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ダイワスカーレット
通算成績12戦8勝
獲得賞金7億8,668万円
生年月日 2004.05.13(平成16年)毛色 栗毛性 牝
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 1人気 | 安藤勝己 | 2:31.5 | 上り36.4 | 映像 | |
| 2 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 2人気 | 安藤勝己 | 1:57.2 | 上り35.2 | 映像 | |
| 1 | GII産経大阪杯 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 安藤勝己 | 1:58.7 | 上り34.8 | 映像 | |
| 2 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 5人気 | 安藤勝己 | 2:33.8 | 上り36.6 | 映像 | |
| 1 | GIエリザベス女王杯 | 京都 芝2200 | 1人気 | 安藤勝己 | 2:11.9 | 上り34.1 | 映像 | |
| 1 | GI秋華賞 | 京都 芝2000 | 2人気 | 安藤勝己 | 1:59.1 | 上り33.9 | 映像 | |
| 1 | GII関西TVローズS | 阪神 芝1800 | 1人気 | 安藤勝己 | 1:46.1 | 上り33.6 | 映像 | |
| 1 | GI桜花賞 | 阪神 芝1600 | 3人気 | 安藤勝己 | 1:33.7 | 上り33.6 | 映像 | |
| 2 | GIIIチューリップ賞 | 阪神 芝1600 | 2人気 | 安藤勝己 | 1:33.7 | 上り33.9 | 映像 | |
| 2 | GIII日刊スポシンザン記念 | 京都 芝1600 | 1人気 | 安藤勝己 | 1:35.3 | 上り33.7 | — | |
| 1 | OP報知杯中京2歳S | 中京 芝1800 | 1人気 | 安藤勝己 | 1:47.8 | 上り33.7 | 映像 | |
| 1 | 2歳新馬 | 京都 芝2000 | 1人気 | 安藤勝己 | 2:04.1 | 上り35.0 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父アグネスタキオンAgnes Tachyon | サンデーサイレンスSunday Silence | Halo |
| Wishing Well | ||
| アグネスフローラ | ロイヤルスキー | |
| アグネスレディー | ||
| 母スカーレットブーケ | ノーザンテーストNorthern Taste | Northern Dancer |
| Lady Victoria | ||
| スカーレットインクScarlet Ink | Crimson Satan | |
| Consentida |
旅程 — この馬の物語
2004年生まれの栗毛の牝馬。父アグネスタキオン、母スカーレットブーケ。主な勝ち鞍は桜花賞・秋華賞・エリザベス女王杯。
緋色の一族 ― 曲がった脚の牝馬から
1971年、アメリカで一頭の栗毛の牝馬が生まれた。名をスカーレットインク。現地でデビューして1戦未勝利、近親に目立つ活躍馬もなく、脚は曲がっていた。それでも社台ファームの創業者・吉田善哉は、この牝馬の三代母ユアホステスを高く買い、繁殖用に買い取って1973年に日本へ連れてきた。 最初の三頭は走らず、続く四年は仔を宿さなかった。長い沈黙のあとにようやくノーザンテーストの仔を受胎し、1982年に四番仔が生まれる。以後スカーレットインクはノーザンテーストと何度も交わり、その九番仔として1988年に生まれた牝馬が、重賞を四つ勝ったスカーレットブーケだった。 スカーレットブーケは1991年の牝馬三冠すべてに出走している。桜花賞4着、優駿牝馬5着、エリザベス女王杯3着。三度とも、頂の一つ手前で止まった。繁殖に上がった彼女はサンデーサイレンスとの間に牝馬ダイワルージュを産み、その桜花賞も3着に終わる。のちに生まれた牡馬ダイワメジャーが2004年の皐月賞を10番人気で勝ち、一族に初めてのJRA・GIをもたらした。 その皐月賞の一か月後、2004年5月13日。北海道千歳の社台ファームで、十六歳になった母の十番仔が生まれた。父はアグネスタキオン。受胎までに一度、種付けが空振りしている。それでも生まれてきた栗毛の牝は、立ち会った獣医師が高齢の繁殖牝馬の仔とは思えないと驚くほどの馬体をしていた。冠名の「ダイワ」に、祖母から継がれた緋色の名を重ねて、ダイワスカーレットと呼ばれることになる。
