名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

名馬録
◀ 名馬録へ
ネオユニヴァースのイメージビジュアル
ネオユニヴァースNeo Universe
Neo Universe

ネオユニヴァース

通算成績13戦7勝

獲得賞金61,337万円

生年月日 2000.05.21(平成12年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ネオユニヴァースの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
10 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 2人気 M.デムーロ 3:20.3 上り35.3映像
1 GII産経大阪杯 阪神 芝2000 1人気 M.デムーロ 1:59.6 上り35.2映像
4 GIジャパンカップ 東京 芝2400 2人気 M.デムーロ 2:30.3 上り37.0映像
3 GI菊花賞 京都 芝3000 1人気 M.デムーロ 3:05.0 上り35.6映像
3 GII神戸新聞杯 阪神 芝2000 2人気 福永祐一 2:00.2 上り35.3映像
4 GI宝塚記念 阪神 芝2200 2人気 M.デムーロ 2:12.3 上り36.1映像
1 GI東京優駿 東京 芝2400 1人気 M.デムーロ 2:28.5 上り35.3映像
1 GI皐月賞 中山 芝2000 1人気 M.デムーロ 2:01.2 上り34.3映像
1 GIIフジTVスプリングS 中山 芝1800 2人気 M.デムーロ 1:48.2 上り34.7映像
1 GIIIきさらぎ賞 京都 芝1800 3人気 福永祐一 1:49.6 上り35.2映像
1 白梅賞 京都 芝1600 1人気 福永祐一 1:35.1 上り36.3
3 OP報知杯中京2歳S 中京 芝1800 1人気 池添謙一 1:49.2 上り35.2
1 2歳新馬 京都 芝1400 1人気 福永祐一 1:22.7 上り35.1

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ネオユニヴァースの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
サンデーサイレンスSunday SilenceHaloHail to Reason
Cosmah
Wishing WellUnderstanding
Mountain Flower
ポインテッドパスPointed PathKrisSharpen Up
Doubly Sure
Silken WayShantung
Boulevard

引退後・牧場での映像

ゴール板の先の時間
STORY

旅程 — この馬の物語

2000年生まれの鹿毛の牡馬。父サンデーサイレンス、母ポインテッドパス。主な勝ち鞍は皐月賞・東京優駿・きさらぎ賞。

五月二十一日

2000年5月21日、北海道千歳市の社台ファームで鹿毛の牡が生まれた。サラブレッドの誕生としては遅い。牧場は当初、この馬のデビューを3歳の春と見込んでいた。 父はサンデーサイレンス。母のポインテッドパスは1984年にイギリスで生まれ、フランスで二度走って勝てなかった牝馬である。日本へ来る前に、のちにカルヴァドス賞を勝つフェアリーパスを産んでいた。輸入されてからは、サンデーサイレンスとの交配が繰り返される。全兄にチョウカイリョウガとアグネスプラネットがいる。惑星の名を持つ兄がいて、この馬には宇宙の名がついた。母の一族には、アイリッシュオークスを勝ったヘレンストリートと、その仔ストリートクライがいる。 社台ファーム代表の吉田照哉は、この仔を兄たちより低く見ていた。兄二頭が好馬体だったのに対し、こちらは脚長でひょろりとして頼りない。あれ以上に走れるだろうか、と当時は思ったという。 預けられたのは栗東の瀬戸口勉厩舎である。同じ厩舎には同期のエイシンチャンプがいた。その年の暮れに朝日杯フューチュリティステークスを勝ち、二歳王者になる馬である。 調教は思いのほか順調に進み、初戦は2002年11月9日に来た。京都の芝1400メートル、鞍上は福永祐一。二番手から抜け出して1馬身半差で勝つ。福永は検量室の前で、こんな牡馬に乗ったことがない、GI級だと言った。 12月の中京2歳ステークスは池添謙一が乗り、1番人気で3着。勝ち馬とはタイム差がなかった。年が明けて白梅賞を福永で勝つと、2月のきさらぎ賞で重賞に初めて出走する。3番人気だった。最終コーナーで先頭に立ち、そのまま押し切って、シンザン記念を勝ってきたサイレントディールを半馬身抑えた。

