名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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スイープトウショウのイメージビジュアル
スイープトウショウSweep Tosho
Sweep Tosho

スイープトウショウ

通算成績24戦8勝

獲得賞金74,482万円

生年月日 2001.05.09(平成13年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
スイープトウショウの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
3 GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 2人気 池添謙一 2:12.2 上り33.9映像
4 GII毎日放送賞スワンS 京都 芝1400 4人気 池添謙一 1:21.1 上り35.0
9 GIヴィクトリアマイル 東京 芝1600 2人気 池添謙一 1:33.2 上り33.6映像
2 GII読売マイラーズカップ 阪神 芝1600 2人気 池添謙一 1:32.4 上り32.7
10 GI有馬記念 中山 芝2500 5人気 池添謙一 2:32.9 上り34.5映像
2 GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 2人気 池添謙一 2:11.6 上り34.4映像
5 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 1人気 池添謙一 1:59.2 上り34.6映像
1 GII京都大賞典 京都 芝2400 2人気 池添謙一 2:31.5 上り32.8映像
1 GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 2人気 池添謙一 2:12.5 上り33.2映像
5 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 4人気 池添謙一 2:00.4 上り32.8映像
6 GII毎日王冠 東京 芝1800 2人気 池添謙一 1:47.1 上り33.7
1 GI宝塚記念 阪神 芝2200 11人気 池添謙一 2:11.5 上り35.7映像
2 GI安田記念 東京 芝1600 10人気 池添謙一 1:32.3 上り34.0映像
5 OP都大路S 京都 芝1600 1人気 池添謙一 1:34.6 上り33.1
5 GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 1人気 池添謙一 2:13.9 上り33.2映像
1 GI秋華賞 京都 芝2000 2人気 池添謙一 1:58.4 上り33.9映像
3 GII関西TVローズS 阪神 芝2000 2人気 池添謙一 1:59.1 上り35.5
2 GI優駿牝馬 東京 芝2400 4人気 池添謙一 2:27.3 上り34.2映像
5 GI桜花賞 阪神 芝1600 2人気 池添謙一 1:34.5 上り34.4映像
1 GIIIチューリップ賞 阪神 芝1600 1人気 池添謙一 1:35.5 上り34.3映像
1 OP紅梅S 京都 芝1400 1人気 角田晃一 1:21.9 上り34.3
5 GI阪神ジュベナイルフィリーズ 阪神 芝1600 1人気 角田晃一 1:36.1 上り34.3映像
1 GIIIKBSファンタジーS 京都 芝1400 2人気 角田晃一 1:22.6 上り34.0映像
1 2歳新馬 京都 芝1400 1人気 角田晃一 1:22.9 上り34.2

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
スイープトウショウの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
エンドスウィープEnd SweepフォーティナイナーForty NinerMr. Prospector
File
Broom DanceDance Spell
Witching Hour
タバサトウショウダンシングブレーヴDancing BraveLyphard
Navajo Princess
サマンサトウショウトウショウボーイ
マーブルトウショウ
STORY

旅程 — この馬の物語

2001年生まれの鹿毛の牝馬。父エンドスウィープ、母タバサトウショウ。主な勝ち鞍は秋華賞・宝塚記念・エリザベス女王杯。

刈り込まれた牝系

トウショウ牧場は、自分の牝系を刈り込む牧場だった。 静内のこの牧場を開いたのは、フジタ工業の副社長で参議院議員でもあった藤田正明である。1965年、牧場はアメリカから一頭の繁殖牝馬を入れた。ソシアルバターフライという。この牝馬から皐月賞と有馬記念を勝つトウショウボーイが出て、牧場の名は一気に上がった。以後、繁殖牝馬の半数がこの一族で占められ、良い種牡馬は優先してそこへ回された。ほかの牝系は、その分だけ細らされていく。シラオキ系、チャイナトウショウ系、ビバドンナ系——それらに属する牝馬の多くが、他所へ売られていった。 ところが、賭けた側が伸びず、切った側が伸びた。ソシアルバターフライの一族はしだいに古び、牧場は1994年から四年続けて重賞を勝てなくなる。一方、手放したシラオキ系からは、よその牧場で菊花賞馬マチカネフクキタルが生まれていた。 代替わりが起きたのはその頃である。正明の三男・衛成が二代目のオーナーになり、偏りを解いた。刈り残されていた牝系にも、ようやく順番が回ってくる。 チャイナトウショウ系は、売り払われずに残った一本だった。1928年に輸入されたアメリカ産牝馬セヴァインに始まり、細く細く続いてきた血である。高祖母にあたるチャイナトウショウは、父チャイナロック譲りの大きすぎる馬体で、導入には反対の声もあった。押し切ったのは正明の一言だったという。 その娘マーブルトウショウは栗東の戸山為夫厩舎から出て、1981年正月の京都で紅梅賞を勝ち、桜花賞では三着に入った。孫サマンサトウショウは渡辺栄厩舎でエプソムカップを勝った。曾孫タバサトウショウは同じ渡辺厩舎で六戦して一勝。サマンサとタバサという名は、『奥さまは魔女』に出てくる母娘から採られている。 2001年5月9日、そのタバサトウショウが三番仔を産んだ。父は前年に日本へ入ったばかりのエンドスウィープで、選んだのは二代目の衛成である。フォーティナイナーの仔には柔らかさがあり、広がりがある。そう見ての配合だった。生まれた鹿毛の牝馬は、母の父ダンシングブレーヴと同じ三白眼をしていた。 名は、父の名の一部と冠名を継いでスイープトウショウとなる。牧場の評価は高かった。ただしこの仔は、走ることも馬房を出ることも嫌った。放牧地では、自分が女王でなければ気が済まなかったという。