二か月のゲートと、譲られた手綱
松田国英は、この牝馬のゲートに時間をかけた。サンデーサイレンスの血には気の勝ちすぎるところがあり、ダイワスカーレットはゲートの一部が体に触れただけで我を失い、背後を異常に気にした。相撲のまわしに似た布を後躯に垂らし、何かが触れても動じないように慣らしていく。通常なら十日ほどで通るゲート試験に、この馬は二か月を要した。馬主の了解を取ったうえでの、時間の使い方だった。 2006年11月19日、京都の芝2000メートル。スピードから見て適性は短距離と考えられていたが、松田は最初に短いところを使えば先々の選択肢が狭まると判断し、あえて中距離でデビューさせた。当初は調教で跨っていた武豊が乗る予定だったが、武には同じレースに先約があった。手綱は、もう一人の調教騎乗者だった安藤勝己に回る。以後、引退までの十二戦すべてを、この男が乗ることになった。 二番手から抜け出して1馬身3/4差の初勝利。同じ日のメインは半兄ダイワメジャーのマイルチャンピオンシップで、兄も勝った。一族の名が、一日に二度読み上げられた。翌月の中京2歳ステークスでも二番手から抜け出し、アドマイヤオーラを半馬身抑えて二連勝。初戦こそ出遅れ気味だったスタートは二戦目には五分になり、二か月かけた練習は、やがてこの馬の武器へ変わっていく。安藤はのちに、この馬を「勝ち気が強く、走る気が満々だった」[^1]と振り返っている。
出典:テレビ東京スポーツ「ダイワスカーレット『走れば風が駆け抜ける!快速の天才お嬢様』【もうひとつの最強馬伝説】」2024年11月9日配信、https://www.tv-tokyo.co.jp/sports/articles/2024/11/036116.html 、閲覧日:2026年8月1日。
二つの黒星 ― 測っていた男
2007年1月のシンザン記念。牡馬九頭を相手に紅一点で1番人気に推されたが、直線で外からアドマイヤオーラに並びかけられ、1馬身半差で初めて先着を許した。三月のチューリップ賞では自らハナを切り、先頭のまま最終コーナーを回りながら、外から来たウオッカにクビ差だけかわされる。二戦続けて、並ばれてから追い出し、そのまま抜かれた。 この二つの敗戦を、鞍上は測定に使っていた。並ばれてから追う形を試したのは、この馬の末脚がどういう質のものかを知るためだった。答えは、一瞬で加速する種類の脚ではない、というものだった。長く、緩やかに、伸び続ける脚。ならば瞬発力の勝負に付き合ってはいけない。 もう一つ、この対決には人の因縁があった。ウオッカを管理する角居勝彦は松田国英の弟子であり、ウオッカの父タニノギムレットは、松田がダービーへ送り出した馬だった。師が育てた血を、弟子が預かって走らせている。二頭の牝馬の背後には、そういう線が引かれていた。
桜 ― 母と姉が届かなかった一冠
4月8日、阪神。ウオッカが単勝1.4倍、阪神ジュベナイルフィリーズ2着のアストンマーチャンが5.2倍、ダイワスカーレットは5.9倍の3番人気だった。大外十八番から出て三番手。前にアストンマーチャン、すぐ後ろにウオッカを置いたまま三コーナーを回る。 直線、内からアストンマーチャン、真ん中にダイワスカーレット、外にウオッカが雁行した。安藤はいつもよりワンテンポ早く動く。前を捕らえ、後ろに並ばれる前に加速を始め、残り200メートルで突き放した。瞬発力ではなく持続力の勝負に持ち込む――二つの黒星から引き出した答えだった。鞍上は右手を天に掲げて入線している。のちに彼はこう語った。「勝った、と感じた直後にまたウオッカの頭が見えて。」[^1] それでもこの日は、抜かせなかった。 母スカーレットブーケが4着、姉ダイワルージュが3着で終えた桜花賞を、十番仔が勝った。兄ダイワメジャーの皐月賞に続く、史上十五組目の兄弟姉妹によるクラシック制覇。鞍上にとってはJRA通算700勝の節目であり、前年のキストゥヘヴンに続く桜花賞連覇でもあった。 二冠目の優駿牝馬へ向かうはずだった。しかし三日前に感冒と発熱。出走は見送られ、宮城の山元トレーニングセンターへ放牧に出される。その翌週、ライバルは同じ東京の2400メートルで、牡馬に混じって日本ダービーを勝った。牝馬による制覇は64年ぶり、史上三頭目だった。
出典:テレビ東京スポーツ「ダイワスカーレット『走れば風が駆け抜ける!快速の天才お嬢様』【もうひとつの最強馬伝説】」2024年11月9日配信、https://www.tv-tokyo.co.jp/sports/articles/2024/11/036116.html 、閲覧日:2026年8月1日。
