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カネツフルーヴ
通算成績37戦10勝
獲得賞金4億3,482万円
生年月日 1997.04.26(平成9年)毛色 黒鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 16 | GII東海S | 中京 ダ2300 | 6人気 | 幸英明 | 2:38.7 | 上り49.0 | — | |
| 2 | GIIオグリキャップ記念 | 笠松 ダ2500 | 2人気 | 松永幹夫 | 2:41.2 | — | — | |
| 4 | GIIダイオライト記念 | 船橋 ダ2400 | 2人気 | 松永幹夫 | 2:31.9 | 上り40.7 | — | |
| 4 | GI川崎記念 | 川崎 ダ2100 | 6人気 | 松永幹夫 | 2:14.7 | 上り41.4 | — | |
| 16 | GI東京大賞典 | 大井 ダ2000 | 5人気 | 松永幹夫 | 2:12.8 | 上り47.1 | — | |
| 11 | GIジャパンカップダート | 東京 ダ2100 | 9人気 | 松永幹夫 | 2:11.9 | 上り41.3 | 映像 | |
| 7 | GIJBCクラシック | 大井 ダ2000 | 5人気 | 松永幹夫 | 2:06.8 | 上り40.7 | 映像 | |
| 1 | GIIオグリキャップ記念 | 笠松 ダ2500 | 1人気 | 松永幹夫 | 2:39.5 | — | — | |
| 1 | GIIダイオライト記念 | 船橋 ダ2400 | 1人気 | 松永幹夫 | 2:29.6 | 上り37.2 | — | |
| 4 | GIフェブラリーS | 中山 ダ1800 | 14人気 | 中舘英二 | 1:51.8 | 上り39.3 | 映像 | |
| 1 | GI川崎記念 | 川崎 ダ2100 | 4人気 | 松永幹夫 | 2:14.8 | 上り42.1 | — | |
| 9 | GI東京大賞典 | 大井 ダ2000 | 5人気 | 松永幹夫 | 2:07.3 | 上り39.8 | — | |
| 11 | GIジャパンカップダート | 中山 ダ1800 | 8人気 | 松永幹夫 | 1:54.0 | 上り39.9 | 映像 | |
| 3 | GIJBCクラシック | 盛岡 ダ2000 | 3人気 | 松永幹夫 | 2:06.8 | — | 映像 | |
| 1 | GI帝王賞 | 大井 ダ2000 | 6人気 | 松永幹夫 | 2:03.7 | 上り37.7 | — | |
| 5 | GII東海S | 中京 ダ2300 | 4人気 | 山田泰誠 | 2:23.2 | 上り38.3 | — | |
| 1 | 丹沢S | 東京 ダ2100 | 2人気 | 吉田豊 | 2:11.4 | 上り38.0 | — | |
| 2 | 梅田S | 阪神 ダ1800 | 1人気 | 松永幹夫 | 1:50.4 | 上り37.5 | — | |
| 3 | 甲南S | 阪神 ダ1800 | 1人気 | 松永幹夫 | 1:51.8 | 上り38.4 | — | |
| 1 | 北山S | 京都 ダ1800 | 2人気 | 松永幹夫 | 1:51.4 | 上り38.8 | — | |
| 2 | 橿原S | 京都 ダ1200 | 1人気 | 松永幹夫 | 1:11.6 | 上り36.7 | — | |
| 8 | アレキサンドライトS | 東京 ダ1600 | 1人気 | 勝浦正樹 | 1:37.4 | 上り37.5 | — | |
| 2 | 元町S | 阪神 ダ1400 | 2人気 | 松永幹夫 | 1:23.8 | 上り36.9 | — | |
| 4 | OP仁川S | 阪神 ダ1800 | 1人気 | 松永幹夫 | 1:51.7 | 上り39.1 | — | |
| 1 | 洞海湾S | 小倉 ダ1700 | 1人気 | 山田泰誠 | 1:45.0 | 上り37.7 | — | |
| 1 | 八坂特別 | 京都 ダ1800 | 2人気 | 松永幹夫 | 1:52.6 | 上り37.2 | — | |
