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ラブミーチャン
通算成績34戦18勝
獲得賞金2億5,840万円
生年月日 2007.03.19(平成19年)毛色 栗毛性 牝
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | JpnⅢクラスターカップ | 盛岡 ダ1200 | 1人気 | 戸崎圭太 | 1:09.5 | 上り34.8 | — | |
| 1 | 習志野きらっとスプリント | 船橋 ダ1000 | 1人気 | 森泰斗 | 0:58.3 | 上り35.5 | — | |
| 1 | スターキャット杯名古 | 名古屋 ダ800 | 1人気 | 浜口楠彦 | 0:46.8 | 上り33.9 | — | |
| 1 | JpnⅢ東京スプリント | 大井 ダ1200 | 3人気 | 戸崎圭太 | 1:11.7 | 上り36.8 | — | |
| 6 | JpnⅢ黒船賞 | 高知 ダ1400 | 3人気 | 福永祐一 | 1:28.4 | 上り39.6 | — | |
| 1 | オッズパークグランプリ | 笠松 ダ1400 | 1人気 | 福永祐一 | 1:24.5 | 上り36.7 | — | |
| 2 | 笠松グランプリ | 笠松 ダ1400 | 1人気 | 浜口楠彦 | 1:24.8 | 上り36.5 | — | |
| 9 | JpnⅠJBCスプリント | 川崎 ダ1400 | 3人気 | 浜口楠彦 | 1:28.9 | 上り40.7 | 映像 | |
| 1 | JpnⅡ東京盃 | 大井 ダ1200 | 6人気 | 浜口楠彦 | 1:11.2 | 上り36.8 | — | |
| 2 | JpnⅢサマーチャンピオン | 佐賀 ダ1400 | 4人気 | 浜口楠彦 | 1:25.8 | 上り38.1 | — | |
| 1 | 習志野きらっとスプリント | 船橋 ダ1000 | 1人気 | 浜口楠彦 | 0:58.2 | 上り35.5 | — | |
| 1 | 名古屋でら馬スプリント | 名古屋 ダ800 | 1人気 | 浜口楠彦 | 0:47.7 | 上り34.5 | — | |
| 3 | JpnⅢかきつばた記念 | 名古屋 ダ1400 | 3人気 | 浜口楠彦 | 1:26.8 | 上り38.5 | — | |
| 8 | JpnⅢ兵庫ゴールドトロフィー | 園田 ダ1400 | 4人気 | 浜口楠彦 | 1:29.0 | 上り39.7 | — | |
| 1 | オッズパークグランプリ | 佐賀 ダ1400 | 1人気 | 浜口楠彦 | 1:26.6 | 上り36.6 | — | |
| 4 | JpnⅠJBCスプリント | 大井 ダ1200 | 6人気 | 浜口楠彦 | 1:10.3 | 上り36.6 | 映像 | |
| 2 | JpnⅡ東京盃 | 大井 ダ1200 | 8人気 | 浜口楠彦 | 1:11.1 | 上り36.8 | — | |
| 3 | JpnⅢクラスターカップ | 盛岡 ダ1200 | 2人気 | 浜口楠彦 | 1:11.7 | 上り37.7 | — | |
| 1 | 習志野きらっとスプリント | 船橋 ダ1000 | 2人気 | 浜口楠彦 | 0:58.4 | 上り35.7 | — | |
| 1 | 名古屋でら馬スプリント | 名古屋 ダ800 | 2人気 | 浜口楠彦 | 0:46.4 | 上り33.7 | — | |
| 6 | JpnⅡさきたま杯 | 浦和 ダ1400 | 5人気 | 浜口楠彦 | 1:27.3 | 上り38.8 | — | |
| 3 | JpnⅢかきつばた記念 | 名古屋 ダ1400 | 4人気 | 浜口楠彦 | 1:26.3 | 上り37.0 | — | |
| 3 | JpnⅢ兵庫ゴールドトロフィー | 園田 ダ1400 | 3人気 | 浜口楠彦 | 1:27.6 | 上り39.1 | — | |
| 4 | 笠松グランプリ | 笠松 ダ1400 | 2人気 | 浜口楠彦 | 1:26.4 | 上り37.0 | — | |
| 15 | GIII函館スプリントS | 函館 芝1200 | 7人気 | 浜口楠彦 | 1:11.5 | 上り38.1 | — | |
| 3 | JpnⅢ北海道スプリントカップ | 門別 ダ1200 | 2人気 | 五十嵐冬樹 | 1:10.7 | 上り36.6 | — | |
