名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

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ロジユニヴァースのイメージビジュアル
ロジユニヴァースLogi Universe
Logi Universe

ロジユニヴァース

通算成績10戦5勝

獲得賞金34,332万円

生年月日 2006.03.11(平成18年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ロジユニヴァースの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
14 GII札幌記念 札幌 芝2000 7人気 横山典弘 2:04.3 上り39.1映像
2 GII札幌記念 札幌 芝2000 5人気 横山典弘 1:59.7 上り35.8映像
13 GI宝塚記念 阪神 芝2200 5人気 安藤勝己 2:14.2 上り37.5映像
6 GII日経賞 中山 芝2500 1人気 横山典弘 2:34.4 上り35.5
1 GI東京優駿 東京 芝2400 2人気 横山典弘 2:33.7 上り39.2映像
14 GI皐月賞 中山 芝2000 1人気 横山典弘 2:00.6 上り37.0映像
1 GII報知杯弥生賞 中山 芝2000 1人気 横山典弘 2:03.5 上り35.8映像
1 GIIIラジオNIKKEI杯 阪神 芝2000 2人気 横山典弘 2:01.7 上り37.1
1 GIII札幌2歳S 札幌 芝1800 1人気 横山典弘 1:49.1 上り36.0映像
1 2歳新馬 阪神 芝1800 2人気 武豊 1:49.1 上り34.4

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ロジユニヴァースの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ネオユニヴァースNeo UniverseサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
ポインテッドパスPointed PathKris
Silken Way
アコースティクスCape CrossGreen Desert
Park Appeal
ソニンクSoninkeMachiavellian
Sonic Lady
STORY

旅程 — この馬の物語

2006年生まれの鹿毛の牡馬。父ネオユニヴァース、母アコースティクス。主な勝ち鞍は東京優駿・札幌2歳S・ラジオNIKKEI杯。

外を向いた前脚

母アコースティクスは2001年にノーザンファームで生まれた牝馬で、父はケープクロス。一度も競馬場に出ないまま繁殖に上がり、初仔をマンハッタンカフェとの間に産んだ。二年目に配されたのが、種牡馬になったばかりのネオユニヴァース——2003年に皐月賞と東京優駿を勝った二冠馬である。2006年3月11日、北海道安平町に、二番仔となる鹿毛の牡馬が生まれた。 その仔の前脚は、大きく外を向いていた。競走馬になれるかどうかが危ぶまれるほどの外向である。おまけに人の言うことを聞かない。繁殖部門の厩舎長・丹治悟は後年、扱いにくい仔だったという記憶しかないと述懐している。ところが育成部門に渡ると態度は一変し、担当した林宏樹によれば、とにかく手のかからない馬になった。 それでも脚は脚だった。2008年の春まで、この馬はホッカイドウ競馬でデビューする予定だったのである。四月、美浦の萩原清調教師とともに牧場を訪れた久米田正明が、その予定を覆した。萩原は外向を理由にこの仔を勧めようとしなかったが、久米田は走る姿を見て気に入り、その場で買った。実印を持って牧場に来ていたのだ。 久米田が馬主登録をしたのは前年の七月である。セレクトセールで四頭を揃え、二歳馬をもう一頭欲しいと考えて安平まで足を運んだ、その最後の一頭がこれだった。冠名の「ロジ」に、父の名から「ユニヴァース」をつないで、ロジユニヴァース。萩原の当初の見立ては、遠からず一勝はできるだろう、というものだった。

のぞみ橋、のちのロジ橋

美浦の坂路を初めて登らせた萩原は、この馬の能力を高く見込んだ。そして関東の厩舎でありながら、栗東へ「留学」させる。厩舎の別の馬に帯同する形での滞在だったが、理由ははっきりしていた。栗東の坂路は美浦より短く、外向した脚にかかる負担が小さい。加えて阪神の芝1800mが合うと踏み、そこでデビューさせるつもりだった。 2008年7月6日、阪神・芝1800mの新馬戦。武豊を背に2番人気で発走し、中団から直線で抜け出して半馬身差。馬体重は468キロだった。久米田が馬主として初めて走らせた馬の、初めての勝利でもある。 夏は北海道へ移った。札幌競馬場の厩舎地区は環状通という道路で二つに分かれていて、そのあいだを「のぞみ橋」という陸橋がつないでいる。ロジユニヴァースは通常の調教を終えたあと、この橋を何度も往復させられた。坂路も丘もない場所で、陸橋の傾斜だけを借りて脚腰を鍛える——脚に負担をかけられない馬のための、コロンブスの卵のような発想だった。のちにこの橋は、関係者のあいだで「ロジ橋」と呼ばれるようになる。 10月4日の札幌2歳ステークス。武豊がメイショウサムソンで凱旋門賞へ発つため、萩原は横山典弘を乗せた。中団でじっくり流れに乗り、先に抜け出した二頭を残り50メートルで捉えて1馬身1/4差。新馬から26キロ増えた494キロでの完勝である。父ネオユニヴァースにとっても、久米田にとっても、これが初めての重賞だった。

