名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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エイシンデピュティのイメージビジュアル
エイシンデピュティEishin Deputy
Eishin Deputy

エイシンデピュティ

通算成績30戦10勝

獲得賞金44,104万円

生年月日 2002.04.09(平成14年)毛色 栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
エイシンデピュティの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
6 GIジャパンカップ 東京 芝2400 9人気 戸崎圭太 2:23.1 上り35.7映像
9 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 14人気 戸崎圭太 1:58.3 上り34.8映像
14 GII産経賞オールカマー 中山 芝2200 5人気 田中勝春 2:12.7 上り35.2
1 GI宝塚記念 阪神 芝2200 5人気 内田博幸 2:15.3 上り37.3映像
1 GII金鯱賞 中京 芝2000 2人気 岩田康誠 1:59.1 上り35.1
2 GII産経大阪杯 阪神 芝2000 7人気 岩田康誠 1:58.8 上り34.7映像
7 GIII東京新聞杯 東京 芝1600 2人気 岩田康誠 1:33.1 上り34.4
1 GIII京都金杯 京都 芝1600 3人気 岩田康誠 1:33.6 上り34.4
2 GIII鳴尾記念 阪神 芝1800 3人気 岩田康誠 1:47.5 上り34.2
14(降) GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 14人気 柴山雄一 1:59.2 上り35.6映像
8 GII毎日王冠 東京 芝1800 4人気 田中勝春 1:44.9 上り34.7
1 GIIIエプソムカップ 東京 芝1800 5人気 田中勝春 1:48.3 上り35.3
1 OPオーストラリアT 京都 芝1800 5人気 岩田康誠 1:46.2 上り33.1
1 心斎橋S 阪神 芝1400 1人気 岩田康誠 1:21.6 上り35.3
7 なにわS 阪神 ダ1400 2人気 安藤勝己 1:24.9 上り38.0
3 早春S 東京 芝1800 5人気 福永祐一 1:46.4 上り34.3
2 サンタクロースS 阪神 芝1400 1人気 小牧太 1:20.3 上り34.1
5 ゴールデンホイップトロフィー 阪神 芝1600 2人気 D.ビードマン 1:34.3 上り34.3
1 宝ケ池特別 京都 芝1600 4人気 安藤勝己 1:33.2 上り33.8
6 フリーウェイS 東京 芝1400 3人気 安藤勝己 1:22.3 上り34.2
3 洛陽S 京都 芝1400 7人気 小牧太 1:20.5 上り34.1
1 播磨特別 阪神 芝1400 1人気 安藤勝己 1:25.0 上り38.2
3 須磨特別 阪神 芝1400 6人気 安藤勝己 1:22.8 上り35.8
4 宇治川特別 京都 芝1400 7人気 安藤勝己 1:23.4 上り35.2
1 4歳以上500万下 京都 ダ1400 4人気 安藤勝己 1:24.0 上り36.3
10 有田特別 小倉 芝1200 2人気 安藤勝己 1:09.0 上り35.2
5 3歳以上500万下 阪神 ダ1400 2人気 田中学 1:25.7 上り38.3
1 3歳未勝利 中京 ダ1000 1人気 安藤勝己 0:59.7 上り36.1
3 3歳未勝利 新潟 ダ1200 1人気 野元昭嘉 1:13.1 上り38.1
4 3歳未勝利 京都 ダ1200 2人気 野元昭嘉 1:14.0 上り37.7

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
エイシンデピュティの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
フレンチデピュティFrench DeputyDeputy MinisterVice Regent
Mint Copy
MitterandHold Your Peace
Laredo Lass
エイシンマッカレンWoodmanMr. Prospector
プレイメイトPlaymate
LadanumGreen Dancer
Gay Style
STORY

