名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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ダイワメジャーのイメージビジュアル
ダイワメジャーDaiwa Major
Daiwa Major

ダイワメジャー

通算成績28戦9勝

獲得賞金106,181万円

生年月日 2001.04.08(平成13年)毛色 栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ダイワメジャーの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
3 GI有馬記念 中山 芝2500 6人気 M.デムーロ 2:34.2 上り36.4映像
1 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 1人気 安藤勝己 1:32.7 上り34.5映像
9 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 3人気 安藤勝己 1:59.3 上り35.4映像
3 GII毎日王冠 東京 芝1800 1人気 安藤勝己 1:44.5 上り34.8
12 GI宝塚記念 阪神 芝2200 5人気 安藤勝己 2:15.8 上り39.8映像
1 GI安田記念 東京 芝1600 2人気 安藤勝己 1:32.3 上り34.4映像
3 GIドバイデューティーフリー アラブ首長国連邦 芝1777 安藤勝己 映像
3 GI有馬記念 中山 芝2500 3人気 安藤勝己 2:32.5 上り35.3映像
1 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 1人気 安藤勝己 1:32.7 上り35.1映像
1 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 4人気 安藤勝己 1:58.8 上り35.2映像
1 GII毎日王冠 東京 芝1800 3人気 安藤勝己 1:45.5 上り34.5映像
4 GI宝塚記念 京都 芝2200 4人気 四位洋文 2:14.1 上り36.7映像
4 GI安田記念 東京 芝1600 2人気 安藤勝己 1:33.1 上り34.8映像
1 GII読売マイラーズカップ 阪神 芝1600 1人気 安藤勝己 1:36.2 上り34.7映像
2 GII中山記念 中山 芝1800 1人気 M.デムーロ 1:49.7 上り36.3
2 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 4人気 C.ルメール 1:32.1 上り34.9映像
5 GII毎日王冠 東京 芝1800 1人気 横山典弘 1:47.0 上り33.8
2 GIII関屋記念 新潟 芝1600 1人気 横山典弘 1:32.4 上り33.6
8 GI安田記念 東京 芝1600 2人気 柴田善臣 1:32.8 上り35.0映像
1 GIIIダービー卿チャレンジトロフィー 中山 芝1600 3人気 柴田善臣 1:32.3 上り34.5映像
17 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 12人気 柴田善臣 2:02.9 上り38.6映像
9 GII産経賞オールカマー 中山 芝2200 2人気 柴田善臣 2:15.0 上り36.7
6 GI東京優駿 東京 芝2400 4人気 M.デムーロ 2:24.3 上り36.3映像
1 GI皐月賞 中山 芝2000 10人気 M.デムーロ 1:58.6 上り33.9映像
3 GIIフジTVスプリングS 中山 芝1800 11人気 菊沢隆徳 1:48.5 上り36.3
4 3歳500万下 中山 ダ1800 1人気 菊沢隆徳 1:57.0 上り40.8
1 3歳未勝利 中山 ダ1800 1人気 菊沢隆徳 1:56.4 上り39.4
2 2歳新馬 中山 芝1600 1人気 菊沢隆徳 1:36.9 上り35.0

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ダイワメジャーの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
サンデーサイレンスSunday SilenceHaloHail to Reason
Cosmah
Wishing WellUnderstanding
Mountain Flower
スカーレットブーケノーザンテーストNorthern TasteNorthern Dancer
Lady Victoria
スカーレットインクScarlet InkCrimson Satan
Consentida
STORY