三か月の騎手

皐月賞トライアルの第一戦、弥生賞にはエイシンチャンプも登録していた。福永はどちらの主戦でもある。瀬戸口と相談したうえで、福永はエイシンチャンプを選んだ。ネオユニヴァースは弥生賞を回避し、スプリングステークスへ回ることになる。 空いた鞍に、吉田照哉が一人の名を推した。ミルコ・デムーロ。イタリアのリーディングジョッキーを四年続けた男で、1999年から短期免許で日本へ来ていた。この免許で騎乗できるのは、年に三か月までである。 初めて跨がったとき、デムーロは信じられない馬だと感じた。距離は長いほうがよく、皐月賞よりダービー向きだとも思ったという。 3月23日、中山。15番枠から出たネオユニヴァースは、道中ずっと馬群の外を回らされた。距離の損になる乗り方である。だが、これはデムーロが意図してやったことだった。中距離でスタミナが保つのか、折り合いはつくのか。その二つを、本番の前に確かめておきたかった。 答えは両方とも出た。1番人気のサクラプレジデントを、1馬身1/4差で退けている。

一頭ぶんの隙間

4月20日の中山は小雨だった。芝は良。混戦という下馬評のなかで、ネオユニヴァースが1番人気に推された。 前半の1000メートルは61秒7で流れた。速くない。チキリテイオーとエースインザレースが前を作り、ザッツザプレンティが掛かり気味に外から絡んでいく。ネオユニヴァースは馬群の真ん中、九番手あたりにいた。 向正面のハロンタイムは12秒9、12秒6、12秒6と並ぶ。緩い。緩いということは、まだ誰の脚も減っていないということである。 三コーナー。まだ馬群の中にいる。前は壁のままだった。 残り600メートルから、時計が落ちた。11秒4、11秒5、11秒8。十八頭がほぼ同時に加速した。こうなると馬群は前後に伸びない。横に詰まる。 四コーナー。ネオユニヴァースは四頭が固まったなかにいた。内へも外へも出せない。デムーロは後に、前が横一線で入る隙がなく、脚を余したまま負けると思った、と振り返っている。 そこで、一頭ぶんだけ開いた。 デムーロは迷わなかった。 直線で先に抜け出していたのはサクラプレジデントである。鞍上は田中勝春。内から並びかけ、二頭になる。並んだまま、残りが減っていく。 決勝線。アタマ差だった。レース全体の上がり三ハロン、つまり最後の600メートルは34秒7で、ネオユニヴァースは34秒3で上がっている。 ゴールの直後、デムーロは真横で俯いていた田中の頭を叩いた。この行為はのちに物議を醸す。悲しそうな顔をしていたので励ましたつもりだった、と本人は説明している。喜びの行き場が分からない手つきだった。 JRAの公式記録は、この日の皐月賞に短い注記を二つ残している。騎手M.デムーロ、初勝利。調教師瀬戸口勉、初勝利。二人とも、このレースを勝つのは初めてだった。

重い府中を、内から

皐月賞のあと、デムーロはいったんイタリアへ帰った。本国ではブルーノ・グリツェッティ厩舎と騎乗契約を結んでおり、厩舎の意向次第では日本ダービーに乗れない可能性があった。吉田照哉がその厩舎に所有馬を預けていた縁で、話がつく。 6月1日。前日から台風の雨が降り、東京の芝は重になった。単勝2.6倍の1番人気。2番人気はサクラプレジデント、3番人気は青葉賞を勝ってきたゼンノロブロイである。 ゲートが開くと、その二頭は前へ行った。ネオユニヴァースは後ろから十三番手につける。道中で一度、流れが大きく緩んだ。七ハロン目が13秒6。三コーナーでは、十五番手あたりまで下がっている。 そこから内へ入った。荒れていて、他の馬が避けていた場所である。四コーナーを回ったときには七、八番手まで押し上げていた。 直線で先に抜け出したのはゼンノロブロイだった。並びかけ、かわす。着差は半馬身。デムーロはゴールの手前で拳を突き上げていた。それだけの余裕があった。 重い馬場で、レース全体の上がりは36秒3までかかっている。この馬は35秒3で上がった。 皐月賞と東京優駿の二冠は、1997年のサニーブライアン以来六年ぶり、十九頭目である。外国人騎手が東京優駿を勝ったのは、これが史上初だった。瀬戸口にとってもダービーは初めてで、競馬人の夢の頂に立てた、と語っている。 掲示板に載った五頭は、いずれも社台グループの生産馬で、いずれもサンデーサイレンスの血を引いていた。吉田照哉は、亡き父の善哉に伝えたいと言った。 十着に敗れたエイシンチャンプには、福永祐一が乗っていた。後年、福永はあの選択を後悔していないと述べている。自分ひとりの力で上がってきた騎手ではないから、と。

