名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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カワカミプリンセスのイメージビジュアル
カワカミプリンセスKawakami Princess
Kawakami Princess

カワカミプリンセス

通算成績17戦5勝

獲得賞金35,089万円

生年月日 2003.06.05(平成15年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
カワカミプリンセスの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
9 GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 5人気 横山典弘 2:15.2 上り34.3映像
6 GIII府中牝馬S 東京 芝1800 1人気 横山典弘 1:45.5 上り35.5
8 GIヴィクトリアマイル 東京 芝1600 2人気 横山典弘 1:33.9 上り34.5映像
3 GII産経大阪杯 阪神 芝2000 4人気 横山典弘 2:00.0 上り33.8映像
4 GII京都記念 京都 芝2200 2人気 横山典弘 2:14.9 上り35.6
7 GI有馬記念 中山 芝2500 6人気 横山典弘 2:32.5 上り37.0映像
2 GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 1人気 横山典弘 2:12.3 上り34.5映像
2 GIII府中牝馬S 東京 芝1800 1人気 横山典弘 1:45.6 上り34.0
3 GII金鯱賞 中京 芝2000 5人気 武幸四郎 1:59.3 上り35.0
6 GI宝塚記念 阪神 芝2200 6人気 武幸四郎 2:13.2 上り37.5映像
10 GIヴィクトリアマイル 東京 芝1600 1人気 武幸四郎 1:33.4 上り33.7映像
12(降) GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 1人気 本田優 2:11.4 上り34.5映像
1 GI秋華賞 京都 芝2000 2人気 本田優 1:58.2 上り34.4映像
1 GI優駿牝馬 東京 芝2400 3人気 本田優 2:26.2 上り35.5映像
1 OPスイートピーS 東京 芝1800 1人気 本田優 1:48.4 上り34.6
1 君子蘭賞 阪神 芝1400 6人気 本田優 1:23.0 上り35.3
1 3歳新馬 阪神 芝1400 9人気 本田優 1:25.4 上り36.9

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
カワカミプリンセスの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
キングヘイローKing HaloダンシングブレーヴDancing BraveLyphard
Navajo Princess
グッバイヘイローGoodbye HaloHalo
Pound Foolish
タカノセクレタリーSeattle SlewBold Reasoning
My Charmer
Summer SecretarySecretariat
Golden Summer
STORY

旅程 — この馬の物語

2003年生まれの鹿毛の牝馬。父キングヘイロー、母タカノセクレタリー。主な勝ち鞍は優駿牝馬・秋華賞。

売れなかった牝馬

三石川上牧場は、日高の三石町川上地区にある。1988年、二十歳の上山浩司が広がっていた耕作放棄地を買い取り、繁殖牝馬三頭で始めた牧場である。実家は浦河町の高昭牧場で、次男だったから独立した。牧場名に自分の姓を使わなかったのは、地名から採ったのと、新冠にすでに川上牧場があったからだった。 海が遠く山がちで、夏は暑く冬は寒い。放牧地には鹿が出る。道も良くないので、馬主や調教師が気軽に立ち寄れる場所ではない。買い手を探すのはいつも難儀だった。日高の小さな牧場の多くは代々受け継いだ名牝系を頼りにするが、この牧場にその後ろ盾はない。上山は自分で外へ出て、繁殖牝馬を調達しなければならなかった。 1990年代の後半、アメリカ・キーンランドのセプテンバーセール。そこで見つけたのが、父シアトルスルーの一頭の牝馬だった。母サマーセクレタリーは三冠馬セクレタリアトの娘で、その祖母にあたるサマーゲストは1972年のコーチングクラブアメリカンオークス、1974年のスピンスターステークスを勝ち、通算十三勝を挙げたアメリカの一流牝馬である。血を見るかぎり、日高の小牧場が手を伸ばせる筋ではなかった。 連れ帰った牝馬にはタカノセクレタリーの名が与えられた。上山はまだ馬主資格を持っておらず、実家の高昭牧場の名義で走った。しかし心房細動を抱えていて、四戦して未勝利のまま繁殖に上がる。三石川上牧場に繋養され、初仔も二番仔も勝てなかった。 三年目の交配相手にキングヘイローが選ばれた。理由は実務的だった。タカノセクレタリーはシアトルスルーの血を強く受けて体が大きく、キングヘイローは小さめの仔を出す。種付料も手頃だった。上山は自牧場のカネトシガバナーが神戸新聞杯を勝った日に同じレースを走ったキングヘイローを現地で見ており、スペシャルウィークセイウンスカイのいた世代のなかで、この馬をいちばん高く買っていたとも語っている。 2003年6月5日、その配合から牝馬が生まれた。遅生まれで、先に生まれた仔たちより小さい。上山は二百五十万円で買い手に持ちかけたが、話はまとまらなかった。行き先のないまま、牧場名義で競走馬になる。名は、地名から採った冠に「お姫様」を足してカワカミプリンセスとした。 浦河の高昭牧場のすぐ近くには、1957年に桜花賞と優駿牝馬を無敗で制したミスオンワードの生産牧場がある。上山は子どもの頃から、その「牝馬二冠」を知りながら育っていた。

