名馬の記憶を、
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年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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フジキセキのイメージビジュアル
フジキセキFuji Kiseki
Fuji Kiseki

フジキセキ

通算成績4戦4勝

獲得賞金12,965万円

生年月日 1992.04.15(平成4年)毛色 青鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
フジキセキの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
1 GII報知杯弥生賞 中山 芝2000 1人気 角田晃一 2:03.7 上り36.4
1 GI朝日杯3歳S 中山 芝1600 1人気 角田晃一 1:34.7 上り35.7映像
1 OPもみじS 阪神 芝1600 1人気 角田晃一 1:35.5 上り35.2
1 3歳新馬 新潟 芝1200 2人気 蛯名正義 1:09.8 上り34.8

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
フジキセキの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
サンデーサイレンスSunday SilenceHaloHail to Reason
Cosmah
Wishing WellUnderstanding
Mountain Flower
ミルレーサーMillracerLe FabuleuxWild Risk
Anguar
Marston's MillIn Reality
Millicent
STORY

旅程 — この馬の物語

1992年生まれの青鹿毛の牡馬。父サンデーサイレンス、母ミルレーサー。主な勝ち鞍は朝日杯3歳S・報知杯弥生賞。

父に、いちばん似ていた

一九九二年四月十五日、北海道千歳市の社台ファーム千歳に、青鹿毛の牡が生まれた。 父サンデーサイレンスは一九八九年の全米年度代表馬である。一九九〇年の秋に日本へ運ばれ、翌年から社台スタリオンステーションで種牡馬になった。その最初の産駒が、この年に六十七頭生まれている。馬産地ライターの後藤正俊は、その六十七頭のなかで父にいちばん似ていたのがこの一頭だったと書いている。毛色まで父と同じ青鹿毛だった。 生まれてすぐ、齊藤四方司が買った。社台ファーム千歳の場長・吉田照哉が薦めて、預け先は栗東の渡辺栄厩舎に決まる。渡辺はその足で北海道へ飛び、実物を見て、垢抜けした均整の取れた馬だと言った。 名は馬主がつけた。静岡県富士市の生まれである。富士山の「フジ」に、奇跡、輝石、軌跡——読みの重なる三つの意味を「キセキ」に込めた。登録の申請書には『富士奇石』と書いたという。石の字が入っていると聞いた渡辺は、笑ってこう言った。「ちょっと重そうな名前ですね」[^1] 血のほうは、当時の流行から少し外れていた。母ミルレーサーはアメリカ産で、米英で十三戦二勝。その祖母ミリセントは、英ダービーを勝ったミルリーフと母を同じくする妹である。母系に代々ついてまわる「ミル」の音は、そこから来ている。五代前までさかのぼってもクロスはなく、すでに世界の主流だったノーザンダンサーもミスタープロスペクターも入っていない。一歳上の半姉シャイニンレーサーは、のちに阪神のマーメイドステークスを勝つ。 もっとも、順調な若駒ではなかった。デビュー前に受けるゲート試験に手こずり、合格までに五回かかっている。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア』「フジキセキ」(渡辺栄の談話として記載)、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%AD%E3%82%BB%E3%82%AD 、閲覧日:2026年8月3日。

新潟の出遅れ

一九九四年八月二十日、新潟の芝千二百メートル。八頭立ての新馬戦が最初の一戦になった。鞍上は蛯名正義、単勝は二番人気。 ゲートで大きく出遅れ、最後方から追いかけることになった。それでも直線を向くと前をひとまとめに捉え、あとは独走だった。一分九秒八。二着との差は八馬身あった。 陣営は消耗を避けて、その夏をこの一戦で切り上げる。二戦目は十月八日、阪神のもみじステークス。ここから鞍上が角田晃一に替わった。渡辺厩舎の所属騎手である。デビューのとき、渡辺は角田に、うちの馬は全部お前に任せると告げていた。その角田へ、この馬の手綱が渡った。 レースは馬なりのまま終わった。一分三十五秒五。レコードだった。一馬身四分の一差の二着にいたのは、翌年の東京優駿を勝つタヤスツヨシである。

クビ差、鞭は使わず

十二月十一日、中山。朝日杯三歳ステークス。十頭立て、単勝一・五倍の一番人気。 流れは速かった。最初の三ハロン——六百メートルの通過が、十二秒九、十一秒〇、十一秒〇。フジキセキは引っかかる素振りを見せながら五番手を進み、三コーナーで三番手まで押し上げる。四コーナーもその位置のまま回り、直線で先頭に立った。 迫ったのは一頭だけだった。最後方から追い込んできたスキーキャプテン、鞍上は武豊。ゴール前で馬体が並ぶ。並ばれて、フジキセキはもう一度伸びた。クビ差。角田は最後まで鞭を使っていない。 レース後の角田の言葉は、加速のことばかりだった。「とにかくエンジンが違うという感じ」[^1]。まだ三戦目である。 父サンデーサイレンスの産駒が中央のGIを勝ったのは、これが最初だった。年が明けると、フジキセキはJRA賞最優秀三歳牡馬に選ばれる(馬齢は当時の表記)。 朝日杯のあとも、この馬は冬を休まなかった。栗東の八百メートルの坂路は、五十三秒台で上がれば速いとされていた時代である。フジキセキは五十一秒台で駆け上がっていたという。食欲は旺盛で、馬体はひと冬で十六キロ増えた。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア』「フジキセキ」(角田晃一の朝日杯3歳ステークス後の談話として記載)、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%AD%E3%82%BB%E3%82%AD 、閲覧日:2026年8月3日。

