名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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サクセスブロッケンのイメージビジュアル
サクセスブロッケンSuccess Brocken
Success Brocken

サクセスブロッケン

通算成績19戦7勝

獲得賞金4847万円

生年月日 2005.05.05(平成17年)毛色 青鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
サクセスブロッケンの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
13 GIII根岸S 東京 ダ1400 6人気 内田博幸 1:25.1 上り37.0
8 JpnⅠ帝王賞 大井 ダ2000 1人気 内田博幸 2:05.2 上り39.6
4 JpnⅠかしわ記念 船橋 ダ1600 2人気 内田博幸 1:37.9 上り37.0
3 GIフェブラリーS 東京 ダ1600 2人気 内田博幸 1:35.9 上り36.5映像
1 GI東京大賞典 大井 ダ2000 2人気 内田博幸 2:05.9 上り36.7
4 GIジャパンカップダート 阪神 ダ1800 4人気 内田博幸 1:50.7 上り37.6映像
10 GIII東京中日S杯武蔵野S 東京 ダ1600 1人気 内田博幸 1:36.4 上り37.5
2 JpnⅠマイルチャンピオンシップ 盛岡 ダ1600 1人気 内田博幸 1:36.1
1 GIフェブラリーS 東京 ダ1600 6人気 内田博幸 1:34.6 上り35.4映像
3 JpnⅠ川崎記念 川崎 ダ2100 2人気 内田博幸 2:14.0 上り37.0
3 GI東京大賞典 大井 ダ2000 3人気 内田博幸 2:05.0 上り35.8
8 GIジャパンカップダート 阪神 ダ1800 2人気 横山典弘 1:49.9 上り37.3映像
2 JpnⅠJBCクラシック 園田 ダ1870 2人気 横山典弘 1:56.8 上り37.5映像
1 JpnⅠジャパンダートダービー 大井 ダ2000 1人気 横山典弘 2:04.5 上り36.6
18 GI東京優駿 東京 芝2400 3人気 横山典弘 2:28.9 上り37.2映像
1 OP端午S 京都 ダ1800 1人気 横山典弘 1:51.2 上り37.8
1 OPヒヤシンスS 東京 ダ1600 1人気 横山典弘 1:37.0 上り38.0
1 黒竹賞 中山 ダ1800 1人気 横山典弘 1:53.9 上り38.5
1 2歳新馬 福島 ダ1700 2人気 中舘英二 1:47.9 上り37.3

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
サクセスブロッケンの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
シンボリクリスエスSymboli Kris SKris S.Roberto
Sharp Queen
Tee KayGold Meridian
Tri Argo
サクセスビューティサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
アワーミスレッグスOur Miss LegsDeputy Minister
Colonial Waters
STORY

旅程 — この馬の物語

2005年生まれの青鹿毛の牡馬。父シンボリクリスエス、母サクセスビューティ。主な勝ち鞍はジャパンダートダービー・フェブラリーS・東京大賞典。

曲がった前脚 ― 二〇〇五年五月五日、浦河

2005年5月5日、北海道浦河町の谷川牧場で、青鹿毛の牡馬が生まれた。 母はサクセスビューティ。1999年に新冠のタニグチ牧場で生まれ、栗東の山内研二厩舎から十三戦して三勝、2002年にフィリーズレビューを勝っている。桜花賞では三番人気に推されて十六着。引退して繁殖に上がり、浦河の谷川牧場へ移った。初仔はジャングルポケットとのあいだのサクセスサーマル。二度目に選ばれた相手が、種牡馬として供用初年度のシンボリクリスエスだった。 生まれた二番仔は、前脚が大きく外向していた。外側へ曲がって付いている脚である。故障を招きやすく、持っているものを出しきる妨げにもなる。日本中央競馬会の装蹄師が毎日診て、獣医師の助言を仰ぎながら矯正が試みられたが、効果は現れなかった。 母も走り、兄も走る血である。それでも検分に来た調教師たちは、この仔を預かろうとしなかった。行き先が決まらないまま離乳の時期が来て、同じ浦河町の吉田ファームへ移された。 吉田ファームの牧場長には、大学の馬術部時代からの付き合いがある調教師がいた。栗東の藤原英昭。同志社大学の馬術部で馬を覚え、騎手にはなれず、調教助手を十年あまり務めてから2001年に自分の厩舎を開いた男である。紹介された藤原は、初対面の仔だと思っていた。ところが話すうちに、以前この牧場で草を食む姿に見惚れたあの馬が、目の前のこの仔だと分かる。偶然の再会に、藤原は喜んで管理を引き受けた。 馬主・高嶋哲の冠名「サクセス」に、ドイツの山の名からとった気象現象――霧に自分の影が大きく映り、その頭のまわりに光の輪が架かるブロッケン現象――から「ブロッケン」が足された。サクセスブロッケン。 母の母の名は、アワーミスレッグス(Our Miss Legs)という。その母、つまり三代母コロニアルウォーターズは、アメリカのG1ジョンA.モリスハンデキャップを勝った牝馬だった。

