名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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マンハッタンカフェのイメージビジュアル
マンハッタンカフェManhattan Cafe
Manhattan Cafe

マンハッタンカフェ

通算成績12戦6勝

獲得賞金52,283万円

生年月日 1998.03.05(平成10年)毛色 青鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
マンハッタンカフェの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
13 GI凱旋門賞 フランス 芝2400 蛯名正義 映像
1 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 2人気 蛯名正義 3:19.5 上り34.1映像
6 GII日経賞 中山 芝2500 1人気 蛯名正義 2:37.5 上り34.9
1 GI有馬記念 中山 芝2500 3人気 蛯名正義 2:33.1 上り33.9映像
1 GI菊花賞 京都 芝3000 6人気 蛯名正義 3:07.2 上り34.0映像
4 GIIセントライト記念 中山 芝2200 3人気 二本柳壮 2:13.8 上り36.3
1 阿寒湖特別 札幌 芝2600 1人気 蛯名正義 2:43.1 上り35.8
1 富良野特別 札幌 芝2600 1人気 蛯名正義 2:43.5 上り35.6
11 アザレア賞 阪神 芝2000 2人気 河内洋 2:03.7 上り35.9
4 GII報知杯弥生賞 中山 芝2000 5人気 蛯名正義 2:06.8 上り38.4
1 3歳新馬 東京 芝1800 1人気 蛯名正義 1:49.8 上り35.5
3 3歳新馬 東京 芝2000 2人気 蛯名正義 2:06.5 上り34.9

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
マンハッタンカフェの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
サンデーサイレンスSunday SilenceHaloHail to Reason
Cosmah
Wishing WellUnderstanding
Mountain Flower
サトルチェンジSubtle ChangeLaw SocietyAlleged
Bold Bikini
Santa LucianaLuciano
Suleika
STORY

旅程 — この馬の物語

1998年生まれの青鹿毛の牡馬。父サンデーサイレンス、母サトルチェンジ。主な勝ち鞍は菊花賞・有馬記念・天皇賞。

寿司屋で隣り合った男

1995年の秋、小島太はサクラチトセオーで天皇賞(秋)を勝った。翌春に騎手を辞め、調教師に転じる。 その夜、六本木の寿司屋で、たまたま隣の席に座った男がいた。西川清。狭い土地を無人の時間貸し駐車場に変えていく事業を興し、当てた人である。競馬は小学生のころからのファンだった。二人は競馬の話をした。西川は、自分が馬主になったら馬はあなたに預ける、と約束した。 馬主資格を取ったのは翌1996年である。最初に持ったカリブカフェが五つ勝った。以来、西川は所有馬に「カフェ」の名を付けるようになる。しばらくして、カフェは馬名の末尾にあるほうが出世する——そう言ったのは小島だった。以後、小島に預ける馬だけが「○○カフェ」になる。 勝負服も厩舎の側から出ている。黄色と黒を使って、空いている図案で。西川のその注文に応えて図案を描いたのは、小島の妻だった。黄に黒の襷、黒の袖。 小島は1997年、義父にあたる境勝太郎の定年引退を引き継ぐ形で美浦に厩舎を開いた。騎手としてはサクラショウリとサクラチヨノオーで東京優駿を二度勝ち、重賞を八十四回勝っている。同時に、人気を背負ってあっけなく負けることでも知られていた。負けるときは負けっぷりよく負けたほうがいい、というのが本人の理屈である。三着を狙う競馬をするくらいなら、勝つか、しんがりか。そういう乗り方をして、賞賛と罵声を等分に浴びてきた男だった。

