名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

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ブリッシュラックBullish Luck
Bullish Luck

ブリッシュラック

通算成績62戦12勝

獲得賞金(海外含む・概算)約98,510万円

生年月日 1999.04.03(平成11年)毛色 鹿毛セン

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ブリッシュラックの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
14 GI安田記念 東京 芝1600 13人気 B.プレブル 1:34.4 上り35.3
3 GIチャンピオンズマイル 香港 芝1600
13 GIドバイデューティーフリー アラブ首長国連邦 芝1777
3 GI香港ゴールドC 香港 芝2000
1 GIIIセンテナリーヴァーズ 香港 芝1800
5 GII国際Cトライアル 香港 芝2000
5 GIIIシャティンT 香港 芝1600
7 GI香港チャンピオンズC 香港 芝2400
8 GIチャンピオンズマイル 香港 芝1600
3 GIドバイワールドカップ アラブ首長国連邦 ダ2000
4 GIスチュワーズC 香港 芝1600
4 GI香港マイル 香港 芝1600
6 平地競走 香港 芝1600
1 GI安田記念 東京 芝1600 3人気 B.プレブル 1:32.6 上り33.8
1 GIチャンピオンズマイル 香港 芝1600 1:33.7
5 GIクイーンエリザベス2世カップ 香港 芝2000
5 GIドバイデューティーフリー アラブ首長国連邦 芝1777
2 GI香港ゴールドC 香港 芝2000
8 GIスチュワーズC 香港 芝1600
4 GI香港マイル 香港 芝1600
2 GIIインターナショナルM 香港 芝1600 1:34.8
6 GIIIシャティンT 香港 芝1600
4 GI安田記念 東京 芝1600 6人気 G.モッセ 1:32.5 上り34.0
1 GIチャンピオンズマイル 香港 芝1600 1:33.7
6 GIクイーンエリザベス2世カップ 香港 芝2000
1 GIIチェアマンズT 香港 芝1600 1:33.9
5 GI香港ゴールドC 香港 芝2000
1 GIスチュワーズC 香港 芝1600 1:35.5
2 GI香港カップ 香港 芝2000 2:03.3
3 GIIインターナショナルCトライアル 香港 芝2000
3 GIIIシャティンT 香港 芝1600
8 平地競走 香港 芝2400
10 GIクイーンエリザベス2世カップ 香港 芝2000
7 GIIチェアマンズT 香港 芝1600
1 GICSL香港ゴールドC 香港 芝2000 2:02.3
1 平地競走 香港 芝1600 1:35.7
2 平地競走 香港 芝1600
1 平地競走 香港 芝1600 1:35.2
6 平地競走 香港 芝1600
4 平地競走 香港 芝1650
2 平地競走 香港 芝1600 1:34.1
12 平地競走 香港 芝1600
6 平地競走 香港 芝1400
7 平地競走 香港 芝1600

血統

金色の名は掲載馬 — その馬のページへ/点線の名は押すと一言解説
ブリッシュラックの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
Crimson Saint
Bolero Rose
Bel Sheba
Vintage
Prix
STORY

旅程 — この馬の物語

1999年生まれの鹿毛のせん馬。父ロイヤルアカデミー、母Wild Vintage。主な勝ち鞍はCSL香港ゴールドC・スチュワーズC・チャンピオンズマイル。

アル・ムガゼル

1999年4月3日、アメリカ・ケンタッキー州で一頭の鹿毛が生まれた。 父はロイヤルアカデミー。ニジンスキーの息子で、1990年のブリーダーズカップ・マイルを勝っている。一年の服役を終えて騎手に復帰したばかりのレスター・ピゴットを背に乗せ、その復帰から十日ほどで大レースをさらった馬だった。母Wild Vintageは、アリシーバの娘である。 セリで買われたこの馬には、Al Moughazelという名が付いた。送られた先はニューマーケットの厩舎である。 2001年6月22日、芝1200メートルの二歳未勝利戦。鞍上はスペンサー。勝った。9月には条件戦も勝ち、10月のオータムステークスは4着。 三歳になると、走る距離が延びた。5月の条件戦で2着。6月のヘロンステークスはファロンで4着。芝2000メートルのハンプトンコートステークスはデットーリで11着。7月にもう一度3着に来て、8月にはフランスへ渡り、2着だった。 その時代のイギリスで最も名の知れた騎手たちが、代わる代わる跨っていた。それでもこの馬が勝ったのは、二歳の夏と秋の二度きりである。 2002年、馬は香港へ売られた。リッキー・イゥ厩舎に入り、名前が変わる。Bullish Luck――強気と、幸運。漢字では、牛精福星と書いた。