旅程 — この馬の物語

2002年生まれの栗毛の牡馬。父フレンチデピュティ、母エイシンマッカレン。主な勝ち鞍は宝塚記念・エプソムC・スポニチ賞京都金杯。

三歳四月、京都のダート

2005年4月24日、京都競馬場のダート1200メートル、3歳未勝利戦。栗毛の牡馬が2番人気に推され、4着に敗れた。鞍上は野元昭嘉。この馬を管理する調教師・野元昭の長男である。 2歳のうちに一度も競馬場へ出られなかった馬の、遅い出発だった。 生まれたのは2002年4月9日、北海道浦河町の栄進牧場。馬主は平井豊光で、冠名は「エイシン」。名の後半は父フレンチデピュティから分けてもらったものである。デピュティ――代理を務める者、次席の者を指す言葉だった。 母エイシンマッカレンも、同じ野元厩舎の馬だった。アメリカで生まれて日本へ渡り、28戦して2勝。その大半で手綱を取っていたのは、やはり野元昭嘉である。勝ったのは二度とも福島で、二つ目は不良の芝2000メートルだった。母もまた、走るのに時間のかかる馬だった。 その母が栄進牧場で産んだ仔の一頭が、この馬である。血の格は、近くではなく遠いところに置かれていた。母系をさかのぼると、四代母Styleでオールカマーを勝ったホオキパウェーブの一族と交わり、同じ牝系からはダイヤモンドステークスのトウカイトリックが出ている。 3戦目、5月28日の中京・ダート1000メートルで初勝利を挙げた。鞍上は安藤勝己に替わっている。笠松から中央へ移ってきた男である。この馬の30戦は、そこから長いあいだ、地方競馬で腕を作った騎手たちの手を渡っていくことになる。

千四百の二年

その年はあと2戦して勝てなかった。阪神のダート1400メートルで5着、小倉の芝1200メートルで10着。夏で年内の競馬を終えている。 2006年は1月、重い京都のダート1400メートルを勝って始まった。以後、宇治川特別4着、須磨特別3着、播磨特別1着、洛陽ステークス3着、東京のフリーウェイステークス6着。走った距離はすべて1400メートルだった。夏を休み、11月の京都・宝ケ池特別で初めて1600メートルを使われて勝つ。年末はゴールデンホイップトロフィー5着、1番人気に推されたサンタクロースステークスは2着だった。 この年、手綱の多くを分け合ったのは安藤勝己と小牧太だった。笠松と園田で長く乗り、中央へ移ってきた騎手たちである。 4歳の暮れになっても、この馬はまだ条件戦にいた。

五歳の春に、三つ

2007年は東京の早春ステークス3着、ダートに戻したなにわステークス7着から始まった。3月25日、阪神の心斎橋ステークスで鞍上が岩田康誠に替わる。園田から中央へ移って二年目の騎手だった。1番人気に応えて1着。 4月21日、京都のオーストラリアトロフィー。芝1800メートルを上がり33秒1で駆け、2着に退けたのはディープインパクトの全兄ブラックタイドだった。 6月10日、東京のエプソムカップ。稍重の芝1800メートル、鞍上は田中勝春。中団の6番手から4番手へ上げ、直線で抜け出してクビ差を守り切る。2着ブライトトゥモロー、3着サイレントプライド。1着から3着まで、三頭ともフレンチデピュティの産駒だった。 19戦目、5歳の6月にして、初めての重賞である。

東京の直線でしたこと

秋は10月7日の毎日王冠から。田中勝春で8着。3週間後、初めてのGIとなる天皇賞(秋)に向かった。鞍上は柴山雄一、14番人気だった。 稍重の東京2000メートル。3番手、3番手、2番手と前で運び、直線で外へ斜行して他馬の進路を妨げた。被害馬とされた一頭、13着に終わったシャドウゲイトの鞍上は田中勝春――4か月前、この馬でエプソムカップを勝った男である。 8位で入線したが、裁決は14着への降着を裁定した。柴山雄一に4日間の騎乗停止。走った内容ではなく、走らせた場所が問われた一戦だった。 この厩舎には、同じ裁定を受けた先例がある。1991年1月の紅梅賞で1位入線から13位へ落とされたリンデンリリーは、その年に導入されたばかりの降着制度の適用第1号だった。同じ馬がその秋にエリザベス女王杯を勝ち、野元昭に初めてのGIをもたらしている。以来、GIは来ていない。 12月8日の鳴尾記念で岩田康誠が戻り、ハイアーゲームの2着に入った。

大阪杯の四分の三馬身

2008年1月5日、京都金杯。3番人気で抜け出し、1番人気アドマイヤオーラをクビ差だけ抑えた。重賞2勝目である。2月の東京新聞杯は2番人気で7着に沈んだ。 4月6日、産経大阪杯。7番人気。逃げるダイワスカーレットを2番手から追い、直線でも食い下がったが、3/4馬身届かず2着。59キロを背負ったメイショウサムソン、菊花賞馬アサクサキングスには先着している。 この一戦が、調教師の見方を変えた。のちに野元昭はこう振り返っている。「この馬はもともと並んでからしぶとい馬なんですが、大阪杯は本当に強い競馬だと思いました。さらにしぶとくなっていましたし、この時、この馬はGIを勝てる、と思いましたね」[^1] 5月31日、中京の金鯱賞。ハナを切り、3コーナーでマンハッタンスカイに一度先頭を譲り、直線で取り返して1馬身半。1番人気アドマイヤオーラは6着、3着にカワカミプリンセスがいた。レース後、野元昭は次に宝塚記念を使うと明言している。 答えは出ていた。この馬は、前へ行けば強い。