サトルチェンジの五番仔

1998年3月5日、北海道千歳市の社台ファームで青鹿毛の牡馬が生まれた。父サンデーサイレンス、母サトルチェンジ。母の五番仔である。 サトルチェンジは1988年にアイルランドで生まれた。父はローソサイエティ。アイルランドとイギリスで十九戦して四つ勝ち、準重賞を一つ取っている。繁殖に上がってからは、初仔にポリッシュパトリオットの仔、二番仔にビーマイゲストの仔、三番仔にデインヒルの仔を産んだ。 1996年、社台ファームがこの牝馬を買った。腹に仔を宿したまま日本へ渡り、その年のうちに産んでいる。日本で競走馬になった兄は二頭いた。三番仔の半兄エアスマップは2001年のオールカマーを勝ち、もう一頭がフサイチエキサイトである。 母の母はサンタルシアナといい、1973年にドイツで生まれた牝馬だった。その別の娘が産んだのがビワハイジで、ビワハイジは繁殖に上がってからブエナビスタジョワドヴィーヴル、アドマイヤジャパン、アドマイヤオーラ、トーセンレーヴ、サングレアルを送り出す。五番仔とビワハイジは、いとこ同士にあたる。 来日した年、サトルチェンジはさっそくサンデーサイレンスと交配されたが、流産した。翌1997年に同じ相手で受胎している。生まれてこなかった仔の、次の仔だった。 牧場での評判は最初から良かった。育成を担った猿倉修は、欠点が見当たらない馬だったと振り返っている。母仔ともに素直で、離乳の段取りでも手こずらなかった。気性の難しい組から順に引き離していく牧場の手順のなかで、この母仔は最後まで残されている。 二歳になり、猿倉が自ら跨るようになると、評価はさらに上がった。それまで携わってきたGI馬たちと比べても遜色がない、というのが乗り手の感触である。牧場の期待は、はっきりと東京優駿に向いていた。本気でダービーを勝つつもりで送り出した馬だった、とのちに書かれている。

春に痩せ、夏に太る

鞍上には蛯名正義が据えられた。初めて調教で跨ったときから素質を感じていたという。とてもおとなしい、サンデーサイレンスの仔にしては珍しいタイプで、気性も含めて長い距離が向く。それが蛯名の見立てだった。 2001年1月29日、東京の芝2000メートル、新馬戦。単勝2.0倍の2番人気に推されたが、ゲートで出遅れ、ハミも取れないまま走って3着に終わる。先に入線したのはトレジャーだった。2月11日、同じ東京の芝1800メートルでもう一度新馬戦を使い、好位から抜け出して勝った。 3月4日の弥生賞は八頭立て。前年暮れのラジオたんぱ杯でジャングルポケットクロフネを負かしたアグネスタキオンが単勝一倍台に支持され、マンハッタンカフェは二十一倍の5番人気だった。馬体重は前走から二十キロ減っている。四番手を追走して直線で外へ持ち出したが、クビ差の4着。皐月賞の優先出走権には届かなかった。 4月7日、阪神のアザレア賞。五百万円以下の条件戦である。馬体重はさらに十六キロ減っていた。2番人気で11着。原因は輸送だった。関東の馬が関西へ運ばれる。ただそれだけで、この馬は体を落とした。 東京優駿は諦めるほかなくなり、長い休みに入った。 戻ってきたのは夏の札幌である。8月4日、富良野特別、芝2600メートル。馬体重は前走から四十六キロ増えていた。スタートで出遅れながら追い上げ、二馬身差をつけて勝つ。8月26日の阿寒湖特別も、直線で前をふさがれながら抜け出して勝った。二連勝で三勝馬になっている。 本州へ戻り、9月16日のセントライト記念。蛯名に先約があり、二本柳壮が乗った。馬体重は十キロ減。3番人気で4着に終わる。勝ったのはシンコウカリドで、2着には、デビュー戦で先着されたトレジャーがいた。 秋のトライアルでも権利は取れなかった。それでも菊花賞に出られたのは、出走頭数が十五頭に留まったからである。 輸送への手当ては一つしかなかった。早く行って、居着くことだ。9月30日、関東の馬が栗東トレーニングセンターに入厩した。三週間の滞在を経て迎えた当日、馬体重は四キロ増えていた。

