名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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グラスワンダーのイメージビジュアル
グラスワンダーGrass Wonder
Grass Wonder

グラスワンダー

通算成績15戦9勝

獲得賞金69,164万円

生年月日 1995.02.18(平成7年)毛色 栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
グラスワンダーの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
6 GI宝塚記念 阪神 芝2200 2人気 蛯名正義 2:14.7 上り36.5映像
9 GII京王杯スプリングカップ 東京 芝1400 1人気 的場均 1:21.6 上り34.5
6 GII日経賞 中山 芝2500 1人気 的場均 2:36.3 上り36.1
1 GI有馬記念 中山 芝2500 1人気 的場均 2:37.2 上り34.6映像
1 GII毎日王冠 東京 芝1800 1人気 的場均 1:45.8 上り34.7
1 GI宝塚記念 阪神 芝2200 2人気 的場均 2:12.1 上り35.1映像
2 GI安田記念 東京 芝1600 1人気 的場均 1:33.3 上り35.2映像
1 GII京王杯スプリングカップ 東京 芝1400 1人気 的場均 1:20.5 上り33.3
1 GI有馬記念 中山 芝2500 4人気 的場均 2:32.1 上り35.3映像
6 GIIアルゼンチン共和国杯 東京 芝2500 1人気 的場均 2:33.5 上り35.3
5 GII毎日王冠 東京 芝1800 2人気 的場均 1:46.4 上り36.3
1 GI朝日杯3歳S 中山 芝1600 1人気 的場均 1:33.6 上り35.4映像
1 GII京成杯3歳S 東京 芝1400 1人気 的場均 1:21.9 上り34.7
1 OPアイビーS 東京 芝1400 1人気 的場均 1:21.9 上り34.0
1 3歳新馬 中山 芝1800 1人気 的場均 1:52.4 上り35.6

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
グラスワンダーの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
Silver HawkRobertoHail to Reason
Bramalea
Gris VitesseAmerigo
Matchiche
AmerifloraDanzigNorthern Dancer
Pas de Nom
Graceful TouchHis Majesty
Pi Phi Gal
STORY

旅程 — この馬の物語

1995年生まれの栗毛の牡馬。父Silver Hawk、母Ameriflora。主な勝ち鞍は朝日杯3歳S・有馬記念・宝塚記念。

祖父の名から逃げた男

「尾形」という姓は、日本の競馬では重すぎた。祖父の尾形藤吉は調教師顕彰者に名を刻んだ大調教師で、父の盛次も厩舎を構えた人である。1947年に大阪で生まれた尾形充弘は、その三代目にあたる。 だから彼は競馬から逃げた。大学を出るとコンピューター関係の会社に入り、営業とシステムエンジニアを兼ねて働いた。周囲に説かれて競馬界へ入る決心をしたのは26歳のときである。イギリスに1年7か月留学し、1975年に祖父の厩舎へ調教助手として入門した。1981年に藤吉が世を去ると父の厩舎へ移り、翌1982年、調教師免許を取得する。開業初年度に障害の重賞を勝ち、翌年には平地の重賞も勝った。それでも、GIだけが遠かった。 1996年9月、尾形はキーンランドのセリ場にいた。上場された一頭に目が留まる。飛節の位置が高いこと、肩がよく寝ていること、全体のバランスがよく、後躯の発達が際立っていること――のちに彼はそう理由を挙げている。同行していた半沢有限会社社長の伊東純一が競りに加わり、25万ドルで落札した。競り合った相手はドバイのゴドルフィンだった。伊東は40万ドルまで出すつもりだったという。 父シルヴァーホークはイギリスとアイルランドで8戦3勝、アイリッシュダービーで2着になった馬で、その父にあたるのはロベルト。母アメリフローラは走らなかったが、伯母には米国で重賞を勝ったグレイスフルダービーとトリビュレーションがいる。冠名の「グラス」は、馬主・半沢信彌の双子の兄である半沢吉四郎が所有したグリーングラスに由来した。1979年の有馬記念を勝った、あの晩成の一頭である。「ワンダー」は、伊東がセリで受けたワンダフルな印象から採られている。 11月に日本へ渡り、北海道苫小牧のノーザンファーム空港牧場で育成された。その動きの良さは牧場でたちまち評判になる。そしてこの牧場では、のちにもう一頭、アメリフローラの子に匹敵すると噂される馬が現れた。スペシャルウィークという。二頭はまだ、一度も競馬場を走っていない。