四十七歳の主戦

預けられたのは栗東の西浦勝一だった。上山とは、かつて父の名義で持っていた馬を託していた厩舎が解散し、その馬たちを引き継いで西浦が開業して以来の間柄である。西浦はタカノセクレタリーの初仔を見たときから、この繁殖の産駒はぜんぶ自分に預けてほしいと申し出ていた。ただしその初仔も二番仔も未勝利で、上山は三番仔にも大きな期待はかけていない。 浦河の高昭牧場で育成され、2005年の秋に入厩したが、後ろ脚がまだ固まらず、二歳のうちにデビューできなかった。視察に来た西浦は、最後の秘密兵器かもしれない、とこの牝馬を評している。 主戦に指名されたのは本田優。四十七歳、中央の平地では最年長の騎手だった。1999年に調教師試験の一次に受かっており、成績が落ちたらそれを潮に鞍を降りて厩舎を持つつもりでいた。ところが翌年テイエムオーシャンに出会って成績はむしろ上がり、降りる理由を見失ったまま四十代の後半に入っていた。調教師の定年は七十歳で動かない。納得のいく厩舎経営には二十年は要る、と本田は考えていた。持ち時間は減っていた。 2006年2月26日、阪神の芝1400メートル、不良馬場の新馬戦。単勝三十三倍の九番人気。促してもいないのに前へ出て、そのまま逃げ切った。一馬身四分の一差。上山にとっては、馬主としての初勝利だった。 一か月後の君子蘭賞では、音に敏感なので覆面を着けた。今度は後方に控え、大外から全部差し切って一馬身半。二連勝。ここで本田は、この馬でクラシックを、と考えはじめる。 四月九日、桜花賞。出走登録はした。しかし賞金が足りず、除外された。牝馬三冠の一冠目は、ゲートが開く前に閉じている。彼女が無敗で積み上げられるものの上限は、この時点ですでに二つと決まっていた。 四月三十日、東京のスイートピーステークス。初めて一番人気に支持され、中団から三コーナーで動いて、直線は外から差し切った。半馬身差の三連勝で、オークスへの優先出走権を得る。ここまで本田は権利を取ることだけを考えていたが、この日はじめて勝ち負けを意識したという。

四十九年ぶり

5月21日、東京・芝2400メートル。桜花賞を勝ったキストゥヘヴンと、二着だったアドマイヤキッスが人気を分け合い、四連勝を狙う牝馬は6.7倍の三番人気だった。 ヤマニンファビュルが大逃げを打ち、隊列は縦長に伸びた。一コーナーで行きたがるのを本田が宥めて折り合う。フサイチパンドラと並んで中団の前、五番手。大逃げがいるぶん、どの馬も早めに動かされる展開になった。 直線、馬場の中央。先に抜け出したアサヒライジングまで、残り四百メートルからの追い比べになる。府中の坂を上がりながら一完歩ずつ詰め、外から捉える。伸びあぐねるフサイチパンドラを抜き去り、後方から追い込むアドマイヤキッスとキストゥヘヴンには寄せつけない。二着に四分の三馬身。 無敗の四連勝で、重賞もGIも初勝利、そしてクラシックだった。無敗での優駿牝馬制覇は史上四頭目、1957年のミスオンワード以来である。上山が浦河で名前だけを聞いて育ったその牝馬に、売れ残って自分の手元に残った牝馬が、四十九年越しに並んだ。デビューから八十五日での戴冠はシャダイアイバーに次ぐ史上二番目の早さで、四十七歳四か月の本田は、1967年にヤマピットで勝った保田隆芳の四十七歳一か月を上回るオークス最年長優勝者になった。キングヘイローにとっても、産駒のGI級初制覇である。 レース後の記念撮影で、ひとつ困ったことが起きた。馬主と生産者が同じなので、どちらかの席が空いてしまう。上山は育成を担った兄を馬主席に招き、自分は生産者席に立って、兄弟で両方を埋めた。

