名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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マーベラスカイザーのイメージビジュアル
マーベラスカイザーMarvelous Kaiser
Marvelous Kaiser

マーベラスカイザー

通算成績20戦5勝

獲得賞金14,252万円

生年月日 2008.04.29(平成20年)毛色 栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
マーベラスカイザーの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
2 阪神スプリングJ 阪神 障3900 1人気 熊沢重文 4:22.1 上り13.4
1 JGⅠ中山大障害 中山 障4100 3人気 熊沢重文 4:48.8 上り14.1映像
3 障害3歳以上OP 京都 障3170 1人気 熊沢重文 3:35.4 上り13.6
3 JGⅡ京都ハイジャンプ 京都 障3930 3人気 北沢伸也 4:23.0 上り13.4
1 障害4歳以上OP 京都 障3170 1人気 小坂忠士 3:36.2 上り13.6
2 障害4歳以上OP 阪神 障3110 2人気 小坂忠士 3:27.6 上り13.4
1 障害3歳以上未勝利 阪神 障2970 1人気 熊沢重文 3:18.4 上り13.4
13 KBC杯 小倉 ダ1700 13人気 熊沢重文 1:47.5 上り39.0
11 大文字S 京都 芝1800 12人気 川原正一 1:47.1 上り35.2
9 天橋立S 京都 ダ1800 8人気 松山弘平 1:52.5 上り36.6
13 ストークS 阪神 芝1600 9人気 渡辺薫彦 1:34.3 上り34.6
9 GIIIきさらぎ賞 京都 芝1800 9人気 渡辺薫彦 1:49.1 上り34.2
6 GIII日刊スポシンザン記念 京都 芝1600 14人気 渡辺薫彦 1:35.1 上り34.1
13 GIIIラジオNIKKEI杯 阪神 芝2000 13人気 和田竜二 2:03.4 上り36.6
1 OP京都2歳S 京都 芝2000 8人気 和田竜二 2:01.6 上り35.0
7 OP萩S 京都 芝1800 8人気 池添謙一 1:49.8 上り34.3
8 GIII札幌2歳S 札幌 芝1800 13人気 古川吉洋 1:50.5 上り35.9
4 OPコスモス賞 札幌 芝1800 2人気 古川吉洋 1:52.7 上り34.8
1 2歳未勝利 札幌 芝1800 5人気 古川吉洋 1:50.7 上り35.5
9 2歳新馬 阪神 芝1400 17人気 渡辺薫彦 1:24.4 上り35.3

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
マーベラスカイザーの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
マーベラスサンデーMarvelous SundayサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
モミジダンサーヴァイスリーガル
モミジII Momigi
マーベラスウーマンWoodmanMr. Prospector
プレイメイトPlaymate
ノンダムールNom d'AmourThe Minstrel
Pas de Nom
STORY

旅程 — この馬の物語

2008年生まれの栗毛の牡馬。父マーベラスサンデー、母マーベラスウーマン。

マーベラスの家に生まれて

「マーベラス」は、この馬のために選ばれた言葉ではない。馬主・笹原貞生の冠名である。1994年のジャパンカップをせん馬として制したマーベラスクラウン、1997年の宝塚記念を勝ったマーベラスサンデー――笹原の馬たちは、みなこの一語を頭に載せて走ってきた。だからこの栗毛に与えられた固有の名は、うしろの三文字だけになる。カイザー。ドイツ語で、皇帝。 父は、その宝塚記念馬マーベラスサンデーだった。母マーベラスウーマンも笹原の持ち馬で、父と同じ栗東・大沢真厩舎から1999年に4回走り、2着が一度あるだけで勝てないまま繁殖に上がっている。母の母ノンダムールはアメリカ生まれの9戦0勝の牝馬だが、その母Pas de Nomは名種牡馬ダンジグを産んだ牝馬で、ノンダムールはダンジグの半妹にあたる。血統表を4代さかのぼると、左右からノーザンダンサーが二本立っている。 母は生涯に11頭を産み、そのうち6頭がマーベラスサンデーとの仔だった。全兄マーベラスパレードの3600万円あまりが、この馬を除けばきょうだいで最も多い数字である。静内の松田牧場で生まれたマーベラスカイザーは、きょうだいの多くと同じ栗東・柴田政見厩舎に入り、2010年7月10日、阪神の芝1400mでデビューする。18頭立ての17番人気、単勝285.0倍、9着。ひと月後の札幌・芝1800mで、古川吉洋を背に5番人気で初めて勝った。

