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サクラバクシンオー
通算成績21戦11勝
獲得賞金5億1,549万円
生年月日 1989.04.14(平成元年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | GIスプリンターズS | 中山 芝1200 | 1人気 | 小島太 | 1:07.1 | 上り34.4 | 映像 | |
| 2 | GIマイルチャンピオンS | 京都 芝1600 | 2人気 | 小島太 | 1:33.2 | 上り34.7 | 映像 | |
| 1 | GIIスワンS | 阪神 芝1400 | 1人気 | 小島太 | 1:19.9 | 上り35.0 | — | |
| 4 | GII毎日王冠 | 東京 芝1800 | 4人気 | 小島太 | 1:45.0 | 上り35.7 | — | |
| 4 | GI安田記念 | 東京 芝1600 | 3人気 | 小島太 | 1:33.7 | 上り36.8 | 映像 | |
| 1 | GIIIダービー卿チャレンジトロフィー | 中山 芝1200 | 1人気 | 小島太 | 1:08.9 | 上り35.8 | — | |
| 1 | GIスプリンターズS | 中山 芝1200 | 2人気 | 小島太 | 1:07.9 | 上り34.5 | 映像 | |
| 1 | OPキャピタルS | 東京 芝1400 | 3人気 | 小島太 | 1:21.2 | 上り35.3 | — | |
| 4 | OPアイルランドトロフィ | 東京 芝1600 | 3人気 | 小島太 | 1:35.5 | 上り37.5 | — | |
| 1 | OPオータムスプリントS | 中山 芝1200 | 2人気 | 小島太 | 1:08.8 | 上り35.6 | — | |
| 6 | GIスプリンターズS | 中山 芝1200 | 3人気 | 小島太 | 1:08.3 | 上り35.5 | 映像 | |
| 1 | OPキャピタルS | 東京 芝1400 | 1人気 | 小島太 | 1:21.1 | 上り35.2 | — | |
| 7 | OP多摩川S | 東京 芝1600 | 3人気 | 小島太 | 1:33.5 | 上り36.5 | — | |
| 3 | GIII京王杯オータムH | 中山 芝1600 | 3人気 | 小島太 | 1:33.0 | 上り35.2 | — | |
| 7 | GIINZT4歳S | 東京 芝1600 | 3人気 | 小島太 | 1:36.0 | 上り36.6 | — | |
| 1 | OP菖蒲S | 東京 芝1400 | 1人気 | 小島太 | 1:22.8 | 上り36.0 | — | |
| 1 | GIIIクリスタルC | 中山 芝1200 | 1人気 | 小島太 | 1:08.6 | 上り35.1 | — | |
| 12 | GIIフジTVスプリングS | 中山 芝1800 | 3人気 | 小島太 | 1:53.6 | 上り40.9 | — | |
| 1 | 桜草特別 | 中山 芝1200 | 1人気 | 小島太 | 1:08.8 | 上り34.6 | — | |
| 2 | 黒竹賞 | 中山 芝1600 | 1人気 | 小島太 | 1:35.1 | 上り36.0 | — | |
| 1 | 4歳新馬 | 中山 ダ1200 | 2人気 | 小島太 | 1:11.8 | 上り37.6 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父サクラユタカオー | テスコボーイTesco Boy | Princely Gift |
| Suncourt | ||
| アンジェリカ | ネヴァービートNever Beat | |
| スターハイネス | ||
| 母サクラハゴロモ | ノーザンテーストNorthern Taste | Northern Dancer |
| Lady Victoria | ||
| クリアアンバーClear Amber | Ambiopoise | |
| One Clear Call |
旅程 — この馬の物語