鞭を使わない四戦

1997年9月13日、中山の芝1800メートル。ゲートを出るのが得意ではないから、余裕をもって運べる距離が選ばれた。単勝1.5倍。的場均は鞭に手をかけないまま直線で抜け出し、2着に3馬身をつけた。 一か月後のアイビーステークスも同じだった。最後の600メートル、いわゆる上がり3ハロンは34秒0。ほかの全馬に1秒以上の差をつけた数字である。それでも鞭は動かない。 三戦目の京成杯3歳ステークスには、新潟と小倉の重賞を勝った二頭が顔を揃えていた。単勝1.1倍。2番手から直線で独走になり、的場は後ろを何度も振り返る余裕さえ見せて、2着に6馬身差をつけた。 12月7日、2歳王者を決める朝日杯3歳ステークス。中山の芝は荒れ気味で、引き上げてきた騎手のひとりは重馬場のようだと漏らしたという。グラスワンダーは中団のやや後方から3コーナー過ぎで動き、この日はじめて鞭を入れられ、2着マイネルラヴに2馬身半差をつけた。時計は1分33秒6。従来のレコードを0秒4縮め、同じ日に同じ距離で行われた古馬の準オープンよりも0秒7速い。 尾形は後年、調教師になって初めてこの馬なら負けないだろうと確信したレースだった、と語っている。恐れたのは、ほかの馬のアクシデントに巻き込まれることだけだった。1982年の開業から15年、これが彼にとって初めてのGIである。 その年のJRA賞で最優秀3歳牡馬に選ばれ、年度代表馬の投票では10票を集めた。2歳の馬が年度代表馬に推されること自体が異例だった。

三月十五日の亀裂

年が明けて調教を再開すると、まもなく歩様が乱れた。検査をしても原因は分からない。そのまま調整が続けられ、3月15日、右後脚の骨折が判明する。ごく小さな亀裂だった。1週間後には北海道へ放牧に出され、春が消えた。 目標に据えていたNHKマイルカップは、的場が乗るもう一頭が勝った。エルコンドルパサー。同じアメリカ産の、同期である。 8月22日に美浦へ戻り、復帰戦は10月11日の毎日王冠と決まった。そこにはエルコンドルパサーも出走を予定していた。的場は二者択一を迫られる。当時のグラスワンダーは夏負けを引きずり、骨折した後脚を庇って走ったせいで左前脚に骨膜炎まで出ていた。尾形は、エルコンドルパサーに乗ってはどうかと促したほどである。的場が乗り替わった場合に備え、尾形が後任として声をかけていたのは蛯名正義だった。 的場はグラスワンダーを選んだ。エルコンドルパサーには蛯名が乗った。 毎日王冠は、宝塚記念を含めて5連勝中のサイレンススズカが単騎で逃げた。尾形は勝てるとは思っていない。ただ、同じ負けるなら納得のいく負け方であってほしいと考え、逃げ馬を自分から捉えにいくよう指示を出した。グラスワンダーは中団から後方を進み、3コーナー過ぎから押し上げ、直線でいったんサイレンススズカに並びかけ、そこから失速した。5着。勝ち馬から1秒5。2着はエルコンドルパサーだった。 1800メートルの競走で1000メートル手前から動くのは、競馬の常識で言えば無謀である。尾形はそう認めたうえで、それでも捕まえにいった的場の心意気を褒めてやりたい、と語っている。 次のアルゼンチン共和国杯は初めての2500メートルだった。相手は軽いと見られ、1番人気。3番手から直線で余裕をもって抜け出しにかかり、そこで止まって6着。尾形は、この馬は早熟だったのかと本気で疑ったという。 ジャパンカップの回避が決まった。そのジャパンカップをエルコンドルパサーが勝った。的場は選択を誤ったのだ、という声が世間に生まれた。