三強の筆頭

12月27日、阪神のラジオNIKKEI杯2歳ステークス。単勝1.3倍のリーチザクラウンが1番人気で、ロジユニヴァースは5.8倍の二番手評価だった。リーチザクラウンが逃げ、その二番手を追走し、直線で並ぶ間もなく交わして4馬身。レース史上最大の着差に並ぶ勝ち方で、無傷の三連勝とした。 年が明けた3月8日の弥生賞では、逆に自分からハナへ立った。稍重の中山2000mを一度も並ばれることなく、2馬身半差で押し切る。1.3倍の1番人気に応えた無敗の四連勝で、無敗馬による弥生賞制覇は2005年のディープインパクト以来だった。 四月の中山は、この馬を中心に回っていた。単勝支持率48.95パーセント。リーチザクラウン、アンライバルドと並んで「三強」と呼ばれ、その筆頭に置かれていた。

1.7倍の十四着

2009年4月19日、皐月賞。単勝1.7倍。スタートから先行し、直線で抜け出しを図って、そこからまったく伸びなかった。勝ったアンライバルドから10馬身以上離された14着。四連勝してきた馬が、初めて味わう敗北だった。 馬体重は490キロ。デビュー時の468キロから26キロ、10キロと増えたあと、4キロ、10キロと減っての数字である。萩原はのちに、トモを中心に肩や首へ疲れが出ていたこと、体重の増減が激しく、まだ出来上がった馬ではなかったことを敗因に挙げている。そして自分の仕事のほうを、こう断じた。「皐月賞は仕事として失敗してしまった」[^1] 横山も、弥生賞の頃から走りが変わってきたと感じていたと明かしている。皐月賞は、その予感が最も悪い形で当たったレースだった。

出典:Number Web「安田記念でダノンキングリーを“復活”させた萩原師はダービー馬もよみがえらせていた」2021年6月11日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/848401?page=2 、閲覧日:2026年8月1日。

中五週、四百七十キロから

皐月賞が終わって美浦に戻り、体重を計ると470キロ前後まで落ちていた。萩原の言い方は率直である。「このままではダービーを勝ち負けするどころか出走すらおぼつかない」[^1] 放牧先は宮城県山元町の山元トレーニングセンター。萩原は三週間のあいだ、毎週みずから宮城へ足を運んだ。現地では中谷雄太が跨り、現役騎手の手で本格的な調教が施される。まず体を戻し、それから後ろ脚の可動域を広げる。帰厩後に測った心拍数は皐月賞のときとは比べ物にならない数字を示していたが、動きは戻りきらなかった。一週前追い切りに乗った横山は完調にはほど遠いと感じたと語り、レースの四日前の時点でも、九割九分勝てないと思っていたと後に明かしている。 ダービーの二日前と前日、厩舎は異例の調整を敷いた。東京の左回りに備えて左回りだけで乗り込み、金曜と土曜には角馬場を左回りに十数周する。当時この厩舎で調教助手を務め、のちに調教師となる稲垣幸雄の案だった。狙いは二つ、鞍上の指示と馬の動きを一致させること、そして体をほぐすこと。 当日の朝には装鞍所とパドックを下見させた。馬体重は皐月賞から16キロ増の506キロ。戻したどころか、キャリアで最も重い数字だった。

出典:Number Web「安田記念でダノンキングリーを“復活”させた萩原師はダービー馬もよみがえらせていた」2021年6月11日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/848401?page=2 、閲覧日:2026年8月1日。