1989年生まれの鹿毛の牡馬。父サクラユタカオー、母サクラハゴロモ。主な勝ち鞍はスプリンターズS・クリスタルC・ダービー卿チャレンジ。
返した牝馬の、初仔
1989年4月14日、北海道早来町の社台ファームに鹿毛の牡馬が生まれた。父は1986年の天皇賞(秋)を勝ったサクラユタカオー。母サクラハゴロモは、天皇賞(春)と有馬記念を制したアンバーシャダイの全妹にあたる。祖母クリアアンバーを起点とするこの牝系からは活躍馬が続き、一歳上の従兄には、のちに阪神3歳ステークスを勝つイブキマイカグラがいた。 この仔が境勝太郎の厩舎に入ったのは、ひとつの取引の名残りである。境はさくらコマースの購買代理人として、かつてサクラハゴロモを買いたいと申し出た。だが社台ファームの吉田善哉は首を縦に振らない。将来の基礎牝馬にする腹づもりだったからだ。話は三年三千万円の貸し出しで折り合う。サクラハゴロモは骨折で一年を棒に振り、復帰して二勝を挙げた。そこで境は、期限を待たずに彼女を社台へ返した。無理をさせるのが嫌だった、というのがその理由である。 返却の埋め合わせとして、無償で境の手に渡ったのが、この牝馬が最初に産んだ仔だった。父ユタカオーもかつて境の管理馬である。境は幼駒のころをこう振り返っている。「柔らかみを感じさせる仔馬だったけど、正直、あんなに走るようになるとは思わなかった」[^1] 1991年の秋、美浦の境厩舎へ入った。父ゆずりで体質は弱く、脚元にも不安があった。それでも調教では並外れたスピードを見せる。長距離を得意とした伯父アンバーシャダイの血もあって、当時この馬は必ずしもスプリンターとは見られていない。同じ勝負服のサクラセカイオーとともに、東京優駿の有力候補という声さえあった。
出典:ウィキペディア日本語版「サクラバクシンオー」(境勝太郎の談話の初出は『優駿』誌)、https://ja.wikipedia.org/wiki/サクラバクシンオー 、閲覧日:2026年8月3日。
一八〇〇メートルの雨
デビューは1992年1月12日、中山のダート1200メートル。二番人気だったが、ゲートを出るなり先頭に立ち、二着に五馬身をつけて逃げ切った。続く黒竹賞は1600メートル。出遅れて後方から捲り上げたものの、直線で競り負けてアタマ差の二着に敗れる。距離を1200に戻した桜草特別は四馬身差の圧勝。この日の走破時計は、同じ日に同じ条件で行われた古馬の条件戦より0秒3速かった。 ここで短距離に絞る手はあった。だが境と馬主の全演植は相談のうえ、一度だけ中距離を試すことで合意する。3月29日、皐月賞トライアルのスプリングステークス。距離は1800メートル、馬場は重。 二番手を進んだが、脚が滑って走りの形が崩れた。逃げるミホノブルボンに競りかけることもできない。四コーナーでは転びかけるほどバランスを失い、そのまま失速した。二着に七馬身差をつけて圧勝したブルボンから、3秒5離された十二着。 境は戦前から、蹄の形を見るかぎり滑る馬場はよくないかもしれないと言っていた。二年後、1994年の安田記念を前にしたインタビューでも、境はこの馬の敵は雨なのだと語っている。脚をきれいに伸ばして走る馬だから、飛びに響くのだ、と。 抽選次第では皐月賞へ進む道も残っていた。陣営はそれを使わなかった。クラシックは、この一戦で終わっている。なお、この日の四着はライスシャワー。秋の菊花賞でミホノブルボンの無敗三冠を止めることになる馬である。
一二〇〇の王国と、ただ一度の綻び
行き先が決まると、馬は強くなった。四月のクリスタルカップを逃げ切って三馬身半、重賞初制覇。小島太は、スタートセンスが抜群でスピードの絶対値が違うと評した。五月の菖蒲ステークスも逃げ切りで連勝する。 躓くのは、決まって距離が延びたときだった。六月のニュージーランドトロフィー4歳ステークスは1600メートルで七着。秋の京王杯オータムハンデキャップは大逃げを追いかける形になって三着。多摩川ステークスは1000メートル通過57秒0で飛ばした末に直線で力尽き、七着。三つともマイル戦である。距離を1400に戻したキャピタルステークスでは一転、軽快に逃げて二馬身半差で快勝した。 12月20日、初めてのGIに出た。スプリンターズステークス。マイルチャンピオンシップを連覇したダイタクヘリオス、桜花賞馬ニシノフラワーに次ぐ三番人気は、地味なオープン特別を歩いてきた馬としては高い評価だった。しかし先行争いが過熱し、前半600メートルは32秒8という非常なハイペースになる。競り合う二頭に挟まれる形で流れに巻き込まれたバクシンオーは直線で沈み、後方に控えていたニシノフラワーが差し切った。六着。 この敗戦は、あとから振り返ると特別な意味を持つ。デビューから引退までの二十一戦のうち、1400メートル以下で走ったのは十二戦。負けたのは、この日だけだった。
