名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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ローレルゲレイロのイメージビジュアル
ローレルゲレイロLaurel Guerreiro
Laurel Guerreiro

ローレルゲレイロ

通算成績31戦5勝

獲得賞金49,172万円

生年月日 2004.05.03(平成16年)毛色 青鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ローレルゲレイロの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
14 GIスプリンターズS 中山 芝1200 5人気 藤田伸二 1:08.4 上り35.1映像
8 GIIIキーンランドカップ 札幌 芝1200 3人気 藤田伸二 1:09.1 上り34.7
4 GIドバイゴールデンシャヒーン アラブ首長国連邦 ダ1200 藤田伸二 映像
7 GIフェブラリーS 東京 ダ1600 8人気 藤田伸二 1:37.1 上り37.9映像
13 GI香港スプリント 香港 芝1200 藤田伸二 1:10.4 映像
1 GIスプリンターズS 中山 芝1200 6人気 藤田伸二 1:07.5 上り34.6映像
14 GIIセントウルS 阪神 芝1200 4人気 藤田伸二 1:09.2 上り35.4
15 GI安田記念 東京 芝1600 6人気 藤田伸二 1:35.0 上り37.5映像
1 GI高松宮記念 中京 芝1200 3人気 藤田伸二 1:08.0 上り34.9映像
2 GIII阪急杯 阪神 芝1400 3人気 藤田伸二 1:21.3 上り35.6
13 GIII東京新聞杯 東京 芝1600 2人気 四位洋文 1:38.7 上り39.3
8 GI香港スプリント 香港 芝1200 6人気 四位洋文 映像
5 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 3人気 四位洋文 1:33.0 上り34.8映像
2 GII毎日放送賞スワンS 京都 芝1400 3人気 四位洋文 1:20.0 上り34.1
4 GI高松宮記念 中京 芝1200 2人気 四位洋文 1:07.4 上り34.0映像
1 GIII阪急杯 阪神 芝1400 3人気 四位洋文 1:20.7 上り34.6
1 GIII東京新聞杯 東京 芝1600 6人気 藤田伸二 1:32.8 上り34.9
4 GII阪神カップ 阪神 芝1400 9人気 藤田伸二 1:20.8 上り34.8
16 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 15人気 和田竜二 1:34.0 上り35.6映像
10 GIII富士S 東京 芝1600 5人気 藤田伸二 1:33.9 上り35.0
11 GIIIキーンランドカップ 札幌 芝1200 1人気 藤田伸二 1:09.4 上り35.2
13 GI東京優駿 東京 芝2400 13人気 池添謙一 2:26.1 上り34.8映像
2 GINHKマイルカップ 東京 芝1600 1人気 藤田伸二 1:34.4 上り35.6映像
6 GI皐月賞 中山 芝2000 9人気 藤田伸二 2:00.2 上り34.6映像
2 GIIIアーリントンC 阪神 芝1600 1人気 本田優 1:33.9 上り34.7
3 GIII日刊スポシンザン記念 京都 芝1600 2人気 本田優 1:35.7 上り33.7
2 GI朝日杯フューチュリティステークス 中山 芝1600 7人気 本田優 1:34.5 上り35.4映像
2 GIIデイリー杯2歳S 京都 芝1600 2人気 本田優 1:34.4 上り34.8
2 GIII函館2歳S 函館 芝1200 5人気 本田優 1:10.5 上り36.2
3 OPラベンダー賞 函館 芝1200 1人気 藤田伸二 1:11.2 上り37.3
1 2歳新馬 函館 芝1000 1人気 本田優 0:58.5 上り34.8

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ローレルゲレイロの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
キングヘイローKing HaloダンシングブレーヴDancing BraveLyphard
Navajo Princess
グッバイヘイローGoodbye HaloHalo
Pound Foolish
ビッグテンビーテンビーTenbyCaerleon
Shining Water
モガミヒメカコイーシーズCacoethes
モガミポイント
STORY