四十年ぶりの雨

5月31日、第76回東京優駿。1番人気は皐月賞馬アンライバルドで2.1倍、ロジユニヴァースは7.7倍の2番人気だった。あれだけ大敗した馬に、それでも二番目の支持が集まっている。 昼休みの騎乗騎手紹介まで曇っていた空が、そこから崩れた。バケツをひっくり返したような雨が府中を叩き、馬場はみるみる悪化して不良になる。日本ダービーが不良馬場で行われるのは、ダイシンボルガードが勝った1969年以来、四十年ぶりのことだった。 枠は皐月賞と同じ、最内の1枠1番。好スタートから、ジョーカプチーノ、リーチザクラウンに次ぐ三番手につけ、内ラチにぴたりと沿ったまま四角を回る。泥のなかで各馬の脚が上がった直線、先に抜け出したリーチザクラウンと内ラチの隙間を、残り300メートルで突いた。水しぶきを上げて先頭に立つと、あとは離す一方である。2着リーチザクラウンに4馬身、勝ち時計2分33秒7。アンライバルドは12着に沈んだ。 父ネオユニヴァースは2003年のダービー馬で、父仔制覇は史上6組目。皐月賞で10着以下に敗れた馬がダービーを勝ったのは1986年のダイナガリバー以来23年ぶり、史上8頭目だった。関東馬の優勝も、1997年のサニーブライアン以来12年ぶりである。久米田にとっては、馬主として初めて走らせた馬でのダービー制覇となった。 そして鞍上である。横山典弘、41歳、デビュー24年目。ダービーは15度目の騎乗で、2着が三度あった。1990年のメジロライアンアイネスフウジンに1馬身1/4差、2004年のハーツクライキングカメハメハに1馬身半差。そして2003年、ゼンノロブロイで半馬身届かなかった相手が、ネオユニヴァースだった。あの日ゴール板を先に通過した馬の息子が、六年後、同じ男を頂上へ運んだことになる。 「まさか、勝てるとは思っていなかった」[^1]。十一万の観衆の前でヘルメットを脱ぎ、二度、三度と頭を下げた。表彰式の直前、地下馬道でデビュー前の長男・和生と会っている。競馬学校の二年生で、その日は授業として府中に来ていた。全身を泥で黒くした父と、まだ勝負服を持たない息子が、そこで抱き合った。

出典:スポーツナビ「ロジユニヴァース劇的戴冠! 横山典『まさか勝てるとは』=日本ダービー」2009年5月31日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200905310008-spnavi 、閲覧日:2026年8月1日。

ダービーのあと

ダービーのあと、この馬は勝っていない。 秋は9月12日に美浦へ帰厩したが、セントライト記念も神戸新聞杯も使えなかった。外向の影響で調整が遅れてアルゼンチン共和国杯を見送り、ジャパンカップへぶっつけで向かう予定に切り替える。ところが11月25日の最終追い切りのあと、左後脚の筋肉痛が判明して回避。目標を有馬記念に移して放牧に出たものの、そこにも間に合わなかった。三歳の後半を、一度も走れないまま終えている。 それでもJRA賞では、全287票のうち235票を集めて最優秀3歳牡馬に選ばれた。あの日の四馬身が、それだけ重かったということである。 四歳の春は日経賞から始まった。1番人気に推されて6着、天皇賞(春)は体調が整わず回避、宝塚記念は安藤勝己を背に13着。夏の札幌記念で、ようやく力のあるところを見せる。5番人気で、勝ったアーネストリーから0秒3差の2着。上がりは35秒8だった。だが、そこで後ろ脚に不安が出た。 五歳の2011年は、アメリカジョッキークラブカップを目指して帰厩しながら回避し、一度も出走できずに終わる。六歳の2012年8月19日、二年ぶりに札幌記念のゲートへ入った。7番人気の14着、勝ったフミノイマージンから5秒6。それが最後の一戦になった。2013年10月30日、競走馬登録抹消。10戦5勝。阪神の新馬戦と、四つの重賞。そのうちのひとつが、日本ダービーだった。

新冠の厩舎から

引退後は、北海道新冠町の優駿スタリオンステーションで種牡馬になった。2014年の初年度に57頭の繁殖牝馬を集め、2017年10月8日、初年度産駒のピースユニヴァースが東京の未勝利戦を勝って産駒のJRA初勝利をもたらす。地方でもマイコートがサンライズカップを、ミトノユニヴァースがネクストスター名古屋などを勝った。その後、繋養先は日高町へ移っている。二十歳になったいまも、生まれた北海道にいる。 母アコースティクスの血は、そのあいだに広がった。母の半弟——この馬から見れば叔父にあたる馬にエルムステークスのランフォルセ、アーリントンカップとカペラステークスのノーザンリバーがいる。曾祖母のソニックレディは1986年にアイリッシュ1000ギニーとサセックスステークスを制し、ムーランドロンシャン賞では日本から遠征していたギャロップダイナを負かした欧州の名牝である。そして2025年5月11日、半妹クラークスデール(父ヴィクトワールピサ)の仔パンジャタワーがNHKマイルカップを勝った。叔父がダービーを制したのと同じ府中の芝で、甥がGIを獲ったことになる。 人はそれぞれの時間を進んだ。横山典弘は2014年にワンアンドオンリー、2024年にダノンデサイルで府中の頂点に立ち、ダービーは三勝になっている。十五度目でようやく開いた扉だった。萩原清は2021年の安田記念をダノンキングリーで勝ち、中央で通算743勝を挙げて、2026年5月20日に病気のため世を去った。六十七歳。開業から十四年目に初めて手にしたGIが、あのダービーである。 札幌の陸橋は、いまも「ロジ橋」と呼ばれている。坂路も丘もない厩舎地区で、外を向いた前脚の仔馬に何ができるかを考えた末に選ばれた、ただの傾斜だ。それを黙って上り下りした馬が、翌年の五月、泥の府中で最後まで脚を止めなかった。

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