名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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スリープレスナイトのイメージビジュアル
スリープレスナイトSleepless Night
Sleepless Night

スリープレスナイト

通算成績18戦9勝

獲得賞金37,316万円

生年月日 2004.02.07(平成16年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
スリープレスナイトの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
2 GIIセントウルS 阪神 芝1200 1人気 上村洋行 1:08.2 上り34.1
2 GI高松宮記念 中京 芝1200 1人気 上村洋行 1:08.1 上り34.8映像
1 GIスプリンターズS 中山 芝1200 1人気 上村洋行 1:08.0 上り33.9映像
1 GIIITV西日本北九州記念 小倉 芝1200 1人気 上村洋行 1:07.5 上り34.2
1 GIIICBC賞 中京 芝1200 4人気 上村洋行 1:08.0 上り33.8
1 OP栗東S 京都 ダ1200 1人気 上村洋行 1:10.7 上り35.2
1 OP京葉S 中山 ダ1200 2人気 横山典弘 1:09.1 上り35.6
2 OP門松S 京都 ダ1400 2人気 上村洋行 1:24.0 上り36.0
2 OPギャラクシーS 阪神 ダ1400 4人気 上村洋行 1:22.5 上り35.5
5 OP霜月S 東京 ダ1400 5人気 上村洋行 1:23.3 上り36.0
5 OPペルセウスS 東京 ダ1400 1人気 上村洋行 1:22.9 上り36.4
1 越後S 新潟 ダ1200 2人気 上村洋行 1:11.0 上り36.5
1 出石特別 阪神 ダ1200 1人気 上村洋行 1:11.7 上り36.7
1 3歳500万下 京都 ダ1200 1人気 上村洋行 1:11.9 上り36.4
2 3歳500万下 阪神 ダ1200 1人気 安藤勝己 1:12.9 上り37.7
1 3歳未勝利 京都 ダ1200 1人気 安藤勝己 1:12.8 上り36.8
3 3歳未勝利 京都 芝1600 1人気 C.ルメール 1:37.5 上り36.0
2 3歳新馬 京都 芝1400 1人気 安藤勝己 1:25.2 上り35.7

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
スリープレスナイトの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
クロフネKurofuneフレンチデピュティFrench DeputyDeputy Minister
Mitterand
ブルーアヴェニューBlue AvenueClassic Go Go
Eliza Blue
ホワットケイティーディドWhat Katy DidNureyevNorthern Dancer
Special
Katiesノノアルコ
Mortefontaine
STORY

旅程 — この馬の物語

2004年生まれの鹿毛の牝馬。父クロフネ、母ホワットケイティーディド。主な勝ち鞍はスプリンターズS・CBC賞・TV西日本北九州記念。

泰平の眠りをさます ― 二〇〇四年、早来

2004年2月7日、北海道早来町のノーザンファームに鹿毛の牝馬が生まれた。父はクロフネ、母はホワットケイティーディド、母の父はNureyev。馬主はサンデーレーシングで、預けられたのは栗東の橋口弘次郎厩舎だった。 名は父から取った。クロフネ――黒船である。ペリーの艦隊が浦賀沖に現れたとき、江戸の町に「泰平の眠りをさます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」という狂歌が流れた。高級茶の上喜撰と蒸気船を掛け、茶の四杯と黒船四隻を掛けた戯れ歌で、その末尾の一句がこの馬の名になった。眠れない夜、という名である。 母のホワットケイティーディドはアメリカで生まれ、走ったのはヨーロッパだった。イギリス、ドイツ、フランスを十戦して三勝、フランスでリステッド競走を一つ勝っている。その母がケイティーズ――1984年のアイリッシュ1000ギニーとコロネーションステークスを勝ったアイルランドの牝馬で、1989年11月のセールで阿部雅一郎が100万ドルで落札した。ケイティーズ自身はアメリカに残され、産駒だけが日本で走るという形が取られた。そこから出たのが、牡馬を相手に重賞を九つ勝ったヒシアマゾンである。ホワットケイティーディドの半妹にあたるから、スリープレスナイトから見れば叔母になる。ケイティーズの初仔ケイティーズファーストの系からは、のちにアドマイヤムーンエフフォーリアが出る。 そのケイティーズは、この牝馬が生まれた年の八月、ケンタッキーで立てなくなり、安楽死の措置がとられた。二十三歳だった。 2007年1月7日、京都の芝1400メートル。単勝1.9倍の一番人気に推された新馬戦の鞍上は、安藤勝己である。勝ったシュガーヴァインとは同じ時計で、それでも前には出られなかった。この馬の競走生活は、半歩届かないところから始まっている。

