名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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サイレントウィットネスのイメージビジュアル
サイレントウィットネスSilent Witness
Silent Witness

サイレントウィットネス

通算成績26戦18勝

獲得賞金(海外含む・概算)約12486万円

生年月日 1999.10.01(平成11年)毛色 鹿毛セン

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
サイレントウィットネスの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
2 GI香港スプリント 香港 芝1200 コーツィ 映像
4 GIスプリンターズS 中山 芝1200 3人気 F.コーツィー 1:08.5 上り35.6映像
9 GIチャンピオンズマイル 香港 芝1600 コーツィ 1:34.6 映像
2 GIQシルバージュビリー 香港 芝1400 コーツィ 1:21.7
3 GIチェアマンズS 香港 芝1200 コーツィ 1:10.0
7 GIセンテナリーSC 香港 芝1000 コーツィ 0:57.2
1 GIスプリンターズS 中山 芝1200 1人気 F.コーツィー 1:07.3 上り34.1映像
3 GI安田記念 東京 芝1600 5人気 F.コーツィー 1:32.3 上り34.8映像
2 GIチャンピオンズマイル 香港 芝1600 コーツィ 1:33.7 映像
1 GIIQシルバージュビリー 香港 芝1400 コーツィ 1:21.8
1 GIチェアマンズS 香港 芝1200 コーツィ 1:08.4
1 GIセンテナリーSC 香港 芝1000 コーツィ 0:56.7
1 GIボヒニアスプリントT 香港 芝1000 コーツィ 0:55.3
1 GI香港スプリント 香港 芝1000 コーツィ 0:56.8 映像
1 GIIインターナショナルS 香港 芝1000 コーツィ 0:55.9
1 GIチェアマンズS 香港 芝1200 コーツィ 1:08.5
1 GIセンテナリーSC 香港 芝1000 コーツィ 0:56.2
1 GIボヒニアスプリントT 香港 芝1000 コーツィ 0:56.5
1 GI香港スプリント 香港 芝1000 コーツィ 0:56.5 映像
1 GIIインターナショナルS 香港 芝1000 コーツィ 0:56.3
1 GIIIシャティンスプリント 香港 芝1000 コーツィ 0:55.7
1 GIIシャティンヴァーズ 香港 芝1000 コーツィ 0:57.2
1 サウンドプリントH 香港 芝1200 コーツィ 1:09.6
1 ゲイエイティーズH 香港 芝1000 コーツィ 0:55.5
1 マスターマインドH 香港 芝1200 コーツィ 1:09.8
1 ヘネシーH 香港 芝1000 コーツィ 0:57.8

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
サイレントウィットネスの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
El MoxieConquistador CieloMr. Prospector
K D Princess
Raise the StandardHoist the Flag
Natalma
Jade TiaraBureaucracyLord Ballina
Tulla Doll
Jade-AmandaGrosvenor
Comptroller
STORY

旅程 — この馬の物語

1999年生まれの鹿毛のせん馬。父El Moxie、母Jade Tiara。主な勝ち鞍は香港スプリント・ボヒニアスプリントT・センテナリーSC。

エルティラ

1999年10月1日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州タリーの近く、エディンバラパークスタッドで鹿毛の牡が生まれた。生産者はI・K・スミス。のちに去勢され、せん馬として走ることになる馬である。 父はアメリカ産のエルモクシー、母はジェイドティアラ。母の父ビューロクラシーはニュージーランド産で、母系は豪州とニュージーランドの血で編まれている。 ただし父方には、誰もが知る名前が一つ入っている。エルモクシーの母レイズザスタンダードは、ナタルマの娘である。ナタルマはノーザンダンサーを産んだ母だから、レイズザスタンダードはノーザンダンサーの半妹にあたる。その娘クープドフォリからは、のちに大種牡馬となるマキャヴェリアンが出た。エルモクシーは、そのクープドフォリの半弟である。 豪州でこの馬に与えられた名は、エルティラといった。その名で走ることは、一度もなかった。馬は香港へ渡り、沙田の厩舎に入って、名前を付け直される。Silent Witness。漢字では精英大師と書いた。 預かったのはアンソニー・クルーズである。ポルトガル出身で、1974年に香港ジョッキークラブの騎手養成所を第一期生として出て、1996年の元日に鞍を降りた。そこから調教師へ回った男だった。その厩舎に1999年から所属していた騎手が、フェリックス・コーツィー。南アフリカのダーバンに生まれ、母国で三度リーディングを獲ってから、1992年に香港へ渡ってきていた。香港での名は高雅志という。 2002年12月26日、沙田の芝1000メートル。14頭立ての稍重を、57秒8で走った。四馬身近い差がついていた。 この日の鞍上がコーツィーである。以後、連勝が続いているあいだ、そこに別の名前が入ることは一度もない。

