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クロフネ
通算成績10戦6勝
獲得賞金3億7,023万円
生年月日 1998.03.31(平成10年)毛色 芦毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | GIジャパンカップダート | 東京 ダ2100 | 1人気 | 武豊 | 2:05.9 | 上り35.8 | 映像 | |
| 1 | GIII東京中日S杯武蔵野S | 東京 ダ1600 | 1人気 | 武豊 | 1:33.3 | 上り35.6 | 映像 | |
| 3 | GII神戸新聞杯 | 阪神 芝2000 | 2人気 | 蛯名正義 | 1:59.6 | 上り34.2 | — | |
| 5 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 2人気 | 武豊 | 2:27.9 | 上り36.7 | 映像 | |
| 1 | GINHKマイルカップ | 東京 芝1600 | 1人気 | 武豊 | 1:33.0 | 上り34.3 | 映像 | |
| 1 | GIII毎日杯 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 四位洋文 | 1:58.6 | 上り34.5 | 映像 | |
| 3 | GIIIラジオたんぱ杯3歳S | 阪神 芝2000 | 1人気 | 松永幹夫 | 2:01.4 | 上り34.8 | — | |
| 1 | エリカ賞 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 松永幹夫 | 2:01.2 | 上り35.1 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 京都 芝2000 | 1人気 | 松永幹夫 | 2:00.7 | 上り34.8 | — | |
| 2 | 3歳新馬 | 京都 芝1600 | 3人気 | 松永幹夫 | 1:35.7 | 上り34.2 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父フレンチデピュティFrench Deputy | Deputy Minister | Vice Regent |
| Mint Copy | ||
| Mitterand | Hold Your Peace | |
| Laredo Lass | ||
| 母ブルーアヴェニューBlue Avenue | Classic Go Go | Pago Pago |
| Classic Perfection | ||
| Eliza Blue | Icecapade | |
| コレラCorella |
旅程 — この馬の物語
1998年生まれの芦毛の牡馬。父フレンチデピュティ、母ブルーアヴェニュー。主な勝ち鞍はNHKマイルC・ジャパンカップダート・毎日杯。
ケンタッキーから来た名前
1998年3月31日、アメリカ・ケンタッキー州で生まれた。生産者はニコラス・M・ロッツ。父フレンチデピュティは現役時代に米GIIのジェロームハンデキャップなど4勝を挙げ、アメリカで種牡馬になったばかりだった。 母ブルーアヴェニューは北米で5勝している。その姉ブロートツウマインドは、ヴァニティー招待ハンデキャップとミレイディハンデキャップを含む11勝を挙げた牝馬だった。一方、母の父クラシックゴーゴーはテキサスで無料に近い種付け料をつけられた無名の種牡馬である。血の格は、母の側に寄っていた。のちに母が産んだ半妹ミスパスカリからは、スプリングステークスのマウントロブソンとクイーンカップのミヤマザクラが出ている。 一歳のとき、育成して転売する業者に7万ドルで買われた。2000年2月のトレーニングセールで、その六倍を超える43万ドルの値がつく。落札したのは吉田勝己だった。四月に日本へ渡り、北海道早来町のノーザンファームで育成調教を積む。担当者は、古馬のような雰囲気を感じる、と評していた。 翌2001年から、東京優駿(日本ダービー)が外国産馬にも開かれることが決まっていた。馬主になった金子真人は、開放初年度のそのレースを勝ってほしいという願いを込めて名をつける。1853年に浦賀へ来港し、日本に開国を迫ったペリー艦隊の通称から取った。クロフネ。 八月、栗東の松田国英厩舎に入った。松田はセリでの姿を映像で見て、歴戦の古馬のようだ、という印象を持っていたという。ところが検疫を明けたばかりの実物は痩せていて、牝馬のように見えた。松田はそれを、厳しい経験をした馬はここから伸びる、と受け取っている。記者に今年の期待馬を問われると、この馬の名を挙げた。馬体のバランスがよく、勝負根性もあり、しかも品がある。松田はそう言い表した。