淀、三千メートル

10月21日、京都。十五頭立て。 1番人気はジャングルポケットだった。この年の東京優駿を勝っている。皐月賞を勝ったアグネスタキオンは、ダービーを前に引退していた。2番人気はその両方で2着に来たダンツフレーム、3番人気は札幌記念と神戸新聞杯を含めて四連勝中のエアエミネム。人気はこの三頭で抜けていた。マンハッタンカフェの単勝は千七百十円、6番人気である。 二枠二番。一周目、内で十番手あたりを進んだ。逃げたのは十一番人気のマイネルデスポットで、追いかける馬がいない。中盤の二百メートルごとの時計は十三秒台まで落ちた。前は楽をしていたことになる。 京都の三千メートルは、二度目の坂を下りながら加速する。二周目の三コーナーで七、八番手、四コーナーで六、七番手。残り六百メートルから四百メートルの区間は十一秒四で、この日いちばん速い区間だった。 直線でエアエミネムとジャングルポケットを抜き、内で粘るマイネルデスポットに並びかけ、半馬身だけ前に出て決勝線を通った。3分07秒2。 クラシックに一度も出ないまま菊花賞を勝った馬は、1995年のマヤノトップガン以来だった。関東の馬が勝ったのは1998年のセイウンスカイ以来である。蛯名も西川も小島も、菊花賞は初めてだった。小島にとっては、2000年にイーグルカフェで勝ったNHKマイルカップに続く二つ目のGIになる。 四月に痩せて春をまるごと失った馬が、十月に世代の頂点に立っていた。

十二月二十三日、中山

その年の暮れ、中山に集まった面々の中心にいたのは、引退を表明していたテイエムオペラオーである。前の年を無敗で駆け抜け、GIの勝ち星をシンボリルドルフと並ぶところまで積み上げていた。ここを勝てば単独の最多になる。そのオペラオーと六度もワンツーを分け合ってきたメイショウドトウもいる。マンハッタンカフェは三番人気だった。 四枠四番。ゲートを出て、この馬は前を追わなかった。一周目のコーナーでは、オペラオーとほとんど並んで、真ん中よりやや後ろを回っている。 トゥザヴィクトリーの作る流れは、二周目に入るあたりで緩んだ。区間の時計が十三秒台まで落ちる。前で息が入るということは、後ろにいる馬にとっては不利だということだ。 そこから、後ろの馬が順に動きはじめる。まずメイショウドトウが外へ持ち出した。それをテイエムオペラオーが追う。マンハッタンカフェが腰を上げたのは、その二頭よりさらに後ろからだった。公式の通過順位では、二周目の三コーナーでこの馬は後ろから二、三頭目にいる。 四コーナーを回り終えても、前にはまだ八頭も九頭もいた。 三コーナーを過ぎたあたりから、二百メートルごとの時計は速くなり続けていた。一度緩めた前に、息を入れ直す余裕はもうない。逃げたトゥザヴィクトリーが坂を上りにかかり、外からメイショウドトウテイエムオペラオーが迫る。この年の古馬の決着は、その三頭のあいだで着くはずだった。 着かなかった。 中山の直線は三百十メートルしかない。その距離のあいだに、外から一頭、脚色の違う馬が上がってきた。メイショウドトウテイエムオペラオーを抜き、先に抜け出していた二頭も捉えて、ゴール前で先頭に立つ。着差は一馬身四分の一。四コーナーで前にいた馬を、直線だけで全部抜いたことになる。 二着に粘ったのは、十三頭のなかで最も人気のなかったアメリカンボスだった。 十四年後、蛯名はこの日を一番の思い出に挙げ、「生涯一番というくらい具合が良くて、期待通りの強さでした」[^1]と振り返っている。

出典:デイリースポーツ「マンハッタンカフェ急死に蛯名ら悼む声」2015年8月15日配信、https://www.daily.co.jp/horse/2015/08/15/0008304716.shtml 、閲覧日:2026年8月2日。

