名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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メイショウサムソンのイメージビジュアル
メイショウサムソンMeisho Samson
Meisho Samson

メイショウサムソン

通算成績27戦9勝

獲得賞金106,594万円

生年月日 2003.03.07(平成15年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
メイショウサムソンの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
8 GI有馬記念 中山 芝2500 4人気 武豊 2:32.5 上り37.3映像
6 GIジャパンカップ 東京 芝2400 3人気 石橋守 2:26.0 上り34.4映像
10 GI凱旋門賞 フランス 芝2400 8人気 武豊 映像
2 GI宝塚記念 阪神 芝2200 1人気 武豊 2:15.3 上り36.9映像
2 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 2人気 武豊 3:15.1 上り34.9映像
6 GII産経大阪杯 阪神 芝2000 2人気 武豊 1:59.2 上り35.0映像
8 GI有馬記念 中山 芝2500 1人気 武豊 2:35.2 上り37.2映像
3 GIジャパンカップ 東京 芝2400 1人気 武豊 2:24.7 上り33.9映像
1 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 1人気 武豊 1:58.4 上り34.6映像
2 GI宝塚記念 阪神 芝2200 2人気 石橋守 2:12.5 上り36.6映像
1 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 2人気 石橋守 3:14.1 上り34.7映像
1 GII産経大阪杯 阪神 芝2000 1人気 石橋守 2:01.4 上り34.4映像
5 GI有馬記念 中山 芝2500 4人気 石橋守 2:32.7 上り35.4映像
6 GIジャパンカップ 東京 芝2400 4人気 石橋守 2:25.9 上り34.5映像
4 GI菊花賞 京都 芝3000 1人気 石橋守 3:03.4 上り34.9映像
2 GII神戸新聞杯 中京 芝2000 1人気 石橋守 1:58.1 上り35.0
1 GI東京優駿 東京 芝2400 1人気 石橋守 2:27.9 上り35.1映像
1 GI皐月賞 中山 芝2000 6人気 石橋守 1:59.9 上り35.1映像
1 GIIフジTVスプリングS 中山 芝1800 4人気 石橋守 1:48.9 上り36.2映像
2 GIIIきさらぎ賞 京都 芝1800 1人気 石橋守 1:47.5 上り35.0
1 OP報知杯中京2歳S 中京 芝1800 2人気 石橋守 1:47.5 上り34.9
2 GIII東京スポーツ杯2歳S 東京 芝1800 5人気 石橋守 1:47.3 上り33.8
4 OP萩S 京都 芝1800 2人気 石橋守 1:50.0 上り34.8
1 OP野路菊S 阪神 芝1600 1人気 石橋守 1:36.0 上り35.0
1 2歳未勝利 小倉 芝1800 1人気 石橋守 1:50.5 上り35.5
3 2歳未勝利 小倉 芝1800 2人気 石橋守 1:48.3 上り35.7
2 2歳新馬 小倉 芝1800 4人気 石橋守 1:53.5 上り35.3

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
メイショウサムソンの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
オペラハウスOpera HouseSadler's WellsNorthern Dancer
Fairy Bridge
ColorspinHigh Top
Reprocolor
マイヴィヴィアンダンシングブレーヴDancing BraveLyphard
Navajo Princess
ウイルプリンセスサンプリンス
エール

