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ストロングブラッド
通算成績38戦8勝
獲得賞金3億2,695万円
生年月日 1999.03.13(平成11年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 5 | JpnⅢマーキュリーカップ | 盛岡 ダ2000 | 4人気 | 北村宏司 | 2:06.0 | — | — | |
| 14 | GIII七夕賞 | 福島 芝2000 | 10人気 | 北村宏司 | 2:02.3 | 上り38.0 | — | |
| 10 | JpnⅢさきたま杯 | 浦和 ダ1400 | 6人気 | 北村宏司 | 1:27.4 | 上り39.0 | — | |
| 11 | OPオアシスS | 東京 ダ1600 | 10人気 | 北村宏司 | 1:37.0 | 上り37.0 | — | |
| 12 | GIIIアンタレスS | 京都 ダ1800 | 10人気 | 川田将雅 | 1:52.4 | 上り38.1 | — | |
| 3 | GIIIさきたま杯 | 浦和 ダ1400 | 6人気 | 北村宏司 | 1:26.5 | 上り37.7 | — | |
| 2 | GI帝王賞 | 大井 ダ2000 | 6人気 | 内田博幸 | 2:03.7 | 上り38.2 | — | |
| 取 | さきたま杯 | 浦和 ダ1400 | 内田博幸 | — | — | |||
| 1 | GIかしわ記念 | 船橋 ダ1600 | 5人気 | 内田博幸 | 1:37.9 | 上り37.5 | — | |
| 3 | GIII名古屋大賞典 | 名古屋 ダ1900 | 2人気 | 北村宏司 | 2:01.6 | 上り37.3 | — | |
| 7 | GIフェブラリーS | 東京 ダ1600 | 14人気 | 北村宏司 | 1:35.3 | 上り36.5 | 映像 | |
| 4 | GIII根岸S | 東京 ダ1400 | 14人気 | 北村宏司 | 1:24.3 | 上り36.3 | — | |
| 14 | GIII中山金杯 | 中山 芝2000 | 11人気 | 柴田善臣 | 2:00.4 | 上り37.0 | — | |
| 5 | OP師走S | 中山 ダ1800 | 6人気 | 北村宏司 | 1:53.1 | 上り39.1 | — | |
| 3 | GII日本テレビ盃 | 船橋 ダ1800 | 3人気 | 北村宏司 | 1:50.7 | 上り36.8 | — | |
| 2 | GIIIさきたま杯 | 浦和 ダ1400 | 4人気 | 北村宏司 | 1:25.5 | 上り37.0 | — | |
| 2 | GIII七夕賞 | 福島 芝2000 | 9人気 | 岡部幸雄 | 2:01.7 | 上り36.0 | — | |
| 18 | GIIIエプソムカップ | 東京 芝1800 | 12人気 | 北村宏司 | 1:49.1 | 上り35.3 | — | |
| 10 | OP欅S | 東京 ダ1400 | 1人気 | 北村宏司 | 1:23.9 | 上り36.5 | — | |
| 1 | GIII群馬記念 | 高崎 ダ1500 | 2人気 | 北村宏司 | 1:32.2 | — | — | |
| 11 | GIフェブラリーS | 東京 ダ1600 | 7人気 | 横山典弘 | 1:37.8 | 上り36.3 | 映像 | |
| 2 | GIII第3回とちぎマロニエ | 宇都宮 ダ1400 | 1人気 | 安藤勝己 | 1:27.0 | — | — | |
| 2 | GII彩の国浦和記念 | 浦和 ダ2000 | 1人気 | 武豊 | 2:05.6 | 上り37.6 | — | |
| 5 | GIII東京中日S杯武蔵野S | 東京 ダ1600 | 4人気 | 二本柳壮 | 1:37.2 | 上り38.1 | — | |
| 1 | GIIIさくらんぼ記念 | 上山 ダ1800 | 3人気 | 武豊 | 1:55.9 | — | — | |
| 6 | GIII愛知杯 | 中京 芝2000 | 4人気 | 二本柳壮 | 2:00.6 | 上り36.5 | — | |
| 1 | GIIIカブトヤマ記念 | 福島 芝1800 | 9人気 | 二本柳壮 | 1:48.1 | 上り36.2 | — | |