暮れの阪神で負ける
10月14日、京都の芝1600メートル。松永幹夫が乗って三番人気。逃げる馬の二番手で運び、直線で内が窮屈になった。外へ出し直して追い込んだが、エイシンスペンサーにクビ差だけ届かず二着。 二週間後、同じ京都で距離を2000メートルに延ばした。単勝1.3倍。三番手から直線で持ったまま先頭に並び、松永が一度鞭を入れただけで抜け出す。走破時計は、それまでのレコードを1秒2縮めていた。12月3日のエリカ賞も同じ距離で、これもレコード。2000メートルを続けて使ったのは、2400メートルのダービーを見据えて、行きたがる気性を抑えておきたかったからである。 12月23日、阪神。ラジオたんぱ杯3歳ステークス。単勝1.4倍の一番人気に推された。前走から6キロ増えて514キロ。松田はこの馬がいちばん強いと見て、余裕を残して送り出している。 流れは遅かった。1000メートルの通過は61秒8。五番手を追走し、三コーナーで進出して、先頭を伺う勢いのまま直線に入った。そこから伸びない。こちらをマークしていたアグネスタキオンに難なく抜き去られ、ゴール前ではジャングルポケットにも先着を許した。三着。 松永は、テンから外へ逃げ気味でロスが多かった、と話した。松田のほうは、エリカ賞と同じ時計なら勝てると踏んでいた。実際の勝ち時計は、それより0秒4速いレコードだった。のちに松田は、初めて味わう挫折だったと述べている。 レース後のレントゲンで、左内側に管骨瘤が見つかった。この年はここまでだった。
マイルという回り道
年が明けて、初戦は2月の共同通信杯を予定していた。軽い骨瘤と歯替わりで見送り、3月24日の毎日杯まで待つ。ここまで四戦の手綱を取ってきた松永はドバイへ遠征しており、四位洋文に替わった。モタれる癖を矯正するため、ブリンカー(視野を狭める馬具)を着けての出走だった。 二番手から直線入口で馬なりのまま先頭に立ち、迫ってきた二頭をスピードで振り切った。二着コイントスに5馬身、三着ダイタクバートラムにはさらに5馬身。後半の5ハロンをすべて11秒台で駆けた1分58秒6は、古馬のコースレコードまで0秒3に迫るものだった。四位は、自分は乗っていただけだ、と言った。 ダービーに出るには、NHKマイルカップで二着までに入るか、京都新聞杯か青葉賞を勝つ必要があった。ここまでの実績からすれば2000メートルの京都新聞杯か、ダービーと同じ2400メートルの青葉賞である。松田は金子と相談したうえで、いちばん短い1600メートルを選んだ。東京のゆったりしたコース形態と、GIという格を買ってのことだった。 5月6日、東京。金子はフランスにいた武豊に直接騎乗を頼み、武はこれを快く受けた。当日の単勝は1.2倍。馬体重は506キロで、この馬が走った十回のなかでいちばん軽い。 ゲートを出ても行き脚がつかなかった。それまでの好位からの競馬とは逆に、十八頭の十四番手に置かれる。直線で馬群を縫って前へ出たときも、逃げるグラスエイコウオーとの差はまだ大きかった。武が鞭を入れると、そこから一気に詰めた。半馬身。 松田にとっては、開業六年目のGI初制覇である。武は、ストライドが大きくて乗っていてスピード感がない馬なので一瞬心配した、と振り返り、ダービーの有力馬の一頭だと言い添えた。
開かなかった扉
5月27日、東京、芝2400メートル。馬場は重かった。一番人気は皐月賞で大きく出遅れながら三着まで来たジャングルポケット。この馬が二番人気だった。 テイエムサウスポーが大逃げを打つ。1000メートルの通過は58秒4。重い馬場で、それはダービー史上いちばん速いペースだった。ハロンごとの時計はそこから12秒9、12秒9、12秒7、13秒1、13秒3と落ちていく。前が作った無理を、後ろの馬が払わされる形の流れである。 クロフネは中団の後ろにいた。三コーナーを過ぎてダンツフレームとともに位置を上げ、四コーナーでは前から八番手あたりまで上がっていた。直線で二頭が抜け出しにかかったところへ、仕掛けを遅らせたジャングルポケットが一気にかわしていった。