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シンボリクリスエス
通算成績15戦8勝
獲得賞金9億8,472万円
生年月日 1999.01.21(平成11年)毛色 黒鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 1人気 | O.ペリエ | 2:30.5 | 上り35.3 | 映像 | |
| 3 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 1人気 | O.ペリエ | 2:30.3 | 上り37.1 | 映像 | |
| 1 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 1人気 | O.ペリエ | 1:58.0 | 上り33.6 | 映像 | |
| 5 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 1人気 | K.デザーモ | 2:12.3 | 上り37.0 | 映像 | |
| 1 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 2人気 | O.ペリエ | 2:32.6 | 上り34.6 | 映像 | |
| 3 | GIジャパンカップ | 中山 芝2200 | 1人気 | O.ペリエ | 2:12.3 | 上り35.7 | 映像 | |
| 1 | GI天皇賞(秋) | 中山 芝2000 | 3人気 | 岡部幸雄 | 1:58.5 | 上り34.4 | 映像 | |
| 1 | GII神戸新聞杯 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 岡部幸雄 | 1:59.1 | 上り35.1 | 映像 | |
| 2 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 3人気 | 岡部幸雄 | 2:26.4 | 上り35.2 | 映像 | |
| 1 | GIIテレビ東京杯青葉賞 | 東京 芝2400 | 1人気 | 武豊 | 2:26.4 | 上り34.1 | 映像 | |
| 1 | 山吹賞 | 中山 芝2200 | 2人気 | 岡部幸雄 | 2:14.3 | 上り34.7 | — | |
| 3 | 3歳500万下 | 中山 芝1800 | 1人気 | 岡部幸雄 | 1:48.0 | 上り34.2 | — | |
| 3 | ゆりかもめ賞 | 東京 芝2400 | 1人気 | 横山典弘 | 2:30.8 | 上り34.7 | — | |
| 2 | セントポーリア賞 | 東京 芝1800 | 2人気 | 横山典弘 | 1:53.3 | 上り36.5 | — | |
| 1 | 2歳新馬 | 東京 芝1600 | 4人気 | 岡部幸雄 | 1:36.5 | 上り34.9 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父Kris S. | Roberto | Hail to Reason |
| Bramalea | ||
| Sharp Queen | Princequillo | |
| Bridgework | ||
| 母Tee Kay | Gold Meridian | Seattle Slew |
| Queen Louie | ||
| Tri Argo | Tri Jet | |
| Hail Proudly |
引退後・牧場での映像
ゴール板の先の時間旅程 — この馬の物語
1999年生まれの黒鹿毛の牡馬。父Kris S.、母Tee Kay。主な勝ち鞍は天皇賞・有馬記念・テレビ東京杯青葉賞。
四十万ドルに届かなかった