| 1 | エトワール賞 | 門別 ダ1200 | 1人気 | 五十嵐冬樹 | 1:11.7 | 上り38.0 | — | |
| 取 | 農林水産大臣賞典桜花 | 浦和 ダ1600 | 浜口楠彦 | — | — | |||
| 12 | GIIフィリーズレビュー | 阪神 芝1400 | 2人気 | 浜口楠彦 | 1:24.1 | 上り37.0 | — | |
| 1 | ゴールドジュニア | 笠松 ダ1600 | 1人気 | 浜口楠彦 | 1:42.6 | — | — | |
| 1 | JpnⅠ全日本2歳優駿 | 川崎 ダ1600 | 2人気 | 浜口楠彦 | 1:40.0 | 上り38.6 | — | |
| 1 | JpnⅡ兵庫ジュニアグランプリ | 園田 ダ1400 | 3人気 | 浜口楠彦 | 1:27.5 | 上り37.8 | — | |
| 1 | 2歳500万下 | 京都 ダ1200 | 4人気 | 浜口楠彦 | 1:11.0 | 上り37.1 | — | |
| 1 | ジュニアクラウン | 笠松 ダ1400 | 1人気 | 浜口楠彦 | 1:29.6 | — | — | |
| 1 | JRA認定新馬チャレ | 笠松 ダ800 | 1人気 | 浜口楠彦 | 0:48.1 | — | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父サウスヴィグラスSouth Vigorous | エンドスウィープEnd Sweep | フォーティナイナーForty Niner |
| Broom Dance | ||
| ダーケストスターDarkest Star | Star de Naskra | |
| Minnie Riperton | ||
| 母ダッシングハニー | アサティスAssatis | Topsider |
| Secret Asset | ||
| ラストヒット | スラヴィックSlavic | |
| ゲートアンドフライ |
旅程 — この馬の物語
2007年生まれの栗毛の牝馬。父サウスヴィグラス、母ダッシングハニー。
コパノハニーという名を捨てて
2007年3月19日、北海道新ひだか町のグランド牧場に、栗毛の牝馬が生まれた。父はダート短距離を蹂躙したサウスヴィグラス、母はダッシングハニー。母の母ラストヒットは東北優駿と北日本オークスを勝った牝馬で、この一族の血はもともと、中央のターフよりも地方のダートに近いところを走ってきた。 翌2008年8月20日、北海道サマーセール。「ダッシングハニーの2007」は315万円で落札される。買い手は風水で知られる小林祥晃――Dr.コパだった。中央でデビューさせるつもりで、栗東の須貝尚介厩舎に「コパノハニー」の名で登録された。母の名を継いだ、冠名つきの真っ当な名前である。 だが、この馬は腰が甘かった。時間をかけてゆったり造る必要があり、中央の競走馬登録は一度も走らないまま抹消される。2009年7月15日のことだった。移った先は岐阜県、笠松競馬場の柳江仁厩舎。同時に名前も変わった。「自分を好きになって、自信を持とうよ」――再スタートの願いを込めて、コパノハニーはラブミーチャンになる。末尾の「チャン」は、馬主仲間の戸佐眞弓が所有していたアストンマーチャンにあやかったものだという。愛と、人を呼ぶときの愛称。それが、この馬の名の全部だった。
ハマちゃん ― 笠松に残った男
笠松でこの2歳牝馬の手綱を任されたのは、濱口楠彦という騎手だった。1960年3月28日、三重県生まれ。1975年に地方競馬教養センターへ入り、同期に安藤勝己がいた。安藤とは生年月日がまったく同じで、初騎乗の日――1976年10月20日――も、安藤兄弟と同じだった。その日に初勝利も挙げている。 そこから先の道は分かれた。安藤勝己は笠松からJRAへ渡り、地方出身騎手の中央移籍の先駆けとして数々のGIを勝つ。兄の安藤光彰も、川原正一も、柴山雄一も、笠松を出ていった。濱口は残った。2006年度は109勝を挙げて笠松のリーディング2位に立ち、同じ年のスーパージョッキーズトライアルを勝って、暮れのワールドスーパージョッキーズシリーズでも1勝している。腕は誰もが認めていた。ただ、デビューから33年、GI級のタイトルだけが手元になかった。愛称は「ハマちゃん」。身長150センチの、陽気なベテランである。 2009年10月7日、笠松のダート800メートル。7頭立てのJRA認定新馬戦で、ラブミーチャンは1番人気に応え、2着に4馬身の差をつけて逃げ切った。23日後のジュニアクラウンも、2着に0秒7差。速いというより、時計の刻み方が他の馬と違っていた。
