名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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ショウナンパントルのイメージビジュアル
ショウナンパントルShonan Peintre
Shonan Peintre

ショウナンパントル

通算成績17戦2勝

獲得賞金9,288万円

生年月日 2002.02.20(平成14年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ショウナンパントルの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
16 GIII京成杯オータムH 中山 芝1600 14人気 吉田豊 1:34.2 上り34.6
12 GIIIキーンランドカップ 札幌 芝1200 14人気 川島信二 1:09.4 上り34.5
12 GIIIアイビスサマーD 新潟 芝1000 16人気 田中勝春 0:55.9 上り32.9
12 GIIIマーメイドS 阪神 芝2000 11人気 川田将雅 2:01.4 上り37.2
15 OP都大路S 京都 芝1600 14人気 小林徹弥 1:39.7 上り39.8
17 GIヴィクトリアマイル 東京 芝1600 18人気 吉田豊 1:35.7 上り34.5映像
11 GIIサンスポ杯阪神牝馬S 阪神 芝1400 9人気 吉田豊 1:23.0 上り36.3
15 GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 14人気 吉田豊 2:13.9 上り35.1映像
8 GI秋華賞 京都 芝2000 4人気 吉田豊 2:00.5 上り35.3映像
2 OP紫苑S 中山 芝1800 1人気 吉田豊 1:49.2 上り33.6
7 GI優駿牝馬 東京 芝2400 9人気 吉田豊 2:29.4 上り34.1映像
13 GI桜花賞 阪神 芝1600 7人気 吉田豊 1:35.0 上り35.1映像
12 GIIIデイリー杯クイーンカップ 東京 芝1600 2人気 吉田豊 1:39.5 上り37.8
1 GI阪神ジュベナイルフィリーズ 阪神 芝1600 8人気 吉田豊 1:35.2 上り34.4映像
5 GIIデイリー杯2歳S 京都 芝1600 2人気 吉田豊 1:34.5 上り35.2
2 GIII新潟2歳S 新潟 芝1600 3人気 吉田豊 1:35.0 上り33.5
1 2歳新馬 新潟 芝1600 3人気 吉田豊 1:37.0 上り33.0

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ショウナンパントルの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
サンデーサイレンスSunday SilenceHaloHail to Reason
Cosmah
Wishing WellUnderstanding
Mountain Flower
バブルウイングスBubble WingsIn the Wings In The WingsSadler's Wells
High Hawk
バブルプロスペクターBubble ProspectorMiswaki
バブルカンパニーBubble Company
STORY

旅程 — この馬の物語

2002年生まれの鹿毛の牝馬。父サンデーサイレンス、母バブルウイングス。主な勝ち鞍は阪神ジュベナイルF。

白老の四番仔

2002年2月20日、北海道白老町の白老ファームで、一頭の鹿毛の牝馬が生まれた。母バブルウイングスの四番仔だった。 母は1992年にフランスで生まれ、イギリスで19戦4勝を挙げている。1998年に日本へ渡り、この牧場で繁殖牝馬になった。初仔の父はブライアンズタイム、二番仔はサンデーサイレンス、三番仔はスペシャルウィーク。四番仔にも、もう一度サンデーサイレンスが選ばれた。 生まれた仔は、牧場の目を引かなかった。厩舎長は後年、ひときわ目立つようなサンデーサイレンス産駒ではなかった、と振り返っている。胃腸が弱く、下痢をしがちだった。冬毛もなかなか抜け替わらない。春が来ても毛の伸びたままの仔馬は、それだけで貧相に見える。 血統表のほうは、地味どころではなかった。曽祖母バブルカンパニーはフランス産の牝馬で、その仔にはフランス2000ギニー2着のあとアルゼンチンへ渡り、当地のチャンピオンサイアーになったキャンディストライプスがいる。バブルカンパニーはやがて日本へ輸入され、サンデーサイレンスとの間に牡駒を産んだ。1996年の天皇賞・秋を三歳で勝った、バブルガムフェローである。祖母バブルプロスペクターの仔には、2003年の菊花賞馬ザッツザプレンティ。母バブルウイングスの半弟にあたる。 叔父が京都の3000メートルを制した翌年、その姪は新潟の芝に立つことになる。