1994年4月29日、和田共弘が71歳で亡くなった。千葉のシンボリ牧場の二代目である。三冠馬シンボリルドルフを送り出した人で、ヨーロッパ流の配合と育成を信条にしていた。晩年は日本の競馬そのものへの興味を失い、牧場を畳んで霊園に転じることまで考えていたという。 跡を継いだのは長男の孝弘だった。帯広畜産大学を出てニュージーランドの牧場に学び、帰国して父と衝突し、家を出て会社勤めをしていた経歴がある。三代目になった孝弘は、父が嫌ったアメリカの血と配合を、正面から牧場へ入れ始めた。 1998年11月、ケンタッキーのキーンランド。繁殖牝馬のセリに、ティーケイという黒鹿毛が上場されていた。父ゴールドメリディアン。アメリカで31戦4勝、G3のマーサワシントンステークスを勝っている。腹にはクリスエスの仔がいた。孝弘は30万ドルで落とす。ティーケイの全妹の孫からは、のちにドバイワールドカップを勝つウェルアームドが出ている。 年が明けた1月21日、ケンタッキーのミルリッジファームでその仔が生まれた。牡の黒鹿毛である。生後3か月で対面した孝弘の感想は、脚の長い、ひょろっとした馬だな、というものだった。 シンボリ牧場はその年、アメリカで同い年の牡馬を3頭持っていた。いちばん期待されていたのは別の1頭である。兄と姉がすでにJRAの重賞で好走していて、日本へ運び、美浦の藤沢和雄厩舎からデビューさせる予定が立っていた。その馬は、運ばれる前に死んだ。 ティーケイの2番仔のほうは、1歳になったら母ごと売るつもりだった。検分に来た藤沢も、黒くてでっかくて見栄えがするから高く売れるでしょう、と評している。ところがセリで札は伸びなかった。希望価格40万ドルに対して、最高が37万5000ドル。届かず、売り手が自分で買い戻す主取りになった。 売れなかったから、日本へ来た。死んだ1頭の代わりに、藤沢厩舎へ入った。名前は、父にそっくりだからという理由で決まった。冠名のシンボリに、父の名をそのまま足した。シンボリクリスエス。母の名からも、母の生まれた土地からも、一文字も借りていない。
進まない調教
デビュー前の調教は、ほとんど前へ進まなかった。少し強く追うと、翌日には反動で動けなくなる。体が大きいだけで中身が弱い馬だった、と岡部幸雄はのちに振り返っている。藤沢和雄のほうも、若駒のころはすぐ腰に疲れが出る体質で、強い調教を課す段階にすら至らなかったと述懐した。完全に仕上げることは諦めて、走らせることにした。 2001年10月13日、東京の芝1600メートル、2歳新馬。岡部が乗って4番人気だった。これ以上やると壊れると考えて追い切りを加減していたから、無理をさせないつもりで運んだ。ところが直線を向いたら自分から脚を使ったので、使わせた。クビ差で勝っている。馬体重は540キロあった。 そこから3か月半、休ませた。年が明けて500万円以下のクラスに戻ると、負けが3つ続く。1月のセントポーリア賞はクビ差の2着。2月のゆりかもめ賞は3着。3月の中山も3着。3戦とも後ろから運んで、直線で届かなかった。 4月6日の山吹賞で、初めて形を変えた。スタートから前へ出して好位を確保し、直線で抜け出す。1馬身3/4差。新馬勝ちから2勝目まで、半年かかったことになる。 4月27日、東京の青葉賞。東京優駿のトライアルである。ただし外国産馬には、トライアルを勝っても優先出走権が与えられない。外国産馬のクラシック参戦は前年に解禁されたばかりで、この年が2年目だった。 その日、岡部は乗れなかった。同じ藤沢厩舎のボールドブライアンに騎乗が決まっていたからである。前2走で乗った横山典弘にも先約があった。手綱を取ったのは武豊だった。武は本番の東京優駿で乗る馬をすでに決めている。タニノギムレットである。 2枠3番。好位の内を進み、残り200メートルで最内から抜け出した。大外から追い込んだバンブーユベントスに2馬身半。重賞初勝利だった。レースのあと、武は藤沢に、この馬は秋には絶対によくなると言い残している。
五月二十六日