京都、十月十五日

夏、彼女は浦河へ帰って休んだ。同じ夏、本田は函館のレースで落馬し、腰と首を折っている。二か月の治療を経て、秋に戻ってきた。 始動は前哨戦を使わず、秋華賞へ直行と決まった。前哨戦に間に合わせるため暑い盛りに入厩させ、それが馬の負担になったのではないか——西浦には過去にそう悔いた牝馬がいた。同じ厩舎から直行で秋華賞を勝ったテイエムオーシャンの前例も、その判断を後押しした。 ゲートが開く。中団。前ではシェルズレイとトシザサンサン、コイウタが速い流れを作っている。ハイペースなら、後ろで待つ馬に理がある。 三コーナー。本田は待たなかった。ムチを入れて、動く。淀の下り坂を、前との距離を削りながら降りていく。長い脚を使わせる乗り方で、流れに逆らう選択だった。 四コーナー。内にいたサンドリオンと接触した。バランスが崩れ、外へ大きく膨れる。仕掛けの途中で、いちばん失いたくない加速を落とした。 直線に入る。前は三つ。内でシェルズレイ、その外にアサヒライジング、抜け出しにかかるフサイチパンドラ。大外からはアドマイヤキッスが伸びてくる。 残り二百メートル。先頭のアサヒライジングまで、まだ三馬身あった。京都の直線に坂はない。ここから三馬身は、届かない距離のはずだった。 届いた。半ばを過ぎてもう一段上がり、フサイチパンドラを差し、大外のアドマイヤキッスを近づけず、ゴールの手前でアサヒライジングを捉える。半馬身。 無敗のまま、二つ目の冠だった。優駿牝馬と秋華賞をどちらも負けずに勝った牝馬は、これが初めてである。馬主席には、この日は上山の父が座っていた。

十一月十二日

四週間後、同じ京都で、距離を二百メートル延ばしたエリザベス女王杯。陣営が秋の最大目標に据えていたのはこちらのほうだった。オークスと秋華賞で後ろにいたフサイチパンドラ、アサヒライジング、アドマイヤキッス、キストゥヘヴンに加え、前年の勝ち馬で宝塚記念も勝っているスイープトウショウが古馬の側で待っていた。オッズは三歳と古馬の二頭に割れ、わずかに三歳が上に立って一番人気になる。 八枠十六番。中団の後ろ。シェルズレイが引っ張って流れは速い。芝は水を含んでいて、前へ出るのに手間取った。それでも直線の入り口でムチが入ると加速し、抜け出していたディアデラノビア、アサヒライジング、フサイチパンドラを差し切って、大外のスイープトウショウにも来させず、先頭で決勝線を通過する。二位入線のフサイチパンドラに一馬身半。デビューから六戦、六度目の一位入線だった。 着順掲示板に、審議の表示が出た。直線で内へ斜行した際、シェルズレイとヤマニンシュクルに接触してヤマニンシュクルを挫かせ、シェルズレイとレクレドールの進路も塞いでいた。裁決はヤマニンシュクルへの走行妨害を認め、カワカミプリンセスを十二着に降着とした。本田には騎乗停止の処分が下る。優勝はフサイチパンドラに繰り上がった。日本のGIで一位入線から降着になったのは、1991年の天皇賞(秋)のメジロマックイーン以来十五年ぶり、二頭目である。 自分の脚で先頭に立ち、自分が内へ寄った分で、その先頭を手放した。斜行がなければ、という言い方は成立しない。斜行は起きたことのほうであり、着順はその結果として動いた。 その十五年前、本田は反対側にいた。1991年の天皇賞(秋)で、メジロマックイーンに進路を妨げられた側の一頭、プレジデントシチーに跨っていたのが彼である。二例目の裁定を、今度は受ける側で聞いた。 斜行の際の接触で右後肢の飛節に傷を負った。大事には至らなかったが、年内は休むことになり、浦河の高昭牧場へ放牧に出る。この年、五度走って五度先頭でゴールし、四つ勝った三歳牝馬に、JRA賞の最優秀三歳牝馬は二百八十九票のうち二百八十七票が集まった。

