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バブルガムフェロー
通算成績13戦7勝
獲得賞金5億5,443万円
生年月日 1993.04.11(平成5年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 3 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 1人気 | 岡部幸雄 | 2:26.0 | 上り34.9 | 映像 | |
| 2 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 1人気 | 岡部幸雄 | 1:59.0 | 上り35.1 | 映像 | |
| 1 | GII毎日王冠 | 東京 芝1800 | 1人気 | 岡部幸雄 | 1:46.1 | 上り35.0 | — | |
| 2 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 3人気 | 蛯名正義 | 2:11.9 | 上り36.6 | 映像 | |
| 1 | GII鳴尾記念 | 阪神 芝2000 | 2人気 | 岡部幸雄 | 2:01.4 | 上り35.6 | — | |
| 13 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 2人気 | 岡部幸雄 | 2:26.8 | 上り38.8 | 映像 | |
| 1 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 3人気 | 蛯名正義 | 1:58.7 | 上り34.5 | 映像 | |
| 3 | GII毎日王冠 | 東京 芝1800 | 2人気 | 岡部幸雄 | 1:46.0 | 上り34.9 | — | |
| 1 | GIIフジTVスプリングS | 中山 芝1800 | 1人気 | 岡部幸雄 | 1:50.1 | 上り35.7 | — | |
| 1 | GI朝日杯3歳S | 中山 芝1600 | 1人気 | 岡部幸雄 | 1:34.2 | 上り35.7 | 映像 | |
| 1 | OP府中3歳S | 東京 芝1800 | 2人気 | 岡部幸雄 | 1:50.0 | 上り35.0 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 東京 芝1800 | 1人気 | 岡部幸雄 | 1:49.3 | 上り36.8 | — | |
| 3 | 3歳新馬 | 東京 芝1800 | 1人気 | 岡部幸雄 | 1:53.7 | 上り34.3 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父サンデーサイレンスSunday Silence | Halo | Hail to Reason |
| Cosmah | ||
| Wishing Well | Understanding | |
| Mountain Flower | ||
| 母バブルカンパニーBubble Company | Lyphard | Northern Dancer |
| Goofed | ||
| Prodice | Prominer | |
| Euridice |
旅程 — この馬の物語
1993年生まれの鹿毛の牡馬。父サンデーサイレンス、母バブルカンパニー。主な勝ち鞍は朝日杯3歳S・天皇賞・フジTVスプリングS。
風船ガムを噛む男
