名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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キングヘイローのイメージビジュアル
キングヘイローKing Halo
King Halo

キングヘイロー

通算成績27戦6勝

獲得賞金526万円

生年月日 1995.04.28(平成7年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
キングヘイローの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
4 GI有馬記念 中山 芝2500 9人気 柴田善臣 2:34.3 上り36.0映像
7 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 5人気 柴田善臣 1:33.2 上り35.6映像
12 GII毎日放送賞スワンS 京都 芝1400 3人気 柴田善臣 1:21.5 上り35.9
7 GIスプリンターズS 中山 芝1200 6人気 柴田善臣 1:09.6 上り35.5映像
3 GI安田記念 東京 芝1600 3人気 福永祐一 1:34.1 上り35.2映像
11 GII京王杯スプリングカップ 東京 芝1400 3人気 柴田善臣 1:22.0 上り35.1
1 GI高松宮記念 中京 芝1200 4人気 柴田善臣 1:08.6 上り34.9映像
13 GIフェブラリーS 東京 ダ1600 1人気 柴田善臣 1:37.2 上り37.8映像
3 GIスプリンターズS 中山 芝1200 4人気 福永祐一 1:08.4 上り34.3映像
2 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 4人気 福永祐一 1:33.0 上り34.4映像
7 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 9人気 柴田善臣 1:58.6 上り35.8映像
5 GII毎日王冠 東京 芝1800 2人気 横山典弘 1:46.2 上り34.9
8 GI宝塚記念 阪神 芝2200 5人気 柴田善臣 2:14.6 上り37.8映像
11 GI安田記念 東京 芝1600 2人気 柴田善臣 1:35.1 上り37.1映像
1 GII中山記念 中山 芝1800 1人気 柴田善臣 1:47.5 上り36.2
1 GIII東京新聞杯 東京 芝1600 1人気 柴田善臣 1:33.5 上り35.2
6 GI有馬記念 中山 芝2500 10人気 福永祐一 2:32.9 上り35.3映像
5 GI菊花賞 京都 芝3000 3人気 福永祐一 3:03.9 上り34.7映像
2 GII京都新聞杯 京都 芝2200 2人気 福永祐一 2:15.1 上り36.6
3 GII神戸新聞杯 阪神 芝2000 1人気 岡部幸雄 2:02.2 上り37.8
14 GI東京優駿 東京 芝2400 2人気 福永祐一 2:28.4 上り38.4映像
2 GI皐月賞 中山 芝2000 3人気 福永祐一 2:01.4 上り36.6映像
3 GII報知杯弥生賞 中山 芝2000 1人気 福永祐一 2:02.6 上り36.2
2 GIIIラジオたんぱ杯3歳S 阪神 芝2000 1人気 福永祐一 2:04.0 上り36.4
1 GIII東京スポーツ3歳S 東京 芝1800 1人気 福永祐一 1:48.0 上り35.1
1 黄菊賞 京都 芝1800 3人気 福永祐一 1:48.8 上り34.8
1 3歳新馬 京都 芝1600 2人気 福永祐一 1:37.0 上り36.2

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
キングヘイローの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ダンシングブレーヴDancing BraveLyphardNorthern Dancer
Goofed
Navajo PrincessDrone
Olmec
グッバイヘイローGoodbye HaloHaloHail to Reason
Cosmah
Pound FoolishSir Ivor
Squander
STORY

