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マイネルセレクト
通算成績17戦10勝
獲得賞金3億5,931万円
生年月日 1999.05.29(平成11年)毛色 栗毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | GIII黒船賞 | 高知 ダ1400 | 2人気 | 武豊 | 1:28.4 | 上り38.9 | — | |
| 1 | GIJBCスプリント | 大井 ダ1200 | 1人気 | 武豊 | 1:10.6 | 上り36.3 | 映像 | |
| 1 | GII東京盃 | 大井 ダ1200 | 1人気 | 武豊 | 1:10.9 | 上り36.3 | — | |
| 6 | GIIIさきたま杯 | 浦和 ダ1400 | 2人気 | 武豊 | 1:26.3 | 上り37.9 | — | |
| 5 | GIドバイGシャヒーン | アラブ首長国連邦 ダ1200 | 武豊 | 1:11.1 | — | — | ||
| 1 | GIIIガーネットS | 中山 ダ1200 | 1人気 | 武豊 | 1:10.9 | 上り37.6 | — | |
| 2 | GIJBCスプリント | 大井 ダ1190 | 2人気 | 大西直宏 | 1:09.7 | 上り35.6 | 映像 | |
| 1 | GIIIシリウスS | 阪神 ダ1400 | 1人気 | 大西直宏 | 1:23.1 | 上り36.3 | — | |
| 1 | OPBSN賞 | 新潟 ダ1200 | 1人気 | 大西直宏 | 1:09.6 | 上り36.7 | — | |
| 1 | OP北陸S | 新潟 ダ1200 | 4人気 | 大西直宏 | 1:11.4 | 上り36.3 | — | |
| 3 | 貴船S | 京都 ダ1400 | 1人気 | 岩田康誠 | 1:24.3 | 上り37.0 | — | |
| 1 | 3歳以上1000万下 | 京都 ダ1200 | 1人気 | 武豊 | 1:12.1 | 上り37.1 | — | |
| 2 | 3歳以上1000万下 | 京都 ダ1200 | 1人気 | 武豊 | 1:12.4 | 上り37.0 | — | |
| 2 | OPシクラメンS | 阪神 ダ1400 | 2人気 | 吉田稔 | 1:24.8 | 上り38.3 | — | |
| 1 | ポインセチア賞 | 阪神 ダ1200 | 1人気 | 蛯名正義 | 1:12.7 | 上り36.7 | — | |
| 4 | OP福島2歳S | 福島 芝1200 | 2人気 | 高橋亮 | 1:10.4 | 上り36.6 | — | |
| 1 | 2歳新馬 | 福島 ダ1000 | 1人気 | 高橋亮 | 1:00.3 | 上り35.9 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父フォーティナイナーForty Niner | Mr. Prospector | Raise a Native |
| Gold Digger | ||
| File | Tom Rolfe | |
| Continue | ||
| 母ウメノアスコット | ラッキーソブリン | Nijinsky |
| Sovereign | ||
| ハギノトップレディ | サンシー | |
| イツトー |
旅程 — この馬の物語
1999年生まれの栗毛の牡馬。父フォーティナイナー、母ウメノアスコット。主な勝ち鞍はJBCスプリント・東京盃・シリウスS。
速い一族
