名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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この世代(生まれ年)

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カネヒキリのイメージビジュアル
カネヒキリKane Hekili
Kane Hekili

カネヒキリ

通算成績23戦12勝

獲得賞金85,161万円

生年月日 2002.02.26(平成14年)毛色 栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
カネヒキリの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
2 JpnⅡブリーダーズゴールドカップ 門別 ダ2000 1人気 横山典弘 2:03.7 上り37.2
1 JpnⅢマーキュリーカップ 盛岡 ダ2000 1人気 横山典弘 2:04.8 上り38.1
2 JpnⅠ帝王賞 大井 ダ2000 4人気 横山典弘 2:03.9 上り38.2
2 JpnⅠかしわ記念 船橋 ダ1600 1人気 内田博幸 1:36.0 上り36.0
3 GIフェブラリーS 東京 ダ1600 1人気 C.ルメール 1:34.6 上り35.3映像
1 JpnⅠ川崎記念 川崎 ダ2100 1人気 C.ルメール 2:13.3 上り36.5
1 GI東京大賞典 大井 ダ2000 2人気 C.ルメール 2:04.5 上り35.1
1 GIジャパンカップダート 阪神 ダ1800 4人気 C.ルメール 1:49.2 上り36.4映像
9 GIII東京中日S杯武蔵野S 東京 ダ1600 2人気 武豊 1:36.6 上り36.7
2 GI帝王賞 大井 ダ2000 1人気 武豊 2:02.3 上り36.9
4 GIドバイワールドカップ アラブ首長国連邦 ダ2000 武豊 映像
1 GIフェブラリーS 東京 ダ1600 1人気 武豊 1:34.9 上り35.7映像
1 GIジャパンカップダート 東京 ダ2100 1人気 武豊 2:08.0 上り36.2映像
2 GIII東京中日S杯武蔵野S 東京 ダ1600 1人気 武豊 1:35.5 上り36.2
1 GIダービーグランプリ 盛岡 ダ2000 1人気 武豊 2:03.8
1 GIジャパンダートダービー 大井 ダ2000 1人気 武豊 2:04.9 上り37.8
1 GIIIユニコーンS 東京 ダ1600 1人気 武豊 1:36.5 上り37.3映像
1 OP端午S 京都 ダ1800 1人気 武豊 1:50.8 上り36.5
7 GIII毎日杯 阪神 芝2000 3人気 武豊 2:03.0 上り35.2
1 3歳500万下 中山 ダ1800 1人気 O.ペリエ 1:53.3 上り37.6
1 3歳未勝利 京都 ダ1800 9人気 池添謙一 1:53.3 上り36.7
11 2歳未勝利 小倉 芝1800 5人気 福永祐一 1:51.0 上り37.5
4 2歳新馬 新潟 芝1400 3人気 柴田善臣 1:24.6 上り37.1

血統

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カネヒキリの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
フジキセキFuji KisekiサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
ミルレーサーMillracerLe Fabuleux
Marston's Mill
ライフアウトゼアLife Out ThereDeputy MinisterVice Regent
Mint Copy
Silver ValleyMr. Prospector
Seven Valleys
STORY

旅程 — この馬の物語

2002年生まれの栗毛の牡馬。父フジキセキ、母ライフアウトゼア。主な勝ち鞍はジャパンカップダート・フェブラリーS・東京大賞典競走。

雷の名 ― 二〇〇二年、早来

2002年2月26日、北海道早来のノーザンファームで栗毛の牡馬が生まれた。父はフジキセキ、母はアメリカ産のライフアウトゼア。その年のセレクトセールに当歳で上場され、2100万円で金子真人の手に渡る。 名は、ハワイの雷の精から採られた。同じ馬主が同じ牧場に持った前年生まれの一頭には、ハワイ全島を統一した王の名がついている。雷は、その次に選ばれた名前だった。 預けられたのは栗東の角居勝彦厩舎。角居が調教師を志したのは、同世代の従兄弟が若くして亡くなったことがきっかけだった。「人間なんて明日にはどうなるか分からないと強く感じました」[^1]。厩舎を開いて、まだ四年目である。 デビューは2004年7月31日、新潟の芝1400メートル。柴田善臣を背に3番人気で4着だった。次の小倉、芝1800メートルは11着。夏が終わると、この馬は休養に入る。芝では、雷は鳴らなかった。

出典:Number Web「角居師最後のGIレースに思い出すカネヒキリとの名タッグ 「終わった」名馬を復活させた伯楽の手腕とは」2021年2月19日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/847084 、閲覧日:2026年8月2日。