規則が一つ増えた

ダービー馬は休ませて秋に備える。それが常道だった。陣営は違う道を選ぶ。6月16日、宝塚記念への出走が決まった。その年のクラシックを勝った馬が宝塚記念に出るのは、初めてのことである。理由は単純だった。状態が良く、四歳以上の馬とは負担重量で5キロの差があった。 ファン投票は六位。当日は前年の年度代表馬シンボリクリスエスに次ぐ2番人気になった。 出遅れた。後方から外を回して押し上げ、直線で伸び切れない。勝ったヒシミラクルから0秒3差の4着。シンボリクリスエスは、そこからさらにクビ差の後ろにいた。 夏は社台ファームで過ごし、山元トレーニングセンターでの調整を経て8月28日に栗東へ戻る。秋の目標は菊花賞だった。1994年のナリタブライアン以来、史上六頭目の三冠がかかっている。 ところが、鞍上がいなかった。デムーロの短期免許は年に三か月までで、春のうちに使い切っていたのである。 ここでJRAが規則を一つ足した。同じ馬に乗って同じ年にGIを二勝以上した騎手には、その馬がその年のGIに出走する日に限り、免許を出す。この一組のために書かれた規定だった。十六年後、リスグラシューで宝塚記念とコックスプレートを勝ったダミアン・レーンが、同じ規定で有馬記念のゲートに入っている。 規定が及ぶのはGIだけである。前哨戦の神戸新聞杯には、ふたたび福永祐一が乗った。ネオユニヴァースはゼンノロブロイと並んで中団を進んだが、後方からまくってきたサクラプレジデントに先を越され、そのサクラプレジデントを一気に抜き去ったゼンノロブロイに離される。約4馬身差の3着だった。 このとき歯が生え替わっている最中で、ハミの受けが悪かった。負けた理由がはっきりしていたので、陣営はこの敗戦を重く見ていない。

同じ勝負服

10月26日の京都は晴れた。単勝2.3倍の1番人気。2番人気にゼンノロブロイ、3番人気にサクラプレジデントが続く。 3000メートルは長い。序盤に11秒台が二つ出たあと、中盤は13秒0、13秒0、12秒7、12秒8、12秒9と落ち着いた。ネオユニヴァースは十二番手にいる。 動いたのは二周目の三コーナーだった。5番人気のザッツザプレンティが一気にスパートを掛けて先頭に立つ。残り800メートルから11秒8、11秒5。ネオユニヴァースもこれを追い、二番手で直線を向いた。 そこから、差が詰まらなかった。最後の1ハロンは12秒3まで落ちている。どの馬も脚が上がっていく。それでも、前の一頭は捕まらなかった。残り100メートルでは、後方から追い込んできたリンカーンにもかわされた。 ザッツザプレンティからリンカーンまで3/4馬身、リンカーンからネオユニヴァースまでクビ。三冠は消えた。 デムーロは淡々としていた。外枠は悪くなかった、ごちゃつかずに運べた、状態も良かった。そのうえで、距離が微妙に長かったと言った。 勝ったザッツザプレンティは、北海道千歳市の社台ファームで生まれている。背には、黄に黒の縦縞、袖に青の一本輪。ネオユニヴァースとまったく同じ勝負服だった。 一か月後のジャパンカップは、十一年ぶりの重馬場になった。逃げたタップダンスシチーが九馬身差で押し切る。ネオユニヴァースは十三番手あたりから追い上げたが、ザッツザプレンティシンボリクリスエスに先着を許して4着だった。 有馬記念のファン投票では9万8926票を集めて二位に選ばれたものの、出走せずに休養へ入る。その年のJRA賞最優秀3歳牡馬には、この馬が選ばれた。