旅程 — この馬の物語

2004年生まれの青鹿毛の牡馬。父キングヘイロー、母ビッグテンビー。主な勝ち鞍は高松宮記念・スプリンターズS・東京新聞杯。

二〇〇〇年九月九日、札幌

その牝馬が勝ったのは、生涯でその一度きりだった。 2000年9月9日、札幌競馬場の芝1200メートル。三歳新馬戦を一番人気で押し切り、二着に0秒6の差をつけた黒鹿毛の名は、ビッグテンビー。鞍上は藤田伸二である。 ほどなく脚を痛め、一年以上を棒に振った。復帰して二着、また休養して四着、さらに九か月を経て戻った一戦は最下位。四戦一勝で、彼女は競走馬をやめた。 新冠の村田牧場が生産し、牧場代表の村田繁實が自ら持ち馬にしていた牝馬である。それでも牧場は、彼女を諦めなかった。1930年創業のこの牧場が競走馬生産に本腰を入れたのは1989年で、その第一期生がユキノビジンである。1993年、桜花賞と優駿牝馬でベガに二度続けて先着を許して二着、秋のクイーンステークスでホクトベガらを下し、牧場にとって初めての中央平地重賞を獲った。以来、GIのタイトルは長く手の届かないところにあった。 ビッグテンビーの初年度の相手に選ばれたのはキングヘイローだった。代表の村田繁實によれば、まだ産駒がデビューする前で手ごろだったから、という理由である。牝系を遡れば、1962年に牝馬の身で天皇賞(秋)を制したクリヒデに行き着く血だった。 2004年5月3日、村田牧場に青鹿毛の牡馬が生まれる。ビッグテンビーの、初仔である。

薦められなかった一頭

栗東の調教師・昆貢は、その頃から日高の中小牧場を回るのを習いにしていた。大馬主より中小馬主、大牧場より中小牧場の力になりたいという考えの人で、安い馬や人気のない種牡馬の産駒を進んで受け入れ、逆にサンデーサイレンス産駒の管理を自分から断ることさえあった。村田牧場は関係者が遠縁にあたり、足しげく通う先のひとつだった。 最初の印象は良くない。初仔で小さく、目立たず、血統に華やかさもない——昆はそう見ていた。ところが放牧地にいるその一頭がある日ふと目に留まってから、牧場を訪ねるたびに気になって仕方がなくなった。管理したい、と思う。 問題は、買ってくれる馬主だった。小柄で、まだ産駒の実績がないキングヘイロー産駒。昆は自信を持てず、誰かに薦めることを躊躇した。 一歳の夏、新冠町の牧場が連携して運営するクラブ法人ローレルレーシングが手を挙げる。一口五万円の二百口、総額一千万円。それでも口数は埋まらず、最後は生産者の村田牧場自身がかなりの口数を買い取って穴を埋め、ようやくデビューにこぎつけた。 与えられた名は、冠名の「ローレル」に、ポルトガル語で戦士を意味する語を重ねたもの。ローレルゲレイロ。月桂樹を戴く戦士という名を、口数すら埋まらなかった初仔が背負った。 2006年6月17日、函館競馬場の芝1000メートル。2004年産世代で最初に組まれた新馬戦である。鞍上は本田優。一番人気に応えて先行から抜け出し、マイネカンナらに三馬身半の差をつけた。世代の勝ち上がり、一番乗り。 戦士は、いちばん先に旗を立てた。

最強の一勝馬

そこから先が、長かった。 七月のラベンダー賞は藤田伸二に乗り替わって一番人気の三着。八月の函館2歳ステークスは、直線で粘りながらニシノチャーミーにかわされて二着。十月のデイリー杯2歳ステークスは、直線で最も内に潜って先行勢を捉え、抜け出したところを外から無敗のオースミダイドウにかわされ、半馬身届かず二着。 12月10日、中山の朝日杯フューチュリティステークス。七番人気だった。逃げるオースミダイドウに三コーナーから接近し、四コーナーで外から並びかけ、直線入口でかわして先頭に立つ。抵抗を受けながらゴール前まで守り切った——その二頭を、大外から来たドリームジャーニーがまとめて差し切った。半馬身。三度目の二着である。 年が明けても続いた。シンザン記念はアドマイヤオーラ、ダイワスカーレットの争いに加われず三着。二月のアーリントンカップは一番人気で、トーセンキャプテンと二頭だけの競り合いをゴール前でクビだけ譲った。本田にとって、それは騎手として最後の週の騎乗だった。その手綱に勝ち星を返すことはできなかった。 勝てない。だが、いつも際どい。人は彼を「最強の一勝馬」と呼ぶようになる。 春のクラシックは藤田が引き継いだ。皐月賞は九番人気で六着。5月6日のNHKマイルカップは一番人気に推され、稍重の直線で馬場の中央から先頭に立ちながら、大外から来た十七番人気のピンクカメオに半馬身差し切られる。日本ダービーは池添謙一が代打の鞍上に座り、ウオッカの勝った府中で十三着。 夏負けが来て、そこからは際どくすらなくなった。一番人気に支持されたキーンランドカップで十一着、富士ステークスで十着、和田竜二に託したマイルチャンピオンシップで十六着。いずれも好位から後退しての敗北で、あの呼び名すら、いつしか聞かれなくなっていた。 十二月の阪神カップ。九番人気。ここで藤田は、新馬戦以来となる逃げの手を打つ。四着。着順は地味だが、この一戦が翌年の扉になる。