三代に乗った男と、最後の冬

2003年10月18日、京都の芝1400メートル。二歳新馬で一番人気に推されたスイープトウショウは、ゲートで後手を踏んで後方に置かれ、三コーナーから動いた。追われないまま先頭に立ち、三馬身突き放して勝っている。 鞍上は角田晃一。渡辺栄厩舎の所属騎手であり、母タバサトウショウの一勝も、祖母サマンサトウショウのエプソムカップも、この男が乗って挙げたものだった。三代にまたがる手綱である。 翌月のファンタジーステークスも、最内枠から出遅れ、三コーナーで大外へ持ち出して差し切った。デビュー二戦目での重賞制覇。暮れの阪神ジュベナイルフィリーズは単勝2.1倍の一番人気に応えられず、遅い流れと詰まった進路が重なって五着に終わる。 年が明けて1月18日、京都の紅梅ステークス。一番人気で押し切り、レースレコードに並ぶ1分21秒9で走った。二着はダイワエルシエーロで、この馬とは春にもう一度、東京で顔を合わせることになる。 一族はこの一月の京都に縁がある。曾祖母マーブルトウショウも、1981年の同じ正月開催の京都で、紅梅賞というレースを勝っていた。 そして五日後の1月23日、スイープトウショウは鶴留明雄厩舎へ移る。渡辺栄が2月末で定年を迎え、厩舎を解散したからである。母も祖母も渡辺の管理馬だった。三代預かった血の最後の一頭を、渡辺は勝ち鞍とともに手渡したことになる。 移った先で手綱を取ったのは池添謙一だった。1998年に鶴留厩舎の所属騎手としてデビューした、鶴留の弟子である。以後の二十戦、この馬に乗ったのはこの男だけになった。

三分の遅れ

三歳初戦のチューリップ賞で、彼女は初めてゲートを拒んだ。発走は三分遅れている。それでも出遅れたまま後方に置き、直線は大外から前を全部まとめて差し切った。 代償はすぐに来た。枠入りを渋ったと判断された馬には、トレーニングセンターでゲート試験が課される。まだ強い調教をしていない時期だったので試験そのものは通った。ただ、桜花賞までの日々を、彼女はゲートの前で削られながら過ごすことになる。万全ではない状態で臨んだ本番は五着。早めに抜け出したダンスインザムードが押し切っていた。 優駿牝馬では、いつもより前の中団を進んだ。直線でダンスインザムードを外から捉えたものの、先に抜け出していたダイワエルシエーロには四分の三馬身届かない。冬の京都で負かした相手に、初夏の東京で負かし返された。 春が終わって牧場へ戻ると、笹針を打った。皮膚を細かく刺して血を抜き、疲れを取る古い療法である。施した獣医師は、普通の馬はここまでにはならないと漏らしたという。 秋はローズステークスから始めた。また出遅れ、三コーナーの外から追い上げ、直線でダイワエルシエーロを捉えて先頭に立つ。そこを内と外から二頭に差し返されて三着だった。走破時計は1994年にヒシアマゾンが作ったレースレコードを上回っている。負けたレースで時計だけを塗り替え、秋華賞への出走権を持ち帰った。