右前脚

2004年、四歳。始動は4月4日の産経大阪杯だった。59キロを背負うのは初めてである。重賞四勝のバランスオブゲーム、前年のエリザベス女王杯を勝ったアドマイヤグルーヴが相手にいた。それでも単勝1.8倍の1番人気に推される。 直線の入口で二番手。逃げ粘るマグナーテンを、ゴール前でアタマ差だけ捉えた。ダービーから十か月ぶりの勝利である。 5月2日、京都。天皇賞(春)の3200メートル。人気の上位は、前の年のクラシックを争った四歳馬が占めた。阪神大賞典を勝ってきたリンカーンが1番人気、ネオユニヴァースが2番人気、ザッツザプレンティが3番人気、ゼンノロブロイが4番人気。 レースは五歳のイングランディーレが大逃げを打ち、2着のゼンノロブロイに七馬身をつけて逃げ切った。ネオユニヴァースは10着に終わる。 次は宝塚記念のはずだった。調整の過程で、右前脚に浅屈腱炎と球節の亀裂骨折が見つかる。骨折は天皇賞のレース中に生じた可能性が高いと判断された。担当厩務員の松久月広は、痛みに気づいてやれていれば屈腱炎まで併発させずに済んだかもしれない、と悔いたという。 放牧に出て治療を続けたが、9月に引退が発表された。20日、札幌競馬場で引退式が行われている。 13戦7勝。四歳の春で、走るほうは終わった。

贈り物の向き

総額12億円のシンジケートが組まれ、2005年から早来町の社台スタリオンステーションで種牡馬になった。集まった牝馬は初年度228頭、次が247頭、三年目は251頭。その年、国内でいちばん多い数である。ノーザンダンサーの血を持たないことが、相手を選ばない強みになった。 産駒は2008年に走り出す。9月、ロジユニヴァースが札幌2歳ステークスを勝った。 翌2009年の春、この父の名が二度呼ばれる。皐月賞をアンライバルドが、東京優駿をロジユニヴァースが勝った。どちらも父子制覇である。自分が勝てなかった一つではなく、勝った二つを、仔たちが同じ年に取り直した。 2010年にはヴィクトワールピサが皐月賞を勝つ。暮れの有馬記念では、デムーロが乗った。向正面の半ばから動いて早めに先頭へ出ると、外から来たブエナビスタを約2センチだけ凌ぐ。写真判定に六分かかった。 「ネオユニヴァースがクリスマスプレゼントをくれた」[^1]。デムーロは大きな瞳に涙をためて、そう言った。 翌年の3月26日、同じ馬と同じ騎手がドバイのゲートに入り、世界最高賞金のレースを勝つ。日本で調教された馬がドバイワールドカップを勝ったのは、これが初めてだった。東日本大震災から、まだ半月しか経っていない。 その九年前に同じ競走を勝っていたのは、ストリートクライである。ネオユニヴァースの母の一族から出た馬だった。 デムーロは2013年、外国人騎手として初めてJRAの騎手免許試験を受けた。落ちた。二次試験は日本語の口頭試問である。騎乗を自粛して日本語を勉強し直し、2015年にクリストフ・ルメールとともに合格した。外国人が通年でJRAの騎手を務めるのは、これが初めてになる。 ネオユニヴァースは2015年12月に新ひだか町のレックススタッドへ移り、2021年3月8日、種付けの最中の事故で死んだ。二十一歳だった。 クリスマスプレゼント、という言い方は、仔が父から預かってきたという意味になる。けれど順序を辿れば、向きは逆である。日本にいられるのが年に三か月しかなかった男に、この馬は二つのクラシックを渡した。JRAは規則を一つ増やし、男は秋にもう一度戻ってきた。そのあとの十二年ぶんは、男が自分で払っている。 中山の四コーナーで一頭ぶんだけ開いたあの隙間は、馬一頭のために開いたのではなかった。