2002年5月26日、東京競馬場。曇り、芝は良。第69回東京優駿、18頭立て。 1番人気は単勝2.6倍のタニノギムレット。皐月賞を勝ったノーリーズンが5.0倍。シンボリクリスエスは6.2倍の3番人気で、6枠11番だった。岡部が戻ってきている。馬体重は520キロ。新馬戦から20キロ落ちていた。 サンヴァレーが引っ張り、隊列は縦に伸びた。シンボリクリスエスは中団。3コーナーは内を回り、4コーナーで外へ持ち出す。4コーナーの記録では、前から8番手から10番手の一団の中にいた。タニノギムレットはさらに後ろ、12番手から14番手の一団である。 府中の直線は525メートルある。残り600メートルからの2区間は、200メートルごとに11秒7、11秒6。レースの後半でいちばん速くなった区間だ。前ではマチカネアカツキとゴールドアリュールが先頭を争っていた。シンボリクリスエスは馬場の中央から追い上げ、その2頭をまとめて捉える。 捉えたとき、この馬は先頭にいた。 最後の200メートルは12秒3。加速が止まり、前を行く馬の脚色がそろって鈍る区間である。そこへ後ろから、1頭だけ違う速さで上がってきた。 1馬身差の2着だった。3着マチカネアカツキとはアタマ差で、その馬も藤沢厩舎である。この日、藤沢は4頭を送り出し、2着と3着を占めた。 シンボリクリスエスがクラシックのゲートに入ったのは、この一度きりになる。菊花賞にも、外国産馬に優先出走権はなかった。
菊を捨てる
夏は北海道門別のファンタストクラブで過ごした。場長は藤沢和雄の兄、民雄である。 9月22日、阪神の神戸新聞杯。菊花賞のトライアルで、単勝2.1倍の1番人気。中団から進み、4コーナーでは前をふさがれて動けなかった。直線で前が開くと、そこから全部を抜いた。2着ノーリーズンに2馬身半。 岡部はこの日の変化をはっきり憶えている。それまではゲートをふわりとしか出なかった馬が、自分から出て、自分からハミをかんでいった。見えていたマイナス面を、一つも見せなかった。 レースが終わり、検量室で鞍を外しているときに、藤沢は和田孝弘へ言った。この馬は相当強いから、天皇賞に持っていきましょう。孝弘はその場で承知した。 3歳馬に残されたクラシックは菊花賞だった。京都の芝3000メートル、同世代だけの戦いである。一方の天皇賞(秋)は芝2000メートルで、相手はほとんどが古馬になる。藤沢の見立てでは、この馬は距離が延びても押し切れるが、明らかに2000メートルのほうがいい。それなら、古馬が相手でも天皇賞のほうが勝てる。 菊を捨てた。 そしてこの年、天皇賞(秋)は中山競馬場で行われることになっていた。東京競馬場が改修工事に入っていたためで、中山での施行は1967年以来、35年ぶりである。18頭のうち、3歳はシンボリクリスエス1頭だけだった。あとはすべて古馬である。鞍上は岡部だった。その秋はオリビエ・ペリエも来日していたが、藤沢は、中山の2000メートルなら岡部のほうが巧いと考えて岡部に頼んでいる。
中山、二千メートル
晴れ。芝は良。 最初の200メートルが12秒5、次の200メートルが10秒8。序盤から流れの速いレースになった。シンボリクリスエスは18頭の6番手を進む。それも馬場のいちばん内側だった。 そこから先、この馬はほとんど動いていない。向正面を過ぎ、3コーナーで後ろの馬たちが位置を上げてくる。馬群が固まった。前にはブレイクタイムとイブキガバメントがいる。内には埒がある。抜けるところがない。 4コーナーを回っても塞がったままだった。記録に残っている位置取りでは、この馬は横に並んだ4頭の固まりの中にいる。左にも前にも馬がいて、出るところがない。 直線に入って、テイエムオーシャンが抜け出す。ブレイクタイムがそれに並びかけていく。並びかけるというのは、その馬が前へ出るということだ。前へ出れば、いた場所が空く。ブレイクタイムとイブキガバメントのあいだに、馬一頭ぶんの隙間ができた。 岡部はそこへ入れた。 中山の直線は310メートルしかない。それでも間に合った。この馬の上がり3ハロン、つまり最後の600メートルにかかった時間は34秒4で、レース全体のそれより1秒近く速い。 外から追い込んできたナリタトップロードとの差は、3/4馬身だった。 初めてのGIだった。