旅程 — この馬の物語

2001年生まれの栗毛の牡馬。父サンデーサイレンス、母スカーレットブーケ。主な勝ち鞍は皐月賞・天皇賞・マイルチャンピオンS。

怪獣と呼ばれた仔

2001年4月8日、北海道千歳の社台ファームに栗毛の牡が生まれた。父はサンデーサイレンス。母は中央で四つの重賞を勝ったスカーレットブーケである。 この母の一族には、赤い名前が並んでいる。祖母はスカーレットインク。その父はクリムゾンサタン。全姉のダイワルージュは新潟3歳ステークスを勝ち、従甥のヴァーミリアンはのちにダートの頂点を九つ獲った。緋、深紅、口紅、朱。俗にスカーレット一族と呼ばれる牝系である。そこに生まれた牡馬だけが、色を持たない名を与えられた。冠名の「ダイワ」は、馬主・大城敬三が営んだ会社の名から来ている。 とにかく大きかった。幼駒のうちから五百キロを超え、放牧地では「怪獣」と呼ばれていた。育成を担当した牡馬担当主任の東礼治郎は、首の力の異常な強さと、引く手綱に逆らって人を睨みつけてくる目つきに、大袈裟でなく震え上がったと語っている。ただ歩かせるだけで人間のほうが振り回された。気に入らないことがあれば、頑として動かない。それでいて、一度覚えたことは難なくこなす。頭は良かった。 二歳の夏、宮城の育成拠点へ送られたが、間もなく千歳へ送り返されている。手を焼いた東は、ホッカイドウ競馬の騎手・五十嵐冬樹に調教騎乗を頼んだ。徹底的に追われたあと、この馬はいくらか素直になった。秋、美浦の上原博之厩舎に入る。姉ダイワルージュを手がけた厩舎だった。ここでも力の強さと神経質さでスタッフを振り回したが、大器であるという点だけは関係者の見立てが揃っていた。 2003年12月28日、中山の新馬戦。装鞍所であまりに暴れ、主催者から出走取消を打診されるほどだった。初めて衆目にさらされたパドックでは、地面に腹這いになってしまう。本馬場に入ってからも腰を下ろそうとし、ウォーミングアップができないまま発走を迎えた。それでも出遅れた位置から向正面で動き出し、勝ったモンスターロードにクビ差まで詰めている。上原はのちに、あれはパニックの一種だと言った。暴れるのもパニックなら、寝てしまうのもパニックだ、と。 年が明けた1月、中山のダート1800メートルの未勝利戦。調教助手の飯田直毅が装鞍所からパドックまで跨がり続け、この日は返し馬もこなした。レースは最後の直線だけで九馬身の差がついた。走破時計は、前週に同じ条件で行われた古馬の上級条件戦より速かった。 三戦目は使いたかった競走が除外となり、やむなく同じダート1800へ回って、単勝1.4倍で四着に敗れる。3月のスプリングステークスは十一番人気。それでも先行して三着に粘り、皐月賞への優先出走権を持ち帰った。勝ったのはブラックタイドである。

十番人気の中山

4月18日、中山、晴。牡馬クラシックの初戦に、ダイワメジャーはダートで一勝しただけの身で臨んだ。鞍上はミルコ・デムーロ。それまで乗っていた菊沢隆徳からの乗り替わりで、進言したのは生産者である社台ファーム代表の吉田照哉だった。 人気を分け合ったのは、地方所属のまま中央のクラシックに挑むコスモバルクと、スプリングステークスを勝ったブラックタイド。ダイワメジャーは十番人気だった。 ゲートが開くと、メイショウボーラーが前へ出る。その二番手にダイワメジャーがつけた。前半の一〇〇〇メートルは五十九秒七。速い。三コーナーを回っても隊列は動かず、四コーナーで前の馬に並びかけ、直線に入って先頭に立った。追ってきたのはコスモバルク。一馬身と四分の一を残して、押し切った。一分五十八秒六は、コースレコードまで〇秒一という時計である。 母スカーレットブーケも、姉ダイワルージュも、クラシックの一冠には届いていない。一族に初めてのGIをもたらしたのは、色のない名の牡馬だった。管理する上原博之にとっても、馬主の大城敬三にとっても、これが初めてのGIである。一勝馬の皐月賞制覇は1950年のクモノハナ以来のことで、しかもその一勝は、ダートで挙げたものだった。 二着で入ってきた馬の背には、五十嵐冬樹がいた。千歳の放牧地でこの馬を追い込み、素直にさせた男である。大城は後日、彼はさぞ複雑な気持ちだっただろう、と語っている。 5月30日の日本ダービーは、距離が四百メートル延びた。四番人気。前半一〇〇〇メートル五十七秒六という流れを五番手で追い、直線で伸びを欠いて六着に終わる。勝ったキングカメハメハはレコードだった。距離が長かったのだろう——多くがそう受け取った。理由は、それだけではなかった。