先頭が、遠い

年が明けて二月末、本田優が騎手を引退した。調教師試験に受かり、六月に厩舎を開く。引退式で彼は、自分が乗ってきた馬のなかで間違いなくいちばん強かったのはこの馬だ、と語っている。1980年にデビューし、テイエムオーシャンで桜花賞と秋華賞を勝った男が、騎手生活の最後に置いた言葉だった。 主戦は武幸四郎に替わった。西浦が直接頼んだ。この牝馬の激しい気性を宥められるのはこの騎手だ、という見立てである。放牧中も休ませずに運動させて体を絞り、帰厩してからは逆に体重を増やしながら仕上げるという、常道でない調整を敢行した。西浦が完璧だと評するほどの状態で、ヴィクトリアマイルへ直行する。 一番人気。ところがゲートで出遅れた。後方から大外を伸びて十着。デビューから七戦目にして、初めて先頭以外でゴール板を通過した。六月の宝塚記念は、東京優駿を勝ったばかりのウオッカらを相手に六番人気の六着。レース直前の追い切りには、厩舎を開く前日の本田が跨っている。 七月二十五日、札幌記念を目指して調整していた最中、調教中に右第一趾節種子骨を折った。全治一年。 2008年4月2日に帰厩し、五月三十一日の金鯱賞で一年ぶりに走った。エイシンデピュティから一馬身半差の三着。宝塚記念へ向かうつもりが、直前に腰から右後肢にかけて筋肉痛が出て回避になる。 秋、十月十九日の府中牝馬ステークスで戻ってきた。この日は京都で秋華賞があり、武はリトルアマポーラに乗るためそちらにいた。手綱は横山典弘に渡り、以後、引退まで横山が乗る。一番人気。二番手から直線でアサヒライジングを捉えて先頭に立ったが、外から来たブルーメンブラットにゴール前で交わされ、半馬身差の二着だった。 十一月十六日、エリザベス女王杯。二年前と同じ競馬場、同じ2200メートル、単勝一・八倍の一番人気。ポルトフィーノがスタート直後に落馬して競走を中止する波乱のなか、六番手を進み、直線で抜け出しにかかる。道中は滑らかで、脚も出ていた。ただ、前がもう空いていなかった。追い込み脚質のはずのリトルアマポーラがルメールに導かれて先行に回り、一足先に抜け出していたのである。 一馬身半、届かなかった。二年前、この同じ決勝線で、彼女が二位入線の馬につけていた差と同じ長さである。今度は、それが前にあった。 暮れの有馬記念は一枠一番から先行を試みたが、ハナはダイワスカーレットが握り、二番手に控えた末に終いで失速して七着に終わった。

気丈な馬

2009年、六歳。京都記念はアサクサキングスから一馬身半ほどの四着、産経大阪杯はドリームジャーニーディープスカイから二馬身差の三着。牡馬の一線級に混じって、まだ走れていた。だが牝馬同士に戻ると、ヴィクトリアマイル八着、府中牝馬ステークス六着。掲示板にも届かなくなる。 十一月十五日、三度目のエリザベス女王杯。五番人気で九着。二頭の逃げ馬が後続を突き放したまま帰ってこなかったあのレースで、彼女は馬群のなかにいた。これが最後の一戦になった。 京都に来ていた上山は、馬体がもう母親のそれになっているのに気づいた。この馬はもう母になりたいのだ、と受け取って、引退を決める。十一月十九日、登録抹消。 十七戦五勝。先頭で決勝線を通過したのは六度で、そのうち五度が勝利として残った。残る一度は、彼女自身が内へ寄った分だけ十二着になった。あの日のあと十一回ゲートを出て、二度と先頭でゴールしていない。記録はそのまま動かない。 動いたのは、別のところだった。翌2010年、JRAが歴代の優駿牝馬優勝馬から一頭を選ぶファン投票を行った。エアグルーヴがいて、シーザリオがいた。それでも最も多く名を書かれたのはカワカミプリンセスで、全体の二十四パーセント、五千六十一票。五月二十三日、オークスの直後に組まれた東京の最終レースは「東京クラウンプレミアム(カワカミプリンセスメモリアル)」として行われた。二冠の数でも賞金の額でもないものが、そこでは数えられていた。届かないはずの三馬身を一度は届かせた脚と、そのあと三年、先頭に手が届かないまま走り続けた背中である。 牧場に帰り、2012年から2021年まで十頭を産んだ。生まれたときそこは日高郡三石町だったが、町の名は二戦目を勝った五日後に消えて新ひだか町になっている。牧場の場所は動いていない。2023年9月11日、その牧場で起立不能となり、二十歳で死んだ。牧場の代表は「最後まで元気で気丈な馬でした」[^1]と伝え、引退してからもファンから贈り物が届き続けたことを付け加えている。 京都の掲示板が書き換えたのは着順であって、その荷物の宛先ではなかった。

出典:中日スポーツ「2006年牝馬2冠達成のカワカミプリンセスが20歳で死亡「最後まで元気で気丈な馬でした」」2023年9月12日配信、https://www.chunichi.co.jp/article/767776 、閲覧日:2026年8月1日。

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