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スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。
ドリームジャーニー
通算成績31戦9勝
獲得賞金8億4,797万円
生年月日 2004.02.24(平成16年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 10 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 7人気 | 池添謙一 | 2:11.5 | 上り35.4 | 映像 | |
| 9 | GII産経大阪杯 | 阪神 芝2000 | 4人気 | 池添謙一 | 1:58.9 | 上り34.9 | — | |
| 13 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 4人気 | 池添謙一 | 2:33.8 | 上り34.7 | 映像 | |
| 2 | GII産経賞オールカマー | 中山 芝2200 | 1人気 | 池添謙一 | 2:11.4 | 上り34.5 | — | |
| 4 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 4人気 | 池添謙一 | 2:13.3 | 上り35.9 | 映像 | |
| 3 | GII産経大阪杯 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 池添謙一 | 1:59.6 | 上り34.6 | — | |
| 3 | GII京都記念 | 京都 芝2200 | 2人気 | 池添謙一 | 2:14.7 | 上り33.3 | 映像 | |
| 1 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 2人気 | 池添謙一 | 2:30.0 | 上り35.2 | 映像 | |
| 6 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 4人気 | 池添謙一 | 1:58.0 | 上り33.4 | 映像 | |
| 2 | GII産経賞オールカマー | 中山 芝2200 | 1人気 | 池添謙一 | 2:11.7 | 上り33.6 | — | |
| 1 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 2人気 | 池添謙一 | 2:11.3 | 上り34.3 | 映像 | |
| 3 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 5人気 | 池添謙一 | 3:14.7 | 上り34.9 | 映像 | |
| 1 | GII産経大阪杯 | 阪神 芝2000 | 3人気 | 池添謙一 | 1:59.7 | 上り34.0 | 映像 | |
| 2 | GII中山記念 | 中山 芝1800 | 4人気 | 池添謙一 | 1:49.2 | 上り34.2 | 映像 | |
| 8 | GIIアメリカジョッキークラブカップ | 中山 芝2200 | 1人気 | 池添謙一 | 2:15.2 | 上り35.8 | — | |
| 4 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 7人気 | 池添謙一 | 2:31.9 | 上り35.9 | 映像 | |
| 10 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 4人気 | 池添謙一 | 1:58.0 | 上り34.2 | 映像 | |
| 1 | GIII朝日チャレンジカップ | 阪神 芝2000 | 1人気 | 池添謙一 | 1:58.5 | 上り34.2 | 映像 | |
| 1 | GIII小倉記念 | 小倉 芝2000 | 2人気 | 池添謙一 | 1:57.9 | 上り34.4 | 映像 | |
| 10 | GI安田記念 | 東京 芝1600 | 11人気 | 池添謙一 | 1:33.9 | 上り34.3 | 映像 | |
| 14 | GII読売マイラーズカップ | 阪神 芝1600 | 2人気 | 武豊 | 1:35.0 | 上り34.3 | 映像 | |
| 8 | GIII鳴尾記念 | 阪神 芝1800 | 1人気 | 武豊 | 1:47.8 | 上り33.8 | — | |
| 5 | GI菊花賞 | 京都 芝3000 | 2人気 | 武豊 | 3:05.6 | 上り35.6 | 映像 | |
| 1 | GII神戸新聞杯 | 阪神 芝2400 | 3人気 | 武豊 | 2:24.7 | 上り34.5 | 映像 | |