皿のような蹄

三歳馬が有馬記念を勝ったのは、1998年のグラスワンダー以来だった。同じ年に菊花賞と有馬記念を続けて勝った馬は、1995年のマヤノトップガン以来である。それでも年末のJRA賞で年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選ばれたのは、どちらもジャングルポケットだった。菊花賞では四着に退けた相手である。 この馬の蹄は、皿のように薄く平べったかった。四歳になって状態が悪くなり、蟻洞ができて、装蹄師も苦労している。2月13日に厩舎へ戻ると、今度は繰り返し食欲が落ちた。 3月23日、中山の日経賞。八頭立てで単勝1.2倍。良馬場ではあったが小雨が降り、芝の表面だけが濡れて脚を使いにくい馬場になっていた。小島は蛯名に、GIのつもりで乗ってこいと言って送り出している。 後方三番手から三コーナーで大外へ持ち出したが、前との差が詰まらない。直線でも盛り返せず6着。勝ったのはアクティブバイオだった。最終コーナーで、蛯名は後ろを振り返っている。後ろ脚の感触がおかしく、誰かに乗りかけられたのかと思うほどだったという。検査では故障は見つからなかった。 天皇賞(春)を前に、小島は報道陣との接触を意識して避けた。蹄と脚元の状態が思わしくなく、回避するかどうかを最後まで決めかねていたからである。菊花賞と有馬記念を勝ってなお正当に評価されていないという悔しさが、無理を強いる方向に自分を押したかもしれない——のちに、そう漏らしている。 4月4日、また栗東に入った。三週間の滞在を経て、4月28日、京都の芝3200メートル。十一頭立て。1番人気はナリタトップロード、2番人気がマンハッタンカフェ、3番人気がジャングルポケット。三頭は中団にひとかたまりになって、エリモブライアンの逃げを追った。 二周目の三コーナーから、その三頭がほぼ横に並んで上がっていく。内からマンハッタンカフェ、ジャングルポケットナリタトップロードの順だった。 最終コーナーで、先頭を争っていたキングザファクトが外へ膨れた。ナリタトップロードは外へ張り出され、ジャングルポケットはさらにその外を回らされる。膨れた馬の内側には、空間が生まれていた。マンハッタンカフェはそこを通った。 最後の八百メートルは四十五秒五。三千二百メートルの競走の終いが、短い距離の追い比べになった。直線で内から抜け出し、ジャングルポケットにクビ差。三着のナリタトップロードは、さらに半馬身うしろだった。3分19秒5。 菊花賞、有馬記念、天皇賞(春)を続けて勝った馬は、1984年秋から翌春にかけてのシンボリルドルフのほかにいない。 小島は騎手として、1986年秋にサクラユタカオーで、1995年秋にサクラチトセオーで天皇賞を勝っている。調教師としては、これが初めてだった。

ロンシャン

宝塚記念は使わなかった。天皇賞(春)自体が、出否を迷ったまま走らせた一戦である。夏は北海道の社台ファームで放牧に出した。 そこで体が変わった。京都から美浦を経由して北海道まで運んでも、体重が減らない。春を潰した弱点が、夏のあいだに消えていた。 陣営は秋の目標を国内に置くつもりでいたが、この変化を見て組み替える。8月8日、凱旋門賞への遠征が発表された。 言い出したのは、共同オーナーになっていた社台ファームの吉田照哉である。その八月、社台はサンデーサイレンスを喪っていた。日本で残せるものは残した。次は外だ、というのが吉田の考えだった。この馬がロンシャンを勝てば、それがサンデーサイレンスへの最大の恩返しになる、と。 小島にとっても、凱旋門賞は騎手のころから乗ってみたかったレースだった。調教師として1997年にサクラローレルで遠征もしている。ただし前哨戦のフォワ賞で故障し、本番のゲートには入れないまま引退させた。蛯名は1999年、エルコンドルパサーでモンジューに半馬身届かず2着に敗れている。 反対したのは西川だった。吉田と小島が乗り気なのを見て、二対一では仕方がない、と折れている。 帯同馬には同じ西川の所有で同じ厩舎のイーグルカフェが選ばれた。9月4日、二頭は成田を発ち、アンカレッジを経由してフランスへ渡る。滞在先はシャンティイのリチャード・ギブソン厩舎。輸送はこたえなかった。調整も順調だった。 10月6日、ロンシャン。六か国から十六頭が集まった。人気を集めたのはアイルランドダービーを勝ったハイシャパラルと、フランスダービーを勝ったスラマニ。マンハッタンカフェは5番人気である。 好スタートから外の四番手を進んだ。反応が鈍い。直線を向く前にステッキが入ったが、伸びない。そこから先は追われることもなく、勝ったマリエンバードから大きく離れた13着でゴールした。 レースのあと、左前脚に屈腱炎の兆候が見つかる。精密検査を待たずに引退が決まった。走れなかったのではない。走っている最中に壊れていた。