祝いに、馬を

馬主・国本哲秀がJRAの馬主資格を取ったのは1986年である。話を持ちかけたのは、当時ラジオたんぱのアナウンサーだった長岡一也。同じ長岡の紹介で、国本は美浦の調教師・大久保洋吉と引き合わされた。 大久保は少し変わった道を通ってきた人だった。父の末吉は騎手から調教師になった人だが、洋吉自身は早稲田大学の理工学部で建築を学び、卒業後は設計士として発電所の工事に携わっている。図面を描くのが好きだったからだという。競馬の世界へ入り直したのは1971年、高齢になった父を補佐するためだった。免許を取ったのは1976年になる。 国本の勝負服は、赤に白の一本輪、袖は白。この配色は、もともと大久保家に伝わっていたものだった。洋吉は、いずれ自分が育てた馬主に着せようと思っていたという。それが国本になった。 もうひとつ、大久保は国本に注文をつけている。冠名の「ショウナン」——住まいのある湘南から採った——に続く言葉は、ア段の音で始めなさい。国本は五か国語の辞書を買い込み、旅先で目にした地名を手帳に控えるようになった。 1992年に勝ち上がったショウナングレイスが、国本にとって馬主七年目の初白星になる。1994年、大久保は競馬学校を出たばかりの吉田豊を厩舎所属騎手として引き受けた。1996年の暮れ、二人はメジロドーベルで阪神3歳牝馬ステークスを勝つ。開業21年目の師と、デビュー3年目の弟子の、最初のGIだった。 2002年の春、ショウナンカンプが高松宮記念を逃げ切った。国本にとっては初めての重賞であり、初めてのGIでもある。国本は祝いに何か贈りたいと申し出た。大久保の答えは、馬、だった。 二人は白老ファームへ出かけた。サンデーサイレンス産駒が五頭いた。大久保が選び抜いたのは、あの目立たない四番仔である。 国本は辞書を引いた。フランス語で画家を意味する語は、ア段で始まっていた。ショウナンパントル。母はフランスで生まれた馬だった。

新潟の夏 ― 二着と、五着

2004年7月24日、新潟の芝1600メートル。三番人気のショウナンパントルは、吉田豊を背に新馬戦を半馬身差で勝った。上がり三ハロン——最後の600メートルのことだ——は33秒0。 六週間後、同じ競馬場の同じ距離で新潟2歳ステークスに向かう。三番手から早めに抜け出したところを、大外から来た一頭に差し切られて2着に終わった。相手はマイネルレコルト。この年の暮れに朝日杯フューチュリティステークスを勝つ牡馬である。 三戦目に大久保が選んだのは、牡馬も走る京都のデイリー杯2歳ステークスだった。狙いは勝ち鞍ではない。関西への輸送を一度経験させておくためである。二番人気で中団から内を突いたが、大外を回ったペールギュントらの脚には届かず5着。輸送は、それで済ませた。

十二月五日、三つの首

阪神の1600メートルに、十八頭が並んだ。二戦二勝のラインクラフトが単勝1.5倍。ショウナンパントルは八番人気だった。 ゲートが開くと、彼女は後方の内にいた。 流れは、はじめから緩まない。最初の200メートルが12秒4、次が11秒1。二歳牝馬のマイル戦としては忙しい入りである。ふつうなら中盤で息が入る。この日は入らなかった。11秒7、12秒4、そこからまた11秒台へ戻っていく。前半800メートルは47秒6。前を走る馬から順に脚を削られていく組み立てだった。 三コーナーで、彼女はまだ十二番手にいる。四コーナーで十一番手。動いたと言えるほどの動きではない。動いていたのは、前にいる馬たちの脚色のほうだった。 直線、吉田は進路を外に求めた。内は塞がっていた。 終盤の3ハロンは11秒7、11秒6、12秒5。ゴール前200メートルに入るまで、レースは緩まなかった。前で運んだ馬ほど、最後の1ハロンが重くなる。 前ではアンブロワーズが抜け出していた。外からはラインクラフトが伸びてきた。二頭のあいだに、細い道があった。ショウナンパントルは、そこへ入っていった。 三頭が横に並ぶ。並んだまま、決勝線を通過した。 いちばん前にいたのはショウナンパントルだった。アンブロワーズにアタマ差。そのアンブロワーズが、ラインクラフトにハナ差。彼女の上がり三ハロンは34秒4で、レース全体の上がりより1秒以上速かった。 重賞をひとつも勝っていない馬が、いきなりGIを勝った。

