名馬の記憶を、再生する。
RACE & RETIREMENT FILM ARCHIVE
YouTubeに散らばる名レースの記録と、北海道で余生を送る引退馬たちの映像を、ひとつの旅(Journey)として結び直すアーカイブ。
レースの三分間だけが、馬の一生ではない。ゴール板の先に続く時間まで、辿れるように。
物語で辿る
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HOKKAIDO — HORSE FARM MAP
物語で辿る競馬史
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キズナ
通算成績14戦7勝
獲得賞金4億7,640万円
生年月日 2010.03.05(平成22年)毛色 青鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 7 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 1人気 | 武豊 | 3:15.2 | 上り34.9 | 映像 | |
| 2 | GII産経大阪杯 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 2:03.2 | 上り36.0 | — | |
| 3 | GII京都記念 | 京都 芝2200 | 2人気 | 武豊 | 2:11.5 | 上り33.3 | 映像 | |
| 4 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 1人気 | 武豊 | 3:15.2 | 上り34.0 | 映像 | |
| 1 | GII産経大阪杯 | 阪神 芝2000 | 2人気 | 武豊 | 2:00.3 | 上り33.9 | 映像 | |
| 4 | GI凱旋門賞 | ロンシャン 芝2400 | 3人気 | 武豊 | — | 映像 | ||
| 1 | GIIニエル賞 | ロンシャン 芝2400 | 5人気 | 武豊 | 2:37.6 | — | — | |
| 1 | GI東京優駿(日本ダービー) | 東京 芝2400 | 1人気 | 武豊 | 2:24.3 | 上り33.5 | 映像 | |
| 1 | GII京都新聞杯 | 京都 芝2200 | 1人気 | 武豊 | 2:12.3 | 上り34.5 | 映像 | |
| 1 | GIII毎日杯 | 阪神 芝1800 | 1人気 | 武豊 | 1:46.2 | 上り34.3 | 映像 | |
| 5 | GII弥生賞 | 中山 芝2000 | 3人気 | 武豊 | 2:01.1 | 上り34.8 | — | |
| 3 | GIIIラジオNIKKEI杯2歳ステークス | 阪神 芝2000 | 2人気 | 武豊 | 2:05.5 | 上り34.5 | 映像 | |
| 1 | 黄菊賞 | 京都 芝1800 | 1人気 | 佐藤哲三 | 1:49.8 | 上り35.2 | — | |
| 1 | 新馬 | 京都 芝1800 | 1人気 | 佐藤哲三 | 1:51.6 | 上り33.8 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父ディープインパクトDeep Impact | サンデーサイレンスSunday Silence | ヘイローHalo |
| ウィッシングウェルWishing Well | ||
| ウインドインハーヘアWind in Her Hair | アルザオAlzao | |
| バークレアBurghclere | ||
| 母キャットクイルCatequil | ストームキャットStorm Cat | ストームバードStorm Bird |
| ターリングアTerlingua | ||
| パシフィックプリンセスPacific Princess | ダマスカスDamascus | |
| フィジーFiji |
引退後の暮らし
社台スタリオンステーション引退後の映像は未登録です。社台スタリオンステーション(安平町)の様子は牧場地図で見る
旅程 — この馬の物語
武豊に8年ぶり・歴代最多5度目のダービーをもたらし、凱旋門賞4着。父ディープインパクトの血を継ぎ、種牡馬としてシックスペンスらを送り出した。
二十歳の春 ― 最後の仔として
母キャットクイルは、もう仔を産めないかもしれなかった。 1990年生まれ、父Storm Cat。ノースヒルズがまだ大牧場になる前にイギリスから連れ帰り、桜花賞馬ファレノプシスを送り出した功労の繁殖牝馬は、しかし不受胎と流産を繰り返していた。1996年から2009年までの十三年で、生まれた仔はわずか六頭。 それでもノースヒルズの前田晋二は諦めなかった。2009年、再びディープインパクトの種を付ける。受胎した。そして2010年3月5日、キャットクイルは二十歳で八番目の仔を産み落とす。グレード制導入以降、ダービー馬を産んだ母としては史上最高齢。この牝馬はその四年後に世を去り、青鹿毛の牡馬は文字どおり「最後の仔」となった。 名はまだ付いていなかった。前田は、世代最高と評したこの駒のために、ひとつの言葉を温めていた。
震災の年に灯した名
2011年3月11日。東日本大震災は、日本中にひとつの言葉を残した。 絆。 前田はその言葉を、この期待の一頭に与えた。Kizuna。失われたものの多さの分だけ、人と人とをつなぐものの尊さが語られた年に生まれた名前は、やがて競馬史に刻まれる固有名詞になっていく。血統表をたどれば、母系の祖パシフィックプリンセスの一族にはナリタブライアン、ビワハヤヒデ。「ディープインパクト×母父ストームキャット」は後にラヴズオンリーユーやリアルスティールを生む黄金配合――だが、そんな理屈より先に、この馬には祈りのような名前があった。