出典:スポーツナビ「ヴィクトワール2cm差の劇勝! デムーロ「夢かなった」=有馬記念」2010年12月26日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201012260006-spnavi 、閲覧日:2026年8月2日。

OFFSPRING

産駒 — 旅を継ぐ馬

ABOUT

このサイトについて

名馬ジャーニーとは

名馬ジャーニーは、競馬の名レースと、引退した馬たちのその後を記録する、個人運営のアーカイブサイトです。数分のレースだけでなく、馬がターフを去ってからの時間まで辿れることを大切にしています。JRAなどの競馬主催者・関連団体とは関係のない、一人の競馬好きが続けている場所です。

情報について

本サイトの競走馬プロフィールやレース記録は、報道記事やWikipediaなど、一般に公開されている情報をもとに、当サイトの言葉で整理・編集しています。各馬の歩みをたどる読み物には、参考にした記事の出典を末尾に記載し、引用は必要な範囲にとどめています。

競走成績などのデータは、Wikipediaを主として一般に公開されている情報を参考に、当サイトが独自に整理・編集したものです。JRAの公式サイトやJRA-VAN、netkeibaといった競馬情報サービスのデータベースを転載・複製したものではありません。個人が公開情報をもとにまとめたものであり、内容の正確性を保証するものではありません。

文章の制作には生成AIを活用し、運営者が確認のうえ公開しています。ただし個人による運営で、一部は自動的に更新されるため、誤りや古くなった情報が含まれている場合があります。誤りにお気づきの際は、お知らせいただけると幸いです。馬券の購入その他の判断は、JRA・各主催者の公式発表にもとづき、ご自身の責任で行ってください。

画像について

本サイトに掲載している競走馬のイラストなどの画像は、AIで生成したオリジナルのものです。実在する写真を複製・加工したものではありません。競走馬の毛色や特徴を完全に再現できるものではない点は、あらかじめご了承ください。なお、映像のサムネイルは、YouTube上の各動画のサムネイル画像を表示しています。

映像について

本サイトのレース映像は、競馬主催者などの公式チャンネルが公開し、埋め込みを許可している動画だけを、YouTubeの標準的な埋め込み機能でご紹介しています。権利者に無断で転載された映像は扱いません。牧場の映像も同じ仕組みで、牧場や、牧場を訪ねた方々が自身のチャンネルで公開している動画をご紹介しています。

動画は埋め込み先でもYouTube上で再生され、再生数・広告収益はすべて各チャンネルに帰属します。あわせて各チャンネルの登録ボタンを設け、ご覧になった方が配信元のチャンネルへ辿り着けるようにしています。本サイトが動画ファイルを保存・配信することはありません。

名レースの記憶を残し、馬たちの引退後まで辿るこのサイトが、その映像を遺してくださった各チャンネルと、新しい競馬ファンとの出会いに少しでも役立てば幸いです。

広告について

本サイトは、運営を続けるための費用にあてるため、競走馬プロフィールや成績表など、当サイトが制作したコンテンツが主体のページに広告を掲載することがあります。動画の視聴が主となる場面には広告を置きません。アフィリエイトリンクなどを掲載する場合は、広告であることがわかる表示を行います。

アクセス解析について

本サイトは、閲覧状況の把握と改善のため、Googleアナリティクスを利用しています。GoogleアナリティクスはCookieを用いてアクセス情報を収集しますが、個人を特定する情報は含まれません。仕組みの詳細はGoogleのポリシーと規約をご確認ください。Cookieは、お使いのブラウザの設定で無効にすることもできます。

免責事項

掲載内容には正確を期していますが、その正確性・完全性を保証するものではありません。本サイトの利用、およびリンク先の外部サイトの利用によって生じた損害について、運営者は責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。

お問い合わせ・権利者の方へ

掲載内容についてのお問い合わせ、誤りのご指摘、掲載をご希望されない場合の削除・修正のご依頼を承ります。権利者やご関係者の方からのお申し出には、内容を確認のうえ、速やかに対応いたします。お問い合わせ先は、準備が整い次第このページに掲載いたします。映像については、各チャンネル側の設定でも表示を停止いただけます。

DREAM

ドリームレース

歴代名馬のオールスターを、選んだ舞台で走らせる夢想レース