淀の二歳ステークス

2010年の秋、この馬はオープン特別を三つ走っている。札幌のコスモス賞4着、札幌2歳ステークス8着、京都の萩ステークス7着。勝ち味に遅く、11月27日の京都2歳ステークスでは10頭立ての8番人気に落ちていた。 鞍上は和田竜二。道中は8番手、後ろから2頭目である。前を行くのはプレイ――セレクトセールで1億5000万円を超えて取引された良血で、津村明秀がハナに立って引っ張っていた。1番人気は武豊のダノンバラード。直線、マーベラスカイザーは前をとらえに動き、逃げ込みを図るプレイをゴール前でクビだけ差し切る。2分01秒6。ダノンバラードはさらにクビ差の3着に終わった。 ひと月後の暮れ、その相手に借りを返される。阪神のラジオNIKKEI杯2歳ステークスは13着。勝ったのはダノンバラードだった。年明けはシンザン記念6着、きさらぎ賞9着。クラシックへ通じる道は、そこで細くなった。

行き止まりの夏、小倉のダート

2011年、年明けの二走を終えると春を休み、6月から夏にかけて準オープンを4戦した。阪神のストークステークス13着、京都の天橋立ステークス9着、大文字ステークス11着、そして8月7日、小倉のダート1700mのKBC杯13着。この年、平地では6回走って最高が6着、賞金は一円も加算されていない。 その小倉のダート戦に、初めて熊沢重文が乗っている。43歳。1986年のデビューから25年、平地と障害の両方に乗り続けてきた騎手だった。1988年、20歳3か月でコスモドリームのオークスを勝ち、1991年にはダイユウサクでメジロマックイーンを破って有馬記念をレコードで奪い、2005年にはテイエムプリキュアで阪神ジュベナイルフィリーズを勝っている。平地でGIを勝った騎手は、落馬の危険と別種の技術を理由に障害へ乗らないか、GIを境に降りていくのが通例である。熊沢は降りなかった。そして最も勝ちたいレースを、二つ挙げていた。日本ダービーと、中山大障害。 柴田政見から、障害に下ろす馬がいるので乗ってくれないかと言われ、小倉でダートのレースを使ってから障害初戦へ向かった――のちに熊沢はそう振り返っている。13着という数字の裏側で、道はすでに別の方向へ折れはじめていた。

飛越の才

障害練習が始まって、熊沢は驚く。跳びのやわらかさ、飛越の綺麗さ。のちに彼はこう語っている。「障害練習を始めたとき、ジャンプのやわらかさや綺麗さなどは初めて感じたほどの素晴らしさで、この馬で大障害を勝てなかったら、もう獲ることはないだろうな、と思いました」[^1] 2011年10月2日、阪神の障害未勝利戦。1番人気。6番手を進んで最後の障害を越えると先頭に立ち、2着アグネスハイヤーに9馬身の差をつけた。3分18秒4。 そこからは慎重に運ばれた。年内は使わず、明けて2012年3月18日の阪神・障害オープンで2着。4月22日、京都の障害オープンでは14頭の12番手という後方から追い上げ、逃げるシゲルジュウヤクをゴール前でクビ差だけ捕らえる。この2走の鞍上は小坂忠士。5月の京都ハイジャンプは北沢伸也で3着、夏を休み、11月25日の京都・障害オープンは熊沢に戻って62kgを背負い3着。暮れの中山へ向かう態勢は、そこで整った。

出典:Number Web「『あの人は障害の天才』武豊も絶賛した熊沢重文の技術とは? 有馬記念と中山大障害を制した名手が“危険なレース”に乗り続けた本当の理由」(島田明宏)2023年12月23日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/860074 、閲覧日:2026年7月30日。