| 3 | 羊蹄山特別 | 札幌 ダ1700 | 1人気 | 松永幹夫 | 1:44.9 | 上り37.5 | — | |
| 2 | しゃくなげS | 東京 ダ1600 | 2人気 | 角田晃一 | 1:36.2 | 上り37.2 | — | |
| 6 | OP駒草賞 | 東京 芝2000 | 7人気 | 勝浦正樹 | 2:02.2 | 上り35.5 | — | |
| 6 | GIII京都新聞杯 | 京都 芝2000 | 4人気 | 松永幹夫 | 2:00.4 | 上り35.3 | — | |
| 13 | GI皐月賞 | 中山 芝2000 | 10人気 | 松永幹夫 | 2:03.1 | 上り36.9 | 映像 | |
| 3 | GIIフジTVスプリングS | 中山 芝1800 | 6人気 | 勝浦正樹 | 1:49.6 | 上り36.3 | — | |
| 1 | つばき賞 | 京都 芝2000 | 3人気 | 松永幹夫 | 2:03.4 | 上り35.5 | — | |
| 2 | 4歳500万下 | 京都 ダ1800 | 1人気 | 松永幹夫 | 1:53.7 | 上り37.0 | — | |
| 1 | 4歳未勝利 | 京都 ダ1800 | 1人気 | 松永幹夫 | 1:55.5 | 上り38.0 | — | |
| 3 | 3歳新馬 | 小倉 芝1800 | 1人気 | 山田泰誠 | 1:50.4 | 上り37.8 | — | |
| 2 | 3歳新馬 | 小倉 芝2000 | 1人気 | 松永幹夫 | 2:04.4 | 上り37.7 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父パラダイスクリークParadise Creek | Irish River | Riverman |
| Irish Star | ||
| North Of Eden | Northfields | |
| ツリーオブノレッジTree of Knowledge | ||
| 母ロジータ | ミルジョージ | Mill Reef |
| Miss Charisma | ||
| メロウマダング | マダング | |
| スピードキヨフジ |
旅程 — この馬の物語
1997年生まれの黒鹿毛の牡馬。父パラダイスクリーク、母ロジータ。
四月の、二週間
1997年4月13日、中山競馬場。皐月賞。弥生賞で二着に来ていた青鹿毛のオースミサンデーが、レースの途中で故障を発生して競走を取りやめた。診断は予後不良——競走馬にとっては、そこで生涯が終わるという意味の言葉である。父はサンデーサイレンス、母はロジータ。三歳だった。 その十三日後、北海道新冠町の高瀬牧場で、同じ母から黒鹿毛の牡馬が生まれる。1997年4月26日。父はパラダイスクリークといった。 母の名を先に説明しておきたい。ロジータ。1986年、同じ高瀬牧場の生まれである。川崎の福島幸三郎厩舎に入り、野崎武司が十五戦すべての手綱を取った。1989年、陣営は牝馬の路線を選ばなかった。羽田盃、東京ダービー、東京王冠賞。牝馬のまま南関東の牡馬三冠を獲り、暮れの東京大賞典では古馬を相手に圧勝している。名は百合の品種から取られ、牧場代表の長男が付けたと伝えられる。 引退の舞台は1990年2月12日、地元の川崎記念だった。単勝は1.0倍。二番人気から下は、すべて万馬券である。八頭立てを、八馬身ちぎった。その日の川崎競馬場は入場人員の記録を作り、七年のあいだ破られなかった。塗り替えたのは、ホクトベガが日本で最後に走った川崎記念である。 ロジータは生まれ故郷の牧場に帰り、仔を産みつづけた。91年の牝馬シスターソノは阪神三歳牝馬ステークスで一番人気に推され、96年の牡馬イブキガバメントは中央で朝日チャレンジカップと鳴尾記念を勝つ。94年の牡馬が、中山から還らなかったオースミサンデーだった。 黒鹿毛は、その六番目の仔である。カネツは馬主の冠名、フルーヴはフランス語で大河を指す。父の名にあるクリークは、小川のことだ。小川と大河が、一頭の名のなかで親子になった。
芝を諦めるまで