京都のレコード、園田の四連勝
3戦目に選ばれたのは、京都のダート1200メートルだった。地方所属馬にも門戸が開かれた特別指定の2歳500万下。4番人気のラブミーチャンはここでも先手を取り、2着サリエルに1馬身4分の1差をつけて、1分11秒0で駆け抜ける。当時のコースレコードだった。中央のダートに、笠松の2歳牝馬がレコードを刻んだ。 4戦目は11月23日、園田の兵庫ジュニアグランプリ。ダートグレード競走のJpnIIである。3番人気だったが、スタートから先頭に立ち、アースサウンドの追撃を4分の3馬身抑えて4連勝を決めた。濱口にとっては、これがダートグレード競走の初勝利だった。デビューから33年、ようやく一段高いところへ手が届いた。 その先に、もう一段があった。
二〇〇九年十二月十六日、川崎
全日本2歳優駿、JpnI。川崎のダート1600メートル。1番人気は北海道2歳優駿を圧勝してきたビッグバンで、ラブミーチャンは2番人気だった。 この日の彼女は尋常ではなかった。レース前にパニックを起こし、返し馬もできないままゲート裏で待たされている。それでも扉が開くと、いつもどおり前へ出た。14頭立ての12番から先手を奪うと、先頭を譲らないまま直線へ入り、そこからむしろ後続を突き放した。追ってきたブンブイチドウとの差は1馬身半。時計は1分40秒0のレースレコードだった。 地方所属の牝馬がこのレースを勝つのは、1986年のダイカツラモーヌ以来、23年ぶりのことである。そして濱口楠彦は49歳で、初めてGI級競走の勝ち馬になった。この年、地方競馬に在籍する騎手でGI級を勝ったのは、彼ひとりだった。同じ日に生まれ、同じ日に鞍上デビューした男は、とうに中央で頂点を極めている。笠松に残った方の男は、笠松の馬で、笠松にいたまま、そこへ辿り着いた。
満票の年度代表馬と、越えられなかった芝
2010年1月7日、ラブミーチャンは満票でNARグランプリ年度代表馬に選ばれた。2歳馬の年度代表馬は史上初だった。2月4日の表彰式には、小林祥晃、柳江仁、濱口楠彦、そして厩務員の森崎隆が並んでいる。オーナーは、この馬が大好きな父サウスヴィグラスに顔も体形もよく似ていると語り、天から授かった馬だと表現した。狙いは中央の桜花賞である。主戦騎手の言葉は短かった。「あの馬の能力を信じている」[^1] 2月12日、地元笠松のゴールドジュニアに単勝1.0倍で応え、2馬身差の6連勝。だが3月14日、阪神のフィリーズレビューで初めて芝を走ると、2番人気で12着に沈んだ。桜への道はそこで閉じる。3月24日に予定していた浦和の桜花賞は熱発で出走取消となり、切り替えた船橋のマリーンカップも回避した。 春は北海道で立て直すことになった。門別に滞在し、五十嵐冬樹を背にエトワール賞をアタマ差で拾う。北海道スプリントカップは逃げて3着。7月4日、もう一度だけ芝に挑んだ函館スプリントステークスは、15頭立ての15着だった。芝は、どうしても走れなかった。連勝が止まったあとの数か月で、この馬は自分の走る場所がどこなのかを、負けながら確かめていた。
出典:スポーツニッポン「年度代表馬ラブミーチャン、目標は桜花賞!」2010年2月5日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/02/05/kiji/K20100205Z00001370.html 、閲覧日:2026年7月30日。
賞金が削られる競馬場で
そのころ、笠松競馬そのものが崖の縁にいた。1990年代後半から単年度赤字が続き、2004年には将来的な廃止を含む検討が行われている。翌年度は黒字が出なければ廃止という案が岐阜県議会に上程され、賞金と関係者の賃金を削ってどうにか黒字を出した。それでも売上不振は止まらず、2010年度は最大3億1500万円の赤字が試算される。組合が示したのは、賞金と出走手当を最大4割削るという案だった。馬主・厩舎側との交渉の末に15パーセントの削減と基金の取り崩しで折り合い、開催は続いた。競馬場に募金箱が置かれた。全国で初めてのことである。 ラブミーチャンは、その笠松に籍を置いたままだった。全日本2歳優駿を勝った直後、オーナーは中央へ移籍させるつもりはないと明言している。芝で通用しなかったから残ったのではない。勝った時点で、残ると決めていた。 4歳になった2011年、路線は短いところへ絞られていく。6月24日、名古屋のダート800メートルを46秒4のレコードで駆け抜け、7月の習志野きらっとスプリントも制して、創設されたばかりの地方競馬スーパースプリントシリーズの初代チャンピオンになった。 一方で、ダートグレードの壁は厚かった。かきつばた記念3着、さきたま杯6着、クラスターカップ3着。9月の東京盃は2番手から早めに抜け出しながら、最内を伸びてきたスーニに交わされて2着。11月のJBCスプリントも同じスーニに交わされて4着。年末の兵庫ゴールドトロフィーは8着だった。2歳の暮れに立った場所から、もう2年が過ぎていた。
