名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

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テイエムドラゴンのイメージビジュアル
テイエムドラゴンT M Dragon
T M Dragon

テイエムドラゴン

通算成績17戦5勝

獲得賞金29,017万円

生年月日 2002.04.10(平成14年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
テイエムドラゴンの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
4 JGⅠ中山大障害 中山 障4100 1人気 白浜雄造 4:41.8 上り13.7映像
1 JGⅡ京都ハイジャンプ 京都 障3930 2人気 白浜雄造 4:24.6 上り13.5
2 JGⅠ中山グランドジャンプ 中山 障4250 1人気 白浜雄造 4:50.8 上り13.7映像
1 阪神スプリングJ 阪神 障3900 1人気 白浜雄造 4:24.3 上り13.6
4 OP春麗ジャンプS 東京 障3300 1人気 白浜雄造 3:41.8 上り13.4
1 JGⅠ中山大障害 中山 障4100 2人気 白浜雄造 4:39.9 上り13.7映像
1 JGⅡ京都ハイジャンプ 京都 障3930 2人気 西谷誠 4:33.2 上り13.9
1 障害3歳以上未勝利 京都 障2910 4人気 白浜雄造 3:18.5 上り13.6
6 3歳未勝利 阪神 芝2000 6人気 田嶋翔 2:01.3 上り36.3
4 3歳未勝利 函館 芝2600 1人気 田嶋翔 2:49.1 上り37.6
3 3歳未勝利 函館 芝2600 10人気 小林徹弥 2:45.1 上り36.8
5 3歳未勝利 函館 芝2000 7人気 小林徹弥 2:06.2 上り36.5
8 3歳未勝利 函館 芝1800 12人気 田嶋翔 1:50.3 上り36.3
10 3歳未勝利 阪神 芝2000 14人気 柴原央明 2:03.7 上り36.0
11 3歳未勝利 阪神 ダ1800 4人気 田嶋翔 1:58.9 上り40.4
8 2歳未勝利 中京 芝1800 5人気 田嶋翔 1:52.6 上り36.6
5 2歳新馬 京都 芝1800 6人気 小池隆生 1:52.4 上り35.6

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
テイエムドラゴンの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
アドマイヤベガAdmire VegaサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
ベガトニービンTony Bin
アンティックヴァリューAntique Value
ヤエシラオキマルゼンスキーMaruzenskyNijinsky
シルShill
ノスタルヒアスフォルティノ
サチカマダ
STORY

旅程 — この馬の物語

2002年生まれの鹿毛の牡馬。父アドマイヤベガ、母ヤエシラオキ。

浦河の牝系

2002年4月10日、北海道浦河町。鎌田正嗣のもとで鹿毛の牡駒が生まれた。母はヤエシラオキ、芦毛の牝馬で、生まれた日は1989年4月10日である。母と仔は、十三年を隔てて同じ日付を持っていた。 母の名の「シラオキ」は、この牝系の祖の名がそのまま入ったものである。シラオキは1946年、岩手の小岩井農場の生まれ。1949年の優駿競走では二十三頭立ての十二番人気にすぎなかったが、後方から追い込んで二着に入っている。繁殖に上がってからは顕彰馬コダマと皐月賞馬シンツバメを産み、子孫が広がって「シラオキ系」と呼ばれる一族の祖になった。そのシラオキが繁殖生活の途中で移されたのが、浦河の鎌田牧場である。ヤエシラオキも鎌田牧場の生産で、その仔を送り出したのが、同じ浦河の鎌田正嗣だった。 父はアドマイヤベガ。1999年の日本ダービー馬で、この牡駒はその初年度産駒にあたる。近親には京成杯オータムハンデキャップを二度勝ったブレイクタイム、京王杯2歳ステークスと京成杯オータムハンデキャップを勝ったレオアクティブがいる。 馬主は竹園正繼。冠名の「テイエム」は自身の名前のイニシャルで、勝負服は桃地に緑の一本輪、袖は黄の縦縞である。後半の「ドラゴン」がどこから来たのかは、書き残されていない。ただ、この母はのちに牡駒を続けて産み、テイエムソンゴクウ、テイエムエルドラゴと名づけられた。全妹にエターナルドリームがいる。 2004年11月14日、京都の芝1800メートル、2歳新馬。小池隆生を背に六番人気で五着。ここから始まった。