福島の砂に、三秒一

藤原は脚への負担を考えて、初戦にメンバーの手薄な福島競馬場を選び、芝ではなくダートを使った。 2007年11月17日、福島のダート千七百、二歳新馬。鞍上は中舘英二、単勝二番人気。ゲートを出るなり先頭に立ち、三コーナーで加速すると、後ろから追ってくる馬がいなくなった。二位入線との差は三秒一。大差である。時計は二歳のレコードだった。 年が明けて、中山の黒竹賞を三馬身半。東京のヒヤシンスステークスを四馬身。京都の端午ステークスを五馬身。いずれも一番人気に応え、着差はレースごとに広がっていった。二戦目からは横山典弘が手綱を取っている。 四戦四勝。砂の上に、勝ち方の見本のような四つが並んだ。曲がった脚は、まだ何ひとつ壊していなかった。

六月一日、芝の二千四百

クラシックの登録をしていなかったから、東京優駿に出るには追加登録料二百万円が要った。それを払って、2008年6月1日、東京競馬場。 ダート四連勝の勢いは、単勝八・三倍の三番人気という支持になった。一番人気はNHKマイルカップを勝ったディープスカイ、二番人気は重賞二勝のマイネルチャールズ。芝の重賞を勝ってきた馬たちより上に見られていた。生涯で初めての重賞であり、初めてのGI級であり、初めての芝だった。 スタートから先行し、最終コーナーは四番手で回った。そこで手応えが怪しくなる。直線に向いてからはまったく伸びず、十八頭の十八着。勝ったディープスカイから二秒二離されていた。 「オレの夢は終わりました。すいません。ダート馬でした」[^1] 横山はそう言い、そうかもしれないという悪いほうの勘が当たってしまった、と続けた。藤原も夢を追ってみたのだと認めたうえで、今後はダート路線でいくと宣言している。 十九戦のうち、芝を走ったのはこの一度きりである。

出典:スポーツニッポン「ブロッケンは「ダート馬でした」/ダービー」2008年6月2日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/06/02/kiji/K20080602Z00001550.html 、閲覧日:2026年8月1日。

三十八日後の大井

7月9日、大井競馬場。ジャパンダートダービー、ダート二千。不良馬場。単勝一・二倍の一番人気に推された。 ダービーから三十八日しか経っていない。 二番手を追走し、三コーナーで抜け出した。追い上げてきたのは、のちに砂を席巻することになるスマートファルコン。三馬身半だけ、前にいた。 重賞初勝利であり、GI級競走の初勝利である。芝で最下位に沈んだ馬が、同じ夏のうちに砂の三歳王者になった。 二年後の初夏、同じ大井の東京ダービーをマカニビスティーが勝っている。その母サクセスウィッチは、サクセスビューティの半妹にあたる。大井の砂は、この一族に向いていた。

壁、そして手綱が回ってくる

秋は園田のJBCクラシック。二番人気で逃げて直線まで持ちこたえたが、一番人気のヴァーミリアンに捕まり、クビ差だけ足りずに二着。十二月、阪神のジャパンカップダートでも逃げて八着に終わった。ダートで着外に沈んだのは、これが初めてだった。勝ったのはカネヒキリ。 年末の東京大賞典は、岩田康誠が乗る予定だった。その岩田が騎乗停止となり、手綱は内田博幸に回ってくる。大井に所属して南関東のリーディングを重ね、この年の三月にJRAへ移ってきた男である。大井を出た騎手が、大井でこの馬に初めて跨った。二番手から抜け出したものの、カネヒキリヴァーミリアンに交わされて三着。 年が明けた1月の川崎記念も二番人気で三着。ジャパンダートダービーのあと、四連敗になっていた。

一分三十四秒六

2009年2月22日、東京。フェブラリーステークス。単勝二十・六倍の六番人気だった。四連敗の四歳馬に、人気は集まらない。 ゲートが開くとエスポワールシチーが逃げ、サクセスブロッケンはそれを見る好位につけた。直線、同じく好位から抜けてきたカネヒキリ、そして外にカジノドライヴ。三頭でエスポワールシチーを飲み込み、そこから三頭の競り合いになる。残り五十メートル、いちばん外にいたサクセスブロッケンが抜け出した。カジノドライヴにクビ差。 時計は一分三十四秒六。2005年にメイショウボーラーが記録した一分三十四秒七を〇秒一だけ上回るレースレコードだった。 JRAでは、この馬はまだ重賞をひとつも勝っていなかった。初めて手にした中央の重賞が、GIだった。谷川牧場にとっては、1994年にチョウカイキャロルがオークスを勝って以来、十五年ぶりのJRA・GIである。 前脚が外を向いて生まれ、預かり手の決まらなかった仔だった。