見えなくなっていく ― 上村洋行

そのころ栗東に、鞍から遠ざかりつつある騎手がいた。 上村洋行。1973年、滋賀の生まれである。1992年に柳田次男厩舎からデビューすると、その年のうちに京王杯オータムハンデキャップをトシグリーンで制し、新人ながら四十勝を挙げた。二年目は五十三勝。デビュー三年以内に通算百勝を数え、若手の筆頭格と見られていた。のちにGIを勝つことになる馬の、まだ何者でもない日にも跨っている――サイレンススズカの新馬戦、ゴールドアリュール。1998年にはロイヤルスズカでスワンステークスを勝った。 そこから先が長かった。九〇年代の終わりごろから勢いが落ち、2003年、目に病を得る。視界が白く濁り、視力があっという間に落ちていった。引退も考えたという。手術を重ねながら回復を待つあいだ、彼は馬に乗れない。2004年に跨った馬は百に満たなかった。前年の三分の一である。調教に顔を出しても手持ち無沙汰な日が続いた。 そこへ声をかけたのが橋口弘次郎だった。宮崎の生まれ、佐賀競馬の騎手から中央の調教師になった異色の人で、騎乗機会に恵まれない騎手や、地方から中央へ移ってきた騎手を自厩舎の馬に乗せることで知られていた。大崎昭一がそうであり、笠松から来た安藤勝己、園田から来た小牧太がそうだった。 「上村君、ウチの馬にもっと乗ってみないか」[^1] すぐに期待へ応えられたわけではない。それでも橋口は乗せ続けた。そのころ厩舎に、一頭の快速牝馬がいた。

出典:スポーツニッポン「【追憶のスプリンターズS】08年スリープレスナイト 涙の上村洋行騎手が「眠れない夜」を打ち破った」2025年9月24日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2025/09/24/kiji/20250923s00004048059000c.html 、閲覧日:2026年8月1日。

砂で十馬身 ― 三歳

上村がその背に初めて跨ったのは2007年5月13日、京都のダート1200メートル、五戦目の五百万下である。好位からあっさり抜け出した。 そこに至るまでに、彼女は自分の走る場所を探していた。二戦目は京都の芝1600メートル、鞍上はC.ルメールで三着。三戦目でダートに替わると、京都の1200メートルを1分12秒8で駆け、二着スリーキュラソーに十馬身の差をつけて初勝利を挙げる。芝で足りなかったものが、砂の上では有り余っていた。 以後はダートを歩く。五百万下を一つ落として一つ勝ち、出石特別、越後ステークスと連勝して三連勝でオープンに上がった。ゲートの出には終始悩まされ、2007年夏には馬インフルエンザの流行による移動制限が日程を狂わせてもいる。 オープンの壁は厚かった。東京のペルセウスステークス五着、霜月ステークス五着。暮れのギャラクシーステークスと年明けの門松ステークスはいずれも二着。届きそうで、届かない一年が過ぎた。 四歳の四月、中山の京葉ステークスを横山典弘の手綱で勝つ。五月の栗東ステークスも勝った。オープン特別を二つ。ここまで、彼女が芝を走ったのは三歳の一月が最後だった。

芝へ ― 二〇〇八年、中京と小倉

6月15日、中京。CBC賞。ダートで六つ勝ち上がってきた牝馬が、三歳の一月以来の芝に、しかも生涯初めての芝1200メートルに、四番人気で出走した。 上がり三ハロン33秒8。スピニングノアールを退けて、初めての重賞を手にする。 上村にとっては、1998年のスワンステークス以来、およそ十年ぶりの重賞制覇だった。 8月、小倉。北九州記念は単勝2.5倍の一番人気。502キロは、それまでで最も重い馬体である。1分7秒5で押し切ってマルカフェニックスを抑え、重賞を二つ続けて勝った。 砂で覚えた脚が、芝で通用するどころか、芝でこそ生きた。四連勝。四歳の秋、彼女は中山へ向かう。

十月五日、中山

その日の中山は良馬場だった。スプリンターズステークス、芝1200メートル。単勝の支持は彼女に集まっている。 上村が気にしていたのは一点だけ、ゲートだった。出負けに悩まされ続けた馬である。 その扉を、彼女はきっちりと開けた。行く馬を行かせて、四番手。手綱は動かない。折り合いはついている。 四コーナーを回って直線を向いたとき、手応えは絶好だった。外から一頭、並びかけてくる。その年の春の高松宮記念で二着に入っていた牡馬、キンシャサノキセキ。圧力はそこから来た。 上村がわずかに促す。スッと前へ出た。並ばれた分を、そのまま突き放す。残り百五十メートル、前にはもう誰もいない。調教師席で、橋口が声を枯らしていた。 ゴール板の手前で、上村は左腕を高々と上げた。もう追う必要がなかったのである。 検量室前で馬を降り、迎えに来た橋口と固く抱き合う。二人とも、目に涙があった。この日は橋口の六十三回目の誕生日で、これ以上に幸せな誕生日はない、と橋口は言った。 お立ち台で、上村が言った。 「自分のことより、何としても先生に勝利をプレゼントしたかった」[^1] 大きな拍手が起きた。