十二月二十二日、中山四千百メートル

中山大障害は1934年、中山競馬倶楽部の理事長・肥田金一郎が、東京優駿に匹敵する中山の名物競走をつくろうとして創設したレースである。熊沢が挙げていた二つの目標は、もとをたどれば同じ志から枝分かれした二本だった。距離4100m。大竹柵と、赤レンガの通称を持つ高さ160cmの大生垣。七つの障害を11回飛越し、六度のバンケットを昇り降りする。JRAの障害競走で最も難度が高いとされるコースで、最後の直線には障害がない。 2012年12月22日、稍重。15頭。マーベラスカイザーは3番人気、斤量63kg。1番人気は前年のこのレースの覇者で、同じ年の中山グランドジャンプも勝っていたマジェスティバイオだった。熊沢の飛越について、武豊はのちにこう言っている。「着地を見ていて落ちる気がしない」[^1] 道中は3番手、向正面から2番手へ。最後の障害を越えて直線で先頭に立つと、そのまま押し切った。4分48秒8、2着バアゼルリバーに3馬身。その鞍上は、春にこの馬で勝った小坂忠士である。マジェスティバイオは3着だった。 19戦目で初めて手にした重賞が、J・GIだった。44歳の熊沢は、二つ挙げていた目標のうちのひとつをこの日に掴む。1999年に障害競走へグレード制が入って以降、平地のGIと障害のJ・GIの両方を勝った騎手は、熊沢が最初である。名前のうしろの三文字が、日本でいちばん難しい障害を越えたところで、ようやく形になった。 柴田政見にとっても、開業22年目で初めてのGI級だった。1946年に青森県上北町で生まれ、1965年に騎手デビュー、4260戦364勝。重賞の初騎乗はアラブ大障害だった。1991年に厩舎を開き、最初の重賞は2002年の武蔵野ステークス。JRAのGI級の勝ち鞍は、生涯でこの一つだけである。

出典:Number Web「『あの人は障害の天才』武豊も絶賛した熊沢重文の技術とは? 有馬記念と中山大障害を制した名手が“危険なレース”に乗り続けた本当の理由」(島田明宏)2023年12月23日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/860074 、閲覧日:2026年7月30日。

クビ差の返礼、四月二十七日の夜

暮れの大障害を勝ってもなお、2012年度のJRA賞最優秀障害馬はマジェスティバイオだった。春のグランドジャンプを勝っていたからである。その評価を取り返す舞台は、翌春の中山グランドジャンプになるはずだった。 2013年3月9日、阪神スプリングジャンプ。1番人気。逃げるシゲルジュウヤクより2kg重い62kgを背負い、5番手から進んで直線では3番手。逃げ切ろうとするシゲルジュウヤクを追い詰めたが、クビ差だけ足りない。十か月余り前の京都で、同じクビ差で抑え込んだ相手である。3着のバアゼルリバーは、その4馬身うしろにいた。 レース後、左橈骨遠位端骨折が判明する。春の中山グランドジャンプを断念し、放牧に出された。父マーベラスサンデーもデビュー前に疝痛をこじらせ、480kg台あった馬体が390kgまで落ちる状態から生き延びて、のちに宝塚記念へ辿り着いた馬である。仔は、そこを越えられなかった。4月27日の夜、放牧先である愛知県豊田市のイクタトレーニングファームで、腸捻転により急死。五度目の誕生日の、二日前だった。翌28日付で競走馬登録が抹消される。 20戦5勝、獲得賞金1億4252万1000円。うち1億1889万7000円は、障害の7戦で稼いだものである。その7戦は3勝、2着2回、3着2回。一度も4着以下に沈まなかった。

センスの塊

熊沢重文は、その後も乗り続けた。2015年にJRA史上初となる平地・障害通算200勝。2016年には中央通算1000勝に達し、長年の二刀流が評価されてJRA賞特別賞を受ける。2021年10月には障害通算255勝で星野忍を抜き、歴代最多に立った。2022年2月、小倉の障害戦で落馬して第2頸椎を折り、長い休養に入る。傷は完治せず、2023年11月11日に引退。37年の騎手生活だった。日本ダービーは、勝てなかった。 騎手を退いたあと、熊沢はこの馬をこう振り返っている。「本当にセンスの塊でした」[^1] 柴田政見は2015年10月、体調不良で調教師を勇退した。厩舎に残した中央259勝のうち、GI級はマーベラスカイザーの一つきりである。マーベラスの一語を頭に載せた栗毛は、平地では13戦して2勝、障害に下りてからの7戦で1億円以上を稼ぎ、最後の障害を越えて先頭に立った数秒で、二人の競馬人生に届かないはずだったものを置いていった。淀の直線を8番手から差し切った二歳の秋も、中山の坂を六度昇り降りした四歳の暮れも、同じ一頭の脚である。五度目の誕生日を迎えられなかった馬に残ったのは、その脚の記憶だけだ。

出典:Number Web「『あの人は障害の天才』武豊も絶賛した熊沢重文の技術とは? 有馬記念と中山大障害を制した名手が“危険なレース”に乗り続けた本当の理由」(島田明宏)2023年12月23日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/860074 、閲覧日:2026年7月30日。

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