名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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メルシータカオーのイメージビジュアル
メルシータカオーMerci Taka O
Merci Taka O

メルシータカオー

通算成績24戦4勝

獲得賞金18,591万円

生年月日 1999.04.05(平成11年)毛色 栗毛セン

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
メルシータカオーの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
14 3歳以上500万下 福島 芝1800 9人気 田中克典 1:50.6 上り37.8
7 OPペガサスジャンプS 中山 障3350 2人気 出津孝一 3:44.8 上り13.4
1 JGⅠ中山大障害 中山 障4100 5人気 出津孝一 4:37.6 上り13.5
9 OPイルミネーションJS 中山 障3350 5人気 出津孝一 3:43.7 上り13.4
3 JGⅡ東京ハイジャンプ 東京 障3300 1人気 出津孝一 3:40.2 上り13.3
2 JGⅠ中山グランドジャンプ 中山 障4250 7人気 出津孝一 4:47.9 上り13.5映像
3 障害4歳以上OP 阪神 障3170 2人気 出津孝一 3:32.9 上り13.4
5 JGⅠ中山大障害 中山 障4100 5人気 出津孝一 4:42.9 上り13.8
3 OPイルミネーションJS 中山 障3350 2人気 出津孝一 3:48.1 上り13.6
1 OP秋陽ジャンプS 東京 障3300 4人気 出津孝一 3:39.0 上り13.3
6 障害3歳以上OP 京都 障3170 6人気 出津孝一 3:35.5 上り13.6
1 障害3歳以上未勝利 中京 障2800 1人気 出津孝一 3:05.9 上り13.3
3 障害3歳以上未勝利 中京 障2800 2人気 出津孝一 3:05.0 上り13.2
2 障害4歳以上未勝利 東京 障3000 1人気 出津孝一 3:26.5 上り13.8
3 障害4歳以上未勝利 東京 障3000 2人気 出津孝一 3:19.1 上り13.3
3 障害4歳以上未勝利 阪神 障3000 12人気 出津孝一 3:21.3 上り13.4
14 4歳以上500万下 中京 芝2000 15人気 高井彰大 2:04.1 上り36.5
16 4歳以上500万下 小倉 芝1200 14人気 武英智 1:12.3 上り37.1
16 山国川特別 小倉 芝1800 13人気 武英智 1:53.5 上り40.1
8 鶴橋特別 阪神 芝2000 11人気 武幸四郎 2:01.4 上り36.1
7 あずさ賞 京都 芝1600 8人気 太宰啓介 1:35.6 上り36.2
1 3歳未勝利 京都 芝1400 8人気 安藤勝己 1:23.1 上り36.4
9 3歳未勝利 阪神 芝2000 11人気 武幸四郎 2:04.7 上り36.2
14 3歳新馬 京都 ダ1800 11人気 武幸四郎 2:03.7 上り44.2

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
メルシータカオーの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
サクラユタカオーテスコボーイTesco BoyPrincely Gift
Suncourt
アンジェリカネヴァービートNever Beat
スターハイネス
ウィスパーモアマルゼンスキーMaruzenskyNijinsky
シルShill
メルシーブルーダイアトム
マミーブルー
STORY

旅程 — この馬の物語

1999年生まれの栗毛のせん馬。父サクラユタカオー、母ウィスパーモア。

ありがとう、という名前

三重でトヨタカローラの販売会社を率いた永井康郎は、自分の馬にフランス語の挨拶をひとつ与えていた。メルシー。ありがとう、という意味である。 兄の永井啓弐も馬主だった。ただし兄が冠に選んだのは三重の地名のほうで、そちらの馬は「スズカ」と名乗る。土地の名を選んだ兄と、礼の言葉を選んだ弟。同じ県から、二種類の名前が中央競馬へ出ていた。 「タカオー」は父から来ている。サクラユタカオー。1986年の天皇賞・秋を勝ち、種牡馬としてサクラバクシンオーを送り出した馬である。 生まれたのは北海道三石町の三石ファーム。この牧場と永井家の縁は長い。三代母のマミーブルーは1970年にここで生まれ、重賞の京成杯3歳ステークスを含む無敗の五連勝を飾った牝馬だった。繁殖に上がってからは仔出しがよく、生活の後半になってから重賞勝ち馬を二頭出している。日経新春杯のメルシーアトラと、アーリントンカップ・毎日杯のメルシーステージ。メルシータカオーから見れば、祖母メルシーブルーの半弟にあたる二頭である。 2002年1月7日、京都のダート1800メートル。三歳新馬戦に十一番人気で出て、十四着。勝ち馬から六秒離された。預けられていたのは栗東の武宏平厩舎で、この馬は生涯の二十四戦すべてをここから使うことになる。 三月の阪神で九着。四月二十七日、京都の芝1400メートルを八番人気で勝ち上がった。鞍上は安藤勝己である。まだ笠松に籍を置いたまま中央へ乗りに来ていたころで、JRAの騎手免許を受け取るのは翌年の三月だった。 そこから先が伸びない。あずさ賞七着、鶴橋特別八着。年が明けて小倉で十六着、十六着。三月の中京は十五番人気の十四着。平地で走ったのは九回、勝ったのは京都の千四百メートル一回きりだった。