秋は菊花賞ではなく、古馬相手の天皇賞(秋)を目標に据えることが決まった。9月のオールカマーで復帰し、二番人気に推される。二番手を進んで直線で失速し、九頭立ての最下位に沈んだ。10月末の天皇賞(秋)は十二番人気。勝ったゼンノロブロイから四秒離された、十七頭立ての最下位だった。 喉が鳴っていた。 呼吸に関わる筋肉が麻痺して気道が狭まり、走行中に息が入らなくなる。喘鳴症という病である。喉から独特の音がするので、俗にノド鳴りと呼ばれた。兆候は皐月賞の頃から出ていて、秋にはすっかり悪化していた。獣医師の所見は、五段階で四から五。正常なときの六割から七割しか、空気が入っていかない。 この病は兄のスリリングサンデーも患っている。古くはタニノムーティエ、近い世代ではゴールドアリュール。一流と呼ばれた馬が、これで競馬をやめていた。 上原は引退を視野に入れた。それでも馬主と生産者を交えて話し合い、手術に踏み切ることになる。11月19日、社台ホースクリニック。術式そのものは難しくない。難しいのは、そのあとだった。走る能力まで戻ってくる馬は、十頭のうち一頭か二頭とされていたのである。治る見込みは低い、それでもやれるだけのことはやってみよう——そのくらいの見通しで、三歳の秋は閉じた。

レコードで戻ってきた

2005年4月3日、中山の芝1600メートル。ダービー卿チャレンジトロフィーで、ダイワメジャーは五か月ぶりに競馬場へ戻ってきた。三番人気。淀みない流れの二番手を進み、直線で抜け出して、チアズメッセージに二馬身をつける。時計は一分三十二秒三。このレースのレコードだった。 直線で後ろを引き離したときはゾクゾクした、と上原は言った。皐月賞と同じくらい嬉しい勝利だ、とも。喉の音は消えていた。 だが、その年に勝ったのはこの一つだけである。6月の安田記念は八着。夏の関屋記念は一番人気で二着、秋の毎日王冠も一番人気で五着。勝ち切れない。11月のマイルチャンピオンシップではルメールを乗せ、二番手から抜け出したところをゴール前でハットトリックにかわされた。そこから差し返しにいって、ハナ差。一分三十二秒一で、二着だった。 病気は治った。しかし、勝てない。四歳の一年は、そういう年である。

押す手

年が明けても、流れは変わらないように見えた。2月の中山記念は雨の重馬場。一番人気に応えられず、バランスオブゲームの二着に終わる。 4月15日、阪神のマイラーズカップ。この日、鞍上に安藤勝己が座った。笠松で十八年続けてリーディングを取り、三年前に中央へ移ってきた男である。ダイワメジャーは一年ぶりに勝った。二着はダンスインザムード。以後、騎乗停止などの事情を除いて、この組み合わせが続くことになる。 6月の安田記念は最内の枠から出て、馬群に包まれた。全体の流れも遅い。持続するスピードで押し切るこの馬にとって、瞬発力を問われる形はいちばん分が悪かった。四着。続く宝塚記念は安藤の騎乗停止で四位洋文が乗り、改修中の阪神に代わって京都で行われた一戦を四着で終える。勝ったのはディープインパクトだった。 秋の毎日王冠で、安藤は安田記念の反省をそのまま作戦にした。平均的に流れているペースを、自分から吊り上げる。四コーナーからスパートをかけたのである。ラップは正直で、七つ目のハロンが十一秒三、八つ目が十一秒〇。直線半ばでダンスインザムードに並ばれ、二度接触して、いったん前に出られた。残り百メートルから、もう一度伸びた。クビ差。 この馬は前に馬がいないと遊ぶ。並ばれると、二の脚を使う。安藤が掴んだのは、そこだった。