十四番目の推薦から

有馬記念のファン投票で、グラスワンダーは14位だった。馬主の半沢は、当日の人気もそれくらいだろうと見込んでいたという。 追い切りで的場が鞭を連打して馬を鼓舞すると、その様子はほかの陣営に、あの馬はもう終わった、という冷笑を誘った。ところが最終追い切りを終えるころ、馬体は見違えていた。スポーツ紙で馬体診断を担当していた元調教師の境勝太郎は、出走馬のなかでグラスワンダーにだけ10点満点をつけ、完全復活を確信すると書いた。尾形自身は、直線半ばまで見せ場を作ってくれれば、という程度の見通しだったと後に明かしている。 戦前、尾形のもとには進言が相次いでいた。あれはマイラーなのだから、長い距離を使うのは間違っている、と。尾形は取り合わなかった。能力で沈むことはあっても、距離で沈むことはない。的場にもそう言い含めていた。 単勝14.5倍の4番人気。セイウンスカイが単騎で逃げ、グラスワンダーは7、8番手を進んだ。3コーナーから先団へ取り付き、残り200メートルでセイウンスカイを捉えて先頭に立つ。追い込んできたメジロブライトを半馬身しのいだ。朝日杯以来1年ぶりの勝利が、グランプリだった。 外国産馬の有馬記念制覇は、これが初めてである。デビュー7戦目での優勝は、当時のこの競走の最短キャリア記録だった。冠名の由来となったグリーングラスが同じ中山で暮れの大一番を勝ってから、19年が経っていた。

ハナ差と、三馬身と

1999年は順調に始まらなかった。中山記念は右肩の筋肉痛で回避。産経大阪杯は、最終追い切りを終えたあとに馬房で左眼の下を切っているのが見つかり、これも取りやめになった。暴れるような性格ではない馬である。スタッフ総出で馬房を点検したが、原因は分からずじまいだった。 復帰は5月15日の京王杯スプリングカップまで延びた。有馬記念から1100メートルも短い1400メートル。的場は勝てないのではないかと弱気になっていたという。スローペースの中団に待機し、直線は大外へ持ち出して、一団になった先行勢をゴール前で差し切った。上がりは33秒3。当時としては驚くべき数字で、的場には前の馬群が止まって見えたという。4分の3馬身差の2着はエアジハードだった。 一か月後の安田記念、単勝1.3倍。後方から徐々に進出し、直線で先頭に立った。そこへ、ずっとこちらをマークしていたエアジハードがゴール目前で並びかけ、かわしていく。ハナ差。的場は記者に、自分が下手だった、と繰り返した。尾形は、1馬身もハナ差も同じで、負けは負けだと言った。 的場によれば、スタートから400メートルほどの地点で、香港から遠征してきた馬の騎手が落馬しかけた。それを避けようとした動きをグラスワンダーがスパートの合図と勘違いし、道中で力んだのだという。この日を境に、この馬には「左回りが苦手」という影がついて回るようになる。 7月11日、阪神。スペシャルウィークとの初対戦だった。ファン投票はスペシャルウィークに次ぐ2位、単勝もスペシャルウィーク1.5倍、グラスワンダー2.8倍の順で、3番人気は遠く離れている。同じ育成牧場で評判をとった二頭が、ようやく同じゲートに入った。 スペシャルウィークが4、5番手、グラスワンダーはそれを見る位置。3コーナーから4コーナーにかけて、先に動いたのはスペシャルウィークだった。いったん離される。直線に入り、残り200メートルでこれを捉えた。それまで後ろから差された経験のなかったダービー馬に3馬身をつけ、3着ステイゴールドは、さらに7馬身後ろにいた。武豊は、並ばれた時点で手応えが違ったとして完敗を認めている。宝塚記念の内容次第では凱旋門賞へ、というスペシャルウィーク陣営の計画は、この日を境に消えている。