二〇一二年十月三日、大井
稍重のダート1200メートル、東京盃JpnII。16頭立ての6番人気だった。この年のラブミーチャンは名古屋でら馬スプリントと習志野きらっとスプリントを連覇していたが、ダートグレードではかきつばた記念3着、サマーチャンピオン2着と、また少し足りずにいた。 その日は足りた。好位から直線で先頭に立ち、追ってきたタイセイレジェンドに1馬身半の差をつけて押し切る。ダートグレード競走の勝利は、2009年の全日本2歳優駿以来、2年10か月ぶりだった。5歳の秋に、この馬はもう一度だけ、地方の短距離戦線の中心へ戻ってきた。 一か月後の11月5日、川崎のJBCスプリント。3番人気。父サウスヴィグラスが2003年に勝ったレースであり、彼女にとっては2度目の挑戦だった。結果は9着。勝ったのは、東京盃で1馬身半うしろにいたタイセイレジェンドである。本番とは、そういうふうにできている。 それでも、この年の評価は動かなかった。翌2013年1月、ラブミーチャンは2歳時以来3年ぶりに、二度目のNARグランプリ年度代表馬に選ばれる。最優秀短距離馬と4歳以上最優秀牝馬も併せて受けた。
四連勝のあとの、十一月六日
6歳になった2013年、この馬はおそらく最も強かった。2月、地元笠松のオッズパークグランプリを福永祐一で連覇。3月の黒船賞は6着に終わったが、4月10日の東京スプリントJpnIIIでは戸崎圭太を背に、セイクリムズンを半馬身抑えて勝った。ダートグレード4勝目である。 6月21日、名古屋のダート800メートル。鞍上は主戦の濱口に戻り、単勝1.0倍に応えて3連覇。7月15日の習志野きらっとスプリントは森泰斗が乗り、2着に5馬身差をつけて、こちらも創設以来の3連覇。8月14日、盛岡のクラスターカップJpnIIIを戸崎で勝って4連勝とした。重賞は16勝、うちダートグレードは5勝になっていた。 秋の目標は、川崎のJBCスプリントだった。父が勝ち、自分がまだ勝てていないレースである。だが10月30日、調教中に右前脚の内側種子骨を折り、そのまま現役引退が決まった。三度目の挑戦は、ゲートに入る前に終わった。 その一週間後の11月6日、濱口楠彦が心筋梗塞で亡くなった。53歳だった。最後の騎乗は10月25日、笠松の第10競走。エーシンマギーで6着。ラブミーチャンの骨折が伝えられる、5日前のことである。 デビューから33年かかって初めてGIを勝った男と、その男を頂点へ連れていった馬は、同じ秋に、一週間を隔てて、走ることをやめた。
町役場の栗毛
2014年2月28日、笠松競馬場で引退セレモニーが行われた。右前脚の状態を考えて本馬の来場は見送られ、代わりにレース映像と近況が場内に流れた。その年から、笠松の2歳牝馬重賞「プリンセス特別」は「ラブミーチャン記念」に改称された。笠松で馬名を冠した競走は、オグリキャップ記念、ライデンリーダー記念に次ぐ3つ目だった。第1回はその年の11月11日に行われている。 3月、北海道へ発った。静内の谷岡牧場で繁殖牝馬となり、ラブミーボーイ、ラブミージュニア、ラブミーレディー、リッキーボーイ、リッキーアンドミーの5頭を産む。娘のラブミーレディーは繁殖牝馬となり、母の血を次の世代へ渡している。同じ牝系のいとこには、2017年のNARグランプリ2歳最優秀牝馬ストロングハート、そして2025年のプロキオンステークスを勝ったサンデーファンデーがいる。同じ一族から、地方の2歳女王も、中央の重賞勝ち馬も出た。 2024年8月31日、ラブミーチャンは谷岡牧場で息を引き取った。17歳。その年のNARグランプリで、特別表彰馬に選ばれている。 2025年11月5日、笠松町役場に、高さ約1.2メートルの像が据えられた。オーナーの小林祥晃が寄贈したものである。競馬場ではなく、町役場に。廃止案と募金箱の時代を生き延びた町が、その真ん中に置いたのは、315万円で買われ、一度は名前を捨て、笠松から出ないまま日本一になった栗毛だった。 「自分を好きになって、自信を持とうよ」。改名のときに託されたその願いは、笠松を出ないまま、町の名前ごと全国へ届いた。
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