名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

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フリートストリートダンサーのイメージビジュアル
フリートストリートダンサーFleetstreet Dancer
Fleetstreet Dancer

フリートストリートダンサー

通算成績2戦1勝

獲得賞金13,340万円

生年月日 1998.05.12(平成10年)毛色 黒鹿毛セン

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
フリートストリートダンサーの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
7 GIドバイワールドカップ アラブ首長国連邦 ダ2000 コート 2:04.7 映像
1 GIジャパンカップダート 東京 ダ2100 11人気 コート 2:09.2 上り38.5映像

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
フリートストリートダンサーの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
Smart StrikeMr. ProspectorRaise a Native
Gold Digger
Classy 'n SmartSmarten
No Class
Street BalletNijinskyNorthern Dancer
Flaming Page
Street DancerNative Dancer
Beaver Street
STORY

旅程 — この馬の物語

1998年生まれの黒鹿毛のせん馬。父Smart Strike、母Street Ballet。主な勝ち鞍はジャパンカップダート。

四万ドルの値札

1998年5月12日、アメリカ・ケンタッキー州。ホワイトフォックスファームで、黒鹿毛の仔が生まれた。のちに去勢され、せん馬として走ることになる。 父はスマートストライク。母はストリートバレエ。1977年生まれで、アメリカでステークス競走を勝っている。この仔を産んだとき、二十一歳になっていた。 名前は、母系から来ている。母の母ストリートダンサーは、アメリカの名馬ネイティヴダンサーの娘である。母の父ニジンスキーは、バレエダンサーのヴァーツラフ・ニジンスキーから名を取った馬だった。通りと踊りが、二代にわたって並んでいる。そこへフリートストリートが足された。ロンドンの、長く新聞社の集まっていた通りの名である。 この一族には走る馬がいた。祖母ストリートダンサーの全姉ネイティヴストリートは、1966年のケンタッキーオークスを勝っている。 三歳の年、ダート7ハロンの新馬戦を勝った。芝7ハロンの一般競走も勝っている。四歳ではダートの一般競走を二つ続けて勝ち、暮れのネイティヴダイヴァーハンデキャップで二着に入った。 その四歳の秋、2002年10月に、この馬は値札の付いたレースに出ている。クレーミングレースという。出走する馬にあらかじめ値段が付き、申し込んだ者がその額で買って帰れる競走である。付いていた札は四万ドルだった。 申し込んだのはダグ・オニールという調教師で、リーとタイのレザーマン父子のために手を挙げた。オニールは1968年生まれ、1989年に免許を取り、南カリフォルニアに厩舎を構えていた。前の管理者はレイ・ベルである。 この馬はここで厩舎を替わった。四万ドルで。

二着の年

2003年、五歳。この馬はカリフォルニアの重賞を渡り歩いた。 サンカルロスステークスで二着。サンバーナーディーノハンデキャップで三着。マーヴィンルロイハンデキャップで二着。夏のパシフィッククラシックはGIで、三着に入った。 10月4日、サンタアニタのグッドウッドブリーダーズカップハンデキャップ。半馬身差の二着だった。先に決勝線を過ぎたのはプレザントリーパーフェクトで、その馬は次の一戦、ブリーダーズカップクラシックを勝つ。負けたレースの値打ちが、あとから上がった。 三週間後、シービスケットハンデキャップに使って六着。のちにオニールは、あれは自分の判断が誤りだったと認めている。この馬にはレースとレースのあいだにもっと時間が要る、と。 二着と三着ばかりが並び、重賞のタイトルはひとつも手元に無いまま、秋が終わろうとしていた。 そこへ、東京から招待が届いた。

十一番人気

2003年11月29日、東京競馬場。第四回ジャパンカップダート、ダートの2100メートル。発走は午後三時二十五分。 朝から雨だった。馬場は不良。水を含んだ砂は締まって速くなる。この日の東京は、時計の出る馬場だった。 十六頭のうち、外国の厩舎から来たのは二頭しかいない。この馬と、同じアメリカのオウタヒアである。 一番人気はアドマイヤドン。その秋、エルムステークス、南部杯、JBCクラシックと砂の大レースを続けて勝ってきた馬だった。二番人気は武蔵野ステークスを四馬身差で勝ったサイレントディール、三番人気はユートピア。 フリートストリートダンサーは十一番人気だった。単勝は四千九百三十円。重賞を勝ったことがなく、前走は六着で、そもそも外国の厩舎の馬はこの競走で一度も二着以内に入っていなかった。 馬体重は526キロ。アドマイヤドンは452キロである。負担重量は定量で、どちらも57キロだった。七十四キロ重い馬が、同じ斤量を背負っていたことになる。 鞍上のJ・コートは四十三歳。誕生日の三日後だった。1980年にコロラドで乗りはじめ、ルイジアナで十二年を過ごし、1995年にケンタッキーとインディアナへ移った騎手である。JRAの成績表は、この日の騎手の欄にも調教師の欄にも「初勝利」と書き添えている。