| 5 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 8人気 | 蛯名正義 | 2:25.4 | 上り33.1 | 映像 | |
| 8 | GI皐月賞 | 中山 芝2000 | 3人気 | 蛯名正義 | 2:00.5 | 上り34.1 | 映像 | |
| 3 | GII報知杯弥生賞 | 中山 芝2000 | 2人気 | 蛯名正義 | 2:00.8 | 上り34.9 | — | |
| 1 | GI朝日杯フューチュリティステークス | 中山 芝1600 | 2人気 | 蛯名正義 | 1:34.4 | 上り34.0 | 映像 | |
| 3 | GIII東京スポーツ杯2歳S | 東京 芝1800 | 2人気 | 蛯名正義 | 1:48.8 | 上り33.7 | — | |
| 1 | OP芙蓉S | 中山 芝1600 | 3人気 | 蛯名正義 | 1:35.2 | 上り34.0 | — | |
| 1 | 2歳新馬 | 新潟 芝1400 | 2人気 | 蛯名正義 | 1:23.8 | 上り35.3 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父ステイゴールドStay Gold | サンデーサイレンスSunday Silence | Halo |
| Wishing Well | ||
| ゴールデンサッシュ | ディクタスDictus | |
| ダイナサッシュ | ||
| 母オリエンタルアート | メジロマックイーンMejiro McQueen | メジロティターン |
| メジロオーロラ | ||
| エレクトロアート | ノーザンテーストNorthern Taste | |
| グランマスティーヴンスGrandma Stevens |
旅程 — この馬の物語
2004年生まれの鹿毛の牡馬。父ステイゴールド、母オリエンタルアート。主な勝ち鞍は朝日フューチュリティ・宝塚記念・有馬記念。
黄金旅程 ― 四百十六キロの朝日杯
2004年2月24日、北海道白老町の白老ファームに鹿毛の牡馬が生まれた。父ステイゴールド、母オリエンタルアート、母の父はメジロマックイーンである。 父は50戦して7勝。二着三着を積み重ね、最後の最後、引退レースの香港ヴァーズでようやくGIを掴んだ小柄な馬だった。母は現役時代ダートを中心に23戦3勝。母の父は天皇賞(春)を連覇したステイヤーの名門である。ステイゴールドの仔に、メジロマックイーンの牝馬を配する――この組み合わせはのちに「黄金配合」と呼ばれ、その元祖と言われたのがこの一頭だった。馬主はサンデーレーシング、預かるのは栗東の池江泰寿。 名は「夢のような旅路」。父ステイゴールドの香港での表記が『黄金旅程』であることからの連想だった。旅、という言葉が、この馬の名に最初から入っていた。 2006年9月3日、新潟の芝1400メートル。蛯名正義を背にした新馬戦を勝ち上がる。馬体重426キロ。同じ月の終わりには中山の芙蓉ステークスを差し切って連勝した。このとき416キロ。11月の東京スポーツ杯2歳ステークスは、出遅れと掛かる癖が響いてフサイチホウオーの3着に敗れている。 12月10日、中山の朝日杯フューチュリティステークス。ここでもゲートで後手を踏み、15頭の最後方に置かれた。そこから外へ持ち出すと、直線で前の十四頭をまとめて抜き去った。1分34秒4、2着ローレルゲレイロに半馬身。馬体重は416キロ。この競走を勝った馬として、史上いちばん軽い数字だった。 2歳で走った四戦、そのすべてで出走メンバー中最速の上がりを記録している。年明けのJRA賞で、最優秀2歳牡馬に選ばれた。
世代のなかで ― 二〇〇七年
3歳初戦の弥生賞は2番人気。中団から直線で伸びかけたところで進路を塞がれる不利があり、アドマイヤオーラの3着に終わった。 4月15日の皐月賞は3番人気で8着。三頭が同じ時計でゴール板を過ぎ、ハナとハナで決まった激戦の、外側にいた。勝ったのはヴィクトリーである。5月27日の東京優駿は8番人気5着。ただ、この日の上がり3ハロンは33秒1で、勝ったウオッカの33秒0とほとんど変わらない。足りなかったのは脚ではなく、そこに至るまでの位置だった。 秋、鞍上が武豊に替わる。父ステイゴールドにも、母の父メジロマックイーンにも乗った男である。9月23日、阪神の神戸新聞杯。後方から進み、最後の直線で前を行く馬をまとめて差し切った。先に抜け出していたアサクサキングスを、半馬身だけ捉えた。 10月21日の菊花賞は2番人気。最後方から三コーナー過ぎに動き出したが、京都の3000メートルで前は遠く、5着。勝ったのは、ひと月前に交わしたアサクサキングスだった。 この秋、陣営は第一希望に香港ヴァーズ、第二希望に香港カップの予備登録を出していた。ヴァーズは父が現役最後に勝った競走である。だが日本で馬インフルエンザが広がり、検疫に一か月を要することがわかって、10月23日に回避が発表された。 12月の鳴尾記念は、生涯で初めて単勝1番人気に推されて8着。3歳が終わった。
