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ジャングルポケット
通算成績13戦5勝
獲得賞金7億425万円
生年月日 1998.05.07(平成10年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 7 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 3人気 | 藤田伸二 | 2:33.9 | 上り35.9 | 映像 | |
| 5 | GIジャパンカップ | 中山 芝2200 | 3人気 | 武豊 | 2:12.5 | 上り35.3 | 映像 | |
| 2 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 3人気 | 武豊 | 3:19.5 | 上り34.0 | 映像 | |
| 2 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 2人気 | 小牧太 | 3:08.2 | 上り34.6 | 映像 | |
| 1 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 2人気 | O.ペリエ | 2:23.8 | 上り34.9 | 映像 | |
| 4 | GI菊花賞 | 京都 芝3000 | 1人気 | 角田晃一 | 3:07.6 | 上り34.2 | 映像 | |
| 3 | GII札幌記念 | 札幌 芝2000 | 1人気 | 角田晃一 | 2:00.5 | 上り34.6 | 映像 | |
| 1 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 1人気 | 角田晃一 | 2:27.0 | 上り35.6 | 映像 | |
| 3 | GI皐月賞 | 中山 芝2000 | 2人気 | 角田晃一 | 2:00.6 | 上り35.3 | 映像 | |
| 1 | GIII共同通信杯 | 東京 芝1800 | 1人気 | 角田晃一 | 1:47.9 | 上り34.8 | 映像 | |
| 2 | GIIIラジオたんぱ杯3歳S | 阪神 芝2000 | 3人気 | 角田晃一 | 2:01.2 | 上り34.5 | — | |
| 1 | GIII札幌3歳S | 札幌 芝1800 | 5人気 | 千田輝彦 | 1:49.6 | 上り35.8 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 札幌 芝1800 | 5人気 | 千田輝彦 | 1:52.0 | 上り35.9 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父トニービンTony Bin | カンパラKampala | Kalamoun |
| State Pension | ||
| Severn Bridge | Hornbeam | |
| Priddy Fair | ||
| 母ダンスチャーマーDance Charmer | Nureyev | Northern Dancer |
| Special | ||
| Skillful Joy | Nodouble | |
| Skillful Miss |
旅程 — この馬の物語
1998年生まれの鹿毛の牡馬。父トニービン、母ダンスチャーマー。主な勝ち鞍は東京優駿・ジャパンC・札幌3歳S。
ポケットという名前