五十九キロ

2003年4月12日、阪神。障害4歳以上未勝利。 斤量が五十九キロになった。三週間前の中京で背負っていたのは五十四キロだから、いきなり五キロ足されたことになる。単勝は八十六倍を超え、十四頭中の十二番人気。それで三着に入った。 鞍上に出津孝一がいた。 出津は1964年、埼玉の生まれである。馬事公苑の第三十二期生——騎手課程の最後の卒業生で、同期に中舘英二や木幡初広がいる。1984年3月に栗東の服部正利厩舎からデビューし、一年目は平地だけで十八勝を挙げた。 だが体が大きくなった。二年目から平地の騎乗数が減り、障害の騎乗数が増える。1988年9月を最後に平地で乗る機会はなくなり、やがて平地の免許そのものを返上した。以後、この人の仕事場は垣根の向こう側だけになる。のちに彼が鞍を降りたとき、JRAで障害だけに乗る騎手は日本にひとりも残らなかった。 メルシータカオーは障害の未勝利戦を五回使っている。三着、三着、二着、三着。跳べないのではなく、最後の決め手が足りなかった。五度目の2003年6月15日、中京の障害2800メートルを一番人気で勝ち上がる。

兄の馬を、クビ差で

2003年11月8日、東京競馬場の第九競走。秋陽ジャンプステークス、障害3300メートル。 一番人気はブランディスだった。障害に転じて六戦四勝、その年の三月から九月まで三つ続けて勝っている馬である。斤量は六十一キロ。メルシータカオーは四番人気で、五十九キロだった。 勝ったのはメルシータカオーである。三分三十九秒〇。このレースのレコードだった。一番人気は七馬身うしろの三着に沈んでいる。 そしてクビ差の二着に、ミレニアムスズカがいた。馬主は永井啓弐。メルシータカオーの馬主の、兄である。 三重の兄弟が持った二頭が、東京の障害戦でゴール板を一緒にくぐった。緑に赤袖の勝負服が、クビだけ前にいた。

逃げて、届かれる

暮れの中山大障害は、雪で流れた。2003年12月27日、中山の芝は雪に埋まり、四千百メートルは施行されないまま年を越す。 年明けの1月10日に行われた第百二十六回で、メルシータカオーは五着だった。勝ったブランディスから二秒〇。 三か月後、同じ競馬場で、同じ馬と、もう一度ぶつかる。 2004年4月17日、中山グランドジャンプ。障害4250メートル。海外から五頭が遠征してきた国際競走で、一番人気は2002年の中山大障害を勝ったギルデッドエージ。メルシータカオーは七番人気だった。 ゲートが開くと、この馬が前へ出た。一コーナーでも二コーナーでも、二番手とのあいだには一馬身以上の間隔がある。単独の先頭で四千二百五十メートルを引っ張り、三コーナーでブランディスに馬体を並べられた。そこから先を、譲った。 四分四十七秒九。勝ったブランディスの四分四十七秒〇はレコードだった。逃げた馬が、記録の出た決着に巻き込まれて負けた。 六月十二日の東京ハイジャンプでは一番人気に推されたが、メジロロンザンの三着。夏を休み、十二月四日のイルミネーションジャンプステークスは九着に沈む。勝ったメジロオーモンドから二秒九離された。 暮れの中山大障害まで、あと三週間だった。