十六番手

秋華賞の直前、陣営は初めて彼女に負荷をかける調教を敢行した。それまでは坂路を二本上がるところを一本で切り上げ、機嫌を損ねないよう加減してきている。これだけ走る馬をきちんと鍛えられたらどうなるのか——鶴留はいつもそう嘆いていた。一度だけ、賭けに出たのである。 2004年10月17日、京都。ゲート入りにはまた時間がかかり、目隠しをされて誘導されてようやく収まった。発走は三分遅れた。出たあとも後手で、十八頭の後ろのほうを進む。最終コーナーを回ったとき、彼女の前には十五頭がいた。 内でダンスインザムードが早めに先頭へ立ち、やがて失速する。代わってヤマニンシュクルが出た。大外に持ち出されたスイープトウショウは、そこから決勝線までに十五頭を抜いた。最後の六百メートル——上がり三ハロンという——を三十三秒九で走っている。ヤマニンシュクルは抵抗したが、半馬身だけ先に決勝線を通ったのは彼女のほうだった。 トウショウ産業にとっては、1991年のシスタートウショウ以来十三年ぶりのGIである。鶴留にとっては、別の意味があった。1985年のリワードウイングでエリザベス女王杯、1991年のシスタートウショウで桜花賞、1994年のチョウカイキャロルで優駿牝馬。牝馬の四つの大競走のうち、秋華賞だけが手元に無かった。それが埋まった。 弟子の池添は、師匠の管理馬で初めてGIを勝った。競馬場で涙を見せたのは、これが三度目だったという。

五十九秒九

四歳の春、彼女のまわりで一つだけ変わったことがある。騎手を引退したばかりの山田和広が、2005年の三月に鶴留厩舎へ移ってきた。彼女は初めのうち山田をまったく寄せつけなかったが、時間をかけて折り合いがついていく。池添が競馬場にいる土曜と日曜、それまで彼女の調教は止まっていた。山田が来てから、止まらなくなった。 五月の都大路ステークスは一番人気で五着。六月の安田記念は十番人気まで評価を落としたが、アサクサデンエンにクビ差まで迫って二着に粘った。牡馬相手でも足りる、と池添は言った。 中二週で、6月26日の阪神。宝塚記念には、前年の覇者タップダンスシチーがいた。秋のGIを三つ続けて勝って半年ぶりに戻ってきたゼンノロブロイもいた。その十五頭のなかで、彼女は十一番人気だった。 ゲートは、すんなり入った。 最初の千メートルは五十九秒九。数字だけ見ればぬるい流れである。ところが、そこから先が緩まなかった。向正面に入っても、坂を下っても、前を引く馬たちは息を入れられない。三コーナーの手前で、脚の鈍りはじめる馬が出た。タップダンスシチーもその一頭だった。 このとき彼女は八番手にいる。池添は三コーナーから外へ持ち出した。ただし、追わなかった。進路だけ確保して、そのまま四コーナーを回っている。隣にはゼンノロブロイがいた。前では、失速していくタップダンスシチーが少しずつ近づいてくる。 直線に向いて、まずリンカーンがタップダンスシチーを捉えた。そこで池添が初めて追った。 彼女はリンカーンを外から抜き、ゼンノロブロイを内に封じて先頭に立つ。大外からハーツクライが来た。決勝線までに詰まったのは、クビ一つぶんだった。

天覧の日

牝馬が宝塚記念を勝ったのは、1966年のエイトクラウン以来である。三十九年が空いていた。トウショウ産業にとっても、1977年にトウショウボーイが勝って以来、二十八年ぶりの宝塚記念だった。その天馬は、彼女の母の母の父にあたる。 秋は毎日王冠の六着から始まった。そこまでは坂路も順調だったが、天皇賞(秋)の直前で三十分立ち往生する。悪癖が一年ぶりに戻ってきた。 10月30日の東京競馬場には、天皇と皇后が来ていた。天皇が天皇賞を観戦するのは史上初めてで、明治以来百六年ぶりの天覧競馬である。その日、一足先に馬場入りしたスイープトウショウは、スタンド前の入場口の手前で足を止めた。池添がいくら促しても、前に出ない。発走は遅らせられないと係員に告げられても、動かなかった。 最後に池添は馬から降りた。厩務員が手綱を引いて彼女を発走地点まで歩かせ、騎手のほうが自分の脚で走っていった。ゲートには何事もなく入り、レースは五着。池添は敗因を流れの遅さに見ていて、あの一件は関係ないと言っている。JRAからは調教注意の制裁が出た。 中一週のエリザベス女王杯。坂路の前の立ち往生は八分で済んだ。この週は加減せず、負荷をかけて仕上げている。ゲートにすんなり収まった瞬間、鶴留は思わず声を出し、周りに笑われたという。 レースはオースミハルカが後続を大きく突き放して逃げた。直線を半分過ぎても、まだ独走である。そこからようやく、真ん中のアドマイヤグルーヴと大外のスイープトウショウが伸びてきた。彼女はまずアドマイヤグルーヴを突き放し、一頭で前を追って、ゴール前で捉えた。半馬身差。上がり三ハロンは三十三秒二で、この日の出走馬のなかでいちばん速い数字だった。 その年のJRA賞では、二百九十一票のうち二百五十五票を集めて最優秀四歳以上牝馬に選ばれている。