1998年5月7日、北海道早来町のノーザンファームで鹿毛の牡馬が生まれた。父トニービン、母ダンスチャーマー。 名前は、子どもの歌からもらった。『ジャングルポケット』——作詞は長谷川勝士、作曲は福田和禾子。NHKの『おかあさんといっしょ』で1980年から歌われてきた童謡である。馬主の齊藤四方司はその歌詞をいつも持ち歩き、作曲した福田のもとへ挨拶にも出向いたという。 母ダンスチャーマーは一度も競馬場を走っていない。1990年にアメリカで生まれ、父はヌレイエフ。その母スキルフルジョイは、アメリカで格付けのある競走を二つ勝っている。ダンスチャーマーは二年続けてトニービンと配合され、先に生まれた全兄カサノバダンディは美浦の厩舎で走った。二番目が、この馬になる。五代さかのぼっても、血統表に同じ名前は一つも重ならない。 預け先は栗東の渡辺栄厩舎だった。渡辺は新潟の農家の五男である。中学を出て公営の競馬場で見習いになり、十七歳の夏、出張先だった京都長岡競馬場を抜け出した。そのまま京都競馬場へ行き、武田文吾の厩舎に飛び込みで入門している。騎手として二十年、調教師として二十年あまり。 その厩舎には、渡辺が消せずにいる一頭がいた。フジキセキである。四戦四勝のまま弥生賞のあとに故障し、クラシックへ進めないまま引退した。馬主は齊藤四方司、調教師は渡辺栄、鞍上は角田晃一、担当厩務員は星野幸男。ジャングルポケットを囲む顔ぶれは、その四人とそっくり同じだった。
札幌、九月
2000年9月2日、札幌の芝1800メートル。当時の表記で三歳、いまでいう二歳の新馬戦である。鞍上は千田輝彦。八頭立ての五番人気だった。二番手、三番手を進んで抜け出し、初戦を勝った。 この一戦は、あとで妙な形で語られることになる。ゲートに入った八頭が、全部あとで勝ち上がったのだ。中央に登録されながら一勝もできないまま抹消される馬は多い。八頭全部というのは、まず起きない。 三週間後の札幌3歳ステークスも千田が乗った。人気はまた五番目。1分49秒6でゴールし、それがレコードになった。二着は新馬戦でも先着したタガノテイオー。三着には、翌年に桜花賞と秋華賞を勝つテイエムオーシャンがいる。 三戦目から角田晃一に替わった。もともとデビュー前から決まっていた相手である。角田は鳥取の生まれで、競馬に縁のない土地で育った。長男でありながら体が小さく、父が騎手という進路を勧めたのだという。競馬学校から渡辺厩舎へ入り、一年目に四十三勝を挙げて新人騎手の賞を受けている。うちの馬はすべてお前に任せる、と渡辺は最初に言った。 12月23日、阪神のラジオたんぱ杯3歳ステークス。一番人気はクロフネだった。勝ったのはアグネスタキオンで、ジャングルポケットは二着。クロフネはその後ろの三着だった。翌年のGI馬が三頭、同じ芝2000メートルに並んでいたことになる。
一番内の枠
2001年2月4日、東京の共同通信杯。初めての東京コースだった。単勝1.4倍。直線で楽な手応えのまま抜け出し、二着のプレジオに二馬身をつけている。皐月賞のトライアルは使わず、本番へ直行した。 4月15日、中山。十八頭立ての一枠一番。 ゲートが開いた瞬間に、大きくつまずいた。最内の枠で出遅れれば、行き場は無い。一周目は後ろから数えたほうが早い位置にいる。四コーナーで外へ持ち出し、坂を上がってからよく伸びたが、届いたのは三着まで。勝ったのはアグネスタキオン、二着はダンツフレームだった。二千メートルで、また同じ馬の後ろにいたことになる。 ほどなく、そのアグネスタキオンが屈腱炎を発症する。一度も負けないまま引退した。 府中の二千四百に向かう一番人気は、そうやって決まった。
五月二十七日
曇り。芝は重。十八頭立ての、大外十八番。 ゲートが開くと、内から一頭が飛び出していった。テイエムサウスポーである。人気の無い馬が、誰も追わない速さで逃げていく。二ハロン目は十秒五だった。重い馬場のダービーで出ていい数字ではない。二コーナーを回るころには、その一頭と二番手のあいだに、はっきりした空白ができている。 ジャングルポケットは十一番手にいた。前から数えても後ろから数えても、ちょうど真ん中である。角田は動かない。 向正面で時計が落ちはじめた。二百メートルごとの区間が十二秒台の後半で続き、四コーナーの手前では十三秒台まで垂れる。前の一頭は勝手に行き、残りの十七頭は重い芝の上で脚を溜めていた。三コーナーで、この馬の位置は十三番手まで下がる。下がったのではない。まわりが上がっていったのである。 坂を下って四コーナー。角田はここで外へ出した。