1999年5月29日、北海道三石町の加野牧場で栗毛の牡馬が生まれた。父はフォーティナイナー。母はウメノアスコットという。 母の母がハギノトップレディである。1980年に桜花賞とエリザベス女王杯を勝った牝馬で、宝塚記念を勝ったハギノカムイオーはその半弟にあたる。二頭の母イットーも、高松宮杯とスワンステークスを勝っていた。そしてハギノトップレディの娘、つまりウメノアスコットの半姉が、1991年に安田記念とスプリンターズステークスを制したダイイチルビーである。 この牝系は「華麗なる一族」と呼ばれる。1957年にイギリスから輸入されたマイリーという牝馬に発する血で、名づけ親は関西の競馬中継で解説をしていた詩人の志摩直人だった。当時、山崎豊子の同名の小説が話題になっていた。気性が荒く、そして速い。それが一族の評判である。 ただし、その名が刻まれてきた舞台は、ほとんどが芝だった。 馬主は株式会社サラブレッドクラブ・ラフィアン。冠名の「マイネル」は、ドイツ語で「私の」を意味する。大勢の会員が少しずつ出資して一頭を分け合うクラブの馬に、その言葉がつく。栗毛はマイネルセレクトと名づけられた。 預かったのは栗東の中村均である。京都の一乗寺に生まれ、父も調教師だった。1978年に厩舎を開き、1984年にトウカイローマンでオークスを勝っている。ラフィアンにとって最初の重賞も、最初のGIも、この厩舎から出た。1988年きさらぎ賞のマイネルフリッセと、1996年朝日杯3歳ステークスのマイネルマックスである。クラブと調教師の付き合いは、この馬が生まれるずっと前から続いていた。
二度、間があいた
2001年10月28日、福島のダート1000メートル。単勝1.3倍に推された新馬戦を、2着に6馬身の差をつけて勝った。鞍上は高橋亮。 三週間後の福島2歳ステークスは芝の1200メートルで、4着。この馬が芝のコースに立ったのは、生涯でこの日だけである。 阪神へ移ってポインセチア賞を勝ち、暮れのシクラメンステークスは2着だった。ここで脚部不安が出て、戦線を離れる。 戻ってきたのは十か月後、2002年10月の京都だった。ダート1200メートルの条件戦で2着、二週間後に同じ条件を勝ち、11月の貴船ステークスは1番人気で3着。勝ったのはツルマルファイターという馬である。 そして、また長い休みに入った。
除外された週の、翌週
2003年7月、二度目の休養が明ける。復帰戦には新潟の岩室特別を予定していたが、走れなかった。除外である。登録が多いと、賞金の少ない馬から順に弾かれる。 翌週、陣営は格上のオープン特別に登録した。北陸ステークス、新潟のダート1200メートル。4番人気だったが、リンガスローレルを0.1秒抑えて勝った。手綱を取ったのは大西直宏である。 大西は1997年にサニーブライアンで皐月賞と東京優駿を勝った騎手だった。2000年には大井のジャパンダートダービーをマイネルコンバットで制し、芝とダートのダービー相当競走を両方勝った最初の騎手になっている。マイネルの服との縁は、その頃からのものである。 9月6日、新潟のBSN賞。重馬場の1200メートルを1分9秒6で駆け、レコードになった。2着との差は0.5秒。 10月5日、阪神のシリウスステークス。ダート1400メートルの重賞に、前年のJBCスプリントを勝ったスターリングローズが出ていた。1番人気に応えて1分23秒1で勝ち、0.5秒差の2着はツルマルファイター。前年11月の貴船ステークスで、先着を許した相手である。 復帰から七十日で三連勝。条件馬は重賞馬になっていた。 11月3日、大井。第3回JBCスプリント。初めてのGIで、単勝2.8倍の2番人気に推された。 この年の1190メートルは、本来より十メートル短い。スタンドの改築工事に合わせ、ゴール板を四コーナー寄りへ十メートル動かしていたからである。 直線、前を行くサウスヴィグラスを捉えにかかった。終いの600メートルは35秒6。上がり3ハロンと呼ばれるこの数字は、この馬が残したなかでいちばん速い。 届かなかった。ハナ差だった。 その十九日後、ハギノトップレディが死んだ。二十六歳である。繁殖を退いたあとに脚の状態が悪化し、装蹄師の牧場に引き取られて生き延びていた馬だった。孫が大井でハナ差に泣いた日から、三週間も経っていない。
五十八キロ半と、砂漠