淀の二冠 ― 「史上最高メンバー」の秋
夏を越して戻ってきた馬は、外見こそ変わらなかったが、中身が変わっていた。背後を気にして蹴り合うことがなくなり、体温も安定した。距離が延びても掛からないようメンコを着け、口を割らないよう舌を縛る馬具を使う。松田が引いた秋の線は、ローズステークス、秋華賞、エリザベス女王杯の三本だった。 9月のローズステークスは好スタートからハナを奪い、内から伸びたベッラレイアを半馬身抑えて押し切る。五か月ぶりの実戦だった。 10月14日の秋華賞には、桜花賞馬、ダービー馬、優駿牝馬の勝ち馬とその2着馬、NHKマイルカップ馬が顔を揃えた。GI級の優勝馬四頭が同じレースに出るのはこの競走の最多で、当時「レース史上最高メンバー」とも呼ばれている。人気はウオッカが2.7倍、ダイワスカーレットが2.8倍。紙一重の二番人気だった。 二番手で折り合い、逃げ馬がペースを緩めるとそれに抗って、三コーナーを過ぎたあたりで先頭を奪う。ウオッカの仕掛けを待たず、そこからロングスパートに入った。外から迫ったレインダンスとウオッカを1馬身1/4抑えて先頭で入線。桜花賞に続く牝馬二冠だった。この年の三歳牝馬は牡馬相手にも例年より高い勝率を挙げ、層が厚いと言われていた。その最も強い一頭が、京都の内回りで決着をつけた。
女王杯と、兄妹のグランプリ
11月11日のエリザベス女王杯は、古馬との初対決であり、ウオッカとの再戦のはずだった。ところが当日朝、ウオッカが跛行のため出走を取り消す。十五億円の馬券が返還され、十三頭立てに減ったレースで、ダイワスカーレットは1.9倍の1番人気になった。 逃げると見られていた馬が出遅れ、あっさりとハナを取る。ゆったり先導し、三コーナーの下りでペースを上げ、直線では内からスイープトウショウ、外からフサイチパンドラの追撃を受けながら、もう一度伸びた。フサイチパンドラに3/4馬身。前年と前々年の女王を同時に退けて、GI級では三つ目のタイトルとなった。父内国産馬の優勝としては、メジロドーベルに次ぐ二例目でもある。勝った直後、鞍上は素直にこう言っている。「ウオッカがいたらわからなかったね」[^1] 暮れの有馬記念は、別の意味で特別だった。相手に兄ダイワメジャーがいる。これが兄の引退レースであり、GI級を勝った兄弟姉妹がGIで相まみえるのは史上初めてのことだった。しかも安藤は、その兄の主戦でもあった。彼が選んだのは妹のほうで、空いたダイワメジャーの鞍上にはミルコ・デムーロが戻る。 三歳牝馬の53キロ、5番人気。ハナは譲り、離れた二番手を進んだが、一・二コーナーで折り合いを欠いた。三コーナーから外へ持ち出して押し上げると、空けた内をマツリダゴッホに突かれる。九番人気の伏兵はそのまま抜け出し、1馬身半届かなかった。それでも二着は守り、兄には2馬身半先着している。四度目の顔合わせとなったウオッカにも先着した。 この年のJRA賞では、289票中275票を集めて最優秀3歳牝馬に、あわせて最優秀父内国産馬にも選ばれた。年度代表馬の投票では73票で次点。三歳の一年が、そこで閉じた。
出典:テレビ東京スポーツ「ダイワスカーレット『走れば風が駆け抜ける!快速の天才お嬢様』【もうひとつの最強馬伝説】」2024年11月9日配信、https://www.tv-tokyo.co.jp/sports/articles/2024/11/036116.html 、閲覧日:2026年8月1日。
二センチと十三分
2008年の春は、ドバイに向けて組まれていた。ダートを試すためにフェブラリーステークスを踏み台にする計画だったが、その一週間前、坂路の調教中に跳ね上がったウッドチップが右目を傷つける。傷は眼球に及び、創傷性角膜炎と診断された。回避が決まり、遠征も白紙に戻る。 仕切り直しの始動は4月の産経大阪杯。牡馬十頭を相手にハナを奪って逃げ切り、エイシンデピュティを3/4馬身抑えた。1998年のエアグルーヴ以来となる牝馬の優勝である。ただし前哨戦のつもりの一戦で、この馬は出し切ってしまっていた。一週間経っても脚の腫れが引かず、放牧先の検査で管骨瘤と判明する。春から夏は全休になった。 休養のあいだに体は太った。帰厩時は540キロ台、ベストから40キロ増で止まっている。そこで松田は異例の手を打った。週に一度だけ、調教助手ではなく安藤自身に追い切りを任せたのだ。脚に響かないよう馬なりで、強度ではなく回数を重ねる。二週間で516キロまで落ちた。その姿を見て、松田はレース三週間前に天皇賞(秋)への出走を決めている。 この調教師は、ウオッカのほうが強いと思った時点で人は敗北を受け入れてしまうと考え、厩舎の内でも外でも同じことを言い続けていた。「ウオッカはスカーレットの2馬身ぐらい後ろにいる」[^1] 11月2日、東京。