大外の枠から出た馬が、最後にもう一度、大外を選ぶ。内で粘る馬を追いかけず、誰にも進路をふさがれない場所へ持ち出した。 残り四百メートルからの一区間で、流れが変わった。十三秒台まで垂れていた時計が、いきなり十一秒台に戻る。前で楽をしていた逃げ馬に、その加速へ付き合う脚は残っていなかった。 府中の直線は長い。長いから、届く馬と届かない馬がはっきり分かれる。外から伸びてきたのは二頭だった。ジャングルポケットと、そのさらに外を回ってきたダンツフレーム。ダンツフレームの鞍上は河内洋——六週間前の中山で、この馬の前を走ったアグネスタキオンに乗っていた男である。 差は縮まらなかった。一馬身半。 2分27秒0。レース全体の終い三ハロンが三十七秒かかったところを、この馬は三十五秒台で上がっている。大逃げを打ったテイエムサウスポーは最後方まで落ち、勝ち馬から五秒も遅れて帰ってきた。 勝ったあと、馬は歓声のなかで激しく頭を上下させた。サラブレッドは臆病な生き物で、あれだけの声を浴びれば普通は怯えて逃げようとする。角田はなだめなかった。手綱を緩めたまま、声のするほうへ馬を寄せていった。 フジキセキが立てなかった場所に、あのときの四人がそろって立っている。
空いた鞍
8月19日、札幌記念。古馬との初対戦で一番人気に推され、同期のエアエミネムに先着されて三着に敗れた。 10月21日、菊花賞。京都の三千メートル。ここでも一番人気だったが、道中で折り合いを欠き、四着まで。勝ったのは六番人気のマンハッタンカフェである。 レースのあと、齊藤四方司のところへ他の馬主から声が届いた。角田の騎乗はどうなのか、と。齊藤自身も、札幌記念と菊花賞の二戦に納得していなかった。齊藤は渡辺に、鞍上を替えて後任を探すよう求めている。 次はジャパンカップと決まっていた。だが後任が決まらない。日が詰まっていけば、結局は角田がまた乗ることになる。それを避けたい齊藤は、生産者であるノーザンファームの吉田勝己を頼った。吉田照哉とともに、その年の7月30日付でこの馬の馬主に加わっていた人である。話は、短期免許で来日していたオリビエ・ペリエについた。 角田がジャングルポケットに乗ったのは、京都の三千メートルが最後になった。三戦目に手綱を受け取り、六度乗って、そのうち一度がダービーだった。
二分二十三秒八
11月25日、東京。晴れ、芝は良。十五頭のうち七頭が外国の調教馬だった。 一番人気はテイエムオペラオー。前の年を無敗で駆け抜け、この舞台を含めてGIを五つ勝ち、年度代表馬になった馬である。ジャングルポケットは二番人気だった。 引っ張ったのは外国調教馬のティンボローア。中盤で四位洋文のトゥザヴィクトリーが動き、三コーナーで先頭に立つ。二百メートルごとの時計は、そのあたりで十一秒台が三度続いた。府中の二千四百としては締まった流れである。 ジャングルポケットは、その流れのずっと後ろにいた。三コーナーで十一番手。四コーナーを回ってもまだ十番手より後ろで、テイエムオペラオーは五、六頭ぶん前にいる。 直線。先に抜け出したのはオペラオーだった。残り四百メートルからの一区間は十一秒二。前の年の王者が、その速さで先頭に立つ。 さらに外から、ペリエが追ってきた。 クビ差。時計は二頭とも2分23秒8だった。終いの三ハロンを、この馬は三十四秒台で上がっている。 三着ナリタトップロード、四着ステイゴールド、五着メイショウドトウ。五着までを日本で走る馬が占めた。ジャパンカップでそれが起きたのは初めてである。日本で生まれた三歳馬が勝ったのも、初めてだった。 年末のJRA賞で、この馬は年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選ばれる。同じ年に菊花賞と有馬記念を勝ったマンハッタンカフェは、どちらにも届かなかった。 秋に鞍上を替えられた三歳馬が、古馬の王者を差して、その年の代表になった。
東京の無い年
