名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

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ファンタスティックライトのイメージビジュアル
ファンタスティックライトFantastic Light
Fantastic Light

ファンタスティックライト

通算成績7戦2勝

獲得賞金(海外含む・概算)約69,258万円

生年月日 1996.02.13(平成8年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ファンタスティックライトの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
1 GI愛チャンピオンS レパーズタウン 芝2000 2人気 デットー 2:01.8 映像
2 GIKGVI&QEDS アスコット 芝2390 2人気 デットー
2 GIIドバイシーマクラシック アラブ首長国連邦 芝2400 映像
3 GIジャパンカップ 東京 芝2400 2人気 L.デットーリ 2:26.1 上り35.0映像
2 GIキングジョージ6世 イギリス 芝2400 映像
1 GIIIドバイシーマクラシック アラブ首長国連邦 芝2400 2:27.7 映像
11 GI凱旋門賞 フランス 芝2400

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ファンタスティックライトの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
RahyBlushing GroomRed God
Runaway Bride
Glorious SongHalo
Ballade
JoodNijinskyNorthern Dancer
Flaming Page
KamarKey to the Mint
Square Angel
STORY

旅程 — この馬の物語

1996年生まれの鹿毛の牡馬。父Rahy、母Jood。主な勝ち鞍は愛チャンピオンS・ドバイシーマクラシッ。

ゲインズバラの鹿毛

1996年2月13日、ケンタッキー。シェイク・マクトゥームのゲインズバラスタッドで、鹿毛の牡馬が生まれた。顔には不規則な形の流星があり、四本のうち三本の脚に白が入っていた。 父はラーイ。母はジュード、その父はニジンスキーである。ジュードは競走馬としては一度も勝てなかった。それでもこの牝馬の一族は、競馬の地図の上に太い線を引いている。 母の母カマーはカナディアンオークスの勝ち馬で、繁殖に上がってからケンタッキーオークス馬シーサイドアトラクションや、アッシュランドステークスを勝ったゴージャスを産んだ。そのカマーには、同じスクエアエンジェルから生まれた妹がいる。ラヴスミトゥン。彼女の仔がスウェインだった。1997年と1998年、アスコットのキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを二年続けて勝った馬である。勝負服はゴドルフィンの青だった。 父方にも名前がある。ラーイの母グローリアスソングは、もう一頭、ニューマーケットのマイケル・スタウト厩舎に入る牡馬を産んでいた。シングスピールである。1996年11月24日、東京競馬場でジャパンカップをハナ差で勝ち、翌春にはドバイワールドカップも制した。府中で乗っていたのはランフランコ・デットーリだった。 デビューは1998年8月2日、サンダウンの7ハロン戦。J・リードが乗り、1馬身3/4差で勝った。三週間後、同じ競馬場でもう一つ勝つ。三戦目のグッドウッドのリステッド戦は三頭立ての三着で、この日の鞍上はレイ・コクレーンだった。

クラシックの外側

1999年4月24日、サンダウンのクラシックトライアル。D・ホランドが残り1ハロンで先頭に立たせ、最後は追うのをやめて短頭差で勝った。ダービー候補という声が立つ。 二週間後、初めて12ハロンを走ったリングフィールドのダービートライアルで、五頭立ての四着に敗れた。エプソムへの道は、そこで閉じる。 10ハロンに戻した。6月、ロイヤルアスコットのプリンスオブウェールズステークス。当時はまだG2である。G・スティーヴンスを乗せて追い込んだが、リアスピアにアタマ差だけ届かない。三週間後のエクリプスステークスも、コンプトンアドミラルの三着だった。 8月、ヨーク。グレートヴォルティジュールステークスで残り3ハロンから先頭に立ち、そのまま押し切った。二着はのちにアメリカの芝で長く走るビエナマド、その後ろに、この年のセントレジャーを勝つムタファウェクがいた。9月にはニューベリーのアークトライアルで、前年のエプソムダービー馬ハイライズを3/4馬身抑えた。 10月3日、ロンシャン。初めてのG1挑戦が凱旋門賞だった。勝ったモンジューから遠く離された十一着。三歳の秋は、そこで終わっている。