貨幣名駒

2003年、この馬は一月と二月と三月に一つずつ香港の条件戦を勝った。六月七日の沙田ヴァーズで、初めて重賞を獲る。1000メートルの七頭立てで、背負った斤量は51キロ台。軽いほうに置かれていた馬が、その年の秋には57キロ台で走っている。 シーズンの終わりに、香港ジョッキークラブは彼を最優秀新馬に選んだ。 秋、十月に沙田スプリントトロフィー。十一月にインターナショナルスプリントトライアル。負けを知らないまま七つ勝って、暮れの一戦へ向かう。 十二月十四日、香港スプリント。国際競走である。集まった顔ぶれは、それまでこの馬が走ってきた相手とは格が違った。南アフリカ史上最速と呼ばれたナショナルカレンシー。前年の勝ち馬オールスリルズトゥーと、その二着馬ファイアボルト。前年度の香港年度代表馬で短距離三冠を制していたグランドデライト。八戦目にして、初めてまともに測られる場だった。 先に抜け出したのはナショナルカレンシーである。それをゴールの前で捉えた。0分56秒5。八戦八勝。 三着に、イギリスから香港へ移ってきたケープオブグッドホープという栗毛のせん馬がいた。

コタックの十

2004年2月1日のボヒニアスプリントトロフィー、3月13日のセンテナリースプリントカップ。どちらも1000メートルで、どちらも危なげがなかった。センテナリーを勝った時点で、連勝は十になる。1983年にコタックという馬が作った香港の連勝記録に、二十一年ぶりに並んだ数字だった。二十一年前、そのコタックの背にいたのは騎手時代のクルーズである。 四月二十五日、チェアマンズスプリントプライズ。香港の短距離三冠の最終戦であり、記録を一つ動かす一戦でもあった。止めに来た側の顔ぶれは厚い。前の二戦で三着と二着に来ていたケープオブグッドホープ。2001/2002年シーズンの香港年度代表馬エレクトロニックユニコーン。前年の勝ち馬グランドデライト。ファイアボルト。 レースはこの馬が終始主導権を握ったまま終わった。先頭を明け渡す場面がない。香港短距離三冠を達成したのは史上三頭目で、連勝は十一になった。二着は、またケープオブグッドホープだった。 その年の表彰で、彼は三つの部門を持っていった。年度代表馬、最優秀スプリンター、そしてファンが選ぶ最も人気のある馬。 秋、十一月のインターナショナルスプリントトライアルで連勝は十二。十二月十二日の香港スプリントには、日本からカルストンライトオサニングデール、フランスからアベイ・ド・ロンシャン賞を勝ったヴァーが来た。0分56秒8で連覇。サニングデールが七着、カルストンライトオが十四着に終わっている。二着は三度目のケープオブグッドホープだった。 十三戦して、十三勝。

十七

2005年に入っても止まらなかった。一月のボヒニアスプリントトロフィーは0分55秒3。二月のセンテナリースプリントカップ、四月のチェアマンズスプリントプライズと続けて勝ち、短距離三冠は二年連続になる。連勝は十六。アメリカのシガーが持っていた数と同じところまで来た。 陣営の目は、もう香港の外を向いていた。ブリーダーズカップ・マイルという言葉が出る。1600メートルを走るつもりなら、まず距離を延ばして試さなければならない。 四月二十四日、クイーンズシルヴァージュビリーカップ。初めての1400メートル、十一頭立て。1分21秒8で勝った。デビューからの十七連勝は、グレード制が敷かれてからの世界記録である。のちにアメリカのゼニヤッタが同じ数に並んだ。 その日の沙田では、記念の帽子が配られることになっていた。引換券を持った客が二千人以上詰めかけ、将棋倒しが起きた。幸い、死者は出ていない。香港ジョッキークラブはこの馬のために公式サイトを開いていた。香港の競走馬でそれを持ったのは、彼が初めてである。名前が載る場所も、競馬欄から一般のニュース面へ移っていた。 そのぶん、体には無理が来ていた。間隔を詰めて走り続けた反動なのか、この頃からパドックで気持ちが高ぶるようになり、道中で行きたがるのを抑えるのが難しくなる。 五月十四日、沙田のチャンピオンズマイル。初めてのマイル戦だった。コーツィーは抑えきれなかった。ゴールの直前で同じ厩舎のブリッシュラックに差され、連勝は十七で止まる。 六月五日、東京。初めての海外遠征である。十八頭の五番人気、馬体重は550キロだった。前へ行った馬が総崩れになる流れのなかを、三着に粘った。勝ったアサクサデンエンとの時計の差は、記録の上ではゼロだった。 マイルは、届くところまでは届いた。届いただけで、勝てなかった。