四歳になった2002年、陣営は海外を見ていた。キングジョージ、インターナショナルステークス、凱旋門賞。とりわけヨーク競馬場のインターナショナルステークスは、左回りで直線が長い。東京に似ている。吉田勝己が薦め、齊藤も前向きだった。 鞍上は初めペリエで決まりかけていた。変えたのは、柴田政人が週刊誌のコラムに書いた一節である。日本の調教馬が欧州の大レースを勝つとき、鞍上は日本人であってほしい——おおむねそういう趣旨だった。柴田はこのとき調教師で、騎手だった1993年にウイニングチケットで東京優駿を勝っている。その馬の父も、トニービンだった。齊藤はその文章に動かされ、武豊に替えた。 ところが年明けの阪神大賞典を前に、武豊が落馬で負傷する。代役にミルコ・デムーロが決まり、そのデムーロが騎乗停止になった。齊藤は角田に代打を打診している。角田は断った。結局、当時は公営兵庫に所属していた小牧太が乗り、ナリタトップロードの二着に敗れる。 4月28日、京都の三千二百メートル。武豊が戻ってきた。四コーナーで前の馬が外へ振られ、進路が壁になる。内を通ったマンハッタンカフェに、クビ差だけ届かなかった。 夏は宝塚記念から海外へ、という予定だった。調教中に脚部不安が出て、宝塚記念も遠征も消えた。 秋、東京競馬場は改修工事に入っていた。天皇賞もジャパンカップも中山で行われる。府中の長い直線を三度使って三度勝った馬に、その年、府中は用意されていなかった。 ぶっつけで臨んだジャパンカップは中山の二千二百メートル。最後方から進んで五着。この一戦の前に代表馬主が吉田勝己に替わり、勝負服の色も替わっている。 12月22日の有馬記念は、武豊がファインモーションに乗るため藤田伸二が手綱を取った。早めにまくる奇襲をかけたが、七着。レースのあとに腰の筋肉痛と左前脚の蹄球炎が見つかり、年が明けた1月に引退した。 中山では三度走って、三度とも二着以内に入れなかった。東京では三度走って、三度とも勝っている。
緑の勝負服
引退式には、菊花賞まで手綱を取った角田晃一が、齊藤四方司名義の勝負服を着て姿を見せた。緑に黄の縦縞、黒い袖に黄の輪が一本。最後のジャパンカップの日にはもう別の色になっていた、この馬の最初の色である。 種牡馬としては社台スタリオンステーションに立ち、南半球へも渡った。ニュージーランド、そしてオーストラリア。2013年からは日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種付けを続け、2020年で種牡馬を引退している。 産駒はよく走った。オウケンブルースリが菊花賞を、ジャガーメイルが天皇賞(春)を勝つ。トールポピーは阪神ジュベナイルフィリーズとオークスを、アヴェンチュラは秋華賞を、クィーンスプマンテはエリザベス女王杯を、トーセンジョーダンは天皇賞(秋)を勝った。 2021年3月2日の朝、日高町の牧場で死んだ。二十三歳。前の年の秋から体調を崩していた。 渡辺栄は2004年2月の定年で厩舎を閉じ、八十三歳で世を去っている。角田は2010年に鞍を降り、翌年から栗東で調教師をしている。 訃報の日、角田はまず、ダービーを一番人気で乗ること自体が滅多にない、しかも勝たせてくれた、と話した。そして、こう続けている。「師匠の渡辺栄先生とダービーを取れたのが何よりでした」[^1] 角田は中央のGIを十勝している。それでも真っ先に出てきたのは、自分の名前が残ったどのレースでもなく、師匠と二人で取れた一鞍だった。降ろされた秋のことは、ひとことも出てこない。 府中の二千四百は、この馬を二度先頭で通した。二度目の背に、あの緑の勝負服は無い。だから角田が誇るのは一度目のほうだ。歓声から逃げずに、声のするほうへ自分から歩いていった馬。それを止めなかった男。あの午後の直線には、いまもその二つが残っている。
出典:中日スポーツ「「すごく思い出深い…安らかに眠って」ジャングルポケットの死を角田師悼む【競馬】」2021年3月2日配信、https://www.chunichi.co.jp/article/211090 、閲覧日:2026年8月2日。
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