半馬身
その1か月後、同じ中山でジャパンカップが行われた。鞍上はペリエに替わる。岡部はこの日、藤沢厩舎のマグナーテンで同じレースに乗り、4着に来ている。シンボリクリスエスは発馬機の中で暴れて出遅れ、後方から追い上げたが、内から伸びたファルブラヴとサラファンの争いにクビ差届かず3着だった。1番人気である。 12月22日、有馬記念。ファン投票は8万3623票を集めて2位だった。曇りで、芝は稍重。単勝3.7倍の2番人気。1番人気は6戦6勝のファインモーションで、この年は3歳馬が1、2番人気を占めている。 ファインモーションとタップダンスシチーがハナを争い、2周目の向正面からはタップダンスシチーが先頭に立った。4コーナーで、後続との差は8馬身あった。追う側のほとんどが早めに動いて詰めにいったが、詰まらない。シンボリクリスエスは中団の内で待ち、直線に入ってから外へ出した。早めに動いた馬たちが止まっていくなかで、この馬だけが伸びる。ゴール板の手前でタップダンスシチーを捉えた。半馬身。 同じレースで、岡部は藤沢厩舎のコイントスに乗り、3着に入っている。 そして、それが岡部の年内最後の騎乗になった。左膝が限界に来ていた。この年には左足を引きずって歩くほど悪化していて、有馬記念のあと休養に入り、半月板を手術する。2003年は一度も乗っていない。復帰は2004年1月、引退は2005年3月で、38年の騎手生活だった。GIは38勝。その最後の1勝が、中山の天皇賞(秋)である。53歳11か月28日での勝利は、当時の中央競馬で最も年長のGI制覇だった。 年末のJRA賞で、シンボリクリスエスは281票のうち277票を集めて年度代表馬に選ばれた。3歳での受賞である。クラシックを一つも勝っていない3歳馬が年度代表馬になったのは、これが初めてだった。
右回りを捨てる
2003年、藤沢はこの馬に4戦だけ用意した。宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念。距離の合わない天皇賞(春)は使わない。春に1つ、秋に3つ。最後の有馬記念まで余力を残すための組み立てだった。 放牧のあいだに馬体はまた大きくなった。5月28日、藤沢はこの馬を、その週にダービーへ向かうゼンノロブロイの最終追い切りに帯同させている。動きがあまりに良かったので、藤沢は予定を早めるどころか、仕上がりすぎるから少し緩めます、と言った。 6月29日、宝塚記念。ファン投票1位。単勝2.1倍の1番人気。半年ぶりの実戦である。中団の内から進み、4コーナーで前へ出た。そこで止まった。勝ったヒシミラクルとの差は0.3秒。あいだに3頭を挟んだ5着だった。 藤沢は休み明けのせいにしなかった。厳しい流れのなかで早めに先頭へ立ったことが裏目に出た、というのが彼の見立てである。もう一つ、思い当たることがあった。前年の有馬記念でも、この宝塚記念でも、この馬は直線で内外にふらついている。どちらも右回りだった。 そこで藤沢は、右回りを直すのをやめた。直す代わりに、左回りをさらに上手にした。苦手を克服するのではなく、得意を伸ばして苦手を忘れさせる。この調整は、本人が想定した以上に効いた。 11月2日、東京。改修を終えた府中に、天皇賞(秋)が戻ってきていた。左回りである。 18頭立ての大外18番。有利な枠ではない。ローエングリンとゴーステディが2頭で飛ばし、後続を20馬身ちぎった。1000メートル通過は56秒9で、この競走の歴史でいちばん速い。1998年にサイレンススズカが刻んだ逃げより、0.5秒速かった。 シンボリクリスエスは外めの中団にいた。前の2頭は当然のように失速する。9つ目の200メートルは13秒2まで落ちた。そこで後ろの馬が一斉に前へ出るが、この馬は進路を外から内へ切り替えて、その全部の上を行った。2着ツルマルボーイに1馬身半。 1分58秒0はコースレコードだった。天皇賞(秋)を連覇した馬は、それまでいない。ペリエは、馬に乗っているというより空を飛んでいるようだったと言った。外国人騎手が天皇賞を勝ったのも、これが初めてである。 4週間後のジャパンカップは重馬場になった。単勝1.9倍の1番人気。タップダンスシチーが単騎で逃げ、そのまま帰ってこなかった。2着ザッツザプレンティとの差は9馬身で、グレード制になってからのGIでは最も大きな着差である。シンボリクリスエスはその2着から、さらに3/4馬身うしろの3着だった。先頭からは、9馬身以上離されていた。