ダンツフレームが二着に粘り、クロフネは伸びあぐねて五着。同じ厩舎のボーンキングが、四着でその前にいた。 松田は、ダービーに向けて調整を手加減したのが裏目に出た、と語っている。着順についても、成功した感じはないが大きく失敗した感じもない、何となく中途半端なレースになってしまった、と振り返った。開放初年度のダービーを勝ってほしい、という願いを込めて名づけられた馬は、その一戦を五着で終えた。 夏を休み、9月23日の神戸新聞杯から復帰する。鞍上は蛯名正義。スタートで躓き、遅い流れに折り合いを欠いた。直線では鋭く伸びたものの、エアエミネムとサンライズペガサスを捉えきれずに三着。それでも最後の600メートルは34秒2で、出走馬のなかでいちばん速かった。 秋の目標は天皇賞(秋)だった。この競走に出られる外国産馬は二頭までと決められていて、収得賞金の多い順に枠が埋まる。年長のメイショウドトウとアグネスデジタルが賞金で上回り、クロフネは出走できなくなった。松田は、「まさか」が正直な気持ちだった、と振り返っている。 翌年にフェブラリーステークスを使う予定があった。それなら一度、砂を走らせておこう。陣営が選んだのは、天皇賞の前日に同じ東京で行われる武蔵野ステークスだった。
前の日の東京
2001年10月27日、東京競馬場、ダート1600メートル。いちばん外の枠に入った。ダートを走るのは、これが初めてである。 ゲートは速かった。外の枠から出て、中団のやや前につける。前は飛ばしていた。初めての砂を浴びる位置で、この馬はその速い流れに楽についていった。 三コーナーへ入る手前で、武豊が動いた。 東京の直線は長い。しかも途中に坂がある。三コーナーから押し上げていけば、最後に脚が残らない。それが常識だった。武はあえてそれをやった。 四コーナー、先頭のサウスヴィグラスに並びかける。ここまでは、早く動きすぎた馬がよくやる形である。ふつうなら、ここから止まる。 止まらなかった。 直線を向くと、そこから後続を引き離しにかかった。二着は、前の年のNHKマイルカップを勝ったイーグルカフェ。その差は9馬身あった。 時計は1分33秒3。九年前に作られた中央競馬のダート1600メートルの記録を、1秒2縮めていた。武豊は、他の馬とは次元が違う、レベルが違いすぎた、と振り返っている。 この数字の意味は、翌年の初夏にはっきりする。同じ東京競馬場の、芝1600メートル。GIの安田記念をアドマイヤコジーンが勝ったときの勝ち時計が、1分33秒3だった。砂を走って出した数字と、芝でGIを勝つ数字が、同じところに並んだことになる。松田国英は後年、この馬を語るときにそのことを口にしている。 翌日、同じ競馬場で天皇賞(秋)が行われた。二頭ぶんの枠には、直前に登録したアグネスデジタルが入っていた。その一戦を、アグネスデジタルが勝つ。
二分五秒九
11月24日、東京、ダート2100メートル。ジャパンカップダートは前の年に始まったばかりの国際招待競走で、この年はアメリカからリドパレスが来た。それでも一番人気はクロフネで、単勝は1.7倍だった。 スタートで隣の馬と接触し、やや出負けする。十六頭のうち十二番手。二コーナーで外へ出すと、馬なりのまま順位が上がっていく。三コーナーを前にしてリドパレスをかわし、三番手。四コーナーでは、持ったまま単独の先頭に立っていた。公式の通過順位を見ると、この地点でもう二番手との間が離れている。 レースの後半1000メートルは59秒4で刻まれた。二着は前年の優勝馬ウイングアロー。着差は7馬身。走破時計2分5秒9は、そのウイングアロー自身が前年に出した記録を1秒3縮めるもので、二戦続けての記録更新だった。 武豊は、これまでいい馬にたくさん乗せてもらったが、この日のレースに限れば、いままで乗ってきたなかでいちばん強い馬だった、と称えた。八着に敗れたリドパレスの鞍上、ジェリー・ベイリーの言葉は短い。「言い訳はしない。勝った馬が強すぎた」[^1] 翌年の目標はドバイワールドカップに決まり、ブリーダーズカップクラシックの名も挙がった。12月6日、有馬記念のファン投票の最終集計が発表される。陣営は出走しないと明言していたのに、8万9171票が集まった。その年限りで引退するテイエムオペラオーに次ぐ、二位だった。 12月22日、フェブラリーステークスに向けた調教のあと、右前脚が熱を持っているのが分かった。栗東の診療所で検査を受け、右前浅屈腱炎、少なくとも九か月の休養と診断される。26日、競走登録の抹消と種牡馬入りが発表された。武豊は、来年を楽しみにしていただけに残念だ、とコメントしている。 松田国英は後年、この故障について長く語っている。毎日の調教を自分が指示し、確認し、その繰り返しのなかで起きた故障だから、自分が自信を持ってやってきたことを否定されたように感じた、と。そして、GIを二つとレコード四回というこの馬の勲章と、屈腱炎とを天秤にかければ、屈腱炎のほうがはるかに重い、とも言った。たとえダービーを勝っていても同じ気持ちになっていた、と。 翌1月、JRA賞の最優秀ダートホースに選ばれた。283票のうち282票である。