託された手綱 ― ある騎手の引退
最初にキズナの背にいたのは、佐藤哲三だった。 佐々木晶三厩舎、ノースヒルズ、そして佐藤。2011年の宝塚記念をアーネストリーで制した固い結束のなかで、佐藤はデビュー前からこの馬を育て、新馬戦と黄菊賞を連勝した。相棒になるはずだった。 2012年11月24日、京都。佐藤の騎乗馬が落馬し、内ラチに激突する。全身七か所骨折の重傷。六度の手術を経ても、彼がターフに戻ることはなかった。リハビリ中、放牧先で甘えてくるキズナの姿に、佐藤は「かわいい」と感じてしまったという。そして悟る――この感性のままでは、もう騎手には戻れない、と。 空いた手綱が託されたのは、当時、最も苦しんでいた天才だった。
復活の騎手 ― 武豊という選択
武豊は、低迷していた。 2010年の落馬負傷以降、あの武豊が勝てない。2012年は56勝、中央GIでは連対すらない。「武豊は終わったのか」という声さえ聞こえはじめていた。 それでもキズナの鞍上に武が選ばれたのは、偶然ではない。この馬の父ディープインパクトの背にいたのが武豊であり、不振の時期も前田が彼を支え続けたからだ。だが復活への道は平坦ではなかった。ラジオNIKKEI杯3着、弥生賞5着。皐月賞の優先出走権すら、取りこぼす。 転機は、寄り道のような二戦だった。毎日杯、京都新聞杯を連勝。「この二戦で、キズナにどういう競馬が合うのかを把握できた」と武は振り返る。手綱を通じて、馬と人が互いを思い出していく時間だった。
二〇一三年五月二十六日 ― 八年ぶりのダービー
第80回東京優駿。十三万九千八百六人が、府中を埋めた。 皐月賞馬ロゴタイプを抑え、キズナが一番人気。後方で脚を溜め、四角で大外へ持ち出す。先に抜け出したのは福永祐一のエピファネイア。だが、外から伸びてくる青鹿毛の脚は、止まらない。差し切った瞬間、府中が揺れた。 武豊、五度目のダービー制覇。2005年のディープインパクト以来、八年ぶり。歴代最多記録の更新であり、父と仔をともにダービーへ導いた史上初の騎手となった瞬間でもあった。佐々木晶三は、これがダービー初勝利。 ウイニングランの後、前田は言った。「この勝利を、親友と佐藤哲三騎手に捧げる」。病室のテレビで、佐藤はその走りを見届けていた。佐々木は短く、こう言ったという――「武豊君がダービーを勝った。それが何より良かった。彼は競馬界の至宝ですからね」。 絆という名の馬が、ひとりの天才を呼び戻した。
凱旋門賞への航海
その秋、キズナは海を渡る。ダービー馬として史上初の凱旋門賞挑戦だった。 前哨戦ニエル賞。英ダービー馬ルーラーオブザワールドをハナ差ねじ伏せ、堂々の勝利。世界が、この日本馬の名を覚えた。迎えた本番、2013年10月6日のロンシャン。直線で抜け出しをはかるも、最後はトレヴら欧州の強豪に屈して四着。同じ年に挑んだオルフェーヴルよりも前でレースを進めた末の、世界の壁だった。 届かなかった。だが、ダービー馬が世界に挑むという物語を、キズナは確かに残した。
二度の故障、最後の勝利
凱旋門賞で見せた可能性は、しかし、満開のままでは終われなかった。 四歳初戦の産経大阪杯を快勝。だが続く天皇賞(春)で骨折が判明する。長い休養。五歳は京都記念3着、産経大阪杯2着と復調の兆しを見せたが、天皇賞(春)は一番人気で七着。秋、今度は浅屈腱炎。2015年9月、引退と種牡馬入りが発表された。 最後の勝利は、結局あの四歳初戦の大阪杯のままだった。佐々木は後年、悔やむように漏らしている。「最後に、あの距離(マイル)を走らせてみたかった」。完全燃焼とは言えない現役の幕引き。だが、この馬の物語は、ここで終わらなかった。むしろ、ここからが第二幕だった。
父の馬房の隣で ― 種牡馬への道
2015年10月、キズナは社台スタリオンステーションに立つ。父ディープインパクトと同じ、安平町の聖地。総額九億円のシンジケートが組まれ、初年度は269頭の牝馬を集めた。 王の血を継ぐ者として、期待は重かった。だが産駒たちは、その重さを軽々と背負ってみせる。
名を継ぐ者たち ― ソングライン、ディープボンド、そして
最初の衝撃は、伏兵だった。 2021年エリザベス女王杯、十番人気のアカイイトが大金星を挙げ、キズナ産駒初のGIを刻む。続いて現れたのがソングライン。安田記念を連覇、ヴィクトリアマイルも制してマイル女王に君臨した。長距離戦線ではディープボンド――「深い絆」の名のとおり父の血を映すステイヤーが、阪神大賞典を連覇し、天皇賞(春)で二着を三度、そしてフランスへも渡った。 2024年、ついに牡馬クラシックが落ちる。ジャスティンミラノが皐月賞をレコードで制覇。さらにダブルハートボンドがチャンピオンズカップ、ナチュラルライズが東京ダービーを勝ち、芝もダートも、短距離も長距離も、キズナの仔が席巻していく。 そして、その産駒の一頭に――シックスペンスがいた。
父仔三代 ― 史上初の戴冠
2024年、キズナはついに頂点へ立つ。 JRAリーディングサイアー。父ディープインパクト、その父サンデーサイレンス。この三代がすべてチャンピオンサイアーに輝くのは、日本競馬史上初の出来事だった。「影武者」と呼ばれた血脈もあれば、王道を歩んだ血脈もある。キズナが継いだのは、紛れもなく後者の正統だった。 栄光は一年では終わらない。2025年も二年連続の首位。種付料は跳ね上がり、イクイノックス、キタサンブラックと並ぶ最高額帯に名を連ねた。 絆という名で生まれた馬は、いまや日本の血統地図そのものを書き換える存在になった。震災の年に灯されたその名は、ターフの上で、そして血のなかで、確かに受け継がれていく。次の蹄跡を、父の隣の馬房から見つめながら。