砂に降りる ― 二〇〇五年春

年が明けた2月13日、京都の3歳未勝利戦。初めてのダートで、単勝は9番人気まで落ちていた。鞍上は池添謙一。結果は2着に7馬身差の圧勝である。二週間後、中山の500万下も大差で勝った。乗ったのはペリエ。 一度だけ、陣営は芝に戻している。3月の毎日杯は7着。それが最後の未練になった。 以後は砂だけを走る。4月の端午ステークスは9馬身差。6月のユニコーンステークスで重賞を初めて勝ち、7月、大井のジャパンダートダービーへ向かった。道中は4番手。四コーナーの手前で早々と先頭に立ち、直線は独走で4馬身。3歳の夏にGIを手にした。 9月の盛岡・ダービーグランプリも、サンライズバッカスに2馬身半をつけて完勝する。同世代とのダート戦で、この馬は一度も負けなかった。

クビの上げ下げ ― 二〇〇五年ジャパンカップダート

古馬との初対戦は、10月の武蔵野ステークス。芝からのスタートで脚を滑らせて出遅れ、追い込んだが届かない。サンライズバッカスの2着。ダートで初めて負けた。 一か月後、東京のジャパンカップダート。1番人気に推された3歳馬は、中団でじっとしていた。動いたのは残り200メートル。先頭に立つ。そこへシーキングザダイヤとスターキングマンが食い下がってきた。三頭が並んだままゴール板へ入り、最後はクビの上げ下げの差になる。 勝ち時計は2分8秒0。コースレコードだった。馬体重514キロの3歳馬が、その年のJRA賞最優秀ダートホースに選ばれた。

世界と、脚元 ― 二〇〇六年

4歳初戦のフェブラリーステークスは、シーキングザダイヤに3馬身をつける完勝。ここまでダートでは、あの武蔵野ステークスの一敗しか喫していない。 3月、ドバイワールドカップ。エレクトロキューショニストの5着に入線し、前を走った一頭の失格で4着に繰り上がった。海外の一線級を相手に、初めて完敗した。 帰国初戦の帝王賞では、逃げるアジュディミツオーを最後まで捕まえられずに1馬身差の2着。ダートでの連敗も初めてだった。 秋はマイルチャンピオンシップ南部杯を目標に調整が続いていた。その途中で、右前脚に屈腱炎が出る。 当時、屈腱炎は競走馬にとって不治の病と言われていた。翌2007年の9月に一度は厩舎へ戻ったものの、同じ場所が再発し、三日後には牧場へ送り返される。胸骨から採った骨髄液を右前脚の腱に移植する手術を受けた。ステムセル移植と呼ばれる、まだ新しい治療だった。 一年が過ぎ、二年目に入っても、出馬表にこの名前は出てこない。全盛期は終わった――そう受け止められても仕方のない歳月である。 「まともな状態になれば必ずまた走ってくれる」[^1]。そう信じていたのが、角居だった。

出典:Number Web「角居師最後のGIレースに思い出すカネヒキリとの名タッグ 「終わった」名馬を復活させた伯楽の手腕とは」2021年2月19日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/847084 、閲覧日:2026年8月2日。

二年四か月 ― 阪神ダート千八百

2008年11月、東京の武蔵野ステークス。二年四か月ぶりの実戦だった。道中は終始かかり気味に進み、直線で仕掛けようとしたところを前と横から塞がれ、脚を余したまま9着に終わる。三歳の秋より二十キロ重い馬体だった。 その後、主戦の武豊が落馬で骨折する。次のジャパンカップダートには乗れない。代わりに手綱を取ったのは、この馬に初めて跨るクリストフ・ルメールだった。 十二月七日、阪神。晴れ、良馬場。単勝は4番人気。 ゲートは決まった。ルメールは内へ入れ、先頭から数えて五番目のあたりで我慢させる。二コーナーで四番目。一角から二角にかけて、流れが一度ゆるんだ。前が息を入れ、後ろもそれに合わせる。 三コーナー。ルメールはまだ動かない。ラチ沿いのいちばん短い距離を、離れずに回っていく。ここで三番手まで押し上がった。 四コーナー。前を三頭が固め、そのすぐ後ろにもう一頭。カネヒキリは五番手のまま、出口を待つ。 阪神の直線には坂がある。その半ばで、先頭に立った。 あとは、誰がいちばん長く我慢できるかという勝負になる。時計は緩まない代わりに、加速もしない。前を行く馬も後ろから来る馬も、十二秒台をひたすら刻み続ける。二年四か月の空白から戻ったばかりの六歳馬にとって、これは最も残酷な形の一戦だった。 残り百メートル。この日いちばん速い脚を使ったメイショウトウコンが並びかけてくる。1番人気のヴァーミリアンも来た。三頭の差が縮まりながら、ゴール板が近づく。 アタマ差。そのクビ差。 この競走を二度勝った馬は、それまで一頭もいなかった。