逃げるという答え

2008年2月2日、東京新聞杯。六番人気。ハナを奪い、途中でアポロノサトリに先頭を譲りながら、直線でもう一度差し返す。外からタマモサポート、大外からリキッドノーツが並びかけ、三頭が横一線になったところがゴールだった。クビ差、最先着。 デビュー勝ちのあと十三連敗、一年七か月ぶりの二勝目であり、初めての重賞だった。父キングヘイローも1999年にこのレースを勝っている。父仔での東京新聞杯制覇。そして昆貢にとっては、これがJRAでの初めての重賞勝ちだった。 一か月後の阪急杯には、藤田が乗れなかった。中山に先約があった。代わりを推したのは藤田自身で、それまで厩舎と縁のなかった四位洋文に手綱が渡る。四位はハナを奪って平均ペースで引っ張り、直線で迫るスズカフェニックスをアタマ差だけ抑えた。重賞連勝。この起用が縁になり、昆と四位の関係は翌年のディープスカイへ続いていく。 勢いのまま、3月30日の高松宮記念へ向かった。もともとはマイラーズカップを目指していたが、逃げ馬のアストンマーチャンらが回避したと知っての急な転進だった。二番人気。ハナを奪ってハイペースで飛ばし、四コーナーでフサイチリシャールに先頭を譲る。直線で盛り返し、そのフサイチリシャールだけは差し返して四着に踏みとどまった。勝ったのはファイングレイン。 レースの直後、右橈骨遠位端骨折が判明する。全治は半年以上。四歳の春は、そこで終わった。

父と同じ十三番

復帰は秋になった。11月1日のスワンステークスは三番手から追い上げ、マイネルレーニアに半馬身届かず二着。マイルチャンピオンシップは直線でいったん抜け出しながら五着。暮れには香港スプリントへ遠征して八着。年明けの東京新聞杯は不良馬場に脚を取られて十三着だった。 3月1日、阪急杯。藤田伸二が戻ってきた。以後この馬が引退するまで、鞍上が替わることはない。 昆は調教を変えていた。香港遠征で見た外国流——常に最も速い時計を追って身体を鍛えるやり方ではなく、馬本位に整える調整である。身体だけでなく、気持ちが充実してきた。阪急杯はビービーガルダンに捉えられて二着。だが前年の急な転進とは違い、この年は早々と春の目標を高松宮記念一本に定めていた。 3月29日、中京。一番人気は五連勝中の女王スリープレスナイト、二番人気にファリダット。ローレルゲレイロは三番人気だった。 枠は、七枠十三番。 ゲートを出るとすぐハナへ。ハイペースで先導し、先頭のまま四コーナーを回る。直線、好位から抜け出したスリープレスナイトが並びかけてきた。ここで交わされれば、また二着だった。だが終いにもう一伸びした。半馬身。逃げ切りである。 GI級九度目の挑戦での、初めてのタイトル。2002年のショウナンカンプ以来、このレース史上二度目の逃げ切りで、そのショウナンカンプに乗っていたのも藤田だった。1999年のマサラッキと合わせて、藤田はこのレースを三度勝ったことになる。 そして父キングヘイローは、2000年にこのレースで初めてのGIを獲っている。三冠すべてに出走して無冠に終わり、五歳の春にようやく頂に届いた馬だった。高松宮記念の父仔制覇は、史上初。父の枠もまた、七枠十三番だった。 八年半前、この馬の母に生涯ただ一つの勝ち星をもたらしたのも、同じ男である。村田牧場が長く届かなかったGIを、ビッグテンビーの初仔が獲った。

九十点

6月7日の安田記念は、同じ厩舎の一歳下、ダービー馬ディープスカイと二頭で臨んだが、ウオッカの前に十五着。 夏、浦河のグランデファームで放牧に出されたところで、また夏負けが来た。七月下旬に函館へ入厩しても体調は戻らず、追い切りではデビュー前の二歳馬にすら先着できない。9月13日のセントウルステークスは馬体重を六キロ減らしたまま出走し、逃げて直線で沈み、十四着。 秋の目標であるスプリンターズステークスまで、三週間しかなかった。昆は、春に効いた軽い調教をやめ、以前のように強く追う調整へ戻す。賭けだった。 当日、馬体はさらに四キロ落ちていた。高松宮記念のときを百点とするなら、良くて九十点——そう評されていた。 このときの心境を、昆はレースのあとで「馬の力を信じて祈るしかなかった」[^1]と語っている。

