生になる。同期には浜中俊、藤岡康太、丸田恭介がいた。 竹園正繼は騎手を成績で選ばない。管理する調教師の意向に従うので、騎乗機会の少ない新人や若手、あるいは中堅のベテランが、桃に緑一本輪の勝負服で大きなレースを勝つことがしばしばある。1999年に皐月賞を勝ったテイエムオペラオーの鞍上も、四年目の和田竜二だった。 雨が降っていた。馬場は良のまま、時計はかかっている。 五枠十番。ゲートを出るとハナを奪い、後続を大きく離して逃げた。前半の千メートルは六十一秒一。速すぎない。三コーナーから仕掛けると、差はさらに開いた。早めのスパートは陣営の指示どおりで、坂の下りから動くのは、前年に五十キロで三着に粘ったときと同じやり方である。 その三コーナーを過ぎ、後続との差が目に見えて広がったとき、京都競馬場のスタンドから大歓声が上がった。どよめきは、逃げている馬の鞍上まで届いた。「何か後ろから来たのかと思った」[^1]。荻野は直線でターフビジョンも見ずに追い続けた。 追い込んだナムラマースに三馬身半。三年一か月ぶりの勝利であり、重賞二勝目だった。牝馬が日経新春杯を勝つのは1997年のメジロランバダ以来五頭目、最軽量ハンデでの平地重賞制覇は前年のマーメイドステークス以来である。荻野にとっては、JRAで初めての重賞だった。 阪神ジュベナイルフィリーズの日も、レース前から雨が降っていた。この日の表彰式も傘の下で行われた。パドックでその話をしていたのだと、五十嵐は笑いながら明かしている。 そしてその表彰式で、竹園から、この馬をどうしましょう、と問われた。五十嵐はその場で答えず、二、三日預かることにする。二十一日に予定していた退厩は取り消された。引退は、撤回された。 三月の阪神大賞典は九着、五月三日の天皇賞(春)は十八頭の最下位。夏を休み、十月十一日の京都大賞典で戻ってくる。ここで初めて、クィーンスプマンテという牝馬と同じレースに出た。二頭で先頭を争い、一時はテイエムプリキュアが前に出て速い流れを作る。だが途中で我を忘れてかかってしまい、直線でスタミナが尽きて最下位に沈んだ。 一か月後のエリザベス女王杯。秋華賞で三冠を逃したばかりのブエナビスタが単勝一・六倍の一番人気に推された。テイエムプリキュアは九十一・六倍の十二番人気。鞍上には、熊沢重文が戻ってきた。
出典:スポーツニッポン「G1馬プリキュア 引退撤回V/日経新春杯」2009年1月19日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/01/19/kiji/K20090119Z00002270.html 、閲覧日:2026年8月1日。
後ろは、来なかった
京都、十一月十五日。 ゲートが開く。内から出たクィーンスプマンテのほうが速く、ハナは譲る形になった。二番手。かかる素振りはない。前の馬に馬体を併せにいかず、ぴたりと張りついたまま、スタンド前を通り過ぎる。 一コーナーへ入るころ、後ろとのあいだに隙間ができていた。隙間は、二コーナーを回るあいだに広がった。 後ろは、来ない。 流れは速くなかった。それでも馬群は動かない。前の二頭を捕まえに行くには、誰かが単独で抜け出して追いかけるしかなく、単独で追いかければ自分の脚を先に使うことになる。使い切れば、そのぶん後ろの馬に差される。互いに様子を窺い合ったまま、馬群は前を見送った。 向正面。二頭の背中と馬群のあいだは、二十馬身になっていた。 坂を上りきって、三コーナー。淀の下りにさしかかったところで、熊沢が動いた。抑えていたものを放って、前を行く一頭へ寄っていく。距離が詰まる。四コーナーを回るとき、二つの背中は並んでいた。 直線を向く。前には、何もない。 追い比べになった。この時点で、優勝はこの二頭のどちらかに決まっている。後ろにいる馬たちには、もうその権利がなかった。 半ばを過ぎて、彼女の脚が鈍った。内の一頭が、少しずつ離れていく。 そこへ、馬群からただ一頭が伸びてきた。この年の桜花賞と優駿牝馬を勝ったブエナビスタである。諦めずに追ってきた脚が、外から迫る。 譲ってもよかった。三年のあいだ、彼女は走り終えるたびに後ろから来られてきた馬である。 譲らなかった。 クビ差。 決勝線を過ぎたとき、彼女の前を走っていたのは、一頭だけだった。
九枚
暮れの有馬記念は十四番人気で十四着。年が明けて日経新春杯は十二着、夏の函館記念が十六着、新潟記念も十六着。 2010年11月14日、京都。エリザベス女王杯。十一番人気で、十七頭の最後尾でゴールした。日経新春杯から数えて九つ目の敗戦であり、これが最後の一戦になった。 その日のパドックには、彼女の名を書いた横断幕が九枚掲げられていた。 三日後、競走馬登録が抹消される。三十七戦四勝、獲得賞金は二億四百七十四万千円。 生まれ故郷のタニグチ牧場へ帰り、竹園が所有を続けたまま繁殖牝馬になった。2012年から十頭を産み、そのほとんどを五十嵐が管理している。五番仔の父はテイエムオペラオーだった。同じ桃に緑一本輪の勝負服で走り、七つのGIを勝った馬である。2018年には、テレビ番組の収録で新冠を訪れた一行が牧場に立ち寄り、彼女に会っている。2022年の出産を最後に繁殖を退き、翌2023年の五月、引退馬協会が受け入れ馬として迎えた。 三十七回のうち、最も多く彼女の背にいたのは熊沢重文である。十一回。二歳女王にした男は、そのあと勝てなかった三年にも、六歳の秋の京都にも、同じ鞍にいた。 その男のほうも、勝てない時間を長く走った。2016年六月を最後に平地では勝てない日が続き、次に平地で勝ったのは四年十か月後、2021年の四月である。中山では2012年にマーベラスカイザーで大障害を勝ち、平地と障害の両方でGIを制した騎手になった。障害競走の通算勝利数は、やがて歴代最多になる。数えきれないほど骨を折りながら、五十三歳の彼はこう言っていた。「体が続く限り乗り続けます」[^1]。2022年二月に落馬して頸椎を折り、翌年十一月、医師の判断で鞍を降りている。 二百六十二万五千円で買ったとき、竹園はこの馬なら桜花賞を勝てると考えていた。桜花賞は三番人気の八着で、見立ては外れている。 けれど、器という言葉は、どの一鞍が入るかという話ではなかったのだろう。二歳の師走に一度、六歳の正月にもう一度、そして同じ年の十一月、二冠牝馬を後ろに置いたまま決勝線を通過した一度――その全部が入る器だった。 最後のパドックで、九枚の布が風に揺れていた。生涯の勝ち星は四つだった。その名前が、そこには九回書かれていた。
出典:Number Web(文藝春秋)片山良三「数えきれない骨折を経て…20歳のオークス制覇から53歳でも活躍中! 熊沢重文「体が続く限り乗り続けます」」2021年5月15日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/848075 、閲覧日:2026年8月1日。
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