出典:スポーツナビ「エイシンデピュティGI初戴冠! 虹をつかむ逃走V=宝塚記念」2008年6月30日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200806300007-spnavi 、閲覧日:2026年8月2日。

重い芝を、先頭で

小雨が降っていた。芝は重。 鞍上は内田博幸。この馬でレースに乗るのは、その日が初めてだった。3月にJRAへ移ってきたばかりの騎手で、手綱は岩田康誠からの代打として回ってきている。岩田は同じレースのロックドゥカンブに乗っていた。 ゲートが開く。最初の1ハロンが12秒5、次が11秒1。押し出されたのではなく、自分から前へ出た。内田はそこで手綱を持ち直す。すぐ後ろにつけたのがそのロックドゥカンブで、あとは誰も来なかった。 向正面。12秒7、12秒4、12秒6。重い芝で、後ろは動けない。単騎の逃げになった。 3コーナーからじわりと上げる。12秒5、12秒3。隊列はほとんど変わらないまま、4コーナーを回った。 直線。早めに進出した菊花賞馬アサクサキングスと、最内からインティライミが迫る。この馬は、むしろ突き放した。 坂を上がり、残り200メートル。ここから先は未知の距離である。2000メートルより長い競走を、この馬は走ったことがない。 外から一頭が上がってきた。GIを四つ勝っている馬で、鞍上は武豊。一完歩ずつ、差が詰まる。 最後の1ハロンは12秒9。二頭が並んでゴール板を通過した。 左のステッキを続けて入れていた内田に、まだ勝った実感はなかった。「ゴールに入って、差されたかなと思った」[^1] アタマ差。前にいたのはエイシンデピュティだった。内田博幸にとっては、JRA所属騎手になってから初めてのGIである。宝塚記念を逃げ切った馬は、1998年のサイレンススズカ以来10年ぶりだった。 雨は上がっていた。口取り式では、馬の後ろに大きな虹が出ていた。

出典:スポーツナビ「エイシンデピュティGI初戴冠! 虹をつかむ逃走V=宝塚記念」2008年6月30日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200806300007-spnavi 、閲覧日:2026年8月2日。

一年三か月

勝った日、調教師は秋の目標に天皇賞(秋)を挙げていた。9月24日、右前脚の球節を痛め、その出走を断念する。年末の有馬記念での復帰へ向けて調整は進んでいたが、12月24日、調教中に右前脚の繋靱帯炎を発症し、翌日、回避が決まった。 戻ってきたのは2009年9月27日、中山のオールカマー。1年3か月ぶりだった。馬体重は520キロ。宝塚記念のときより22キロ重い。2番手で運んで直線で止まり、14着。 11月1日、天皇賞(秋)。鞍上は戸崎圭太。大井の騎手である。14番人気まで落ちていたが、ゲートを出るとハナへ行った。最後まで隊列の先頭で回り、直線で8頭に交わされて9着。勝ったのは8歳のカンパニーだった。 11月29日、ジャパンカップ。3番手を追走して6着。ウオッカから0.7秒差。入線したあとで、繋靱帯炎が再発していた。 12月10日、競走馬登録抹消。30戦10勝。

辛抱

2010年から新ひだか町のレックススタッドで種牡馬になった。産駒が初めて勝ったのは2013年5月30日、笠松の新馬戦である。2018年からは、生まれた栄進牧場に戻って繋養された。翌年に種牡馬を退き、助成を受けながら余生を送った。2025年9月15日、23歳で死んだ。 代打だった鞍上は、その年の秋に菊花賞を勝ち、関東のリーディングになった。2年後の東京優駿は、エイシンフラッシュ――同じ赤に黒の縦縞――で勝っている。代理を務める者という名の馬が、代役で乗った男に、移籍してから最初のGIを渡していた。 野元昭のGIは、1991年のリンデンリリーとこの馬の二つきりである。2011年2月、定年で厩舎を閉じた。デビュー戦で手綱を取った長男の昭嘉は、この馬が休んでいた2009年の初めに、父の厩舎へ戻っている。 あの日の1番人気は武豊のメイショウサムソンで、単勝の売れた順で言えば、この馬は五番目だった。決勝線の手前、スタンドの調教師は「辛抱してくれ」と声を振り絞っていた[^1]。そこから直線の馬まで、声の届く距離ではない。それでも、この栗毛がその日にやったことは、その言葉のとおりだった。2000メートルより長い距離を走ったことのない馬が、重い芝で、GIを四つ勝った馬に外から並ばれて、頭ひとつ、抜かせなかった。

出典:スポーツナビ「エイシンデピュティGI初戴冠! 虹をつかむ逃走V=宝塚記念」2008年6月30日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200806300007-spnavi 、閲覧日:2026年8月2日。

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