冬の三週間、そして春

12月29日、大井の東京大賞典。1番人気は前年の覇者ヴァーミリアンで、カネヒキリは2番人気だった。直線は二頭だけの競り合いになり、クビ差で先着する。復活から三週間で、二つ目のタイトル。この二勝で、三年ぶり二度目の最優秀ダートホースに選ばれた。 年が明けて1月28日、川崎記念。逃げるフリオーソを二番手からマークし、直線で半馬身だけ前に出る。GIとJpnIを合わせて、これが七つ目の冠になった。屈腱炎明けからの三連勝である。 2月のフェブラリーステークスは稍重。1番人気で出走し、出走馬の中でいちばん速い上がり三ハロン(最後の六百メートル)を使って追い込んだが、サクセスブロッケンカジノドライヴに同タイムのまま届かず3着。 5月5日、船橋のかしわ記念。エスポワールシチーの2着に敗れた。レースを終えたあと、鞍上の内田博幸が脚元の異変に気づいて下馬している。翌日の検査で、左の第三指骨の骨折がわかった。また一年が消えた。

最後の夏 ― 二〇一〇年

戻るまでに、一年を超える休養になった。当初は宝塚記念が候補に挙がり、ダートに戻したいという陣営の意向でプロキオンステークスも検討されている。そこへ、大井を主催する特別区競馬組合が出走資格を変えた。一年以上休養した馬でも、ゲート試験に合格すれば大井のダートグレードに出られる。8歳のカネヒキリは試験を受け、通った。 6月30日の帝王賞は、横山典弘との初コンビ。稍重の大井でフリオーソに2馬身半離され、2着に終わる。 7月19日、盛岡のマーキュリーカップ。59キロを背負って、逃げるマコトスパルビエロの二番手につけた。三コーナーと四コーナーの中間で先頭に出ると、ゴールでは5馬身が開いている。前年の川崎記念以来、一年半ぶりの勝利だった。 8月12日、門別のブリーダーズゴールドカップ。単勝1.2倍。不良馬場の直線でいったんは先頭に立ったが、シルクメビウスに交わされ、4馬身差の2着。 9月5日、新潟競馬場で角居が発表した。右前脚の以前とは違う箇所と、左前脚にも浅屈腱炎が出ている。年齢を考えて引退させる、と。9月17日付で競走馬登録が抹消された。23戦12勝。

終わり、という言葉について

2011年から優駿スタリオンステーションで種牡馬になった。シンジケートは早々に満口になっている。産駒からはミツバが出て、2017年と2018年のマーキュリーカップを勝ち、2019年には川崎記念を勝った。父が最後の夏に勝った重賞と、父が七つ目の冠を獲ったレース。息子もその二つを勝ったことになる。 2016年5月27日、繋養先で種付け中の事故により死亡した。14歳だった。 角居勝彦は2021年2月、定年まで十四年を残して厩舎を解散した。実家の仕事を継ぐためである。その後、石川県珠洲市に牧場をひらいた。三十頭前後の引退馬を受け入れる場所だ。明日どうなるか分からないから今できることを、と考えて調教師になった男は、二十年かけて、走り終えた馬の明日を用意する側へ回った。 もうひとつ。二年ものあいだ出馬表から消えていた馬について、あの人は、まともな状態になれば必ずまた走ると信じ続けた。あれは楽観ではない。二度メスを入れ、行きつ戻りつする脚元と相談し、ようやく戻した初戦は9着だった。それでも取り下げなかった。 2008年12月7日、阪神のダート千八百。二年十か月ぶりに、一着の欄へその名が戻った。あの日ファンが受け取ったのは、ひとつのGIではない。終わった、という言葉に期限があることの証明だった。カネヒキリはそれを二度やってみせ、不治と呼ばれていた病名は、必ずしも終わりを意味しなくなった。 調教師をやめた角居は、珠洲の海岸を、余生を送る一頭と地元の子どもたちと一緒に掃除してきた。競馬場からいちばん遠い仕事である。それでもあの人がしていることは、カネヒキリの脚元が壊れたときから変わっていない。終わったように見えるものに、次の一日を用意しているのだ。

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