十二月二十五日、九番

2004年12月25日、中山競馬場。晴。障害コースの馬場は良。 十三頭立て。全馬が同じ六十三キロを背負う定量戦だった。圧倒的な一番人気は、重賞を三つ続けて勝ってきたロードプリヴェイル。三週間前にこの馬を突き放したメジロオーモンドが、それに次ぐ支持を集めていた。メルシータカオーは六枠九番、五番人気。 ゲートが開いた。出津は、序盤のうちにこの馬を先頭へ置いた。 逃げるのは新しい策ではない。春に同じ競馬場で同じことをして、届かれている。 二周目の一コーナー。先頭はメルシータカオー、二番手はメジロオーモンド。あいだに一馬身以上ある。二コーナーを回っても、その間隔は変わらない。前に馬がいないぶん、踏み切りの間合いはぜんぶこの馬のものだった。 三コーナーで、詰まる。 内からマイネルオーパーが、外からメジロオーモンドが、馬体を併せる形で、ほとんど並ぶところまで上がってきた。ここまで自分の呼吸で組み立ててきた歩幅の隣に、初めて他の馬がいる。 並ばれても、先頭は替わらなかった。 四コーナーでは、差がもう一馬身以上に戻っている。詰め寄った二頭は、並びかけた場所から一歩も前へ出られないまま離れていった。 最後の障害を越えた。残っていたのは、芝の直線だけだった。 六馬身。四分三十七秒六。 三週間前にこの馬を突き放した馬が二着に入り、圧倒的な一番人気は五着だった。

五十四回の、一回

出津孝一はその年、障害競走に五十四回乗っている。一着が一回、二着が六回、三着が五回。 勝ったのは、十二月二十五日の四千百メートルだけだった。 四十歳である。レース後、彼はこの年まだ一つも勝てていなかったので騎手を辞めることを考えていた、と明かしている。来年もなんとか続けたい、とも言った。日本でいちばん大きな障害競走を勝った直後に出てきた言葉が、それだった。 中山大障害を勝つのは二度目である。一度目は1997年、ポレールで春の中山大障害を制した。障害にグレード制が敷かれる前のことで、その年の勝ち鞍も三つしかない。二度の中山大障害は、どちらも勝ち鞍の乏しい年に来ている。 年が明け、2004年度のJRA賞最優秀障害馬が発表される。選ばれたのはブランディスだった。その年は二度走って二度とも勝ち、四月の中山グランドジャンプを最後に引退した馬である。二百八十五票のうち二百十五票。一年を締めくくった六馬身は、票の上では年頭と春の二つのJ・GIに及ばなかった。

遠野

2005年3月26日、中山のペガサスジャンプステークス。二番人気で七着。 次は春の中山グランドジャンプ、と決まっていた。その調整の途中で屈腱炎が出る。 戻ってきたのは一年七か月後だった。2006年10月29日、福島の芝1800メートル、三歳以上500万下。障害ではなく平地である。鞍上は田中克典。十六頭立ての十四着だった。 そのひと月後に浅屈腱炎を再発し、二度目の長期離脱に入る。これが最後の一戦になった。 2007年9月25日、放牧先のMS遠野で、運動中に脚を折った。翌26日、安楽死の処置がとられている。八歳。同じ日に競走馬登録が抹消された。 牝系のほうは続いた。六つ年上の半姉に、カネショウダイヤがいる。母ウィスパーモアが1993年に産んだ牝馬で、その仔がメルシーモンサンだった。同じ永井康郎の持ち馬で、同じ武宏平の管理馬。2010年4月17日、その馬が中山グランドジャンプを勝つ。叔父が六年前に逃げて、五馬身届かなかったレースだった。 出津孝一は乗り続けた。2005年の暮れには同じ緑に赤袖の勝負服でメルシーエイタイムに乗り、中山大障害の二着に入っている。鞍を降りたのは2010年10月31日、四十六歳のときだった。そのまま調教助手になっている。障害だけで千四百三十三回乗って百三十六勝、重賞は十勝。そのうちグレード制の下でJ・GIと呼ばれるものは一つきりである。最後の重賞勝ちも、2004年12月25日のまま動かなかった。 メルシータカオーがもう一度勝つことは、なかった。それでも、暮れの中山で先頭のまま芝の直線へ出てきたあの数十秒が、ひとりの騎手にあと六年ぶんの鞍を渡している。ありがとう、という名前の馬が、その名前にいちばん似合う仕事をした日だった。

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