名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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クィーンスプマンテのイメージビジュアル
クィーンスプマンテQueen Spumante
Queen Spumante

クィーンスプマンテ

通算成績22戦6勝

獲得賞金17,340万円

生年月日 2004.04.09(平成16年)毛色 栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
クィーンスプマンテの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
10 GI香港カップ 香港 芝2000 田中博康 2:03.4 映像
1 GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 11人気 田中博康 2:13.6 上り36.8映像
9 GII京都大賞典 京都 芝2400 11人気 田中博康 2:25.3 上り37.7
1 OPみなみ北海道S 札幌 芝2600 6人気 荻野琢真 2:39.1 上り37.8
8 パールS 中京 芝1800 2人気 藤岡佑介 1:46.7 上り34.7
9 府中S 東京 芝2000 13人気 武士沢友治 1:59.8 上り35.9
1 4歳以上1000万下 阪神 芝2000 3人気 藤岡佑介 2:03.3 上り34.9
9 皿倉山特別 小倉 芝2600 4人気 浜中俊 2:40.9 上り37.5
2 堀川特別 京都 芝1800 9人気 浜中俊 1:45.3 上り35.0
4 兵庫特別 阪神 芝2400 5人気 浜中俊 2:29.5 上り35.8
1 八甲田山特別 函館 芝2600 1人気 藤岡佑介 2:42.0 上り36.6
11 赤倉特別 新潟 芝2000 1人気 中舘英二 1:59.2 上り34.0
3 糺の森特別 京都 芝2000 5人気 藤岡佑介 2:00.8 上り34.5
3 4歳以上1000万下 阪神 芝1800 3人気 藤岡佑介 1:48.2 上り34.8
8 オリエンタル賞 東京 芝2000 6人気 田中勝春 2:01.4 上り34.6
12 GI秋華賞 京都 芝2000 15人気 鮫島良太 2:00.1 上り33.2映像
10 OP紫苑S 中山 芝2000 8人気 松岡正海 2:00.2 上り36.3
1 鳥屋野特別 新潟 芝1800 6人気 田中勝春 1:46.7 上り33.7
3 白藤賞 中京 芝1800 5人気 藤岡佑介 1:47.9 上り35.3
17 OPスイートピーS 東京 芝1800 10人気 千田輝彦 1:49.3 上り36.8
1 3歳未勝利 福島 芝2000 3人気 田中博康 2:01.7 上り36.9
3 3歳新馬 阪神 芝1800 11人気 千田輝彦 1:51.1 上り34.6

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
クィーンスプマンテの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ジャングルポケットJungle PocketトニービンTony BinカンパラKampala
Severn Bridge
ダンスチャーマーDance CharmerNureyev
Skillful Joy
センボンザクラサクラユタカオーテスコボーイTesco Boy
アンジェリカ
ダイナフランダースノーザンテーストNorthern Taste
レディフランダーズLady Flanders
STORY