出典:スポーツナビ「1センチ差大接戦! 春秋連覇だローレルゲレイロ=スプリンターズS」2009年10月4日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200910040004-spnavi 、閲覧日:2026年8月1日。

一センチ

10月4日、中山の芝1200メートル。前年の覇者スリープレスナイトは直前に屈腱炎を発症して引退し、ゲートにいなかった。人気はセントウルステークスを勝ったアルティマトゥーレ、キーンランドカップのビービーガルダン、豪州のシーニックブラストに集まり、ローレルゲレイロは六番人気である。 枠は、また七枠十三番。 促されてハナを奪い、ハイペースで引っ張る。先頭で四コーナーを回り、直線で逃げ切りを図る。そこへ好位から勢いをつけたビービーガルダンが並びかけてきた。抵抗する。二頭は並び立ったまま、どちらも譲らないまま、ほとんど同時に決勝線を通過した。 写真判定に入り、十分が過ぎても着順は出ない。検量室のホワイトボードには「9、13」と記され、ビービーガルダンが勝ったように見えていた。その鞍上・安藤勝己は勝利を確信して一着馬の枠場に馬を入れている。藤田とローレルゲレイロは、どの枠場でもないところに立っていた。 藤田は「正直、負けてると思いました」[^1]と、レース後に明かしている。前走の負け方があまりに悪く、自分にも馬を信じきれない部分があった——そう振り返り、勝ったあとで馬に詫びた。 入線から約十二分後、ハナ差でローレルゲレイロの先着が確定する。着差は約一センチ。1996年のフラワーパークとエイシンワシントンの決着に並ぶ、俗にGI史上「最小着差」と呼ばれる差だった。 記録がいくつも重なった一日である。同じ年に高松宮記念とスプリンターズステークスの両方を勝ったのは、1996年のフラワーパーク、2001年のトロットスター以来、史上三頭目。父キングヘイローが1999年に三着、2000年に七着と二度挑んで届かなかったのが、このスプリンターズステークスだった。そして前の二戦を二桁着順で落とした馬がJRAのGIを勝ったのは、このときが初めてだった。 年末のJRA賞では、二百八十七票のうち二百六十八票を集めて最優秀短距離馬に選ばれる。口数の埋まらなかった初仔が、その年の日本で最も速い短距離馬になった。

出典:スポーツナビ「1センチ差大接戦! 春秋連覇だローレルゲレイロ=スプリンターズS」2009年10月4日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200910040004-spnavi 、閲覧日:2026年8月1日。

戦士の余生

その年の暮れ、二年続けての香港スプリントは十三着。翌2010年はフェブラリーステークスでダートに挑んで七着、3月にはドバイのメイダンへ渡った。ゴールデンシャヒーンは人工馬場の1200メートル。実戦で初めて遮眼革を着け、出遅れながらそれでもハナにこだわって逃げ、終いは持たずに四着。粘ることだけは、最後までやめなかった。 夏を休み、8月のキーンランドカップで八着。連覇のかかった10月3日のスプリンターズステークスは十四着。10月14日に引退が発表され、11月20日、京都競馬場で引退式が行われた。三十一戦五勝、四億九千百七十二万円。 2011年から、父キングヘイローと同じ優駿スタリオンステーションで種牡馬になった。初年度四十一頭、五年目の2015年に七十九頭を集めたのがピークで、そこからは下がっていく。中央の重賞を勝つ産駒は出なかったが、岩手のシークロム、佐賀のリンノゲレイロ、高知のアルネゴーが地方の重賞を勝ち、アイオライトは中央のリステッド競走を三つ勝って全日本2歳優駿で二着に走った。 血は、思わぬ形で戻ってくる。半妹アメージングムーンの仔ノースブリッジは、エプソムカップ、アメリカジョッキークラブカップ、札幌記念と重賞を三つ勝った。2026年4月4日、中山のダービー卿チャレンジトロフィーを十番人気で差し切ったスズハロームは、母アイラインの父にローレルゲレイロを持つ。 種牡馬の務めを終えたのちは生まれ故郷の村田牧場に戻り、いまは栃木県那須塩原市の余生牧場ブレーヴステイブルで静かに草を食んでいる。 ローレルの戦士。二着を並べ、やがて大敗を重ねていた三歳の秋に、その名の意味を思い出した人は多くなかったかもしれない。それでも五歳の春と秋、中京と中山で、彼は名前のとおりに戦い、半馬身と一センチを持ち帰った。

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