空白の一年
レースのあと、脚部不安が出た。境は使わなかった。1993年の春シーズンを、この馬は丸ごと休んでいる。 復帰は10月2日のオータムスプリントステークス。得意の1200メートルなのに二番人気という評価だった。そしてここで、馬は別の顔を見せる。逃げなかったのだ。道中は五、六番手。直線で抜け出して勝った。一本調子の逃げ馬が、控えて競馬をした。 続くアイルランドトロフィーは1600メートルの重馬場で四着。前年勝ったキャピタルステークスでは三番手から落ち着いて運び、1分21秒2で勝ち切った。 評論家の大川慶次郎は、境勝太郎が嫌いだと公言していた人である。その大川が、この馬に関してだけは境を名調教師だと認めた。休むときには休ませ、いい時に使った。だから引退まで大きな故障をせずに走り切れたのだ、と。境自身は手柄を自分のものにしていない。毎日この馬の脚元を手入れし続けた厩務員・吉村活彦の努力があってのことだ、というのが境の言い分だった。
師走 ― 一九九三年十二月十九日
その年の十二月、全演植が世を去った。さくらコマースを興し、「サクラ」の冠名を競馬場に根づかせた人である。小島太は騎手になったばかりのころからこの馬主に後援を受け、父のように慕っていた。 葬儀からいくらも経たないうちに、二度目のスプリンターズステークスが来た。一番人気は前年の二着馬ヤマニンゼファー。その年に安田記念と天皇賞(秋)を勝ち、距離をまたいだ三つ目の戴冠がかかっていた。バクシンオーは、前年の覇者ニシノフラワーを抑えての二番人気。 ゲートが開くと、先行する二頭を見ながらの三番手につけた。前半600メートルは33秒2。前年の32秒8に比べれば緩い。直線で抜け出したバクシンオーは、追ってきたヤマニンゼファーを二馬身半突き放した。父サクラユタカオーの産駒として、初めてのGI制覇でもあった。 レース後、小島は言った。「オヤジにありがとうと言いたい」[^1]。寝ても覚めてもそのことばかり考えていた、絶対に負けられないと思っていた、と続けた。 年が明けて発表されたJRA賞の最優秀短距離馬は、しかしこの馬ではなかった。十票差で、ヤマニンゼファーに譲っている。
出典:ウィキペディア日本語版「サクラバクシンオー」(小島太の勝利騎手インタビューの初出は『優駿』誌)、https://ja.wikipedia.org/wiki/サクラバクシンオー 、閲覧日:2026年8月3日。
一六〇〇メートルの壁 ― ノースフライト
1994年の目標は、まだ勝てていない1600メートルのGI、安田記念に置かれた。前哨戦の選び方からして慎重だった。同距離の東京新聞杯は60キロを課されると分かって回避し、直前の京王杯スプリングカップでは調整が間に合わない。結局、1200メートルのダービー卿チャレンジトロフィーから始動する。単勝1.2倍。二番手から楽に抜け出し、小島が手綱を抑える余裕さえ見せて勝った。 五月の安田記念は、国際GIになって二年目。外国馬が五頭参戦した。マイネルヨースが飛ばし、1000メートル通過は56秒9。バクシンオーは二番手でこれを追う。直線の入口でいったん先頭に立った。そこからが長かった。後続に次々と交わされ、後方に待機していたノースフライトの四着に終わる。 秋、陣営は天皇賞(秋)を口にした。その試金石として選んだのが1800メートルの毎日王冠である。1000メートル通過57秒5で飛ばし、直線半ばまで先頭で粘った。ネーハイシーザーに交わされ、残り100メートルでフジヤマケンザン、スターバレリーナにも交わされて四着。ネーハイシーザーの時計は自身の持つレコードを0秒5更新するものだったが、負けたバクシンオーのタイムもまた、その旧レコードを上回っていた。守備範囲の外でこれだけ走れたのは収穫だったと、小島は振り返っている。 短距離に戻った。1400メートルのスワンステークスには、安田記念で先着を許したノースフライトが出てきた。