旅程 — この馬の物語

2004年生まれの栗毛の牝馬。父ジャングルポケット、母センボンザクラ。主な勝ち鞍はエリザベス女王杯。

泡の名前

2004年4月9日、北海道千歳市の社台ファームで、栗毛の牝馬が生まれた。母センボンザクラの六番仔である。 母は三十一戦して四勝した。中山のダート千八百メートルで新馬を勝ち、夏の福島で二つ足し、1997年の正月に中山のダート千二百メートルの若水賞を勝っている。クイーンステークスとカブトヤマ記念にも出走したが、どちらも二桁着順に終わった。使われたのは千二百から二千メートルまでで、それより長い距離は一度も走っていない。 牝系はもっと長い。社台ファームが1971年にアメリカから輸入したレディフランダーズに始まる一族で、その娘レディゴシップはクイーンステークスと中山記念で二着に来て六勝、同じく娘のダイナフランダースも、ブラッドストーンステークスやみなみ北海道ステークスを含めて六勝している。ダイナフランダースの仔がセンボンザクラで、つまりこの栗毛の祖母にあたる。三十年余り、社台ファームで紡がれてきた牝系である。ただ、オープン競走を勝つ馬は出ても、大きなタイトルを持ち帰った産駒は、まだ一頭も出ていなかった。 六年目の交配相手は、2001年の東京優駿とジャパンカップを勝ったジャングルポケットだった。生まれた仔には、父の父トニービンの血を引く馬にありがちな、体の緩いところがあった。牧場の長浜卓也は、幼いころは頼りない面ばかりが目についた、と振り返っている。 所有したのは一口馬主クラブの株式会社グリーンファームである。一口四万二千円、全二百口、募集の総額は八百四十万円だった。名前はカクテルから採られている。スプマンテとは、イタリアの発泡酒のことである。 クラブには規約がひとつあった。牝馬の現役期間は、長くても五歳の年末まで。生まれた時点で、走れる時間の終わりが決まっている馬だった。 預けられたのは美浦の小島茂之厩舎。小島は1968年、東京の生まれで、騎手を経ていない。競馬学校の厩務員課程を修了して嶋田功厩舎に入り、調教助手を八年務め、2002年に調教師試験に合格して翌年に厩舎を開いた。まだGIを勝っていない厩舎だった。

十の競馬場

2007年3月17日、阪神競馬場の芝千八百メートル、三歳新馬。単勝七十六・四倍の十一番人気だった。勝ったのは一・九倍に支持されたロックドゥカンブで、鞍上は安藤勝己。ニュージーランド生まれのその青鹿毛はここから連勝を重ね、ラジオNIKKEI賞ではのちのジャパンカップ馬スクリーンヒーローを、セントライト記念ではゴールデンダリアを、それぞれ一馬身半退けて無傷の四連勝に伸ばしていく。栗毛の牝馬は、その三着だった。 二週間後の3月31日、福島の芝二千メートル、三歳未勝利。鞍上はデビュー二年目の見習騎手、田中博康である。減量を含めた五十一キロを背負い、三番人気で、二着に〇秒六の差をつけて勝った。初勝利だった。 田中博康は1985年12月5日、埼玉県新座市の生まれ。中学三年だった2000年5月28日、たまたまつけたテレビで東京優駿を見た。アグネスフライトとエアシャカールが直線で叩き合った年である。それで競馬に惹かれ、高校一年で競馬学校を受けて落ち、二年でもう一度受けて受かり、卒業まで一年を残して高校を辞めた。2006年に美浦の高橋祥泰厩舎からデビューして一年目は四勝。二年目は減量を武器に四十四勝を挙げ、乗れる若手と呼ばれはじめたところだった。 そこからの三年が長い。四月のスイートピーステークスは十八頭立ての十七着。夏の新潟で鳥屋野特別を勝って二勝目を挙げたが、秋に格上挑戦した紫苑ステークスは十着、牝馬三冠の三つ目にあたる秋華賞は、十五番人気の十二着に終わった。勝ったのはダイワスカーレットである。ただ、この日の上がり三ハロンは三十三秒二だった。前を追いかける脚そのものは、持っていた。 四歳の春は自己条件で連敗し、五月のクラス再編で降級する。降級初戦、函館の芝二千六百メートルの八甲田山特別を藤岡佑介で勝ち、昇級してまた勝てなくなった。 五歳、2009年。規約の上では、走れる最後の年である。二月の小倉で九着、三月に阪神の芝二千メートルを勝って四勝目、そこから二戦して九着と八着。 8月8日、札幌競馬場の芝二千六百メートル、みなみ北海道ステークス。オープン特別への格上挑戦だった。他馬より恵まれた四十九キロのハンデで、初騎乗の荻野琢真を背に逃げ、五十七キロを背負う重賞勝ち馬グラスボンバーに三馬身半の差をつける。五勝目にして、初めてのオープン競走勝ちだった。 そしてこの一戦で、中央競馬の十の競馬場すべてに出走したことになった。札幌、函館、福島、新潟、東京、中山、中京、京都、阪神、小倉。二年半かけて条件戦を渡り歩いた馬にしか作れない履歴である。 祖母ダイナフランダースも、みなみ北海道ステークスを勝っていた。