1999年12月4日、小倉の芝2000メートル。松永幹夫を背に一番人気で発走して、二着。二週間後、同じ小倉の芝1800メートルも一番人気で三着。二度とも勝ち切れなかった。 年が明けて、京都のダート1800メートルに替わる。七馬身。それが初勝利だった。 それでも陣営はまだ芝を諦めていない。二月のつばき賞を京都の芝で勝ち、三月の中山、スプリングステークスで三着に粘って皐月賞の優先出走権を手に入れる。 4月16日、中山、皐月賞。稍重の馬場で十番人気、十三着。勝ったのはエアシャカールだった。三年前、同じ中山のこの競走で、兄は走るのをやめている。 続く京都新聞杯が六着、東京の駒草賞も六着。芝ではここまでだった。夏に砂へ戻ってしゃくなげステークス二着、札幌の羊蹄山特別三着。そこで脚部に不安が出て、長い休みに入る。
同い年の甥
休んでいるあいだに、同じ厩舎の一頭が走り出した。 2000年2月5日、京都のダート1800メートルの新馬戦。単勝2.7倍の一番人気で、鞍上は松永幹夫。二着に大差をつけて勝ったその馬をレギュラーメンバーという。母はシスターソノ——カネツフルーヴの姉である。つまり甥だった。生まれたのは1997年6月16日、叔父より五十日ほど遅い。同じ高瀬牧場、同じ栗東・山本正司厩舎。 松永幹夫は、中学を出て競馬学校へ入り、1986年に山本厩舎の所属騎手としてデビューした。以後、鞭を置くまで所属を変えていない。1991年にイソノルーブルでオークス、96年にファビラスラフインで秋華賞、97年にキョウエイマーチで桜花賞。牝馬限定の大レースを次々に勝ち、いつからか「牝馬の松永」と呼ばれるようになる。本人はその呼ばれ方を喜んでいない。牝馬に強いと言われるのは牡馬で勝っていないからそう言われるだけで、牡馬にもチャンスはあったのだ、という意味のことを語っている。 2000年11月3日、盛岡のダービーグランプリ。レギュラーメンバーは逃げて、二着に大差をつけた。松永にとって、牡馬で勝った初めての大レースであり、砂で勝った初めての大レースでもあった。 年が明けた2001年1月26日、川崎記念。不良馬場をレコードの2分12秒9で走り、ファストフレンドを半馬身抑えて勝つ。ロジータが最後に走り、最後に勝った競走である。それを、孫が十一年後に取り返した。 そのころ叔父のほうは、ようやく走れるようになったところだった。1月6日の八坂特別を四馬身、二十二日後の洞海湾ステークスをレコードで。だが3月の仁川ステークスで四着に敗れると、深管骨瘤——脚の管骨に瘤ができる病気が出た。戻ってきたのは、九か月後の12月である。
四コーナーで、前に出る
2002年の前半、この馬は砂の条件戦を勝ったり負けたりしながら上がっていった。京都の北山ステークス、東京の丹沢ステークス。二着が二度、三着が一度。五月の中京、東海ステークスで五着。重賞は、まだひとつも勝っていない。 陣営が次に選んだのが、大井の帝王賞だった。 六月十九日。馬場は稍重と発表された。六番人気である。 向正面を過ぎても、三コーナーを回っても、この馬はまだ先頭ではない。 四コーナー。ここで前に出た。 四角で先頭に立つというのは、そこから決勝線まで、後ろの全部に狙われつづけるということだ。先に抜け出した馬の背中は、追う側にとっていちばん目標にしやすい。 差は詰まらなかった。追ってきたミラクルオペラは、決勝線まで並びかけられずに終わっている。終いの三ハロン——最後の六百メートル——は三十七秒七。四角で前に出てから、脚は鈍らなかった。 重賞をひとつも勝っていない馬の、初めての重賞がGIだった。松永にとっては、レギュラーメンバーで挙げた三つに続く、砂の大レースの四つ目である。
秋の砂
秋、この馬は前へ行く馬になっていた。 11月4日、盛岡のJBCクラシック。三番人気で、早い段階から前に立った。直線に坂のあるこの競馬場で、アドマイヤドンに突き放されて三着。勝ち馬とは1秒2の差だった。 11月23日、中山のジャパンカップダート、十一着。勝ったのはイーグルカフェ。12月29日、大井の東京大賞典は九着で、勝ったのは三歳のゴールドアリュールである。 夏に手にしたものを、秋には一度も守れなかった。
母の、最後の場所