九馬身
12月28日、中山。有馬記念。これが引退レースだと予告されていた。ファン投票は12万5116票で1位。12頭立て、単勝2.6倍の1番人気。晴れて、芝は良。 担当していた厩務員の浴中孝によれば、この馬はふだんおとなしいのに、レースが近づくと目つきがきつくなった。最後の一戦の前、厩舎に写真班が集まったとき、浴中は少し離れて撮ってくれと頼んでいる。近づくと襲いかかるから、というのが理由だった。 ザッツザプレンティとアクティブバイオが2頭で飛ばした。シンボリクリスエスは中団。2周目の3コーナーから位置を上げ、4コーナーではリンカーンのすぐ後ろ、前から2番目にいた。残り300メートルでリンカーンをかわす。そこから先は、1頭だけの競馬になった。 2分30秒5。1991年にダイユウサクが出したレコードを、0.1秒縮めた。2着リンカーンとの差は9馬身。1967年のカブトシローの6馬身を超える、有馬記念の史上最大着差だった。ひと月前のジャパンカップで、タップダンスシチーが2着につけたのと同じ数字である。 引退が決まっているから完膚なきまでに仕上げたのだ、と言われた。藤沢はそれを否定している。種牡馬入りの決まった馬に無理な負荷をかけて壊せば、馬主にも競馬界にも顔向けができない。最後の一戦で無理をさせないことはあっても、その逆はありえない。そのうえで彼が数えたのは、別の数字だった。3歳の暮れに2着へつけた差は半馬身。4歳の暮れに、それが9馬身になっていた。同じ中山の2500メートル、同じ12月、あいだに挟まっているのは一年だけである。仕上げが作った差ではない。一年が作った差だった。 「闘争本能の塊だった」[^1]と浴中は言う。前にいる馬を、すさまじい勢いでつかまえにいく馬だった、と。最後のレースで、この馬の前には誰もいなくなった。 引退式は開催が終わったあとの中山で行われ、同じ日に競走馬登録が抹消された。翌年から安平の社台スタリオンステーションに立ち、初年度に200頭を超える牝馬を集める。産駒には菊花賞とジャパンカップを勝ったエピファネイアがいて、その仔にデアリングタクトとエフフォーリアがいる。2019年に種牡馬を退いて成田のシンボリ牧場へ帰り、2020年12月8日、蹄葉炎のために21歳で死んだ。ケンタッキーで母を買った和田孝弘は、その前年の春に亡くなっている。 天皇賞(秋)と有馬記念を、そろって連覇した馬はほかにいない。それでいて、この馬はクラシックを一つも勝っていない。走ったのは東京優駿の一度きりで、その日は1馬身足りなかった。 2017年5月、東京。第84回東京優駿を勝ったのはレイデオロだった。父キングカメハメハ、母ラドラーダ、母の父シンボリクリスエス。管理していたのは藤沢和雄で、この人にとって初めての牡馬クラシック制覇である。15年前に1馬身足りなかったその坂を、今度は先頭で上りきったことになる。勝ち馬の血統表の、母の父の欄。そこに、40万ドルに届かず売れ残った馬の名前がある。
出典:スポーツニッポン「【有馬記念】03年クリスエス連覇達成 闘争本能の塊だった」2012年12月21日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/12/21/kiji/K20121221004817090.html 、閲覧日:2026年8月2日。
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