最後方から

香港では、いきなり上級のクラスへ編入された。2003年に走った七戦で勝てたのは、4月のピアースメモリアルカップだけである。 2003/2004年シーズンから厩舎が替わった。アンソニー・クルーズ。ポルトガル出身で、1974年に香港ジョッキークラブの騎手養成所を第一期生として出た男である。八〇年代にはヨーロッパでも乗り、1986年にトリプティクでチャンピオンステークスを勝った。同じ年、その馬とともにジャパンカップへ来ている。香港のリーディングジョッキーには六度なった。1996年の元日、最後の騎乗を勝利で締めて鞍を降り、調教師になった。 転厩して間もない11月、上級条件のハンデキャップで2着に入る。先着したラッキーオーナーズは、その翌月に香港マイルを勝つ馬だった。年が明けて元日と2月に条件戦を二つ拾い、初めての当地G1へ向かう。 2004年2月22日、CSL香港ゴールドカップ。芝2000メートル。四コーナーで、この馬は最後方にいた。そこから、当時の香港の上位陣をまとめて抜き去った。五歳の二月に手にした、最初のG1である。 この日の脚があまりに強烈だったせいで、以後の競馬は「最後方で待つ」が既定になる。決まれば派手だが、決まらない日は何も起こらない。着順は大きく上下に振れるようになった。 その年の暮れ、香港カップで2着。年明けの1月16日にスチュワーズカップを勝ち、二つ目のG1を積んだ。

五月十四日、沙田

クルーズの厩舎には、もう一頭いた。 サイレントウィットネス。デビューから一度も負けていない。香港短距離三冠を二年続けて獲り、香港スプリントを連覇し、連勝は十七まで伸びていた。三週間前には、記念の帽子を配る催しにファンが殺到して将棋倒しの事故が起きている。この馬はもう、競馬の枠に収まっていなかった。 2005年5月14日、沙田競馬場、チャンピオンズマイル。この年から国際競走になり、香港と日本のマイルを結ぶシリーズの初戦に組まれていた。日本からコスモバルク、イギリスからアトラクション。それでも、その日の沙田が見ていたのは一頭だけである。1600メートルは、サイレントウィットネスにとって初めての距離だった。 ゲートが開く。サイレントウィットネスは折り合いを欠いた。コーツィーは抑えきれない。短距離の息づかいのまま、あの馬が先頭に立つ。 ブリッシュラックは、後ろにいた。この馬はいつもそこにいる。前に馬がいなければ、脚を出さない。 その日、前にいたのは十七連勝だった。 直線。先頭は替わらない。ゴールまで残りわずかというところで、モッセは内を選んだ。器用さとは縁がないと思われてきた馬が、最も内側を縫って出てくる。 ゴール板の上で、順序が入れ替わった。 時計は1分33秒7。連勝は、十七で止まった。 勝った側と負けた側が、同じ厩舎の、同じ人間のものだった。しかもクルーズは騎手時代、それまで香港の連勝記録を持っていたコタックの主戦だった。自分が主戦を務めた馬の記録を自分の管理馬が塗り替え、その管理馬の連勝を、また自分の管理馬が止めた。この日の勝利を、彼はどんな顔で受け取ればよかったのだろう。

三着と、四着

三週間後、二頭とも東京にいた。 6月5日、安田記念。シリーズの第二戦である。人気はサイレントウィットネスが五番、ブリッシュラックが六番だった。 ローエングリンが引っ張る流れの二番手を、サイレントウィットネスが進む。ブリッシュラックは例によって後方の一団にいて、三コーナーでも四コーナーでも動かない。 直線でようやく差を詰めたが、前が遠かった。勝ったのはアサクサデンエン。上位三頭が同じ1分32秒3でゴールを過ぎ、そのなかにサイレントウィットネスの三着がある。ブリッシュラックは、そこから一馬身四分の一離れた四着だった。 三週間前に沙田で交わした相手に、府中では交わされている。 シーズンが終わると、この馬は香港の最優秀マイラーに選ばれた。