中山の坂

十月二日の中山は晴れて、芝は良だった。 この馬の馬体重は558キロある。その日ゲートに入った十六頭のうち、これより重い馬はいない。 ゲートが開く。最初の二百メートルは、この距離にしては速くない。次の二百メートルで一気に締まった。三つ目の角に入るまでに、隊列は決まっている。 先頭は逃げ馬。その一馬身ほど後ろに一頭。さらに後ろで二頭が並んでいて、片方がこの馬だった。 四つ目の角で、逃げ馬だけが少し抜けた。二番手との間に隙間ができる。後ろの二頭は、まだ並んだままである。位置は動いていない。動かす必要がなかった。 中山の芝1200メートルは、四つ目の角を回ってから坂を上る。前を行くその逃げ馬は、前の年の秋、雨で沈んだこの馬場を先頭のまま走り切った馬だった。 隊列が崩れたのは、坂に入ってからである。 坂を上りきってから、先頭が入れ替わった。 後ろでは、十か月ぶりに実戦へ戻った一頭が外から目一杯の脚を使っていた。その日いちばん速い脚だった。それでも、坂の上でついた差は詰まりきらない。 1分7秒3。1馬身4分の1。 コーツィーにとって、日本での三度目の騎乗だった。最初の勝利が、GIだった。

十一回

香港へ帰ると、沙田で凱旋のセレモニーが組まれた。この馬はファンの前に立った。そのあと体調を崩す。十一月のインターナショナルスプリントトライアルを直前で回避し、十二月の香港スプリントも走れなかった。三連覇のかかった一戦である。二月に予定されていたオーストラリア遠征も、そのまま消えた。 2006年2月26日のセンテナリースプリントカップは七着だった。1400メートル以下のレースで負けたのは、これが初めてである。三月のチェアマンズスプリントプライズは三着、四月のクイーンズシルヴァージュビリーカップは二着。五月七日のチャンピオンズマイルは九着に終わった。安田記念の出走馬に選ばれたが、両前脚の球節に炎症が出て遠征は取りやめになる。そのシーズン、香港では一つも勝てなかった。三年続いた年度代表馬は途切れ、最優秀スプリンターだけが三年目も彼のものになった。 十月一日、小雨の中山。三番人気。馬体重は576キロで、一年前より十八キロ増えていた。三つ目の角も四つ目の角も、テイクオーバーターゲットと並んで先頭にいる。直線で突き放され、後ろからも二頭に差されて四着だった。十二月の香港スプリントは、アブソリュートチャンピオンの二着だった。 年が明けて一月一日に七着。二月四日、生涯で初めてブリンカーという視野を絞る馬具を着けて走り、それが最後の一走になった。二月二十五日、沙田で引退式が行われている。送られた先は、メルボルン郊外のリヴィングレジェンド。生まれた国だった。

沈黙

ケープオブグッドホープには、その後がある。 イギリスで生まれ、香港のデビッド・オートン厩舎へ移り、この馬の後ろばかりを走っていた栗毛のせん馬である。2005年、彼はオーストラリアステークスを勝った。夏にはイギリスへ渡ってゴールデンジュビリーステークスをアタマ差で制し、その年に創設されたばかりのグローバル・スプリント・チャレンジで、初代の総合王者になっている。二つの大陸でG1を勝てる馬だった。 その彼が最後にサイレントウィットネスと同じレースを走ったのが、あの十月二日の中山である。十一着だった。二頭が同じゲートに入ったのは、生涯で十一回。ケープオブグッドホープは、そのうち一度も、この馬の前でゴールしていない。 十七という数字は、この馬がどこまで勝ち続けたかを示している。十一という数字のほうは、勝たれ続けた側がどれだけ強かったかを示している。 パリの国際競馬統括機関の格付けで、この馬は2003年から2005年まで三年続けて、世界の短距離の一位に置かれている。その背に、デビュー戦から跨り続けたのがフェリックス・コーツィーである。 彼は2008年の暮れに香港での所属を解き、家族の待つ南アフリカへ戻る。それでも大きな一戦になるとクルーズの厩舎から声がかかり、そのたびに飛んできた。2011年にはシンガポールのロケットマンでドバイゴールデンシャヒーンを勝っている。2014年2月20日に鞍を降り、いまは香港ジョッキークラブの騎手訓練学校で、これから乗る者たちに教えている。 オーストラリアで最初にもらった名は、エルティラといった。その名では一度も走っていない。二つ目の名で十七回続けてゴール板を先頭で通り、香港の外でそれをやったのは、中山の一度きりだった。 沈黙の証人。名のとおり、この馬は何も言わない。数えるのは、いつも後ろにいた者の仕事である。

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