| 1 | 金蹄S | 中山 ダ1800 | 9人気 | 勝浦正樹 | 1:54.5 | 上り37.7 | — | |
| 9 | 関門橋S | 小倉 芝2000 | 11人気 | 鈴来直人 | 2:03.9 | 上り37.7 | — | |
| 1 | 早鞆特別 | 小倉 ダ1700 | 5人気 | 鈴来直人 | 1:47.7 | 上り37.9 | — | |
| 6 | 長篠特別 | 中京 芝1800 | 6人気 | 高橋亮 | 1:48.6 | 上り35.4 | — | |
| 8 | 水郷特別 | 中山 芝1600 | 7人気 | 菊沢隆徳 | 1:32.8 | 上り35.2 | — | |
| 7 | 紅葉特別 | 中山 芝1600 | 5人気 | 松永幹夫 | 1:34.5 | 上り37.0 | — | |
| 7 | 上総特別 | 中山 芝1600 | 6人気 | 福永祐一 | 1:34.4 | 上り35.4 | — | |
| 16 | エーデルワイスS | 東京 芝1600 | 6人気 | 江田照男 | 1:37.3 | 上り37.6 | — | |
| 1 | 夏木立賞 | 東京 芝1800 | 3人気 | 江田照男 | 1:49.6 | 上り35.2 | — | |
| 3 | 春菜賞 | 東京 芝1400 | 5人気 | 小野次郎 | 1:22.7 | 上り34.4 | — | |
| 9 | GIII共同通信杯 | 東京 芝1800 | 8人気 | 北村宏司 | 1:51.4 | 上り36.1 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 東京 ダ1600 | 1人気 | 江田照男 | 1:40.6 | 上り37.2 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父トウカイテイオーTokai Teio | シンボリルドルフSymboli Rudolf | パーソロンPartholon |
| スイートルナ | ||
| トウカイナチュラル | ナイスダンサー | |
| トウカイミドリ | ||
| 母ワイプザアイ | Gulch | Mr. Prospector |
| Jameela | ||
| Irlanda | Tom Rolfe | |
| Continuation |
旅程 — この馬の物語
1999年生まれの鹿毛の牡馬。父トウカイテイオー、母ワイプザアイ。主な勝ち鞍はかしわ記念・カブトヤマ記念・さくらんぼ記念。
増沢の庭
福島競馬場は、増沢末夫の庭と呼ばれていた。 騎手として通算2016勝。そのうち671勝を、あの小回りの一場だけで挙げている。ほぼ三分の一である。増沢が乗るというだけで馬のオッズが下がる、とまで言われた。 重賞の初勝利は1967年の東京優駿だった。アサデンコウ。いきなりダービーである。1973年から翌年にかけては、大井から中央へ移ってきたハイセイコーの全レースに騎乗した。その馬が引退するとき、増沢は「さらばハイセイコー」を自分の声で吹き込んでいる。五十万枚売れた。四十八歳でダイナガリバーの手綱を取り、二度目のダービーを勝った。同じ馬でその年の有馬記念も勝っている。五十四歳の誕生日には、中央競馬で史上初となる通算2000勝に届いた。 1992年に騎手を辞め、翌年、美浦に厩舎を開く。開業してからの十年、重賞は勝てても、GIには手が届かなかった。 1999年3月13日、北海道静内町の千代田牧場で鹿毛の牡が生まれた。父はトウカイテイオー、母はアメリカ生まれのワイプザアイ。母の父にGulchを持つ。 馬主の村木篤は、持ち馬に「ストロング」の二字を冠していた。この馬に続いたのは、血を意味する語だった。 一つ上に半姉がいる。サマーキャンドルという。2001年のNHKマイルカップに十二番人気で出て、三着に入った馬である。勝ったのはクロフネだった。この馬と三代母を同じくする一族からは、のちに2018年のステイヤーズステークスを勝つリッジマンも出る。
砂に戻す