旅程 — この馬の物語

1995年生まれの鹿毛の牡馬。父ダンシングブレーヴ、母グッバイヘイロー。主な勝ち鞍は高松宮記念・東京スポーツ3歳S・東京新聞杯。

王と、母の名の一部

1995年4月28日、北海道新冠町の協和牧場で鹿毛の牡馬が生まれた。父はダンシングブレーヴ。1986年にイギリスの2000ギニー、エクリプスステークス、キングジョージ、そしてフランスの凱旋門賞を勝ち、インターナショナル・クラシフィケーションで当時史上最高のレートを与えられた馬である。1991年に日本へ渡ってきたが、肥大性肺性骨関節症という難病を抱えていて、種付けの数は毎年きびしく絞られていた。 母はグッバイヘイロー。アメリカでケンタッキーオークスなど七つのG1を勝った牝馬だ。1990年のキーンランド繁殖牝馬セールで二百十万ドルの値がつき、日本へ運ばれた。アメリカの競馬誌ブラッド・ホースは、その別れに「SAYONARA Goodbye Halo」と題した特集を組んでいる。惜しまれて海を渡った名牝と、病を抱えた凱旋門賞馬。その間に生まれたのがこの馬だった。 名前は、王を意味するキングに、母の名の一部を継いだ。生産者も馬主も浅川吉男である。自分の牧場で生まれた馬を、自分の勝負服で走らせることになる。もっとも、グッバイヘイローが日本で残した産駒のうち、重賞に手が届いたのはこの一頭だけだった。良血が走るとは限らない。 デビューは1997年10月5日、京都の芝1600メートル。鞍上には武豊が予定されていた。ところが同じ日、東京で毎日王冠が行われる。ジェニュインの依頼を受けた武は東へ向かうことになり、栗東の坂口正大に断りの電話を入れた。そのとき、たまたま近くにいたのが福永祐一である。「乗る?」――その一言で手綱が回ってきた。福永は二十歳、騎手になって二年目だった。その年の三月には、父・福永洋一が騎手として最後に騎乗した毎日杯で、自分も落馬している。脳震盪で済み、軽傷だった。 新馬戦は1分37秒0で勝ち上がった。二十日後の黄菊賞も勝つ。11月15日の東京スポーツ杯3歳ステークスでは1分48秒0のレコードで走り、2着のマイネルラヴに2馬身半をつけた。福永にとって初めてのJRA重賞制覇である。無傷の三連勝。年末のラジオたんぱ杯3歳ステークスは単勝1.4倍に支持されたが、直線でロードアックスに差された。最初の敗戦だった。

二〇〇〇メートルの春

1998年、春。皐月賞の前哨戦である弥生賞は1番人気だった。だが逃げたセイウンスカイを捉えられず、きさらぎ賞を勝ってきたスペシャルウィークにも並ばれ、二頭から4馬身離された3着に終わる。 評価を落として臨んだ皐月賞は3番人気。中山の芝2000メートルは道中で一度12秒6まで緩み、そこからまた速くなった。キングヘイローは四コーナーで二、三番手にいる。前を行くのは、またセイウンスカイである。直線で追い出すと、外から来たスペシャルウィークを1馬身抑え込んだ。それでも前は半馬身遠い。2分01秒4の2着。この世代を代表する三頭が、そのまま一、二、三着に並んだ。

頭が真っ白になり

6月7日、東京優駿。芝は稍重。単勝2番人気だった。 ゲートが開くと、キングヘイローは先頭に立った。それまで差すか先行するかで走ってきた馬が、ダービーで逃げた。最初の600メートルが12秒8-11秒2-11秒7。1000メートル通過は60秒6。2400メートルの競走としては速すぎる。三コーナーでも先頭、四コーナーでも先頭。そして直線で止まった。 勝ったのは武豊のスペシャルウィーク。2着に5馬身をつける完勝で、武にとって初めてのダービーだった。キングヘイローは2分28秒4の14着。勝ち馬から2秒6離れていた。 「頭が真っ白になり、逃げてしまいました」[^1]。レース後、福永はそう言った。まだ二十一歳である。

出典:Number Web「「頭が真っ白になり、逃げてしまいました」から始まった福永祐一のダービー…4年で3回勝つまでに語っていたこととは」2021年5月31日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/848283 、閲覧日:2026年8月2日。

手綱の行き先

秋初戦の神戸新聞杯は、鞍上が岡部幸雄に替わった。1番人気で3着。京都新聞杯は福永が戻り、スペシャルウィークにクビ差の2着。菊花賞は3000メートルだった。セイウンスカイがレコードで逃げ切るなか、キングヘイローは四コーナー七番手から上がり三ハロン――最後の600メートル――を34秒7で伸び、5着に届いた。3着から5着までが同じ3分03秒9である。有馬記念は6着。長い距離を走れない馬ではなかった。 明けて1999年、手綱は柴田善臣に渡る。東京新聞杯を0秒5差で勝ち、中山記念も勝った。タイキシャトルが去ったマイル路線の中心と目されたが、三か月ぶりの安田記念は11着、宝塚記念は8着と崩れる。秋初戦の毎日王冠は横山典弘が乗って5着、天皇賞(秋)は柴田で7着だった。 その夏の八月二日、父ダンシングブレーヴが日本で死んでいる。 マイルチャンピオンシップで、鞍上はふたたび福永に戻った。福永は頭を丸めて京都に来た。キングヘイローは四コーナーで八、九番手。そこから34秒4の脚を使い、武豊のブラックホークをかわす。それでも、春の安田記念を勝っていたエアジハードには1馬身半届かなかった。暮れのスプリンターズステークスは、初めての1200メートルである。ブラックホーク、アグネスワールドに続く3着。上がりは34秒3だった。 3000メートルから1200メートルまで、この馬はほとんどの距離を走った。重賞は三つ勝っている。GIだけが、まだ一つもなかった。