四センチ

秋は、前年5着に終わった毎日王冠から始めた。単勝1.2倍。5番手から直線で先頭に立ったが突き抜けられず、重賞を勝ったことのない馬にゴール前で並ばれて写真判定になる。差は3センチ。勝ちは勝ちだが、尾形は消化不良だと言った。まもなく左脇腹に筋肉痛が出て、ジャパンカップは回避になる。そのジャパンカップはスペシャルウィークが勝ち、同じ日の昼休みには、フランスから戻ったエルコンドルパサーの引退式が行われた。前年の借りを返す機会は、こうして永遠に失われた。 有馬記念へ向かう調教でも動きは重く、的場は違う馬に乗っているのではないかと感じたという。 12月26日、中山。人気はグラスワンダーとスペシャルウィークで割れ、単勝はほとんど並んでいた。 ゲートが開くと、追い込み馬と見られていた一頭が先頭に立った。前半1000メートルの通過は65秒2。誰も急がない、緩みきった流れである。グラスワンダーは11番手にいた。スペシャルウィークは、そのさらに後ろ、最後方にいた。 的場の腹は決まっていた。スペシャルウィークが来るのを限界まで待つ。並んで直線を向き、そこから根競べに持ち込む。 3コーナー。グラスワンダーが動きはじめる。追ってスペシャルウィークも上がってくる。だが前に、手応えの良すぎる馬がいた。ツルマルツヨシ。待っていたら、あれに届かない。的場は予定より早く仕掛けた。 直線の半ば、二頭は横に並んでいた。前を行くテイエムオペラオーツルマルツヨシを、二頭でまとめて呑み込む。あとは、どちらが先に鼻先を出すかだけになった。 ゴール板を通過した瞬間、的場は差されたと思った。検量室の尾形も、負けたと思った。武豊は勝ったと思ってウイニングランに向かい、正面スタンドの前でガッツポーズを繰り返した。 スペシャルウィークが検量室前の枠場に戻ってきた、その瞬間だった。着順掲示板の1着の欄に「7」が灯る。グラスワンダーの馬番だった。 四センチ。 尾形は両腕を突き上げて叫び、そのままスペシャルウィークの調教師・白井寿昭と握手を交わした。的場は、よく残ってくれたなあ、と口にしながら、厩舎の調教助手・臼井武の手を握った。 マイラーだから長い距離は間違っている、と言われた馬が、2500メートルのグランプリを二度続けて勝っていた。