2002年1月7日、東京のダート1600メートル。三歳新馬。江田照男が乗り、一番人気で勝ち上がった。 四週間後、いきなり共同通信杯に出る。芝1800メートル。九着。この日から北村宏司が手綱を取るようになった。 そこからが長い。二月の500万下で三着に入り、五月に東京の夏木立賞を勝ってクラスを一つ上げると、あとは芝の1000万下を五度走って、一度も掲示板に載らなかった。中山で三度、東京と中京で一度ずつ。終いの脚はそれなりに使えるのに、前に届かない。 向きが変わったのは、砂に戻したときだった。2003年1月19日、小倉のダート1700メートル、早鞆特別。二、三番手を進んで押し切る。翌週、同じ小倉で芝2000メートルを試すと、また九着だった。二月八日、中山の金蹄ステークス。ダート1800メートル。前を見ながら運んで、勝った。四歳の二月に、この馬はオープンクラスにいる。 ここまでダートでは三度走って三度とも勝ち、芝では九度走って一勝しかしていない。答えは最初から出ていた。
内国産馬のための競走
カブトヤマという馬がいた。1933年の東京優駿を勝ち、種牡馬になり、その仔のマツミドリが1947年の同じレースを勝った。日本で生まれた種牡馬がダービー馬を出したのは、それが初めてだった。 その年に創設されたのがカブトヤマ記念である。出走できるのは、父が内国産の馬だけ。輸入種牡馬に押されていた国産の血を励ますための、そういう競走だった。 2003年4月27日、福島。芝1800メートル。十三頭立ての九番人気。鞍上は二本柳壮といった。 二本柳は1999年に美浦の鈴木康弘厩舎からデビューしている。鈴木康弘は増沢末夫の義弟で、増沢が騎手として最後に籍を置いた厩舎の主である。芝で負けの込んでいるこの馬を、増沢はその若い騎手に預けた。馬主のほうは正直なところ半信半疑だったと、のちに書き残している。増沢は、大丈夫だと言い切ったという。 ゲートが開く。二本柳は前に取りついて、三番手に収めた。 一コーナー、三番手。二コーナー、三番手。位置は動かない。 三コーナーで一つ下がって四番手になる。福島はこの先に緩い下りがあり、四コーナーへ向けてまた上る。起伏のぶんだけ、外から被せられると行き場を失う場所である。 四コーナーを回って、また三番手。福島の直線は短い。前の二頭を捕まえるだけの距離しか、もう残っていない。 捕まえた。最後に並んだのはタケハナオペラだった。 決勝線。ハナ差。終いの六百メートルは三十六秒二だった。 二本柳壮の重賞初勝利である。そして、生涯で唯一の重賞勝ちになった。表彰台の上で、彼ははにかんでいたという。 カブトヤマ記念は、この第五十七回を最後に姿を消した。国産の種牡馬がリーディングの上位を争うようになり、奨励という役目が終わったからである。 五十七年続いた競走の、最後の勝ち馬。その父は日本で生まれた種牡馬、トウカイテイオーだった。
消えていく場所
六月の愛知杯は六着。夏を休んで、秋に山形へ向かった。 上山競馬場。一周1050メートル、四コーナーから決勝線まで200メートル。フルゲートは十二頭。日本でもいちばん小さい部類の、砂の輪である。 そこで行われていた重賞をさくらんぼ記念といった。1998年にできたばかりの競走で、上山市が残した沿革には、第一回に武豊が来たことがわざわざ書き添えてある。 2003年9月30日、その武豊が鞍上にいた。二着に0秒3をつけて勝つ。 六週間後の11月11日、上山競馬場は最終日を迎えて閉場した。さくらんぼ記念も六回で終わっている。第一回に来た男が、最後の回を勝ったことになる。 十一月一日、東京の武蔵野ステークスは五着。 そのあと、一番人気で二度負けた。 十一月二十日、浦和記念。武豊。プリエミネンスにクビ差だけ足りない。プリエミネンスにとってはこれが重賞八勝目で、翌年アメリカへ渡って引退するから、最後の勝利でもあった。 十二月九日、宇都宮のとちぎマロニエカップ。鞍上は安藤勝己。九月に上山で0秒3抑えたビワシンセイキに、今度は0秒3離された。ビワシンセイキも、この一勝が最後になる。翌年の夏に屈腱炎を発症して引退した。 宇都宮競馬場は2005年3月の開催を最後に閉じている。とちぎマロニエカップも、そのときに消えた。
高崎、一分三十二秒二