出典:スポーツニッポン「【追憶のスプリンターズS】08年スリープレスナイト 涙の上村洋行騎手が「眠れない夜」を打ち破った」2025年9月24日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2025/09/24/kiji/20250923s00004048059000c.html 、閲覧日:2026年8月1日。

半馬身 ― 二〇〇九年

上村洋行が中央のGIに騎乗したのは、あの日が四十回目だった。デビューから十六年が過ぎている。 年末の香港スプリントに登録したが、外傷を負って回避した。2008年は、あの一戦で終わる。年が明けてJRA賞最優秀短距離馬に選ばれ、ドバイゴールデンシャヒーンという話も出たが、放牧先で蕁麻疹が出て取りやめになり、目標は高松宮記念に移った。 3月29日、中京。一番人気。ハナを奪ったのはローレルゲレイロで、速いペースで引っ張った。彼女は好位からその背中を追い、直線で並びかける。いったんは捕まえた。だが逃げた馬が終いにもう一伸びし、半馬身だけ先にゴール板を過ぎる。時計の差は0秒1だった。 夏を休んで九月のセントウルステークス。背負う斤量は57キロ、生涯でいちばん重い。馬体も514キロまで増えていた。一番人気に推されたが、アルティマトゥーレを捕らえられずに二着。 スプリンターズステークス連覇へ向けて調整が進んでいた矢先、右前脚に屈腱炎が出た。そのまま引退が決まり、10月1日付で競走馬登録が抹消される。十八戦九勝。十二年前、叔母のヒシアマゾンもまた、右前脚の浅屈腱炎で競走生活を終えていた。 黒地に赤の十字襷、袖に黄の縦縞。同じ勝負服を着た2004年生まれが、この年もう一頭走っている。ドリームジャーニーである。彼女が中京で半馬身に泣いた三か月後、その馬は宝塚記念を勝った。彼女が競走馬でなくなったおよそ三か月後には、彼女がGIを掴んだのと同じ中山の芝で有馬記念を勝っている。同じ服の下にいながら、二頭は一度も同じレースを走っていない。短距離の牝馬と、グランプリの牡馬。走る場所が、はじめから違っていた。 そして、中山で彼女が抑えたキンシャサノキセキは、2010年と2011年の高松宮記念を続けて勝つ。彼女が半馬身届かなかった、あのレースである。

贈り物

繁殖牝馬として、生まれ故郷のノーザンファームへ戻った。2011年1月27日、初仔が生まれる。父はディープインパクト、鹿毛の牝馬で、ブロンシェダームと名づけられ、母と同じ橋口弘次郎厩舎に入った。 2012年1月23日、二番仔を産む。牡馬だった。その十日後、2月2日の午前に右の橈骨を折り、死んだ。八歳である。 「2頭目の仔馬を1月23日に出産したばかりの出来事で、大変残念に思います」[^1]。ノーザンファームの吉田勝己代表は、そう言った。 二番仔は競走馬として登録されないまま終わった。母の血をつないだのはブロンシェダームだけである。その娘は2014年2月8日、小倉の芝1200メートルの新馬戦を勝った。母がGIを掴んだ距離だった。馬体重は384キロ。母が中山でGIを勝ったときより百十キロ軽い体で、母と同じ服を着て。六年下の全弟スクワドロンは、中央で二勝したのち高知へ移り、2016年1月に黒潮スプリンターズカップを勝っている。 娘が新馬を勝った二十日後、上村洋行は騎手をやめた。中央七千八百八十戦、五百七十勝。重賞は十、GIは一つきりである。 「自分のことより、何としても先生に勝利をプレゼントしたかった」。あの日、彼はそう言った。だがその贈り物は、贈り主へ返されたのではなく、先へ渡された。橋口は2016年に定年で厩舎を畳み、上村は2019年に自分の厩舎を開く。乗せてもらう側だった男は、いま、誰を乗せるかを決める側にいる。2024年の大阪杯をベラジオオペラで勝ったとき、彼はもう鞍の上にいなかった。 「泰平の眠りをさます上喜撰」――狂歌はそう始まる。眠りを破りに来るものは、いつも外から、思いがけない形でやって来る。栗東の厩舎に現れたのは、砂で六つ勝ち上がってきた鹿毛の牝馬だった。眠れない夜という名を負って、彼女が明けさせたのは、自分の夜ではなかった。

出典:スポーツニッポン「スリープレスナイト死亡「23日に出産したばかりだったのに」」2012年2月2日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/02/02/kiji/K20120202002556360.html 、閲覧日:2026年8月1日。

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