一分八秒六

2000年の初戦はフェブラリーステークス。初めてのダートだった。血統からも、新しい路線を開く意味でも期待され、1番人気に推されたが、一枠に入って砂を浴び、後方のまま13着に終わる。坂口正大は批判を浴びた。それでも、この馬にGIを獲らせるという考えは動かなかった。次に選ばれた舞台は、1200メートルである。 三月二十六日、中京。曇り。芝は良。十七頭のゲートが開いた。 最初の200メートルで11秒9。次の200メートルが10秒5、その次が10秒7。1200メートルの競走で十秒台が二つ続くというのは、前にいる馬たちが全力で先を争っているということだ。前半の600メートルは33秒1。この時点で、逃げ争いをした馬はもう蓄えを使っている。 キングヘイローはその争いに加わらなかった。三コーナーで十番手あたり。内でも外でもない、馬群の後ろのほうにいる。柴田善臣は待っている。 四コーナーを回っても、位置は変わらない。ここから先は直線しか残っていない。ラップは11秒4、11秒8、12秒3と一つずつ重くなっていく。数字が重くなるというのは、前の馬の脚が上がっているということだ。柴田は外へ持ち出した。 最後の600メートルを、キングヘイローは34秒9で走った。この日のレースの上がりより0.6秒速い。前ではブラックホークとアグネスワールドが粘り、ディヴァインライトが伸びてくる。ディヴァインライトの鞍上は福永祐一だった。キングヘイローは、その全部の外を回って来る。 1分08秒6。先頭でゴール板を過ぎたのはキングヘイローだった。クビ差でディヴァインライト、クビ差でアグネスワールド、ハナ差で1番人気のブラックホーク。四頭が0.1秒のなかに収まった。十一回目のGI挑戦だった。 坂口は人目もはばからず涙を流した。柴田にとっては、まだGIIだった1995年にマチカネタンホイザで勝って以来、二度目のこのレースである。1997年の東京スポーツ杯で2馬身半後ろにいたマイネルラヴも、同じゲートにいた。その後スプリンターズステークスを勝ったその馬は、この日は16着だった。

五日後の中京

六月の安田記念は福永が乗って3着。日本馬では最先着だった。秋は勝ち切れないまま、引退レースは有馬記念になった。テイエムオペラオーが年間無敗を完成させた一戦を、後方から追い込んで4着。二十七戦六勝で、キングヘイローは競走馬を退いた。現役の四年間で、1200メートルから3000メートルまでのGIに出走している。距離の振れ幅は、最後まで縮まらなかった。 2001年、新冠の優駿スタリオンステーションで種牡馬になった。魅力のある血統に手ごろな種付料が重なって、毎年百頭を超える繁殖牝馬が集まる。2006年、カワカミプリンセスが優駿牝馬を勝ち、無敗のまま秋華賞も獲った。2009年にはローレルゲレイロが高松宮記念とスプリンターズステークスを制している。高松宮記念で父と子が優勝したのは、それが初めてだった。父が大外から差して勝ったレースを、息子は逃げ切って勝っている。母の父としても、ピクシーナイト、ディープボンド、イクイノックスと名前が続いていく。 現役のあいだ、この馬の距離適性は最後まで一つに定まらなかった。2400メートルで逃げて沈み、1200メートルで差して勝った。定まらないと言われたその性質は、血を伝える側に回った途端、短距離から中長距離まで出せるという意味に変わる。欠点の名前が、そのまま長所の名前になった。 2019年3月19日、繋養先の優駿スタリオンステーションで老衰のため死んだ。その五日後、中京競馬場で第49回高松宮記念が行われている。勝ったのはミスターメロディ。鞍上は福永祐一だった。前年、十九回目の挑戦でようやくダービーを勝ち、父・福永洋一が果たせなかった一冠を福永家にもたらしたばかりの男である。「キングヘイローが後押ししてくれたような感じでした」[^1]。レース後、福永はそう話した。 押したのは、たぶん馬だけではない。二十一年前、府中の直線で先頭のまま止まっていった数十秒が、十九回ダービーに乗り続けた道のりの出発点だった。馬は自分に合う距離を探して二十七回ゲートを出た。人は一つの冠を探して十九回ゲートを出た。どちらの遠回りも、外から見れば長すぎて、当人には一本の道だったのだと思う。 新冠で生まれた鹿毛は、王の名と、母の名の半分を持っていた。生涯でいちばん短い1200メートルの直線で先頭に立ったとき、その名前はようやく釣り合った。

出典:スポーツニッポン「【高松宮記念】福永祐一、キングヘイローに捧ぐG1制覇「後押ししてくれた」」2019年3月24日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2019/03/24/kiji/20190324s00004048326000c.html 、閲覧日:2026年8月2日。

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