函館の鞍を捨てる ― 池添謙一
4歳。放牧から戻って4月19日のマイラーズカップで復帰したが、出遅れて14着に沈んだ。 次の安田記念、武豊にはスズカフェニックスの先約があった。池江泰寿は末脚を活かせる騎手として池添謙一に依頼する。だが東京のマイルは苦手な左回りで、距離も足りない。11番人気10着だった。 池添は1979年、滋賀の生まれ。父は騎手から調教師になった池添兼雄で、弟の学ものちに厩舎を構える。武豊に憧れて競馬学校の門を叩き、1998年にデビューすると、その年のうちに北九州記念を勝って新人のまま重賞を手にした。2002年の桜花賞をアローキャリーで、翌年にはデュランダルでスプリンターズステークスとマイルチャンピオンシップを勝っている。 8月3日の小倉記念。当初は武豊が乗る予定だったが、前週の裁定で騎乗停止になった。池添はその日すでに函館で乗る馬が決まっていた。それを断ってでもこの馬に乗りたいと、調教師に願い出た。 小倉の直線、先に抜け出したダイシングロウを外から捉えて、神戸新聞杯以来の勝利。9月の朝日チャレンジカップも1番人気に応え、トーホウアランを四分の三馬身抑えて重賞連勝。この二戦で、鞍が決まった。以後、この馬の背にいるのは池添だけになる。 秋の天皇賞は10着。府中はやはり左に回った。12月28日の有馬記念は7番人気で4着。ダイワスカーレットが逃げ切った年である。
右回りの馬 ― 二〇〇九年、仁川
池江泰寿はのちに、この馬は右の腰からトモにかけて疲れが溜まりやすく、左に回るとそこが外側になって走りづらいのだと説明している。府中で負け続けた理由が、そこにあった。 5歳の始動はアメリカジョッキークラブカップ。1番人気に推されて8着と敗れる。3月の中山記念では直線鋭く伸びたが、8歳のカンパニーをわずかに捉えられず、同じ時計の2着。 4月5日の産経大阪杯。残り2ハロンで先頭に立つと、1番人気ディープスカイとの追い比べになった。前年の天皇賞(秋)でこの馬に先着していたダービー馬である。競り落として、重賞五勝目。 当初は金鯱賞を挟んで宝塚記念へ向かう予定だったが、状態が良いことから急きょ天皇賞(春)に回った。菊花賞以来の長丁場で、先行勢が総崩れになる流れを大外から伸びて3着に押し上げている。 6月28日、阪神。宝塚記念。ディープスカイの単勝が1.6倍という一強ムードのなか、この馬は2番人気だった。コスモバルクが大逃げを打つ流れを中団で見て、直線で外から抜け出す。サクラメガワンダーが一馬身と四分の三後ろ、ディープスカイは3着に沈んだ。朝日杯以来、二年半ぶりのGI。このときの馬体重は424キロで、これもまた、この競走を勝った馬として史上いちばん軽い。 秋初戦のオールカマーは1番人気で2着。逃げたマツリダゴッホを捉えられなかった。11月の天皇賞(秋)は6着。カンパニーが8歳でGIを掴んだ日、この馬はまた左回りにいた。
十二月二十七日、中山
ジャパンカップには向かわなかった。左回りの府中を使う理由がない。秋のこの馬に残されたのは、右に回る中山の一戦だけだった。 パドックの馬体重は426キロ。小さい馬である。 ゲートが開く。ダッシュはつかない。ぽこん、と一馬身ほど遅れて出た。池添は慌てていない。いつもどおりに出てくれた、と思っている。 前ではリーチザクラウンが飛ばしていた。1000メートルの通過は58秒6。有馬記念としては速い。池添は他馬を見ない。手綱をなだめ、折り合いだけを見ている。速ければ我慢し、遅ければ徐々に上げる。それだけを決めて、後方を運んでいた。 後方に置いたまま二周目に入り、そこから少しずつ位置を上げていく。四コーナーを回って直線。前ではもう一頭が先に抜け出していた。桜花賞と優駿牝馬を勝った三歳牝馬、鞍上は横山典弘。中山の短い直線で、前にいるのはその一頭だけになった。 大外から並びかける。首が出る。そのまま押し切った。半馬身。 ゴールを過ぎたあと、池添は馬上で泣いていた。 「もう、うれしさしか出てこなくて……」[^1]
出典:スポーツナビ「ドリームジャーニーやった! 池添男泣きのGP連覇=有馬記念」2009年12月27日配信、https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200912270007-spnavi 、閲覧日:2026年8月1日。
父と、母の父が届かなかった坂