曳かれていった馬

その年の12月22日、有馬記念の日の中山で引退式が行われた。 前の年の有馬記念と同じ、ゼッケンの四番を着けた。青い帽子をかぶり、黄に黒襷の勝負服を着た蛯名が背に乗った。一年前とまったく同じ組み合わせである。 ただし、馬は走らなかった。走れなかった。人の手に曳かれて、歩いた。 競走生活は12戦6勝。三歳の一月に始まり、四歳の十月に終わっている。一年八か月しかない。年末のJRA賞では最優秀4歳以上牡馬に選ばれた。 翌春から安平の社台スタリオンステーションに立ち、初年度から二百頭を超える繁殖牝馬を集めた。西川清は2005年7月9日に亡くなっている。産駒が中央のGIを初めて勝つ日を見ていない。その日は2009年に来た。ジョーカプチーノがNHKマイルカップを、レッドディザイアが秋華賞を勝ち、同じ年、マンハッタンカフェは日本のリーディングサイアーになった。 2011年の天皇賞(春)を勝ったのはヒルノダムールである。父と同じ京都の三千二百メートルだった。その秋、ヒルノダムールもロンシャンへ渡って10着に敗れている。輸送で体重を減らすところまで、父に似た。 2015年8月13日、放牧中に倒れて死んだ。十七歳。解剖で腹腔内の腫瘍が見つかった。蛯名はその二週間ほど前に会いに行っている。ずいぶん痩せていた、長くないかもしれないと思った、と語った。小島は、国内のGI三勝は強烈に記憶に残るが負けた凱旋門賞も思い出深い、レース中の故障がなければ勝てたのではないかと今でも思う、と話し、最後にこう付け加えている。「調教師生活の中で最高のパートナーだった」[^1]。 小島は2018年2月の定年で厩舎を閉じ、書き手に回った。2025年に初めての自伝を出している。題は『賞賛と罵声と』という。蛯名は2021年2月に騎手を辞めて調教師になり、2026年6月、顕彰者に選ばれた。 牧場が本気で東京優駿を勝つつもりで送り出した馬は、府中の二千四百メートルに一度も立てなかった。輸送に負けて春を失い、秋に、別の距離で帰ってきた。長い距離のGIを三つ勝ったのは、そこしか残っていなかったからでもある。主戦を務めた男も同じだった。蛯名は東京優駿に二十五回乗り、2着が二度、3着が二度あって、勝てないまま鞍を降りている。 2023年5月28日、東京優駿を勝ったのはタスティエーラだった。血統表の母の父の欄に、この馬の名前がある。翌年、テーオーロイヤルが天皇賞(春)を勝った日は4月28日だった。二十二年前の同じ日付に、この馬が京都の三千二百メートルを勝っている。母の父の欄は、やはり同じ名前である。 引退式のあの日、馬は自分の脚で走らなかった。青い帽子と黄に黒襷を背に乗せ、人の手に曳かれて、中山の芝をただ歩いた。その脚が一度も立てなかった府中の坂に、いまはその名前が立っている。

出典:デイリースポーツ「マンハッタンカフェ急死に蛯名ら悼む声」2015年8月15日配信、https://www.daily.co.jp/horse/2015/08/15/0008304716.shtml 、閲覧日:2026年8月2日。

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