重い馬場の、最後の百メートル

一九九五年三月五日、中山。報知杯弥生賞。皐月賞へ向かう最初の一戦だった。 馬場は重かった。ぬかるんで滑る芝は、瞬発力で走る馬に向かない。 ゲートが開くと、角田は逃げ馬のすぐ後ろにつけた。二番手。前半の千メートルは六十二秒五で、急ぐ者はいない。重い芝の上を、十頭がほとんど同じ速さのまま流れていった。 三コーナー。角田は待たなかった。前の一頭に並びかけ、そのまま先頭に出る。早々と、という言い方がふさわしい仕掛けだった。 それでも差は開かなかった。四コーナーを回っても、後ろは離れていかない。 直線に入って、道中ずっと後方にいた一頭が伸びてきた。ホッカイルソー。鞍上は蛯名正義——半年あまり前の新潟で、この馬の最初の背中に乗った男である。 並ばれた。 そこからだった。残り百メートル。並ばれたばかりの相手を、フジキセキは押し戻すのではなく、置いていった。ゴールしたときには二馬身半あいていた。 重い馬場、遅い流れ、脚を溜める余地のほとんどない展開。そのすべてを、最後の一ハロンだけで畳んでしまった。これが、フジキセキが競馬場で見せた最後の走りになる。

三月二十四日

弥生賞から十九日後の三月二十四日、左前脚に屈腱炎が見つかった。脚の腱を痛める故障で、復帰までに一年以上かかるという診断だった。 馬主と生産者と調教師が話し合い、結論はその場で出た。引退、そして種牡馬入り。皐月賞までは、もう一か月を切っていた。 一九九五年のクラシックは、皐月賞をジェニュインが、東京優駿をタヤスツヨシが、菊花賞をマヤノトップガンが勝った。タヤスツヨシは、もみじステークスで一馬身四分の一だけ後ろにいた馬である。フジキセキはそのどれにも出ていない。それでもこの馬は長く「幻の三冠馬」と呼ばれた。走らなかったレースの話で語られる、めずらしい種類の名馬になったのである。 社台スタリオンステーションに入ると、初年度から百十八頭の繁殖牝馬が集まった。父の代わりを探す人が多かった。だが最初の何世代かはGIに届かない。社台スタリオンステーションの徳武英介は後年、サンデーサイレンスを思い描いて配合し育成してしまったことが誤りだったと振り返っている。フジキセキは筋肉質で、掻き込むように走るぶん脚元へ負担がかかる馬だった、と。 流れが変わるのは二〇〇五年である。カネヒキリがジャパンダートダービーを勝ち、産駒のGI級初制覇が生まれた。以後、キンシャサノキセキコイウタストレイトガールサダムパテック——GI級を勝った産駒は十一頭を数える。クラシックだけが遠く、十六世代目のイスラボニータが二〇一四年の皐月賞を勝って、ようやく届いた。 二〇一三年に種牡馬を引退し、二〇一五年十二月二十八日、二十三歳で世を去った。

六年後の、同じ緑

角田晃一は後年、フジキセキについてこう語っている。菊花賞は分からないが、皐月賞と東京優駿までは、たぶん大丈夫だっただろう、と。 そのうえで、こうも言った。「順調に使えていれば……って言いますけど、順調に使って勝った馬には敵わないです」[^1] 長いあいだ、多くの人がこの馬に「もし」を預けてきた。いちばん近くにいた人間が、その「もし」をいちばんはっきり手放している。走らなかったレースは、勝ったことにはならない。フジキセキが残したのは、新潟と阪神と中山で挙げた四つの勝利だけである。 それでも、届かなかった場所へは、六年後に人のほうが辿り着いた。二〇〇一年五月二十七日の東京優駿。その日の府中も、重馬場だった。緑に黄の縦縞、齊藤四方司の勝負服。渡辺栄厩舎。鞍上は角田晃一。ジャングルポケットが直線で抜け出して、フジキセキが向かうはずだった一冠を、同じ三人が持ち帰った。渡辺はダービートレーナーになり、二〇〇四年に定年で厩舎を閉じた。角田はやがて手綱を置き、二〇一一年に自分の厩舎を開いている。 名に石の字が入っていると聞いて、渡辺は重そうだと笑った。けれどフジキセキがその名を背負って走った四度、名前が重かったことは一度もない。重かったのは、そのあとに来なかった春のほうだった。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア』「フジキセキ」(角田晃一の後年の述懐として記載)、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%AD%E3%82%BB%E3%82%AD 、閲覧日:2026年8月3日。

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