二歳女王 ― そして、咲かなかった桜

一勝しかしていない馬がこのレースを勝ったのは、阪神3歳牝馬ステークスと呼ばれていた1993年のヒシアマゾンに次いで二頭目だった。新潟でデビューした馬の優勝も、1996年のメジロドーベルに次いで二頭目。そのメジロドーベルを預かり、その背に乗っていたのが、大久保と吉田である。八年を隔てて、同じ二人が同じレースの勝者になった。 年が明け、JRA賞の投票が出た。最優秀2歳牝馬、285票のうち271票。 大久保は次の目標を口にしている。桜花賞。メジロドーベルが獲れなかったレースだから、まずそこを狙いたい、と。 獲れなかった。 三歳の初戦は東京のクイーンカップだった。オークスを見据えて府中を一度使っておく、という選択である。馬場は重で、二番人気に推されながら12着。四月の桜花賞は七番人気で13着に沈んだ。勝ったのは、暮れにハナ差で退けたラインクラフト。彼女はこのあとNHKマイルカップも勝つ。 五月のオークスは7着。上がり三ハロン34秒1は、この馬がまだ走れることを示していた。勝ったのはシーザリオである。 秋、中山の紫苑ステークスで一番人気に応えて2着に入る。上がりは33秒6。続く秋華賞では四番人気に支持されている。まだ、期待は残っていた。結果は8着。エリザベス女王杯は、単勝が89倍台まで沈んだうえでの15着だった。

十三

四歳の春、阪神牝馬ステークスで11着。五月、この年に創設されたヴィクトリアマイルに出て17着。十八頭のうち、十八番目の人気だった。そこから一年近く、彼女はターフから姿を消す。 戻ってきたのは2007年5月、京都の都大路ステークスである。鞍上は小林徹弥に替わり、馬体重は474キロ。前走から22キロ増えていた。15着。六月のマーメイドステークスは川田将雅で12着。七月、新潟の直線1000メートルを走るアイビスサマーダッシュに田中勝春で12着。八月の札幌、キーンランドカップは川島信二で12着。 1000メートルから2000メートルまで、陣営は思いつく条件をひととおり試している。どれも噛み合わなかった。 九月九日、中山の京成杯オータムハンデキャップ。手綱は吉田豊に戻っていた。負担重量は50キロ。16着。その六日後、競走馬登録が抹消された。 阪神ジュベナイルフィリーズのあと、この馬は十三回走って、一度も勝てなかった。

白老へ帰る

翌2008年から繁殖牝馬になった。はじめは平取町のスガタ牧場、やがて生まれ育った白老ファームへ戻る。 順調ではなかった。ブライアンズタイムとの初仔は、出生の登録をされただけで終わっている。二年目に受けた仔は流産した。 三年目、国本はショウナンカンプをつけた。高松宮記念を逃げ切った馬。大久保が祝いに馬を望む、そのきっかけになった一頭である。父も母も、同じ赤と白の勝負服で走っていた。 2011年、牡駒が生まれた。ショウナンアチーヴと名づけられる。 その春、ショウナンパントルは事故に遭った。3月22日に死んだ。九歳だった。 二年後の十二月、ショウナンアチーヴは中山の朝日杯フューチュリティステークスで2着に入る。母が女王になったのと同じ月に行われる、二歳王者を決める一戦だった。差したのはアジアエクスプレスで、着差は1馬身4分の1。 2014年4月12日、ニュージーランドトロフィー。ショウナンアチーヴは直線で、同じ勝負服の一頭と並んで走った。ショウナンワダチ。父は同じショウナンカンプである。ハナ差だけ先に決勝線を越えたのは、ショウナンアチーヴだった。種牡馬ショウナンカンプにとって初めての重賞勝ちが、産駒による一、二着だった。表彰の写真には、勝った側と負けた側が一緒に収まった。 大久保はその翌月、ショウナンラグーンで青葉賞を勝ち、十年ぶりに日本ダービーへ出走する権利を得た。十年前とは、ショウナンパントルが二歳女王になった年のことだ。2015年2月28日、大久保は定年で調教師を退く。通算887勝、GI10勝。メジロドーベルが獲れなかった一冠は、ショウナンパントルでも獲れないまま終わった。 白老の厩舎長は、ひときわ目立つようなサンデーサイレンス産駒ではなかったと言った。その見立ては、たぶん正しい。十七回走って、先頭でゴールしたのは二度だけである。けれど、五頭の中からその一頭を選び出したのは、若い頃に図面を引いていた男だった。選んだ理由を、彼は多くを語っていない。 その二勝は、新潟の夏に一つ、阪神の暮れに一つ。あいだは四か月あまりで、あとには三年近い空白がある。条件戦の勝ち鞍を一つも持たないまま、二勝目がGIだった馬。 阪神の直線で、三つの首が並んだ。そのいちばん前にいたのが、冬毛の抜けにくかった白老の四番仔である。

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