引退後・牧場での映像

ゴール板の先の時間
STORY

旅程 — この馬の物語

2003年生まれの鹿毛の牡馬。父オペラハウス、母マイヴィヴィアン。主な勝ち鞍は皐月賞・東京優駿・天皇賞。

売れ残りの初仔 ― 七百万円

2003年三月七日、北海道浦河町の林孝輝牧場に一頭の鹿毛の牡馬が生まれた。母マイヴィヴィアンは中央で十戦して一度も勝てないまま繁殖に上がった牝馬で、この牡馬が初仔である。血を遡れば四代母は1959年の天皇賞(秋)と有馬記念を勝ったガーネツト、さらに辿れば小岩井農場が輸入した基礎牝馬フロリースカツプに行き着く、明治から続く在来の牝系だった。近親には中山大障害を三連覇したポレールがいる。父はテイエムオペラオーを送り出したオペラハウス。ただし日高の種馬場に立つこの父の種付け数は、その頃すでに落ち込んでいた。 牧場は繁殖牝馬を十頭ほど抱える家族経営で、この馬が生まれた年には仔三頭と繁殖牝馬一頭を失っている。マイヴィヴィアンは、当主・林孝輝の妻の叔父から譲られた牝馬だった。叔父は二頭のダンシングブレーヴ産駒の繁殖牝馬を持っていて、どちらを渡すかを自分で決めた。腹にこの仔を宿していたほうを、自ら手放している。 一歳の夏、この馬はセリに上場されるはずだった。その直前に林が浦河の生産者グループへ加わり、四、五頭をまとめて栗東の調教師・瀬戸口勉に見せる機会ができる。瀬戸口はそのなかから、この一頭を選り抜いた。オグリキャップネオユニヴァースを手がけた男は、2007年二月に七十歳の定年を迎える。2003年生まれは、彼が管理できる最後の世代だった。瀬戸口は買い手を探し、「メイショウ」の冠名を持つ馬主・松本好雄に頼み込む。まだ売れ残っているなかから買ってほしい、と。松本は七百万円で引き受けた。「人がいて 馬がいて そしてまた人がいる」[^1]――座右の銘のとおりに、日高の小さな牧場から馬を買い続けてきた馬主である。名は冠名に、怪力の人を意味するサムソンを重ねて決まった。育成は瀬戸口の生まれ故郷、鹿児島県鹿屋市の育成センターで施された。就業三年目の若手が担当できるほど、おとなしい馬だったという。

出典:中日スポーツ「メイショウタバルV生んだ松本好雄オーナー 座右の銘『人がいて 馬がいて そしてまた人がいる』宝塚記念で体現」2025年6月24日配信、https://www.chunichi.co.jp/article/1086985、閲覧日:2026年8月1日。

代役

2005年七月三十一日、小倉。芝千八百メートルの新馬戦に、この馬は石橋守を背に現れた。本来乗るはずだったのは瀬戸口厩舎の主戦・福永祐一である。デビュー前週になって福永が新潟での騎乗を選び、急な代役探しが始まった。まず武豊に声がかかったが先約があり、話は三十八歳の石橋に回ってきた。福永より十歳年上、その年の中央での勝ち鞍は十八。GIを一度も勝ったことのないベテランだった。 新馬は二着、同じ小倉の未勝利で三着、三戦目にようやく勝ち上がる。代役はそのまま主戦になった。同じ厩舎に福永が乗って三連勝した同期マルカシェンクがいて、評価はそちらが上だったからでもある。栗東へ戻ってからの石橋は火曜から金曜まで跨り、悪癖の矯正につきっきりになった。九月に野路菊ステークスを勝ち、萩ステークスと東京スポーツ杯二歳ステークスはフサイチリシャールに屈し、暮れの中京二歳ステークスは五十七キロを背負って二歳コースレコードで勝った。重賞に出たのは一度きり、オープン特別を拾って歩く裏街道である。

六番人気の中山

明けて2006年、きさらぎ賞。一番人気で先行し、早めに抜け出したところまではよかった。直線で正しく走らせようと外へ持ち出し、空いた内をドリームパスポートに突かれて半馬身差される。石橋は後年、馬場を読めなかった自分の完全な騎乗ミスだったと振り返っている。 三月のスプリングステークスは四番人気だった。大外枠から好位を確保し、最終コーナーの手前で先頭に並びかける。直線では背後にいたドリームパスポートとフサイチリシャールが内と外に分かれて追い込んできた。一度は並ばれかけ、そこから差し返して凌ぐ。重賞初制覇であり、皐月賞への優先出走権だった。 四月十六日、中山。皐月賞での単勝支持は六番人気にとどまった。前走で下したはずのフサイチリシャールよりも低い評価である。好位を追走し、三コーナーから抜け出したフサイチリシャールを追って直線へ向く。石橋が右鞭を入れると、外から並ぶ間もなく捕らえて先頭に立った。内から伸びたドリームパスポートに半馬身。石橋守、デビューから二十一年、四十二度目のGI挑戦での初戴冠だった。グレード制になってから三番目に遅いGI初勝利という記録が、そこに残っている。