九百二十四日

当初、秋はマイルチャンピオンシップへ直行する予定だった。毎日王冠の内容がよく、レース後の状態もよかったので、行き先が天皇賞(秋)に変わる。二年前、最下位で終えた同じ競走である。 前日、追い切りに跨がった調教助手の飯田直毅は、これまでにない感触を受け取っていた。あまりに凄くて誰にも言えなかった、と後年振り返っている。口に出せば、重さが自分に返ってくる気がした。 府中は晴れ、芝は良。インティライミが前へ出て、ダイワメジャーが二番手につけた。ただし、離れている。四馬身か、五馬身か。三コーナーを回っても、その距離は縮まらない。 最初の一ハロンを終えると、十一秒台が三つ続いた。そこから刻みは少しずつ重くなっていく。七つ目で十二秒三。ここで、レースが一度だけ息をした。 安藤が動いたのはそこからだ。二番手のまま、前との差を詰めにかかる。四コーナーの入口で、逃げ馬の背中がようやく手の届くところに来た。残り四百メートル、先頭。 そこからの一ハロンが十一秒二である。この日いちばん速い区間を、先頭に立った馬が刻んだ。外からスウィフトカレントが上がってくる。並びかけてはこない。半馬身ぶん、後ろにいる。 最後の二百メートルは十二秒五まで落ちた。息の入らない喉のせいではない。坂を上りきったあとの、当たり前の失速である。半馬身は、半馬身のまま動かなかった。 四着はコスモバルク。鞍上は五十嵐冬樹だった。二年半前の中山でこの馬の後ろにいた一頭が、この日もまた後ろにいた。 皐月賞から、九百二十四日が経っていた。

マイルの、三つ

三週間後の京都は小雨だった。マイルチャンピオンシップには六頭のGI優勝馬が揃い、ダイワメジャーが単勝2.3倍の一番人気に推される。前半八百メートルが四十六秒〇という速い流れ。それを二番手で追い、四コーナーで一気に先頭へ出た。ゴール前で並びかけてきたのはダンスインザムードで、前に出させないまま、クビ差で凌いだ。天皇賞(秋)とマイルチャンピオンシップの連勝は、1987年のニッポーテイオー以来である。 この年、ダンスインザムードとは三度、一着と二着で決着している。春の阪神、秋の東京、そして京都。三度とも先にゴール板を通過したのはダイワメジャーで、三度とも、着差は一馬身に満たなかった。 年末の有馬記念にはファン投票二位で出走した。二五〇〇メートルは長いという声もあったが、上原の見立ては違った。これまで距離を選んできたのは喘鳴症を考えてのことで、血統からも走りからも問題はない、と。レースはアドマイヤメインの大逃げを二番手で追い、四コーナーでこれを捉えて先頭で直線に入る。そこからディープインパクトにかわされ、ポップロックにも差された。三着。 翌春はドバイに招かれた。十六頭のうち八頭が国際GIの優勝馬という一戦である。現地の調教で際立った動きを見せ、英国のブックメーカーには一番人気に据えた店もあったという。レースは先行して直線で先頭に立ったが、残り三百メートルで中団からアドマイヤムーンにかわされ、五馬身近く離された三着に終わる。瞬発力を問われる展開に、またしても嵌まった。 6月3日、東京。安田記念の枠順は一枠二番で、前年と同じく内だった。直線を向いた時点で四番手。逃げ粘るコンゴウリキシオーを追い、残り百メートルから馬体を併せる。安藤は鞭を使わなかった。この馬が鞭を嫌がるのを知っていたからで、手綱を押す動作だけで追い続けた。クビ差、先頭。 クラシックを勝った馬が安田記念も勝ったのは、この競走がGIに格付けされてから初めてだった。ウィナーズサークルへ向かう馬の後ろで、上原が涙を拭っている。内枠を克服して、最後は本来の走りで勝ってくれた。この馬の頑張りには頭が下がる、と彼は言った。