西へ移る

オープンに上がったことで、陣営は最後の秋の目標を牝馬限定のGI、エリザベス女王杯に定めた。 9月26日、美浦所属のまま栗東トレーニングセンターへ入る。前年、小島は同じことをしていた。フラワーカップを勝ったブラックエンブレムを栗東に長く置き、そのまま秋華賞を勝っている。この年の春には国枝栄厩舎のマイネルキッツが似た過程で天皇賞(春)を制しており、関東の馬が西へ移り住んで関西のGIに挑む形は、いつしか「栗東留学」と呼ばれるようになっていた。狙いは単純で、レース直前の輸送を短く済ませることにある。 田中博康も西へ通った。関東所属の騎手が、関西に置かれた馬の調教に自ら跨りに行く。前哨戦の前も、本番の週も、彼は栗東で背中に乗っている。 10月11日、京都大賞典。四枠五番から先手を主張したが、外の七枠十二番から出たテイエムプリキュアがハナを譲らなかった。二頭は揃って我を忘れ、後続を置き去りにする大逃げになる。直線でテイエムプリキュアが先に力尽き、代わって先頭に立ったクィーンスプマンテは残り百メートルまで粘り、そこで脚が上がって八頭にかわされた。九着。鞍上は道中でハミをいじるところがあった、と折り合いの難しさを認めている。 小島が引き出した結論は、負けたという事実のほうではなかった。この馬は、ハナを切らなければ持ち味が出ない。二番手で我慢させれば口を割る。ならば競り合って潰れても構わない――そう腹を括ったうえで、彼は調教を強くした。それまでハードには攻められなかった馬が、今度は攻めに耐えた。状態はこれまでで最も良かった。 京都の芝二千二百メートルは、発走から最初のコーナーまで長い直線が続く。人気を集めるのは末脚に賭ける馬ばかりで、この馬は逃げれば六戦五勝だった。出遅れさえしなければハナは取れる。 「競馬はやってみなければ分かりませんし、各馬の脚質や展開など自分なりに計算していましたので、正直、『勝てるんじゃないか』と自信があったんです」[^1] 単勝は七十七・一倍、十八頭立ての十一番人気だった。

出典:スポーツナビ「波乱女王スプマンテ 確信の大逃走V!=エリザベス女王杯」2009年11月15日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200911160001-spnavi 、閲覧日:2026年8月1日。

足音

淀は晴れて、馬場は良。四枠七番のゲートに、青い帽子が収まった。 扉が開く。外の六枠十一番も出た。前走でハナを譲った相手である。今度はこちらが内にいた。内から出た馬のほうが、最初のコーナーまでの距離は短い。 先手は、すぐに決まった。緑の帽子が二番手に下がる。 スタンド前を通るとき、鞍上は抑えにいっていない。楽に走らせようと決めていた。前走で折り合いを欠いたのは、二番手で我慢させたからだった。今日は前がいない。ハミを噛みにいく理由が、この馬にはない。 一コーナー。刻んでいるラップは十二秒台で、前半の千メートルの通過は六十秒五。速くはない。速くないから、後ろには追う理由がある。理由があるのに、誰も出てこない。 向正面に入るころ、前の二頭と三番手以下のあいだに、はっきりした空白ができていた。空白は、歩くような速さで広がり続けた。 追いつくには、誰かが単独で動くしかない。単独で動けば、自分の脚を先に使う。使い切れば、後ろから来た馬に差される。十六頭の鞍上がおそらく同じ計算をして、同じ結論に達した。まだ早い。まだ、誰かが先に行くだろう。 その空白の幅を、鞍上は知らない。振り返らずに走る人間に見えるものは、多くない。それでも彼には、ひとつだけ確かめられたことがあった。 「プリキュアも来ていましたし、後続の足音が聞こえなかったので、いい感じで行けているな」[^1] やがて二番手の緑の帽子が、先に促された。前を窺いにくる。 譲らなかった。二頭は並んだまま、最終コーナーを回っていく。そのとき三番手との差は、二十五馬身ほどあった。 コーナーを抜けながら、彼はターフビジョンに目をやっている。映っていたのは後続の集団のほうだった。結局この日、自分の目で差を確かめた瞬間は一度もない。 直線を向く。前には何もない。二頭は失速せず、入ってしばらくは、むしろ後ろとの差を広げた。この時点で、優勝はこの二頭のどちらかに決まっている。 追い比べは半ばまで続いた。先に動いた緑の帽子が、じりじりと苦しくなる。青い帽子が、そこからもう一度伸びた。 一馬身半。 ゴール板を過ぎ、ひと呼吸おいてから、二十三歳は左手だけでガッツポーズをつくった。余裕があったわけではない。とにかく粘ってくれと思いながら追っていた、とあとで苦笑いしている。