2003年1月29日、川崎競馬場、ダート2100メートル。九頭立ての四番人気。 母が最後に走った場所である。母のあの日から、十二年と十一か月が経っていた。 馬場は稍重。時計は2分14秒8で、終いの三ハロンに四十二秒一かかっている。切れる脚で抜け出したレースではない。前年のこの競走を勝っているリージェントブラフとの差は、0秒2だった。 母子二代の川崎記念である。そして二年前には、甥のレギュラーメンバーが同じ競走を勝っている。ひとつのレースの優勝馬の欄に、この一族の名が三代ぶん並んだ。 一か月後、中山のフェブラリーステークス。十四番人気だった。中舘英二を乗せて逃げ、粘って四着に残る。勝ったのはゴールドアリュールである。 三月二十六日、船橋のダイオライト記念を一番人気でレコード勝ち。四月二十九日、笠松のオグリキャップ記念は五十八キロを背負って、またレコード。二着はどちらもリージェントブラフだった。 そして笠松の決勝線を過ぎた直後、この馬は転倒する。外傷を負い、縫合手術を受けた。二つのレコードの直後に、また休むことになった。
戻らなかったもの
秋に復帰した。11月3日、大井のJBCクラシック七着。29日のジャパンカップダート十一着。暮れの東京大賞典は十六着で、勝ったスターキングマンから9秒1離された。 2004年、川崎記念四着。ダイオライト記念四着。四月の笠松では、前年に自らレコードで勝ったオグリキャップ記念で、ミツアキタービンに0秒2届かず二着に終わる。 五月二十三日、中京の東海ステークス。五十九キロを背負い、幸英明が乗って十六着。勝ち馬から十五秒。これが三十七度目の、最後の一戦になった。七月二十一日、競走馬登録が抹消される。 挙げた十勝のうち、重賞は四つだった。帝王賞、川崎記念、ダイオライト記念、オグリキャップ記念。四つとも、中央に籍を置く馬でありながら、地方の砂の上で勝ったものである。
三代
種牡馬になった。優駿スタリオンステーションで供用され、初年度産駒は2008年にデビューする。だが産駒は走らず、受胎率も上がらなかった。2010年にシンジケートが解散し、中標津町の大西牧場へ移る。2011年に種牡馬を退き、翌2012年9月30日、病気のため死んだ。十五歳だった。 母は長く生きた。高瀬牧場で仔を産みつづけ、2001年の牝馬アクイレジアはジャパンダートダービーと関東オークスで二着に入っている。ロジータ自身が世を去ったのは2016年12月1日、三十歳。公表されたのは翌2017年11月7日で、川崎競馬が母の名を冠して創設したロジータ記念の直前だった。その日の競馬場には献花台が置かれ、十五戦すべてに乗った野崎武司と、管理した福島幸三郎の次男である福島秀夫が花を手向けている。甥のレギュラーメンバーは、同じ2017年の7月11日、青森の牧場で二十歳の生涯を終えていた。 松永幹夫が騎手を降りたのは2006年の二月である。最終騎乗日となった二十六日の阪神で、十一番人気のブルーショットガンに乗って阪急杯を勝ち、その日の最終競走も勝って、JRA通算千四百勝に届かせている。翌年三月、定年で去った師匠・山本正司の厩舎をそのまま引き継いで開業した。カネツフルーヴのいた厩舎である。2009年にはレッドディザイアで秋華賞を勝つ。騎手時代に自分が勝ったのと、同じ競走だった。 「牝馬の松永」が中央のGIで挙げた六勝は、五つが牝馬限定戦で、唯一の混合戦だった天皇賞・秋も牝馬でのものである。では、牡馬で勝ったGIはどこにあるのか。五つあって、五つとも地方の砂の上だ。ダービーグランプリ、川崎記念、JBCクラシック、帝王賞、そしてもう一度の川崎記念。その五つを一緒に勝ったのは、ロジータの一族だった。同じ牧場で五十日違いに生まれ、同じ厩舎に入った、叔父と甥の二頭である。 川崎記念の優勝馬の欄には、この血が三度、名を書いている。1990年のロジータ、2001年のレギュラーメンバー、2003年のカネツフルーヴ。 小川の名を持つ父の仔に、大河の名がついた。けれどこの馬が遡っていったのは、父の川ではない。母が三冠を獲り、母が最後に勝ち、母が去ったあとも一族が戻りつづけた、あの砂の川だ。母の最後の一日に、息子はようやく追いついた。
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