七か月ぶりの実戦で、初めての府中だった。装鞍所の時点で気持ちが高ぶり、ゲートを出た瞬間に一気にトップスピードへ入ってしまう。単騎の逃げ。向こう正面では十四番人気のトーセンキャプテンが接近し、ペースを落とすことができない。前半1000メートル58秒7。鞍上は、三着が精一杯だと覚悟していた。 直線は内を守った。先行勢を失速させたところへ、外からディープスカイとウオッカが並びかける。三頭が横一線になり、ハイペースが祟って脚が鈍った。それでも残り100メートルから、内の一頭が盛り返す。後方から追い込んできた二頭も加わり、五頭が横並びのまま決勝線を通過した。 1分57秒2。1999年にスペシャルウィークが刻んだレースレコードを0.8秒縮める決着だった。1958年以来五十年ぶりの牝馬ワンツー。そして写真判定は十三分に及び、ハナ差、約2センチで先着していたのはウオッカだった。 二頭が並んでからは、盛り返したダイワスカーレットのほうがつねに前にいた。入線した直後もそうだった。ただ、決勝線を通過するその一瞬だけ、ウオッカが前に出ていた。
出典:Number Web「ウオッカvs.ダイワスカーレット 1分57秒2+13分の伝説。~秋競馬・名勝負列伝~」2009年10月8日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/12253 、閲覧日:2026年8月1日。
中山の坂 ― 三十七年ぶりの扉
安藤勝己にとって、中山は鬼門だった。笠松で身につけたのは、前に行って直線で早めに押し切る形である。小回りでありながら急坂を備えた中山では、早めに動けば坂で止まり、溜めれば直線が足りない。中央へ移ってからも苦手意識は消えず、この競馬場の重賞は2002年のマーチステークス一つきり、芝の重賞はまだ勝てていなかった。 2008年12月28日、有馬記念。ファン投票一位のウオッカはジャパンカップを走って登録すらせず、投票一位を欠いたグランプリは37年ぶりだった。それでもジャパンカップを勝ったスクリーンヒーロー、前年の覇者マツリダゴッホ、引退レースのメイショウサムソン、一つ年上の牝馬二冠馬カワカミプリンセスが集まっている。ダイワスカーレットは2.6倍の1番人気に支持された。 八枠十三番からハナを奪い、11秒台を並べて先導する。三コーナーではメイショウサムソンとカワカミプリンセスに背後から圧をかけられたが、突き放した。後方からまくってきたスクリーンヒーローとマツリダゴッホは、直線に入ったところで失速する。先行馬も差し馬も、あの坂の途中で力尽きた。大外から追い込んだ十四番人気のアドマイヤモナークに1馬身3/4差。鞍上は再び右手を掲げ、そして普段は見せないガッツポーズをした。 牝馬による有馬記念制覇は、1959年ガーネット、1960年スターロッチ、1971年トウメイに続く史上四頭目、37年ぶりだった。先の三頭にはそれぞれ、不良馬場や流行病といった追い風があったと言われる。この日の逃げ切りには、それが無い。正面から受けて、正面から返した勝ち方だった。 母スカーレットブーケの産駒によるJRA・GIは、兄の五勝と妹の四勝で九勝に達した。ビワハヤヒデとナリタブライアンを送り出したパシフィカスの八勝を抜き、繁殖牝馬として単独最多となる。そして安藤にとっては、有馬記念の初勝利であり、中山の芝重賞の初勝利でもあった。
三勝二敗 ― 六度目は来なかった
翌2009年はドバイからアスコット、ブリーダーズカップを回って有馬記念へ——四か国をまたぐ計画が描かれていた。その絵は二月の追い切りのあとに消える。左前脚に浅屈腱炎。2月18日付で競走馬登録が抹消された。十二戦八勝、二着四回。生涯一度も連対を外さなかった馬は、五歳の春を待たずに競馬場を去った。 ウオッカとは五度戦った。チューリップ賞でクビ差かわされ、桜花賞で抜き返し、秋華賞では仕掛けを待たずに封じ、有馬記念では前にいた。そして最後の府中で、二センチだけ足りなかった。三勝二敗。先着の数ではこちらが上である。それでもその年の年度代表馬はウオッカで、有馬記念を勝ったのはスカーレットだった。賞は向こうへ、グランプリはこちらへ。どちらが強かったのかは、投票でも、写真でも、決まらなかった。 ファンが待っていたのは六度目である。ウオッカは翌年も走り、勝ち続けた。スカーレットが戻ることは、なかった。決着は宙に浮いたまま、二頭は二度と同じゲートに入っていない。だから今も、ダイワスカーレットの名はウオッカと並べて呼ばれる。あの二センチは、二頭を分けた距離ではない。二頭を並べたまま、時計を止めた距離である。
この馬が登場する物語
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