E、D、C、B

五歳の春は走れなかった。4月4日の調教中に左前脚の第二中手骨を折り、全治三か月と診断される。復帰は秋の京都大賞典まで待つことになった。 その一戦は、逃げ馬のいない極端に遅い流れになった。最初の千メートルに六十四秒一かかっている。馬群の中の七番手で直線を向いた彼女は、前の二頭の間から抜け出して四分の三馬身をつけた。前走から三百二十八日を挟んだ復帰戦での重賞制覇である。京都大賞典を牝馬が勝つのは、1995年のヒシアマゾン以来だった。 続く天皇賞(秋)は一番人気で五着。エリザベス女王杯は三位で入線し、先頭のカワカミプリンセスが降着になったため二着へ繰り上がっている。フサイチパンドラとの差はクビだった。暮れの有馬記念では四たび枠入りを渋り、発走が四分遅れた。ディープインパクトの最後の一戦で、彼女は十着に終わっている。 六歳になると、坂路そのものが通らなくなった。彼女は一度走ったコースを嫌がる。だから嫌がるたびにコースを替えた。ウッドチップからダート、ダートからまた別の周回コースへ。E、D、C、B。厩舎の人間はレースの前夜になると眠れず、時期を悟らせまいとして取材の規制までかけていた。 四月のマイラーズカップは二着、五月のヴィクトリアマイルは九着。六月の宝塚記念は、鞍を着けさせないまま暴れて転び、右後脚を打った時点で消えた。秋の京都大賞典は、水曜も木曜も、どのコースでも走らなかったので回避した。引退が近いと報じられた。

五十分

十月、久しぶりに池添が彼女と坂路に向き合った。三十分近く立ったままで、ようやく彼女が決めて上がりはじめる。何度も走る気をなくすのを鞭で押し、引き上げてくる頃には池添が汗まみれになっていた。それでスワンステークスに使えることになり、四着で走り終えている。 エリザベス女王杯の前の最終追い切りは、それ以上だった。坂路の前で三十分が過ぎても、動かない。馬場が閉まるまで、あと十五分。厩務員の鎌田修一と、調教スタンドで見ていた鶴留が、二人がかりで駆け寄って引いた。向き合って五十分目に、彼女は自分から動いた。動いた瞬間、池添が鞭を連打して最後まで走らせている。 そして11月11日の京都、四年続けて出走したエリザベス女王杯。逃げた三歳のダイワスカーレットを捉えきれず三着。それが二十四戦目になった。 引退にあたって鶴留は、もう調教もできないし、かつての切れもない、馬が可哀想だと語っている。寂しさと、ほっとした気持ちの両方を口にしていた。 けれど、可哀想だったのはこの馬ではないと思う。彼女は走ることを嫌ったのではない。走らされることを断り続けただけで、自分で決めた日には必ず脚を使った。人間の側にできたのは、決まるまで待つことだけだった。五十分でも、待てば動いたのである。 2008年から、彼女は生まれ故郷で仔を産んだ。2016年に生まれた娘の父はハーツクライという。阪神の直線で、クビの分だけ前に出させなかった相手である。2015年の秋にトウショウ牧場が閉じ、彼女は安平へ移った。2020年12月5日、十九歳で死んでいる。2024年3月には、孫娘のスウィープフィートが阪神でチューリップ賞を勝った。彼女自身が二十年前、三分だけ人を待たせてから大外を回って差し切った、あの競走である。 彼女が牡馬の一線級を負かした二年後には、ウオッカが六十四年ぶりに牝馬でダービーを勝つ。ウオッカの母の母の父も、トウショウボーイだった。牧場が刈り込んだ枝と、刈り残した枝から、二年のあいだに一頭ずつ出たことになる。池添がオルフェーヴルで三冠を手にするのは、そのさらに四年後である。 坂の下で人を待たせた牝馬は、待たせた分だけ、待った人間を遠くまで連れていった。

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