1990年11月、キーンランドの繁殖セールに、1977年フランス生まれの牝馬が上場された。バブルカンパニー。現役では十二戦して一勝しか挙げていない。繁殖牝馬としては高齢の部類だった。ただ、母のプロディースはフランスのサンタラリ賞を勝っており、初仔のキャンディストライプスはフランス二千ギニーの二着、同じ母から出たインティミストはGIクリテリウムドサンクルーを勝っていた。しかも腹には、そのインティミストと同じ父アークティックターンの仔が入っていた。 社台ファーム代表の吉田照哉は、年齢の割に消耗していない馬体を見た。生まれてくるのが牝馬なら、GI馬の全妹という繁殖牝馬が手に入る。三十七万ドルで落札した。 翌年、生まれたのは牡だった。目算は外れた。それでもバブルカンパニーは千歳に残され、次の年、日本で最初の相手をあてがわれる。輸入されたばかりの新種牡馬サンデーサイレンスである。最初の仔は血統登録を待たずに死んだ。二度目の配合も、相手は同じだった。 1993年4月11日、社台ファームで鹿毛の牡馬が生まれる。所有はクラブ法人の社台レースホース。英語で風船ガムを噛む男を意味する名がついた。バブルガムフェロー。 牧場の田辺滋久は、生まれたときから垢抜けていて、動きが柔らかく、走り方もしっかりしていた、と語っている。一年上の世代では、サンデーサイレンスの初年度産駒フジキセキが暮れの朝日杯を勝ったばかりだった。それでも田辺は後年、この馬の幼駒時代の評価はフジキセキより上だったかもしれない、と振り返っている。父の産駒が走ることはもう証明されており、急いで勝ち上がらせる必要はない。時間をかけて育てられ、1995年8月30日、美浦の藤沢和雄厩舎へ入った。 その夏、社台ファームを訪ねた武豊は、吉田から、関東にもう一頭すごいのが行くことになっている、と聞かされている。だから関西の大将格になるこちらに今のうちに――そう勧められた馬がダンスインザダークだった。関東へ行く一頭とは、まだ一度も競馬場を走っていないこの馬のことである。
二度目の新馬戦
1995年10月7日、東京の芝千八百。単勝一・三倍の一番人気。中団で待って直線に懸けたが、逃げた馬にも、先に抜け出した馬にも、アタマ差ずつ足りなかった。三着。勝ち馬とは同じ時計である。脚は使えていた。ただ、間に合わなかった。 三週間後、折り返しの新馬戦を選ぶ。今度は自分で先手を取り、後続を寄せつけずに勝った。十一月の府中三歳ステークスは二番手から。最終コーナーで、促されないうちに先頭へ出ている。詰め寄るサクラスピードオーをもう一度突き放して一馬身差。 三戦とも東京の芝千八百だった。初戦は入厩まもないから追走の楽な条件を、続く二戦は翌春のクラシックを見据えて選ばれている。鞍上は岡部幸雄。藤沢とは二年前にシンコウラブリイでGIを獲った間柄で、以後、事情のないかぎり岡部はこの馬に乗り続けることになる。 次走で二人の考えは分かれた。岡部は皐月賞と同じ中山二千のホープフルステークスを推す。藤沢は却下し、距離を二百縮め、回りも変えて、中山の芝千六百――朝日杯三歳ステークスを選んだ。あまりにいい競馬をしすぎている、千六百の速い流れで少し泡を食ったところを見てみたい、どんな反応をするのか。それが理由だった。 十二月十日、十二頭立ての一番人気。スローペースを、逃げ馬のすぐ後ろで折り合った。三コーナーから、中団にいたエイシンガイモンが外を回って上がっていき、直線の入口では独走になっている。追える馬は一頭しかいなかった。四コーナーを二番手で回り、直線で並びかけ、二頭の競り合いになる。抜け出す見通しが立ったところで岡部は追うのをやめ、手綱を抑えたまま四分の三馬身差でゴールを通過した。 一分三十四秒二は、当時のこの競走で二番目に速い時計だった。二着エイシンガイモンの鞍上は武豊である。年末のJRA賞では、最優秀三歳牡馬に百七十七票のうち百七十六票が入った。同じ父を持つロイヤルタッチ、イシノサンデー、ダンスインザダークと合わせ、四頭はサンデーサイレンス四天王と呼ばれるようになる。
四月五日