十秒九から十三秒二へ

ゲートが開く。 最初の二百メートルを、先頭は十秒九で通った。雨を吸った砂は沈まない。速い。 ハナを切ったのはカネツフルーヴだった。フリートストリートダンサーは三番手。すぐ横にネームヴァリューが並ぶ。アドマイヤドンはその後ろ、五番手。 向正面。十一秒八、十二秒一、十一秒七、十一秒九。流れは緩まない。 三コーナー。コートが前へ動いた。カネツフルーヴを一頭だけ残して、二番手に上がる。アドマイヤドンは、まだ六番手のあたりにいた。 ここから、レースが遅くなっていく。十二秒五。十二秒七。十二秒五。速い流れを追いかけた脚が、順に鈍っていく。 四コーナーを回り、直線の入口でカネツフルーヴを交わした。先頭に立つ。 外からアドマイヤドンが来た。 残り二百メートル、十二秒九。 残り百メートル。外の一頭が前に出た。 最後の二百メートルは、十三秒二かかっている。この日のこのレースで、いちばん遅い二百メートルだった。 内で、もう一度伸びた。 並ぶ。二頭は同じ瞬間に決勝線を通過し、時計はどちらも2分9秒2で止まった。 写真判定。 出た着差は、四センチだった。JRAが公表した数字である。同じ成績表は、この2分9秒2に「レコード」の文字を添えている。

取り上げられなかったもの

三着のハギノハイグレイドは、二着から五馬身離れていた。競り合いは、前の二頭だけのものだった。 この日がコートにとって初めてのGI勝ちである。 二年前、彼はモンマスパークのユナイテッドネイションズハンデキャップで、ウィズアンティシペイションに乗って先頭でゴール板を過ぎていた。GIだった。ただし直線で自分の馬が外へ張り出し、二着に入っていたセニュールの進路をふさいでいる。審議のすえ勝ちは取り消され、二着へ下げられた。優勝はセニュールに移った。 東京での一言は、それを踏まえたものだった。 「取り上げられずに済んだのは、これが初めてだ」[^1] オニールにとっては二つ目のGIになる。一つ目は前の年、スカイジャックで勝ったハリウッドゴールドカップだった。九年後、彼はアイルハヴアナザーでケンタッキーダービーとプリークネスステークスを勝ち、さらに四年後にナイキストでもう一度ダービーを獲る。三十五歳の秋に東京で挙げたこの一勝は、その手前にある。

出典:BloodHorse「O'Neill-Trained Fleetstreet Dancer Posts 48-1 Shocker in Japan Cup Dirt」2003年11月29日配信、https://www.bloodhorse.com/horse-racing/articles/178635/oneill-trained-fleetstreet-dancer-posts-48-1-shocker-in-japan-cup-dirt、閲覧日:2026年8月2日。

写真判定のあと

年が明けて2004年。サンアントニオハンデキャップで三着に入り、次の目的地は砂漠になった。 3月27日、ナドアルシバのドバイワールドカップ。ダート2000メートル。コートが乗って、七着だった。勝ったのはプレザントリーパーフェクトである。半年前のサンタアニタで、半馬身だけ前にいた馬だった。同じ相手に、今度は砂漠のゲートで、届かないまま終わっている。 この一戦を最後に、フリートストリートダンサーは競走をやめた。重賞のタイトルは、雨の東京で獲った一つだけである。 ジャパンカップダートの名で行われた十四回のうち、外国の厩舎の馬が勝ったのは、あの日だけだった。 コートはそのあとも乗り続けた。2005年4月7日、サンタアニタで通算三千勝に届く。初勝利からちょうど二十五年の日だった。2007年には、騎手としての品位を讃えるジョージ・ウルフ記念騎手賞を受けている。ケンタッキーダービーに初めて騎乗したのは2011年、五十歳のとき。義父ジンクス・ファイアーズが管理する馬だった。四千勝は2016年12月。鞍を降りたのは2024年5月5日、オークローンパークである。 クレーミングレースでは、走る馬に値札が付く。四万ドルという札を一度は貼られた黒鹿毛が、雨の東京で一番人気の背中に並びかけ、四センチだけ前に出た。 今度は、写真判定が出たあと、何も起こらなかった。

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