ハナ差 ― そして砂の終わり

フェブラリーステークスのあと、八か月の休みに入った。 秋は盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯で復帰。一番人気に推されたが、エスポワールシチーに終始突き放されて二着。東京の武蔵野ステークスも一番人気で十着。阪神のジャパンカップダートは四着。三連敗のまま、年末の大井へ向かった。 12月29日、東京大賞典。二番人気。フリオーソが逃げ、一番人気のヴァーミリアンとともに先行した。直線で先に抜け出したのはヴァーミリアンで、サクセスブロッケンはその外から追い上げる。残り百メートルで並びかけ、二頭が並んだまま決勝線を通過した。ハナ差だけ、前にいた。GI級三勝目である。 五歳の2010年は、ドバイを視野に入れてフェブラリーステークスから始動した。二番人気で先行したが、先に抜け出したエスポワールシチーと、後方から来たテスタマッタに屈して三着。ゴドルフィンマイルへの招待が届いたものの、のちに辞退して国内に専念する。船橋のかしわ記念は二番人気で四着、大井の帝王賞は一番人気で八着。藤原は立て直しのために放牧へ出し、秋を使わずに年を終えた。 六歳の2011年1月30日、七か月ぶりの根岸ステークス。十三着だった。体調が戻らず、続くフェブラリーステークスは断念され、そのまま引退が発表される。2月3日付で競走馬登録は抹消された。 十九戦七勝、獲得賞金四億八百四十七万二千円。デビューから三年二か月。芝で一度だけ最下位になり、砂で三つのタイトルを獲った。

先頭を歩く

競走馬を引退したあと去勢され、東京競馬場の乗馬になった。2011年の二開催では、競馬場のローズガーデンに姿を見せている。 乗馬になったからといって、すぐに誘導馬になれるわけではない。生まれてからずっと「速く走るのがよいこと」だと教えられてきた馬に、今度は「止まってじっと待つこと」が求められる。本馬場入場で出走馬を安全に導くには、落ち着きと冷静さが要る。現役時代とは、ほとんど逆の資質だった。 担当になった町田裕司のもとで一年をかけて教わり、2012年2月の開催で誘導馬としてデビューする。サクセスブロッケンの名でFacebookが開かれ、一万人を超えるフォロワーがついた。自身が勝ったフェブラリーステークスは、毎年のように先導するようになる。 それでも芝のGIには呼ばれなかった。十万を超える観衆で埋まる東京競馬場のスタンドは芝コースに近く、その歓声が競走馬だったころを思い出させてしまう。走るために要ったアグレッシブさが、導く役目では弱点になっていた。やがて町田は異動になり、ダービーを先導する夢は預けたまま持ち越された。 次の担当・葛原耕二のもとで、障害馬術にも取り組んだ。2016年の馬場開放イベントでは飛越を披露し、2018年には日本馬術連盟の公認競技会にも出ている。 2020年、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、JRAは無観客での開催に踏み切った。ダービーまで一か月を切った5月2日、出張で東京競馬場に来た町田が、葛原に「今年はチャンスだぞ」という伝言を残していく。事務所に集まっていた業務課の面々からも、ブロッケンはどうするのか、行かないのか、と声が上がった。 「わかりました。挑戦します!」[^1] 5月31日、東京優駿当日。葛原はいつもどおりに接し、馬は落ち着いていた。「日本ダービー」の文字が入ったゼッケンを、サクセスブロッケンは十二年ぶりに身につける。地下馬道を通ってパドックへ向かい、十八頭を本馬場まで導いた。 十二年前、十八頭のいちばん後ろでゴール板を過ぎた馬が、今度は先頭で芝に入っていった。

出典:Number Web「18着に負けたダービーの誘導馬に。サクセスブロッケンが遂に叶えた夢。」2020年6月6日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/843762 、閲覧日:2026年8月1日。

湧水町、草の上

2021年2月21日、フェブラリーステークス。自分が2009年に勝った競走の先導を最後に、誘導馬を引退した。観客のいない東京競馬場だった。九年間の務めである。 同じ年から引退名馬繋養展示事業の対象馬となり、鹿児島県姶良郡湧水町のNPO法人ホーストラストへ移った。昼夜放牧と共同放牧を基本に、引退した馬たちが群れで草の上に暮らす牧場である。 2022年12月22日、死んだ。十七歳だった。 前脚が外を向いて生まれ、預かってくれる調教師がなかなか見つからなかった馬である。その脚で福島の砂を三秒一ちぎり、大井で二つのタイトルを獲り、東京の千六百をレコードで駆けた。そして走り終えたあとの十年あまりを、走らないことに使った。速く行くのではなく、後ろに続く馬たちが乱れないように、ゆっくりと前を歩く仕事である。 最後の日々を過ごした牧場に、ゲートはない。

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