九つ、勝てなかった

デビューから九戦、この馬は勝てなかった。京都と中京の芝、阪神のダートと芝、函館の芝を1800メートルから2600メートルまで。最高着順は七戦目の三着である。函館の2600メートルでは一番人気に支持されて四着に敗れた。手綱は田嶋翔が繰り返し取っている。管理する小島貞博調教師の娘婿にあたる騎手だった。9月10日、阪神の芝2000メートルで六着。これが平地での最後の一戦になる。 小島貞博は1951年、北海道新冠町の生まれである。父は家に寄りつかず、母を早くに亡くし、小学校の中学年で牛乳配達をして家計を助けた。中学二年で近所の牧場に住み込み、そこから戸山為夫に見出されて1971年に騎手になる。障害の名手だった鶴留明雄が引退したのを機に障害の騎乗を増やし、1978年に京都大障害で重賞を初めて勝った。1982年には、当時春と秋の二度行われていた中山大障害を、キングスポイント——テンポイントの全弟である——で両方勝っている。この頃の障害での勝率は四割近い。 だが1986年の暮れ、障害の調教中に落馬して鎖骨などを折った。病室を訪ねた戸山は、もう障害はいい、退院したら平地でやれ、と告げる。小島は従い、以後は平地専業になった。五年後に厩舎へ入ってきた馬がミホノブルボンで、小島はこの馬で皐月賞と日本ダービーを勝ち、1995年にはタヤスツヨシでもう一度ダービーを勝つ。戦後にデビューした騎手のうち、日本ダービーと中山大障害をそれぞれ二度勝っているのは小島ひとりである。2001年に騎手を引退し、2003年、栗東に厩舎を開いた。 2005年の夏、小島は田嶋翔が乗るテイエムチュラサンでアイビスサマーダッシュを勝ち、調教師としての重賞初勝利を挙げている。同じ夏、平地で九回走って勝てなかった三歳馬が、障害の練習を始めていた。

跳ぶことを覚えた秋

10月30日、京都の障害3歳以上未勝利、2910メートル。鞍上は白浜雄造。1979年、長崎県佐世保市の生まれで、JRAでただ一人の長崎県出身の騎手だった。競馬学校の十四期生、同期に池添謙一、酒井学、太宰啓介がいる。1998年にデビューし、二年目の東京ハイジャンプをレガシーロックで勝って障害重賞を初めて手にした。この年の夏はフランスで乗っている。 結果は五馬身差の圧勝だった。障害での初戦である。 十三日後、京都ハイジャンプ。八頭立ての二番人気で、鞍上は西谷誠に替わった。直線で先頭に立つとそのまま押し切り、二着アズマビヨンドに四馬身。障害二戦目で、重賞を獲った。 残る一つは、中山にあった。

十二月二十四日、中山

2005年12月24日、中山競馬場。晴れ、芝は良。第百二十八回中山大障害の発走は午後二時四十五分である。三歳のこの馬は、古馬より二キロ軽い斤量で出ていく。 先手を取ったのはマイネルマルカートだった。途中からバローネフォンテンが替わって引っ張り、隊列は長く伸びる。白浜は中団に控えた。急がない。障害を一つずつ越えながら、脚をためている。 終盤、向正面の竹柵障害。ここで前が急に詰まった。長く伸びていた馬群が、ひとつの塊に戻る。白浜が動いたのは、その詰まりに合わせてだった。 最終障害の手前に、バンケットの下り坂がある。下りは、普通なら抑える場所である。この馬はそこで速度を上げた。下りきった勢いを殺さずに坂を駆け上がり、上りきったところで、先頭にいた。 最後のいけ垣を、何ごともなかったように越える。 直線に向くと、白浜は後ろを振り返り、ターフビジョンに目をやって、後続との差を確かめた。差は詰まらない。もう追う必要がなかった。手綱を緩めたまま、ゴール板を通過する。 九馬身。二着は、同じ年に生まれたメルシーエイタイムだった。

昇り龍と呼ばれて

三歳馬が中山大障害を勝つのは、1968年のタジマオーザ以来だった。障害に転じてわずか三戦目のJ・GIであり、白浜雄造にとってはGI初制覇。そして小島貞博にとっては、調教師としての初めてのGIだった。かつて自分が騎手として勝った同じレースを、こんどは送り出す側から勝ったことになる。 父アドマイヤベガにとっても、産駒が勝った最初のGI級競走である。その父は前の年の10月29日、八歳で死んでいた。初年度の仔たちが二歳でデビューした、その年の秋である。 思い出しておきたい一戦がある。1999年の皐月賞、一番人気のアドマイヤベガは六着に敗れた。先頭でゴールしたのはテイエムオペラオーで、その勝負服は桃に緑の一本輪、袖は黄の縦縞だった。六年八か月後、同じ勝負服を着た初年度産駒が、父に最初のGIを届けている。 年が明けて、テイエムドラゴンは2005年度のJRA賞最優秀障害馬に選ばれた。同じ2002年生まれには、この年三冠を制したディープインパクトと、ダートの頂点に立ったカネヒキリがいる。名にちなんで「昇り龍」とも呼ばれた。この馬の時代がしばらく続くのだろう、と書かれた。