五百三十キロ

2000年から、天皇賞(春)の門が外国産馬にも開かれることになっていた。秋には凱旋門賞という案もあった。尾形は有馬記念で引退させてもよいと考えていたが、現役続行が決まる。 だが暮れの四センチのあと、馬の状態は落ちる一方だった。歩様の乱れは2月半ばまで治まらず、尾形が骨折を疑ったほどである。デビューから担当してきたベテラン厩務員の大西美昭が定年で去り、他厩舎から移ってきた24歳の佐々木力が新しい担当になっていた。佐々木は自分を責めて眠れなくなる。的場が後年、馬の状態も心配だったが佐々木の心身も心配だった、と振り返るほどだった。 3月26日の日経賞。馬体重は有馬記念のときの512キロから18キロ増えて530キロ。それでも単勝1.3倍に支持されたが、中団から手綱をしきりに押されながら伸びを欠き、6着に終わった。天皇賞も凱旋門賞も、計画は白紙に戻る。 5月14日の京王杯スプリングカップは20キロ絞って出てきた。短距離の一流どころが揃うなかで単勝2.4倍の1番人気。しかしスタートで出遅れ、後方のまま9着。生涯で最も悪い着順だった。的場はレース後、この馬から降ろされるかもしれない、と妻に話したという。そのとおりになった。尾形は宝塚記念での騎手変更を通告する。鞍上は蛯名正義――2年前の毎日王冠で、尾形が後任にと声をかけていた男である。 6月25日、阪神。テイエムオペラオーとの一騎打ちと言われた。中団後方から、3コーナーから4コーナーにかけて先団を丸ごと呑み込む勢いで上がっていく。あの時点では楽勝かと思った、と蛯名は振り返っている。ところが直線に入ると伸びが消えた。6着。 競走のあと、向正面で蛯名が下馬した。馬運車で運ばれ、レントゲンを撮ると左第三中手骨の骨折だった。尾形はその日のうちに引退を表明する。 佐々木は、厩務員なのだから何よりも馬の無事を願わなければならないのに、自分は宝塚記念で勝つことばかり考えていた、その罰が当たったのだと言った。尾形は後にこの若い担当者を、本当によく馬を作ってくれた、故障がなければ勝っていただろうと労っている。 12月24日、中山競馬場で引退式が行われた。グラスワンダーは前年の有馬記念で着けたゼッケン「7」を背に現れた。骨折は完治しておらず、参列した的場が跨ることはない。ファンの前を、ただ歩いた。

この目で見て買ってきた馬

有馬記念の連覇は、スピードシンボリシンボリルドルフに次ぐ史上3頭目。宝塚記念をはさんだグランプリ三連覇は、スピードシンボリ以来2頭目だった。1999年の年度代表馬はエルコンドルパサースペシャルウィークとの三つ巴になり、記者投票では決まらず、選考委員会の審議を経てエルコンドルパサーに決まる。グラスワンダーとスペシャルウィークには特別賞が贈られた。 血は残った。4年後にアメリカで生まれた全妹ワンダーアゲインは、向こうでGIを二つ勝っている。産駒ではスクリーンヒーローがジャパンカップを、セイウンワンダーが父と同じ朝日杯を、アーネストリーが父と同じ宝塚記念を制した。スクリーンヒーローの仔モーリス、その仔ピクシーナイトまで、直系は四代でGIを勝ち継いでいる。 現役の頃、厩舎には手紙が何通も届いていた。身体に障害を抱える人、余命を告げられた人が、この馬が頑張っているうちは自分も頑張る、と書いてよこしたのだという。強いのか弱いのか最後までよく分からなかった、と後年に振り返った競馬漫画家もいる。壊れては戻り、戻っては勝ち、勝ってはまた壊れた。人の引いたレールの上を、この馬は一度も素直に走らなかった。それでも、暮れの中山だけは誰にも渡さなかった。 尾形充弘は2018年2月、定年で調教師の職を離れた。その最終週に管理馬が勝ち、JRA通算800勝に届いている。祖父・藤吉から数えて三代にわたるGI級競走の制覇は、あの朝日杯で果たされたものだった。 2025年8月8日、グラスワンダーは30歳で死んだ。訃報の日、尾形は、自分がアメリカへ行ってこの目で見て買ってきた馬であり、初めてGIを獲らせてくれた馬だと語った。そして、こう続けている。 「グラスワンダーによって私は男になれたと思っています」[^1]

出典:デイリースポーツ「98&99年有馬記念などG1・4勝のグラスワンダー死す 30歳 産駒にスクリーンヒーロー 孫にモーリス 尾形充元調教師『グラスワンダーで私は男になれた。ありがとう』」2025年8月8日配信、https://www.daily.co.jp/umaya/news/2025/08/08/0019328101.shtml 、閲覧日:2026年8月3日。

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