砂の上で、青に着替える

2000年3月25日、ナドアルシバ。ドバイシーマクラシック。K・ファロンが乗り、直線で早々に抜け出して、ドイツのカイタノに三馬身差をつけた。この競馬場の12ハロンのレコードを一秒以上ちぢめる走りである。三着には、前年のアークトライアルで抑えたハイライズがいた。 そして、これがマイケル・スタウトの管理馬としての最後の一戦になる。 レースの直後、移籍が発表された。管理はドバイのサイード・ビン・スルールへ。勝負服は4月から、袖に水色の輪を一本入れた青に替わった。ニューマーケットの厩舎で育った馬が、砂漠を拠点にする組織の馬になった。 6月、エプソムのコロネーションカップはダリアプールの二着。7月のエクリプスステークスは、この年の欧州を席巻したジャイアンツコーズウェイに歯が立たず五着に終わる。 7月29日、アスコット。キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス。J・リードが乗り、モンジューの二着だった。一年前の凱旋門賞で大きく置いていかれた相手に、1馬身3/4まで近づいたことになる。 このレースを二年続けて勝った馬が、この馬の一族にいる。同じ青い勝負服で。

六月一日

話を二か月ほど戻す。 2000年6月1日、ニューマーケット。離陸してまもない小型機が墜落し、炎に包まれた。操縦していたパイロットは亡くなった。同乗していた騎手のレイ・コクレーンが、大怪我を負ったランフランコ・デットーリを助け出している。コクレーンはこの行為で2002年に勇敢な行為への表彰を受け、のちにデットーリのエージェントを長く務めた。 一年半あまり前のグッドウッド、この馬の三戦目の手綱を握っていたのが、そのコクレーンである。 デットーリは8月5日に騎乗へ戻り、復帰初戦を勝った。 秋、ゴドルフィンはこの馬をアメリカへ送る。9月9日、ベルモントパークのマンノウォーステークス。J・ベイリーが乗り、外を回りながらエラアシーナを1馬身抑えた。四歳の秋にして、初めてのG1である。 一か月後、同じベルモントのターフクラシック招待ステークス。ここで初めてデットーリがこの馬に乗った。結果は四着で、マンノウォーステークスで負かしたはずのジョンズコールに先着されている。11月4日、チャーチルダウンズのブリーダーズカップターフは五着。追い出そうとした進路を二度塞がれての敗戦で、勝ったのはカラニシだった。 以後、引退まで、この馬に乗ったのはデットーリだけである。

府中の、いちばん外

2000年11月26日、東京競馬場。晴れ、良馬場。ジャパンカップで、この馬は二番人気に推された。一番人気は、その年ここまで無敗のテイエムオペラオーである。 ハロンタイムは13.1、12.0、12.9、12.5、12.5、12.4と刻まれていく。中盤がはっきり緩い。デットーリはこの馬を後方に置いていた。三コーナーでも四コーナーでも、前から十番目あたり。前ではメイショウドトウが三番手、テイエムオペラオーが七番手を進んでいる。 残り1000メートルから、11.6、11.4。緩んでいた流れが、三コーナーから四コーナーにかけて締まった。デットーリはそこから外へ持ち出す。レース全体の上がり3ハロンが35秒6、この馬のそれは35秒0だった。 直線は三頭になった。内にメイショウドトウ、その外にテイエムオペラオー、いちばん外にこの馬。勝ったのはテイエムオペラオーで、二着メイショウドトウにクビ、三着のこの馬にハナ。三頭のタイムは、いずれも2分26秒1である。二か月半前にベルモントで抑えたエラアシーナは、この日、四着にいた。 四年前の11月24日、同じ府中の芝2400メートルで、デットーリはハナ差でジャパンカップを勝っている。乗っていたのはシングスピール、この馬の父ラーイの半弟だった。同じハナ差の、今度は反対側にいたことになる。 12月17日、沙田。香港カップ。一番人気に応えて直線で先頭に立ち、グリークダンスを1馬身3/4退けた。この一勝でジャイアンツコーズウェイを抜き、エミレーツ・ワールドシリーズの総合首位に立つ。世界各地の大レースでの走りを点数にして競う、当時の「世界チャンピオン」である。