七歳の春

次のシーズンは、勝てない季節が続いた。12月の香港マイルは4着。年が明けてスチュワーズカップ8着、2月の香港ゴールドカップは2着。3月にはドバイまで運ばれてデューティーフリーの5着、4月のクイーンエリザベス2世カップも5着。前の年の5月14日から、一年近く勝っていない。 2006年5月7日、チャンピオンズマイル。この日は最後方ではなく中団にいて、直線で抜け出した。時計は1分33秒7。前の年と、コンマ一秒も違わなかった。このレースを二年続けて勝った馬は、それまでいない。七歳での優勝も、当時の最高齢に並ぶものだった。鞍上はプレブルに替わっている。 6月4日、東京。二度目の安田記念。晴れ、良馬場、十八頭立て。単勝6.4倍の三番人気で、一番人気はその春の高松宮記念を勝ったオレハマッテルゼだった。 メイショウボーラーが引っ張り、1000メートルの通過が58秒1。二ハロン目からずっと十一秒台が続く、息の入らない流れになる。 この日もブリッシュラックは中団にいた。三コーナーでも四コーナーでも、十八頭の十番目あたり。前には、十頭近い背中が並んでいる。 直線で馬場の真ん中へ持ち出された。残り200メートルで先頭に立ち、そこからさらに伸びた。内でダイワメジャーが粘り、外からジョイフルウィナーが詰め、そのあいだをアサクサデンエンが割ってくる。二着争いは、はるか後ろで起きていた。 2馬身半。1分32秒6。 レース後、プレブルはこう言っている。 「ブリッシュラックは前に馬がいないと走る気を起こさない。今日はいい位置で走れたので、やる気を出してくれたようだ」[^1] 七歳での安田記念制覇は、トロットサンダー、ブラックホークに続く三頭目である。香港調教馬としては、2000年のフェアリーキングプローン以来の二頭目だった。プレブルはこれが日本での初勝利で、いきなりGIだった。クルーズが日本で勝つのは、前の秋にサイレントウィットネスがスプリンターズステークスを制して以来だった。二十年前にトリプティクで府中へ来た男は、今度は管理する側で勝った。 シリーズ四戦のうち二つを勝ったことで、百万米ドルのボーナスが付いた。シーズンの終わりに、この馬は香港馬王に選ばれる。七歳の春だった。

出典:日本中央競馬会「第56回安田記念(GI)レース結果」2006年6月4日、https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/yasuda/result/yasuda2006.html、閲覧日:2026年8月3日。

砂と、それから

2006年12月の香港マイルも4着。前の年と同じ着順だった。年が明けても勝ち星は遠いまま、3月末を迎える。 2007年3月31日、ナドアルシバ。ドバイワールドカップ。芝のマイラーが、八歳にして初めて砂の上に立った。 勝ったのはインヴァソール、1分59秒97。1馬身3/4差の二着がプレミアムタップ。そこから8馬身離れた三着に、この馬がいた。四着は日本のヴァーミリアンである。 2008年2月2日、センテナリーヴァーズ。九歳になって、久しぶりに勝った。続く香港ゴールドカップで3着に来て、3月のドバイデューティーフリーは13着。4月のチャンピオンズマイルは3着。 6月8日、三度目の安田記念。十三番人気で、十四着。勝ったのはウオッカだった。府中を走るのは、これが最後になる。 秋も沙田で走り、暮れの香港カップを走り終えて、現役を退いた。2009年1月1日、沙田競馬場で引退式が行われている。その十三年前の同じ元日に、クルーズは騎手として最後の一鞍を勝っていた。 それから馬はオーストラリアへ渡り、メルボルン近郊の功労馬けい養施設リヴィングレジェンドへ入った。 香港の競馬を語るとき、この馬の名はたいてい、もう一頭の名前と並べて呼ばれる。十七連勝を止めた馬、として。称号でもあり、影でもある呼ばれ方だ。 けれど、順序は逆だったのだと思う。前を行く馬がいたから、この馬は走った。追う相手がいちばん大きかった日に、いちばん速く走った。イギリスで勝てなかった三歳の夏も、四コーナーで最後方にいた五歳の二月も、府中の坂を上りきってからの二百メートルも、この馬の前にはいつも、誰かの背中があった。 その牧場には、二年先に引退したサイレントウィットネスがいた。もう追う必要はない。それでも、この馬にもう一度脚を使わせたければ、方法はひとつしかなかっただろう。前に、何かを置いてやればいい。

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