出典:スポーツナビ「波乱女王スプマンテ 確信の大逃走V!=エリザベス女王杯」2009年11月15日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200911160001-spnavi 、閲覧日:2026年8月1日。

後ろから見えなかったもの

一番人気は単勝一・六倍のブエナビスタだった。この年の桜花賞と優駿牝馬を勝ち、秋華賞ではレッドディザイアに七センチ届かず二位入線、さらに走行妨害を取られて三着に降着している。三冠を自ら取りこぼした牝馬が京都でやり直す――五万八千人の多くは、その物語を見に来ていた。 鞍上の安藤勝己は、二年八か月前、この栗毛をデビュー戦で負かした男である。あの日は先頭にいて、この日は後ろにいた。ペースが遅いのは感じていた、と彼は言う。横山典弘のカワカミプリンセスが早めに動いたので、自分もいつもより早く動いた。それでも前は見えなかった。 「前が開いたときに初めて、先頭の馬がとんでもなく前にいることがわかって……」[^1] 三コーナーの下りから捲り、直線は外から追った。上がり三ハロンは三十二秒九。それでもテイエムプリキュアにクビ差及ばず三着で、勝った馬まではそこからさらに一馬身半あった。届かなかったのではなく、届く場所から始めていなかった。カワカミプリンセスは九着だった。 十八頭のうち十六頭は、前が止まるのを待った。止まらなかった。 配当が記録を作った。三連単は百五十四万五千七百六十円。この競走の史上最高で、更新されるまでに十二年かかっている。馬連も馬単もワイドも三連複も、同じ日にまとめて塗り替えられた。 記録はほかにもあった。重賞初勝利がエリザベス女王杯という馬は、1997年のエリモシック、2006年のフサイチパンドラに続いて三頭目。五歳馬の優勝は2001年のトゥザヴィクトリー以来八年ぶりで四頭目。逃げ切りは2007年のダイワスカーレットに続いて二頭目。関東の馬が勝ったのは1999年のメジロドーベル以来だった。 小島茂之にとってはGI二勝目である。前年の秋華賞をブラックエンブレムで、この日をクィーンスプマンテで勝った。どちらも十一番人気だった。田中博康は二十三歳、デビュー四年目。その年の夏にシルクメビウスでユニコーンステークスを勝ったのが初めての重賞で、二つ目がこれだった。 1971年にレディフランダーズが海を渡ってから三十八年。この一族がまだ持っていなかったものが、六番仔の背に載って戻ってきた。

出典:スポーツナビ「波乱女王スプマンテ 確信の大逃走V!=エリザベス女王杯」2009年11月15日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200911160001-spnavi 、閲覧日:2026年8月1日。