五歳の春と、七月のアスコット

2001年3月24日、ナドアルシバ。二度目のドバイシーマクラシック。残り1ハロンで先頭に立ったが、ゴール線でとらえられた。ハナ差の二着。差したのは日本から来た七歳馬ステイゴールドで、前年の府中では、この馬の後ろでレースを終えていた一頭である。 5月27日、カラ。タタソールズゴールドカップ。残り1ハロンから抜け出してゴールデンスネイクをクビ差抑えた。三着には、半年前のブリーダーズカップターフでこの馬の前を行ったカラニシがいる。 6月20日、ロイヤルアスコット。プリンスオブウェールズステークスは、二年前のG2からG1に格上げされていた。あのときはアタマ差だけ足りなかった。今度は人気を集めたカラニシを直線で振り切り、2馬身半突き放している。 7月28日、アスコット。キングジョージ。相手はエプソムダービーとアイリッシュダービーを勝ち、まだ一度も負けていない三歳馬ガリレオだった。単勝はガリレオが1倍台、この馬が二番人気。三番人気はぐっと離れていて、事実上の一騎打ちと見られていた。 M・キネーンが残り2ハロンでガリレオを先頭に立てる。デットーリは外から並びかけた。数完歩、二頭は横に並ぶ。そこから前へ出たのはガリレオで、着差は2馬身になった。 一族が二年続けて勝ったレースに、この馬は二度出て、二度とも二着だった。

レパーズタウン、九月八日

ダブリンの南郊にある競馬場である。距離は十ハロン。キングジョージより2ハロン短く、この馬が六月にアスコットで勝ったのと同じ距離だった。 バリードイルは逃げ役を一頭立てた。アイスダンサー。ガリレオのスタミナが生きるように、レースを長い我慢比べに変える役目である。 ところが、後続はついていかなかった。アイスダンサーは十馬身ほど独走し、直線を向いたあたりで糸が切れたように止まった。 ゴドルフィンは前もって決めていた。アスコットのようには待たない。デットーリは自分からその逃げ馬を捕まえに行き、残り2ハロンで先頭に立つ。 キネーンは待たなかった。ガリレオがすぐ外に並ぶ。 そこから先、二頭は並んだまま走った。うしろの馬たちは、この勝負に加われないまま離れていく。 一度、ガリレオがわずかに前へ出た。三歳と五歳である。脚の新しさは向こうにあった。 追われた五歳馬は、いったん譲った首をもう一度前へ戻した。戻して、そのままゴール板を過ぎた。 アタマ差。三着以下は、六馬身うしろにいた。ガリレオが負けたのは、この日が初めてである。 オブライエンは勝者を讃えたうえで、戦術は自分の失敗だったと認めている。のちにレーシングポストの読者が選ぶ「名勝負百選」で、この一戦は七位に置かれている。

二度目の府中

2001年10月27日、ベルモントパーク。ブリーダーズカップ。ゴドルフィンは直前に二頭の使い分けを入れ替えた。凱旋門賞を勝ったサキーをダートのクラシックへ、この馬を芝のターフへ。ガリレオもまた、初めてのダートでクラシックに向かっている。 ターフでは、ウィズアンティシペイションが内から先手を取り、ティンボロアとクワイエットリゾルヴが並んだ。前半4ハロンは48秒02。デットーリは先行勢のすぐ後ろ、内ラチ沿いを通り続けた。直線で前をつかまえ、外から伸びてきたミランを3/4馬身抑える。ミランの鞍上はキネーンだった。時計は、1992年から残っていたコースレコードを更新した。 「上等な葡萄酒と同じで、齢を重ねるほどよくなる」[^1]。デットーリはそう言った。 レース後、ゴドルフィンのレーシングマネジャーであるサイモン・クリスフォードは、この馬はどこへでも行けてどの大レースでも戦えると話し、引退の前にジャパンカップへ連れて行く件をシェイク・マクトゥームと相談すると語っている。 だが、二度目の府中は来なかった。遠征は実現せず、まもなく引退が発表される。2001年の欧州はカルティエ賞の年度代表馬と最優秀古馬にこの馬を選び、アメリカもエクリプス賞の最優秀芝牡馬に選んだ。ワールドシリーズの総合優勝は、二年続けてだった。 日本のファンがこの馬を実際に見たのは、2000年11月26日の二分二十六秒だけである。三頭が同じ時計でゴール板を過ぎ、そのいちばん外にいた。翌年、この馬はレパーズタウンで無敗の三歳馬を差し返し、ベルモントでレコードを出し、欧州の年度代表馬になった。 それでも、もういちど日本へ来ている。2002年からニューマーケットのダルハムホールスタッドで種牡馬になり、初年度産駒のジャリスコライトが2006年の京成杯を勝つと、翌2007年に日本へ輸入された。2011年の種付けシーズンを最後に、また英国へ戻っていった。 呼ばれた場所には、たいてい行った馬だった。行きそびれたのは、二度目の府中だけである。

出典:BloodHorse「Fantastic Finish to Turf; Winner May Race in Japan Cup」2001年10月27日配信、https://www.bloodhorse.com/horse-racing/articles/6610/fantastic-finish-to-turf-winner-may-race-in-japan-cup 、閲覧日:2026年8月2日。

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