クビ差の意味

四歳の緒戦、2月4日の東京・春麗ジャンプステークスは、単勝1.3倍の支持に応えられず四着。障害では初めての敗戦だった。3月11日の阪神スプリングジャンプでは、粘るアズマビヨンドを競り落として重賞三勝目を挙げる。 4月15日、中山グランドジャンプ。晴れ、芝は良。相手は決まっていた。カラジ。1995年にアイルランドで生まれ、イギリスからオーストラリアへ渡り、メルボルンカップで四着に入ったこともある十一歳のせん馬で、前年のこのレースの勝ち馬である。この日の馬体重は四百三十キロ。テイエムドラゴンは四百七十八キロで、前走から二十二キロ減っていた。単勝はテイエムドラゴンが2.3倍、カラジが3.2倍。J・GI馬が二頭、正面から向かい合う一戦だった。 レースもそのとおりになる。バルトフォンテン、メジロオーモンド、フォンテラが入れ替わりながら逃げるなかで、後方に控えていたカラジがするすると位置を上げてきた。白浜はそれを好位で待ち、先に行かせて、マークする形を選ぶ。最終コーナーはカラジが先頭、テイエムドラゴンが二番手。 最後のハードルを越えてから、追い比べになった。一完歩ごとに差が詰まる。詰まりきる前に、ゴール板が来た。クビ差である。 「テイエムドラゴンが迫ってきたときにはヒヤリとしたが、この馬の力を信じていた。来年は12歳になるが、また中山へ来たい」[^1]——カラジの手綱を取ったスコットは、そう言った。 この一戦のあと、テイエムドラゴンは長い休養に入る。次に競馬場へ戻るまでには、一年七か月がかかった。

出典:日本中央競馬会「第8回 中山グランドジャンプ(J・GI)レース結果」2006年4月15日、https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/ngj/result/ngj2006.html 、閲覧日:2026年8月2日。

五百二十四キロ

2007年11月10日、京都ハイジャンプ。七頭立て。背負う斤量は六十三キロ。掲示された馬体重は五百二十四キロ。中山で二着に敗れたときより、四十六キロ重い体だった。 レースは途中から先頭に立ち、そのまま押し切った。二着コウエイトライに0秒5。一年七か月の休養明けで、いきなり重賞である。白浜にとってはこれが障害重賞十五勝目で、嘉堂信雄の持つ最多記録に並んだ。 12月22日、中山大障害。曇り、芝は良。単勝1.9倍の一番人気。過去二年の勝ち馬と二着馬が顔を揃え、五歳の牡馬三頭が真っ向からぶつかる一戦になった。 ハイヤーザンヘブンが大逃げを打つ。大生垣を越えたところでマルカラスカルが先頭に立ち、メルシーエイタイムが離れずについていく。テイエムドラゴンはその直後で機をうかがった。最後の障害を飛び終えたところから、長い追い比べが始まる。 伸びたのはメルシーエイタイムだった。まずテイエムドラゴンを突き放し、マルカラスカルに並びかけて力ずくで交わし、直線でも脚色が変わらない。二年前に九馬身をつけた相手が、三度目の挑戦でこのレースを獲った。テイエムドラゴンは四着。勝ち馬から二秒一だった。 レースのあと、屈腱炎が見つかる。12月26日付で競走馬登録が抹消された。十七戦五勝である。

走る場所

引退後は乗馬になった。京北育成牧場(高宮ライディングパーク)、2011年ごろには神戸乗馬クラブなどで繋養されている。 白浜雄造は乗り続けた。2009年の中山グランドジャンプをスプリングゲントで勝って障害重賞十六勝の新記録を作り、記録は二十一勝まで伸びる。2022年8月、小倉サマージャンプで飛越の際に落馬し、頭部を負傷して長い療養に入った。栗東の乗馬苑で厩舎の作業をしながら復帰を目指し、2025年2月末に騎手を引退している。 小島貞博は2012年1月23日に亡くなった。六十歳だった。厩舎は義兄の湯窪幸雄が引き継いだ。調教師として挙げたGIは、あの中山大障害ひとつきりである。 1986年の暮れ、病室の戸山為夫は、もう障害はいい、と言った。弟子を危ない場所から遠ざけるための言葉で、小島はそれに従い、平地でダービーを二度勝った。師の判断は正しかった。それでも競馬は、十九年かけてこの男を同じレースへ連れ戻した。しかも、平地で九回走って一度も勝てなかった馬の手綱を通して。 この馬の時代は、続かなかった。J・GIはあの一鞍きりで、四歳の春から一年七か月を休養に費やし、五歳の暮れに腱を傷めて競馬場を去った。待っていた人が受け取ったのは、続きではなく、あの数分である。中山の障害コース、最終障害の手前にある下り坂。手綱を抑えるのが普通のその斜面を、三歳の鹿毛は速度を落とさずに下り、そのまま坂を駆け上がって先頭に出た。 走れない馬ではなかった。走る場所に、まだ来ていなかっただけだ。

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