2004年2月22日、東京。フェブラリーステークス。GIのゲートに入るのは初めてだった。十一着。勝ったのはアドマイヤドンである。 五月五日、群馬県高崎市。群馬記念。ダート1500メートル。雨の不良馬場。鞍上は北村宏司。 高崎競馬場は一周1200メートル、直線300メートル。上山より少しだけ大きい輪だった。 二着に0秒5をつけて勝つ。時計は1分32秒2。群馬記念のレコードになった。 その年の秋、群馬県は年内での廃止を表明した。12月31日、高崎競馬場は最終日を迎えたが、雪で第八競走を最後に打ち切られ、メインの高崎大賞典は行われないまま八十一年が終わった。 レコードは残った。破られなかったのではない。破る場所が無くなった。 そこからの半年は苦しい。五月末の欅ステークスは一番人気で十着、六月のエプソムカップは十八頭立ての十八着。 七月十一日、福島の七夕賞。鞍上は岡部幸雄だった。九番人気で四番手を進み、時計の出ない差の二着に敗れる。勝ったチアズブライトリーは後ろから差し切っていて、それがその馬の最後の勝利になった。岡部は翌年、騎手を退いている。 九月は浦和のさきたま杯で二着、船橋の日本テレビ盃で三着。十二月の師走ステークスは五着。重賞の二着が、また二つ増えた。
船橋の五月五日
年が明けると、この馬は読めない馬になっていた。 一月の中山金杯は芝に戻して十四着。月末の根岸ステークスは単勝が百四十九倍という十四番人気で、四着に来る。二月のフェブラリーステークスもまた十四番人気で、不良馬場のマイルを一番枠から三番手、二番手と運んで七着だった。三月の名古屋大賞典は三着。 五月五日、船橋。かしわ記念。 この競走はこの年から統一GIになった。1997年に格付けを受け、2002年にGII、そして2005年である。最初のGIだった。 鞍上が替わった。内田博幸。大井の騎手で、南関東のリーディングを走り続けていた男である。 十頭立ての五番人気。1分37秒9。二着に一馬身。 その二着がタイムパラドックスだった。前年のジャパンカップダートと、この年の川崎記念を勝っている馬である。背には武豊がいた。二年前、上山と浦和でこの馬に乗っていた男だった。 終いの六百メートルは、タイムパラドックスのほうが0秒2速い。それでも一馬身は詰まらなかった。 増沢末夫は騎手として重賞を八十四勝し、ダービーを二度勝っている。調教師としては、中央のGIを一度も勝っていない。開業から十三年目のこの日が、最初で最後のGIになった。場所は中央ではなく、船橋の砂だった。 かつて全レースに乗ったハイセイコーは、大井から中央へ来た馬である。今度は逆に、自分の馬を連れて地方へ行き、勝った。 五月の浦和、さきたま杯は出走を取り消した。 六月二十九日、大井の帝王賞。同じ二頭が、また0秒2で並ぶ。順番だけが入れ替わっていた。
強い血
帝王賞のあと、この馬は十一か月消えた。 2006年5月31日、浦和のさきたま杯。北村宏司が戻ってきた。十一か月ぶりの実戦で、勝ったアグネスジェダイと同じ時計の三着。 そしてまた、十一か月休んだ。 2007年は四月から七月にかけて四度走り、四度とも二桁着順に終わる。京都、東京、浦和、福島。最後の一戦は七月十六日、盛岡のマーキュリーカップの五着だった。鞍上は北村宏司。共同通信杯で初めてこの馬に乗ってから、五年半が経っている。 九月九日、競走馬登録が抹消された。 去勢され、乗馬になった。行き先は馬事公苑である。増沢末夫が1955年、騎手になるために通った場所だった。 父トウカイテイオーは1993年の有馬記念を勝って種牡馬になり、初年度に百頭の繁殖牝馬を集めた。リーディングサイアーの順位は2002年の十五位まで上がり、そこから下がっていく。産駒でGI級を勝ったのは三頭である。阪神ジュベナイルフィリーズのヤマニンシュクル、マイルチャンピオンシップのトウカイポイント、そしてこの馬。トウカイポイントは勝つ前に去勢されていた。牡のまま頂点に届いたのは、引退の時点でこの一頭だけである。 その一頭が、種牡馬にならなかった。 増沢は翌2008年2月29日、定年で調教師を退いた。中央3107戦272勝、地方58戦7勝。GIは、あの五月五日の一鞍きりだった。 2011年、この馬は福島県南相馬市の牧場へ移り、功労馬として繋養される。三月、地域が被災した。三月二十八日、茨城県牛久市へ移された。 名は強い血という。血は継がれなかった。 代わりに、三つの競走の勝ち馬欄のいちばん下に、同じ名前が残った。カブトヤマ記念、さくらんぼ記念、群馬記念。役目を終えた競走が一つと、消えた競馬場が二つ。書き換える機会は、もう巡ってこない。 高崎の1分32秒2も同じだ。破られなかったのではない。破る場所が地図から消えた。 上山の直線は二百メートル、高崎の一周は千二百メートル。その小さな砂の輪を、この馬は最後に回りきって、出ていった。
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