春はマイルで置いていかれた相手を、今度は自分の距離で迎え撃つ形になる。抑えたまま先頭に立ち、追ってくる相手に一馬身四分の一。1分19秒9――日本の1400メートルで、初めて1分20秒の壁が破られた瞬間だった。この阪神のコースレコードは、2017年まで書き換えられない。 十一月のマイルチャンピオンシップは、その再戦である。三番手から直線入口で先頭に立つ運びは前走と同じだった。だが半ばでノースフライトに交わされ、一馬身半差の二着。1600メートル以上のレースで、この馬はついに一度も勝てなかった。 境はのちに、ノースフライトが完調で出てきたら1200メートルでも勝てたかどうか分からないと語っている。小島の見立ては簡潔だった。バクシンオーは日本一速い馬で、ノースフライトは日本一切れる馬だ、と。
三十二秒四
引退は、走る前に決まっていた。勝っても負けても、これを最後にする。そう発表したうえで、暮れの中山に立った。 その年からスプリンターズステークスは国際競走になっている。海の向こうから、米スプリント界を代表する馬という触れ込みでソビエトプロブレムが来た。ブリーダーズカップ・スプリントで、勝ったチェロキーランに頭差まで迫った実績を持つ。それでも支持は割れなかった。この馬が一番人気だった。 ゲートが開く。前で速い馬たちがぶつかり合った。600メートルの通過が32秒4。1200メートルの競馬で前半をこの時計で入るというのは、行った馬はまず残らない、という意味である。 バクシンオーは、そこに加わらなかった。四番手。前が勝手に潰れていくのを、少し離れたところから見ている。 三コーナー。ここから進出を始めた。最終コーナーにかけて、前を行く馬を一頭ずつ削っていく。 直線を向いたとき、隣に馬はいなかった。 追ってくる馬がいない、という状態が、中山の直線の長さのぶんだけ続いた。後方から伸びたビコーペガサスがゴール板を通過したときには、四馬身が空いている。ソビエトプロブレムは七着だった。 時計は1分7秒1。日本レコードだった。
速さを返す
翌1995年1月15日、中山競馬場で引退式が行われた。背には、二度目に勝ったスプリンターズステークスのゼッケン「8」がつけられていた。 行き先は社台スタリオンステーションである。当時そこに繋養される内国産馬は、トウカイテイオーやメジロマックイーンなど数えるほどしかいない。生産界はサンデーサイレンスの天下で、国産種牡馬は劣勢に立たされていた。それでも吉田勝己は、これほど絶対的なスピードを持つ型の種牡馬は必要なのだと言って迎え入れる。母を手放さなかった吉田善哉の、次男である。 初年度から十六年続けて、百頭を超える牝馬が集まった。ショウナンカンプが高松宮記念を勝ち、グランプリボスが朝日杯フューチュリティステークスとNHKマイルカップを勝ち、ビッグアーサーがまた高松宮記念を勝った。中山大障害と中山グランドジャンプを連覇したブランディスのような、まるで似ていない仔も出た。2010年には、内国産種牡馬として三頭目となる産駒のJRA通算千勝に届いている。2011年4月30日、心不全で急逝。二十二歳だった。その八日後、グランプリボスがNHKマイルカップを勝っている。母の父としては、GIを七つ勝って顕彰馬に選ばれたキタサンブラックがいる。 境勝太郎は1997年2月、定年で厩舎を閉じた。この馬は、その最後の数年に手元にいた一頭である。「正直、あんなに走るようになるとは思わなかった」[^1]――境が欲しかったのは母のほうだった。社台が惜しんで渡さなかったのも母のほうだった。返却の埋め合わせに差し出された初仔は、いわば釣り銭である。 その釣り銭が、日本で一番速い馬になり、社台の種馬場へ戻り、置いていけるだけのスピードを日本の血に注ぎ返した。 『優駿』が2012年に距離別の最強馬を尋ねたとき、六つの区分のうち過半数の票が一頭に集まったのは1200メートルだけだったという。走り終えて十八年が経っても、この距離の物差しは、まだこの鹿毛のままだった。
出典:ウィキペディア日本語版「サクラバクシンオー」(境勝太郎の談話の初出は『優駿』誌)、https://ja.wikipedia.org/wiki/サクラバクシンオー 、閲覧日:2026年8月3日。
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