2004年1月11日、中山のガーネットステークス。58.5キロのトップハンデを課された。鞍上は武豊に替わっている。武豊がこの馬に乗るのは、2002年秋の条件戦以来だった。 1番人気に応えて1分10秒9。2着に3馬身半をつけている。その2着馬ブルーコンコルドは、翌年のJBCスプリントを勝つことになる。 3月27日、ナドアルシバ。ドバイゴールデンシャヒーンに出走した。ダート1200メートル、十二頭立て。勝ったアワニューリクルートから0.8秒差の5着である。日本を出たのは、後にも先にもこの一度きりだった。 帰国して夏を休み、秋は浦和のさきたま杯から始めた。2番人気で6着、勝ち馬から0.8秒差。十七回走って、五着より後ろに沈んだのはこの一度だけになる。 9月29日、大井の東京盃。不良馬場の1200メートルを、中団から差し切った。 その四日後、中山でスプリンターズステークスが行われている。勝ったのはカルストンライトオ、乗っていたのは大西直宏だった。一年前に大井であと一歩まで行った男は、別の馬で短距離のGIを手にした。
もう一度、十一月三日
大井、11月3日。第4回JBCスプリント。 一年前と同じ日付、同じ競馬場である。違うのは距離だった。この年のゴール板は、元の位置にあった。1190メートルは1200メートルになり、あの十メートルが返ってきていた。 馬場は稍重。 一年前、この馬は差そうとして届かなかった。ひと月前の東京盃では、中団から差して勝っている。脚はあった。届く脚がある。 その日、武豊は待たなかった。早めに前へ出した。 残っていたのは、先頭のまま押し切る仕事だけである。一年前に足りなかったのがこの形だったのか、それとも別の何かだったのか、確かめる方法はない。分かるのは、決勝線を最初に通ったのがこの馬だったということだけだ。 1分10秒6。二着のアグネスウイングとは2馬身半あいていた。 使った脚は、届かなかった年より0.7秒遅い。差そうとした年に届かず、差さなかった年に勝った。この馬が勝った、ただ一つのGIである。
五十九キロ、そして右前脚
2005年は、思うように進まなかった。2月のフェブラリーステークスは感冒のため、枠順が決まる前に出走を取り消している。二年続けて選ばれていたドバイゴールデンシャヒーンも、行けずに終わった。 初戦は3月21日、高知の黒船賞になった。59キロを背負い、追い込んできたノボトゥルーに2馬身の差をつける。ノボトゥルーは2001年のフェブラリーステークスを勝った馬である。 次はかしわ記念を予定していたが、これも回避した。 8月、右の前脚に屈腱炎が出た。腱を痛める故障で、治るまでに長い時間がかかる。引退が決まり、9月21日に競走馬登録を抹消された。六歳の夏だった。 十七回ゲートに入り、十回先頭で戻ってきた。最後の一勝は、59キロを背負った高知である。
済州島
2006年から、新冠のビッグレッドファームで種牡馬になった。産駒は地方競馬で走る。コスモワッチミーが高知と福山で、サウスウインドが兵庫と佐賀で重賞を勝った。 2011年の種付けシーズンが終わったあと、イーグルカフェとともに韓国へ送られる。渡った先は済州島の緑原牧場だった。 2020年10月1日、斃死を理由に種牡馬登録が抹消された。正確な没日は分かっていない。 生まれた日は残っている。1999年5月29日、三石。先頭でゴール板を過ぎた日も残っている。2004年11月3日、大井。最後の一つだけが、海の向こうで抜け落ちた。 中村均はその後も厩舎を続け、2012年の天皇賞・春をビートブラックで勝った。父の中村覚之助が1972年の秋にヤマニンウエーブで同じ賞を勝っており、四十年をまたいで親子の名が並んだことになる。2019年2月末、定年で調教師を辞めている。 華麗なる一族の栄光は、長いあいだ芝の上に積まれてきた。桜花賞、エリザベス女王杯、宝塚記念、高松宮杯、安田記念、スプリンターズステークス。伯母のダイイチルビーが芝の千二百メートルで頂点に立ってから十三年後、甥は同じ千二百メートルを砂で走り、大井でいちばん前にいた。地面が違っただけで、使ったものは一族の速さである。 冠名の意味は「私の」だった。大勢が少しずつ金を出して一頭を分け合う。そういう持ち方をされた馬に、その言葉はついていた。稍重の砂を蹴っていた栗毛は、あの日たしかに、誰かの馬だった。
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