残り二百メートル

前の晩から降っていた雨は、昼のうちに上がっていた。府中の芝はまだ湿り気を残し、空は晴れている。 ゲートが開くと、アドマイヤメインが迷いなく先手を取った。石橋は内の好位に馬を収めたまま、動かない。逃げ馬は誰にも競りかけられず、前半の千メートルを六十二秒五で通した。緩い。緩いまま、隊列は三コーナーへ入っていく。 石橋はそこから、少しずつ外へ持ち出した。最後の角を回るとき、前にいるのは数えるほどしかいない。手綱はまだ動いていない。 直線に向いて、後ろから来るはずの馬たちが伸びなかった。長い府中の直線に残ったのは、逃げる一頭と、外から並びかけていく一頭だけになる。差は少しずつ詰まり、残り二百メートルで馬体が並んだ。 そこから先を、石橋は後になってビデオで見返している。前を捕らえた、と感じた瞬間、追う手が無意識に緩んでいた。アドマイヤメインは食い下がり、突き放すことはできない。それでも首ひとつだけ前に出たまま、二頭はゴール板を通り過ぎた。 二着の鞍上・柴田善臣は、石橋と同じ競馬学校の一期生である。同期の二人が、ダービーの一着と二着を分け合った。そして小倉でデビューした馬がこのレースを勝ったのは、これが初めてのことだった。

流れた三冠

夏は放牧に出さず、栗東で過ごした。曳き運動から始めて、朝はウッドコース、午後はプール。秋を迎えた馬体はダービーの頃より二十キロ増えていた。前の年にディープインパクトが三冠を達成しており、二年続けての三冠馬誕生が待たれていた。 神戸新聞杯は好位から抜け出しながら、大外を回ったドリームパスポートに差し切られてクビ差の二着。三冠のかかった菊花賞は一番人気で四着だった。大逃げを打つアドマイヤメインを二周目の三コーナーから捕らえにいったが、直線で伸びを欠き、失速するその逃げ馬にすら並べない。瀬戸口は体つきの変化とレコード決着を、担当厩務員の加藤繁雄は二歳から同じ場所に居続けた精神的な疲れを、それぞれ敗因に挙げている。続くジャパンカップは六着、有馬記念は五着。二冠馬は秋に四度走って、一度も勝てなかった。

二人目の師 ― 淀のハナ差

有馬記念のあと、デビュー以来はじめて放牧に出された。2007年二月末、瀬戸口勉が定年を迎えて厩舎が解散する。松本は前の年の暮れに後継を発表していた——栗東の高橋成忠。1978年の開業以来の付き合いで、メイショウの馬を長く預かってきた調教師である。担当厩務員も加藤から、高橋厩舎に開業時から所属する中田征男に代わった。馬にとっては、人がまるごと入れ替わる冬だった。 転厩初戦の産経大阪杯を勝って、四月二十九日の天皇賞(春)。中団から二周目の三コーナーで外へ持ち出し、最終コーナーで先頭に取り付く。先頭で迎えた直線に、内からトウカイトリック、外からエリモエクスパイアが迫って三頭が横一線に並んだ。そこからもうひと伸びして、外にハナ、内にハナとクビ。一着と二着がハナ差で決まったのは、このレースの歴史で三度目だった。走破時計は、前年にディープインパクトが出したレコードと〇秒七しか違わない。 高橋成忠は開業三十年目にして初めてのGIだった。騎手だった1964年と1970年にも同じレースを勝っており、天皇賞(春)を騎手と調教師の双方で制した六人目になる。六月の宝塚記念はファン投票一位で出走し、外から来たアドマイヤムーンに半馬身かわされて二着。石橋にとっては、この馬での最後の一鞍になるはずだった。

祇園の座敷

天皇賞(春)の直後、松本は京都・祇園の料理屋に石橋と十数人の騎手を集めて祝勝会を開いた。石橋と武豊を両隣に座らせ、その席で告げる。凱旋門賞はユタカで行こうと思う、と。 凱旋門賞に馬を出すことは、松本が生涯の夢と呼ぶものだった。最高の状態で、最高の騎手で。その一点だけは譲らなかった。デビューから十八戦を共にした石橋は、こうして降ろされる。悔しさもショックもなかった、自分が馬主でも武豊に託しただろう、と石橋は振り返っている。降板が決まったあとの宝塚記念にも当たり前のように騎乗して二着に持ってきたし、そのレースの前には、この馬はお前が乗るべきだと武に伝えていた。宝塚のあと、二人は石橋の自宅で一晩飲み明かしたという。 遠征は流れた。八月、検疫のために美浦へ入ったその日、三十六年ぶりの馬インフルエンザが日本の競馬を襲う。翌日に帯同馬の感染が判明し、その次の日にはサムソン自身の陽性が出た。無症状で食欲もあり、前哨戦を諦めれば本番には間に合う日程だったが、陣営は断念を選んだ。 国内に残った秋、松本は武の続投を望んだ。十月二十八日の天皇賞(秋)は内枠から好位の内へ。最終コーナーで後方の馬たちが外へ広がると、空いた内を突いて抜け出し、二馬身半差の完勝だった。同じ年の天皇賞を春秋とも勝ったのは、タマモクロススペシャルウィークテイエムオペラオーに続く四頭目。ダービー馬による秋の盾は三頭目である。ジャパンカップは大外から迫ってアタマとクビ差の三着、有馬記念は一番人気で八着。年度代表馬にも最優秀4歳以上牡馬にも選ばれなかったが、春秋連覇の重みが認められ、ダービーを勝った牝馬ウオッカとともに特別賞が贈られた。