妹と、最後の中山

6月の宝塚記念は、レース以前の話だった。阪神の出張馬房に入るとき、上原はできるだけ静かな場所を希望した。案内されたのは隅の馬房で、そこは近くを通る電車の音と場内放送が鳴り響く場所だった。前日は蒸し暑く、馬は飼い葉を残す。当日の馬体重は五一六キロ。この馬の生涯で最も軽い数字である。先行できず、伸びもせず、十二着に終わった。 夏はトレーニングセンターで馬インフルエンザが確認され、帰厩が一週間遅れた。それでも秋は前年と同じ毎日王冠から始動する。五十九キロを背負って一番人気。前半一〇〇〇メートル五十七秒五という流れを先行し、早めに先頭へ立って、後ろから来た二頭に差されて三着。 10月の天皇賞(秋)は稍重。五、六番手を進んでいたところで、内にいた馬の斜行の煽りを受けた。バランスを崩し、体が斜めになる。立て直すには、府中の直線は短すぎた。九着。 11月18日、京都。マイルチャンピオンシップは連覇がかかっていた。スタートから先頭を奪い、道中でいったん三番手に下げ、残り三百メートルでもう一度先頭に出る。追い込んできたスーパーホーネットをクビ差で抑えた。GIは五勝目。獲得賞金は十億円を超えた。 その前の週、同じ京都で妹のダイワスカーレットがエリザベス女王杯を勝っている。年末の中山に、兄妹が揃うことになった。 有馬記念はダイワメジャーの引退レースだった。ファン投票は三位、妹が四位。安藤は翌年以降を考えて妹に乗り、空いた鞍にはミルコ・デムーロが戻ってくる。皐月賞のコンビである。 稍重の中山。チョウサンが先頭に立ち、妹が二番手、ダイワメジャーは五番手にいた。兄妹は同じ脚質で、前の位置は一頭ぶんしかない。残り四百メートルからマツリダゴッホが抜け出し、そのまま押し切った。二着に妹、三着にダイワメジャー。 上原は、兄妹が同じ脚質だったことを惜しんだ。前を取れず、この馬の形に持ち込めなかった。それでも最後に猛然と追い上げてきたときは胸が熱くなった、と振り返っている。同じ日の最終競走のあと、引退式が行われた。デムーロは皐月賞が思い出に残るレースだと言い、安藤は一生忘れられない馬だと言って、いつかこの馬の子に乗ってみたいと続けた。上原は、デビューからのことを思い出して言葉が出なくなった。

一日違い

翌年から、ダイワメジャーは社台スタリオンステーションで種牡馬になった。初年度の産駒がデビューした日、阪神の新馬戦を二頭が一着と二着で占めている。 そこから先は、この馬の血が何を伝えるのかを、競馬場が何年もかけて答えていった。カレンブラックヒルがNHKマイルカップを勝ち、メジャーエンブレムが二歳の女王になり、アドマイヤマーズは香港のマイルまで届いた。レシステンシアアスコリピチェーノ。2015年には、五年続けて首位を守っていたディープインパクトを抑えて二歳リーディングサイアーになる。2022年のマイルチャンピオンシップはセリフォスが勝った。父が二度勝ったのと同じ競走である。赤い名の並ぶ一族で、ひとりだけ色を持たなかった馬は、GI級を勝った産駒を十頭以上送り出した。 手術の前、獣医師はこう見ていた。あれだけ走ってくれるのは、十頭手術したうちの一頭くらいだ、と。天皇賞(秋)を勝った日、生産者はあれを奇跡と言っていいと評した。 奇跡は、普通なら一度きりのものである。この馬の場合、一度では終わらなかった。2004年の秋に喉を切り開いてもらった馬の子が、十八年後にマイルの王座へ就く。2023年の秋に種牡馬を退き、そのあとも同じ牧場で暮らした。翌年には、産駒のJRA通算勝利が千三百に達している。 2026年1月20日の明け方、ダイワメジャーは死んだ。二十五歳。前日まで変わったところはなく、飼い葉も残さず食べていたという。老衰だった。 その一日前、1月19日の未明に、千歳の社台ファームでダンスインザムードが息を引き取っている。2001年4月10日生まれ。ダイワメジャーの二日あとに、同じ牧場で生まれた牝馬だった。牧場の担当者は彼女を「まるで女王様のようで、おいそれとは近寄れない雰囲気のする馬でした」[^1]と振り返っている。 片方は放牧地で怪獣と呼ばれ、片方は女王のようだと言われた。二日違いで生まれ、一日違いで逝った。一着と二着で決まった三度は、いつもこの馬が前にいた。最後の一度だけ、彼女が先に行った。

出典:日本中央競馬会「ダンスインザムードが死亡」2026年1月19日配信、https://www.jra.go.jp/news/202601/011901.html 、閲覧日:2026年8月2日。

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