同じ年に春秋のグランプリを勝った馬は、グレード制が敷かれてからイナリワン、メジロパーマー、グラスワンダー、テイエムオペラオー、ディープインパクトに続いて六頭目だった。勝ち時計2分30秒0は、当時この競走の歴代二位である。 この一勝には、血の側から見たもう一つの意味があった。父ステイゴールドは1998年の有馬記念で3着、母の父メジロマックイーンは1991年に2着。中山の2500メートルは、この血がいちばん近づいて、いちばん届かなかった場所である。二頭が越えられなかった坂を、426キロの仔が越えた。 416キロで朝日杯を、424キロで宝塚記念を、426キロで有馬記念を勝つ。三つとも、それぞれの競走を勝った馬として史上最も軽い馬体重だった。小さいことは、この馬においては欠点の名前ではなかった。 池江泰寿にとっても、池添にとっても初めての有馬記念である。泰寿の父・池江泰郎は2006年にディープインパクトで春秋のグランプリを制していた。親子二代で同じことを成した調教師は、これが初めてだった。 年が明けてのJRA賞、年度代表馬はジャパンカップを勝ったウオッカに決まり、この馬は最優秀4歳以上牡馬に選ばれた。グランプリを二つ勝って、なおその年の主役ではない。そういう年だった。 そしてこのとき、白老には2008年に生まれた全弟がいた。同じ父と同じ母から出た栗毛は、翌2010年の夏にデビューし、やはり池添を背に乗せることになる。
闘争心
6歳の京都記念はブエナビスタの3着。上がりは33秒3で、脚はまだ残っていた。4月の産経大阪杯は単勝1.2倍。出遅れて後方から、四コーナーで捲り気味に上がり、大外から追い上げたが、好位から抜け出したテイエムアンコールに届かず3着。 4月24日の追い切りのあと、右前脚の球節に腫れが出た。骨にも腱にも異常はなかったが、大事を取って天皇賞(春)を回避する。連覇のかかった宝塚記念は4着。ナカヤマフェスタが勝った。秋のオールカマーは出遅れながら追い上げてシンゲンの2着、天皇賞(秋)は脚部不安で回避、12月の有馬記念は緩い流れのなかで13着に沈んだ。あの末脚が、届く場所まで届かなくなっていた。 2011年。4月の産経大阪杯は9着。そして6月26日、阪神の宝塚記念で10着。 その日のうちに、池江泰寿は引退させる意向を明かした。理由は一言だった。 「闘争心がなくなった」[^1] 6月30日付で競走馬登録が抹消される。31戦9勝、うち重賞7勝。 この年の春、全弟オルフェーヴルは池添を背に皐月賞と東京優駿を勝っていた。兄が最後の一戦を走ったのは、弟がダービーを勝った四週間後である。9月19日、札幌競馬場で引退式が行われ、その一か月あまりのちの10月23日、弟が菊花賞を勝って三冠馬になった。同じ父と母から出た二頭が、同じ年に、入れ替わるようにして舞台を渡した。
出典:スポーツニッポン「ドリームジャーニー引退へ「闘争心がなくなった」」2011年6月26日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2011/06/26/kiji/K20110626001095340.html 、閲覧日:2026年8月1日。
渡らなかった海
2011年7月7日、安平の社台スタリオンステーションに入り、翌年から種牡馬になった。初年度は95頭の牝馬を集めたものの、体が小さいぶん種付けそのものが上手ではなく、競走馬として登録された仔は36頭にとどまる。以後の種付頭数も五十から七十ほどで、2016年にはシーズン途中の骨折で数が激減した。決して恵まれた種牡馬生活ではない。 それでも血は出た。ミライヘノツバサが2020年のダイヤモンドステークスを勝ち、種牡馬入りから八年目にして中央の重賞に届く。ヴェルトライゼンデが鳴尾記念と日経新春杯を勝った。そして2018年生まれの牝馬、スルーセブンシーズ。 2023年6月25日、阪神。宝塚記念。10番人気だったその牝馬の鞍上は、池添謙一である。道中は最後方。四コーナーの手応えは抜群で、直線は前が詰まって内へ切り替えるロスがあった。そこから出走馬中最速の脚で伸び、前年の年度代表馬イクイノックスにクビ差まで詰めて2着。届かなかった。父が同じ競走を同じ競馬場で勝った日から、十四年が経っていた。 その秋、鞍上をルメールに替えて、スルーセブンシーズはロンシャンを走った。凱旋門賞4着。日本の牝馬が凱旋門賞で残した最上位の成績である。 ドリームジャーニーは、日本の外を一度も走っていない。三歳の秋に香港へ予備登録を出し、馬インフルエンザの検疫で取り下げた、あの一度きりが海に近づいた瞬間だった。「夢のような旅路」という名を与えられ、父の香港名『黄金旅程』を継いだ馬の旅程は、新潟の新馬戦から阪神の宝塚記念まで、日本の競馬場のなかで閉じている。 函館の鞍を捨ててでも乗りたいと言った男は、十四年後、同じ阪神の直線でこの血を追っていた。最後方から一頭だけ違う脚で上がってくる、あの形のままで。今度は前に出られなかった。それでも、四百十六キロで最後方から十四頭を抜いた馬が始めた旅は、そこまで続いていた。海を渡ったのは、父ではなく、父が遺したものだった。
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