海の向こうへ

明けて2008年一月、松本はこの年限りでの引退を表明する。春の目標は天皇賞、秋の目標は前年に流れた凱旋門賞。始動の産経大阪杯は六着、天皇賞(春)はアドマイヤジュピタとの叩き合いをアタマ差で落とし、宝塚記念もエイシンデピュティの逃げをアタマ差で捕らえきれなかった。それでも松本はこの春の二つの二着を前向きに受け止め、遠征を決めている。 十月五日、ロンシャン。前哨戦を使わず本番へ直行した野武士は、直線で伸びを欠いて十着に終わった。勝ったのは無敗のザルカヴァである。それでも先頭からの差は六馬身だった。日高の中小牧場が生産し、個人の馬主が持つ馬の凱旋門賞挑戦は、ほとんど前例がない。松本は林夫妻と、縁の深い日高の生産者十人の旅費を負担して、パリまで連れて行っている。 帰国後のジャパンカップ、鞍上に石橋の名が戻った。武が落馬で右腕を折り、松本が自ら電話をかけて依頼したのである。一年五か月ぶりの再会は六着。武は骨折から二十七日で戦列に戻り、引退レースの有馬記念は八着だった。二十七戦九勝で、競走馬としての時間が終わる。 2009年一月四日、京都競馬場で引退式が行われた。天皇賞(春)を勝ったときと同じ六番のゼッケンをつけた馬に、石橋と武が騎乗する姿が披露された。

人がいて、馬がいて、そしてまた人がいる

種牡馬になった。安平町の社台スタリオンステーションに立ち、やがて生まれ故郷の浦河へ戻ってイーストスタッドで供用される。産駒のデンコウアンジュは重賞を三つ勝ち、ヴィクトリアマイルで二着に来た。中山牝馬ステークスを勝ったフロンテアクイーンは、父と同じ林孝輝牧場の生産馬である。種付け数が十頭あまりまで減った2021年に種牡馬を退き、引退馬協会に譲られて、日高町のひだか・ホース・フレンズで功労馬になった。2024年十月末に癌が見つかり、療養も及ばず、十一月二十六日の朝に心不全で死んだ。二十一歳だった。 石橋守は2013年二月に鞍を降り、翌年から栗東に厩舎を構えた。2025年六月十五日、阪神の宝塚記念。青に桃襷、松本好雄の勝負服を着たメイショウタバルが、武豊を背にハナを切り、そのまま三馬身突き放して先頭でゴールへ飛び込む。調教師・石橋守にとって、初めてのGIだった。サムソンが二年続けて、半馬身とアタマ差で手の届かなかったレースである。その夏の八月二十九日、松本好雄は八十七歳で世を去った。石橋は「乗り役の時からお世話になりっぱなしだし、もっと恩返しをしたかった。思い出は全て」[^1]と言葉を残している。 けれど、恩ならとうに返っていたはずだ。売れ残りの初仔を七百万円で買った男は、GIを勝ったことのない代役をついに降ろさずにクラシックを二つ見て、その代役が調教師として初めて勝つGIを、自分の勝負服で見届けてから逝った。淀の坂を三頭横一線で駆け上がったあの鹿毛は、もういない。それでも六月の阪神を先頭で走っていたのは、同じ青と桃だった。

出典:中日スポーツ「『メイショウ』で騎手、調教師としてG1制覇の石橋守師、松本オーナーを追悼『もっと恩返しをしたかった、思い出は全て』」2025年9月2日配信、https://www.chunichi.co.jp/article/1125914、閲覧日:2026年8月1日。

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