期限

レース直後、次走は未定と答えた小島は、五歳という年齢を挙げて、母になる日も近いと言い、目標に定めたレースをこうして勝てたのはこの馬が頑張ったからだと、感謝を第一に語っている。 年末の期限は動かない。陣営はまず有馬記念を最後の一戦に考えたが、直線の形状や過去の傾向を考えて、12月中旬の香港国際競走に切り替えた。狙いは芝二千四百メートルの香港ヴァーズ。ところがレーティングの都合で主催者から香港カップを勧められ、二千メートルのほうへ回ることになる。予備登録をしていなかったため、本登録料およそ百七十万円に、追加登録料およそ六十七万円を足して出走した。 12月4日、香港スプリントへ向かうローレルゲレイロと同じ飛行機で香港に入る。12月13日、沙田競馬場、芝二千メートル、十頭立て。田中博康にとっては、これが初めての外国での騎乗だった。十着。勝ったのはフランスのヴィジョンデタである。 帰国して九日後の12月22日、競走馬登録が抹消された。二十二戦六勝、獲得賞金一億七千三百四十万円。募集の総額の二十倍を超えている。 デビューから二年五か月をオープンの下で過ごし、オープンにいたのは三か月、GI馬でいられたのは五週間だった。

掛けた男

生まれた社台ファームに帰り、繁殖牝馬になった。2012年から仔を産み、十頭目を最後に2023年で繁殖を退いた。 GIを勝った騎手のほうは、そこから勝てなくなった。 翌2010年の勝ち星は十三。デビュー年を除けば最も少ない年である。初めての重賞を運んでくれたシルクメビウスとは、その年も東海ステークスとブリーダーズゴールドカップを勝ったが、JBCクラシックとジャパンカップダートを続けて負けて乗り替わりになった。結果を出せなかった自分の責任だと彼は言い、また指名されるには上手くなるしかない、と考えた。 2011年4月12日、フランスへ発つ。現地の厩舎で、夜の明けきらないうちから馬装をし、寝藁を上げ、調教に跨った。それでもレースには乗せてもらえない日が続く。言葉の通じない国で黙々と汗を流す姿を見ていた日本人調教師が騎乗馬を用意し、自分から手伝いを申し出た厩舎が実戦にも乗せてくれるようになり、ベルギーまで遠征して勝った。秋には凱旋門賞に挑むヒルノダムールの陣営を手伝った。気づけば九か月が経っていた。 帰ってきても、勝ち星は一桁のままだった。それでも毎年のように海を渡り、イギリスにもアイルランドにも飛んだ。2016年、調教師試験を初めての受験で通る。騎手出身としてはJRA史上最年少の合格だった。合格から開業までの一年あまりで、彼はまず香港へ渡っている。クィーンスプマンテと最後の一戦を走った場所だが、感傷に浸る時間はなかった。フランスに戻ってアンドレ・ファーブルの厩舎で研修し、ドバイでは日本馬の陣営に帯同し、オーストラリアではメルボルンカップを見て人脈を広げた。海外へ行ける馬が出てから慌てないために、先に全部見ておく。2018年3月、美浦に厩舎を開いた。壁には「凱旋門賞制覇」と書かれた大きな看板が掛けてある。 2019年5月11日、新潟の三歳未勝利戦に、その厩舎の栗毛が出走した。アスティ。父オルフェーヴル、母クィーンスプマンテ。五番仔である。のちに南関東と笠松を経て中央に戻り、四十四戦して五勝を挙げ、2021年にはステイヤーズステークスのゲートにも入った。長い距離を走る馬だった。母と同じである。 彼はその後、2023年にレモンポップでフェブラリーステークスを勝ち、2024年にJRA賞の優秀技術調教師に選ばれ、2025年8月にはアロヒアリイでフランスのギヨームドルナノ賞を勝った。2026年6月、シックスペンスで安田記念。壁の一行には、まだ届いていない。 音が消えるというのは、たいていの騎手にとって嫌な報せである。置かれたか、離されたか、どちらかだからだ。二十三歳の秋、七十七倍の牝馬の背で、彼はその静けさを勝つ側から聞いた。翌年から勝てなくなり、乗り替わりを告げられ、異国で寝藁を上げていたあいだも、後ろから足音は聞こえてこなかった。聞こえないまま歩き続けて、いまは馬を送り出す側に立っている。 淀の直線に入って、前には何もなかった。後ろにも、何も聞こえなかった。栗毛の牝馬は、その静かな直線を、誰にも邪魔されずに走り切った。

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