出典:Number Web「武豊「クロフネという名で外国の馬を負かしに行きたかった」 “伝説のジャパンCダート”は世界を震撼させた」2021年11月6日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/850388、閲覧日:2026年8月2日。
白い娘たち
2002年から、社台スタリオンステーションで種牡馬になった。初年度に201頭の牝馬が集まっている。その前年の2001年、父フレンチデピュティと母ブルーアヴェニューも日本へ輸入されている。先に海を渡ったのは仔のほうで、両親があとから追いかけてきたことになる。 三年後の2004年、同じ勝負服の、同じ厩舎の馬がNHKマイルカップを勝ち、その三週間後に東京優駿を勝った。キングカメハメハ。クロフネが通れなかった道を、そのまま通り抜けた馬である。 産駒は芝でも砂でも走った。フサイチリシャールが朝日杯フューチュリティステークス、スリープレスナイトとカレンチャンがスプリンターズステークス、ホエールキャプチャがヴィクトリアマイル、クラリティスカイとアエロリットがNHKマイルカップを勝つ。2021年夏の時点で、中央と地方を合わせて1210頭が勝ち上がった。日本で種牡馬になった馬のなかでは、これがいちばん多い。2005年から19年続けてJRAの重賞を勝ち、これはパーソロンと並ぶ最長の記録である。母の父としても、有馬記念のクロノジェネシス、ジャパンカップのヴェラアズール、大阪杯のレイパパレが出た。 そして、白毛の一族に配された。シラユキヒメとの間に生まれたユキチャンは、白毛の馬として初めて重賞を勝つ。ユキチャンの半妹ブチコとの間に生まれたのがソダシで、その母の父はキングカメハメハだった。2020年12月13日、ソダシが阪神ジュベナイルフィリーズを勝つ。白毛の馬がJRAのGIを勝ったのは、これが初めてである。 2021年1月17日の午後2時、社台スタリオンステーションで死んだ。老衰。二十三歳だった。夏まではとても元気だったが、二か月ほど体調が優れなかったという。繋養先の担当者は、フレンドリーな馬でスタッフからよくかわいがられていた、と伝えている。松田国英は、いつまでも記憶に残ってくれる馬だ、スピードがある分だけ脚元に負担がかかりやすかった、今はとにかくありがとうの気持ちだ、と語った。その三か月ほど後、ソダシが桜花賞を勝つ。松田は、その前に定年で調教師を退いていた。 訃報に際して、武豊は自身のブログにこう書いた。「クロフネという名で外国の馬を負かしに行きたかった」[^1] 黒船とは、外から来て日本の扉を叩いた船の名前である。武が言っているのは、その逆だ。あの名を背負って、外へ出て行きたかった。二十年かけて、名前の向きが反対になっていた。 扉のほうは、どれも開かなかったのかもしれない。芝のダービーには五着で届かず、天皇賞には賞金順で入れず、ドバイの砂は踏まないまま終わった。かわりに開いたのは、そのどれでもない場所だった。当時、中央競馬のダートにはGIがフェブラリーステークスとジャパンカップダートの二つしかなかった。その地面を、この馬は二度だけ走り、二度とも記録を書き換えた。 2025年11月1日、東京のダート1600メートルで1分33秒3がついに破られた。二十四年が経っていた。府中の砂には、二度しか通らなかった船の跡が、それだけ長く残っていたことになる。
出典:Number Web「武豊「クロフネという名で外国の馬を負かしに行きたかった」 “伝説のジャパンCダート”は世界を震撼させた」2021年11月6日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/850388、閲覧日:2026年8月2日。
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