1996年3月24日、スプリングステークス。単勝一・五倍。後方でスローを追走し、直線で外へ出した。岡部が周囲を窺う余裕を取ってから軽く合図を送ると、この馬はたちまち反応して前をまとめてかわす。強く追われないまま、追い込むチアズサイレンスに半馬身差をつけた。四連勝。皐月賞はこれで決まりだと、誰もが思った。 十二日後の四月五日、皐月賞の一週前追い切りを終えた直後に、右脚第一趾節種子骨の骨折が判明する。全治六か月。皐月賞も東京優駿も消えた。 四天王の春は、彼のいないところで進んだ。皐月賞はダンスインザダークも熱発で回避し、イシノサンデーが勝つ。東京優駿は七番人気のフサイチコンコルドがデビュー三戦目で戴冠し、ダンスインザダークがクビ差の二着に泣いた。バブルガムフェローはそのころ、生まれた千歳の牧場で脚が固まるのを待っていた。 同じ五月、その牧場で母バブルカンパニーがトニービンの仔を産んだ。四日後の五月二十四日、母は急に死んだ。十九歳だった。最後に産んだ仔はファンキーバブルと名づけられ、のちに兄と同じ藤沢厩舎の門をくぐることになる。 骨の治りはよかった。七月から運動を始め、八月二十八日に美浦へ帰ってきた。
菊ではなく
秋の目標を、陣営は菊花賞ではなく天皇賞(秋)に置いた。 当時、この世代の馬にとって秋の大目標は菊花賞と決まっていた。天皇賞(秋)が四歳馬――いまの表記なら三歳馬――に門を開いたのは第一回の1937年だけで、翌年から半世紀近く、古馬だけのレースだったからである。1987年に出走権が戻ってからの九年間で挑んだのは四頭。1988年のオグリキャップがタマモクロスの二着、前年のジェニュインがサクラチトセオーにハナ差の二着。勝った馬はいなかった。 サラブレッドが本当に完成するのは五歳(いまの四歳)の秋だ、というのが当時の通り相場でもあった。藤沢の見方は違う。同じ厩舎のタイキブリザードと比べても素質でひけを取らない、天皇賞でも勝ち負けになる。世代限定のタイトルより古馬混合のタイトルに価値を置く人でもあった。 十月六日の毎日王冠で復帰する。有力な古馬の多くが別路線を選び、顔ぶれは手薄だった。中団から追い込んだものの、逃げたトーヨーリファールと二番手を進んだアヌスミラビリスを捉えきれずに三着。骨折明けとしては上々だった。 そして本番の週、藤沢と岡部は日本にいない。二人はカナダのウッドバインにいた。同じ厩舎のタイキブリザードでブリーダーズカップ・クラシックに挑むためである。現地の十月二十六日、タイキブリザードは十三頭立ての十三着に終わった。勝ったアルファベットスープとの差は二十六馬身四分の三。 東京に残された鞍は、デビュー十年目の蛯名正義に回ってきた。重賞は勝っていた。GIだけが、まだなかった。藤沢は出国の前に、指示らしい指示をひとつだけ置いていく。 「受けて立つ競馬で、自信を持って乗っていいからな」[^1] 蛯名がこの馬に跨がったのは、当日のパドックが最初だった。
出典:中日スポーツ・東京中日スポーツ「バブルガムフェローでつかんだGⅠ初勝利…『自信を持って乗っていいからな』藤沢和師の言葉で蛯名正義は殻を打ち破れた」2022年2月25日配信、https://www.chunichi.co.jp/article/424265 、閲覧日:2026年8月3日。
一分五十八秒七
1996年10月27日、東京競馬場。晴れて、芝は良。十七頭が枠に入った。 天皇賞(春)でナリタブライアンを負かしたサクラローレルがいる。六連勝中のマーベラスサンデーがいる。夏の宝塚記念を勝ったマヤノトップガンがいる。世代でただ一頭ここへ来た若い馬は、三番人気だった。 ゲートが開くと、この馬はすぐ三番手を取った。前を行くのはトウカイタローとカネツクロス。流れは緩い。千メートルの通過は一分〇秒三。前が飛ばす気配はなかった。二コーナーで三番手。三コーナーでも三番手。四コーナーを回っても、位置はひとつも動かない。奇をてらうところが、どこにもなかった。 動いたのは直線である。残り四百メートルから残り二百メートルまでの二百を、この日いちばん速い十一秒ちょうどで刻んだ。先頭に立つ。すぐ後ろから、マヤノトップガンが並びかけてきた。 最後の二百は十二秒ちょうどまで落ちる。どの馬の脚も重くなる区間だ。ここで、並ばれた側がもう一度伸びられるかどうか。一年前の中山で、独走するエイシンガイモンに追いついて競り落としたときと同じことを、この馬はもう一度やってのける。並んできた相手の脇へ自分から出ていき、そのまま突き放した。 半馬身。一分五十八秒七。 蛯名は入線した直後、鞍の上で拳を突き上げた。前の年の天皇賞(春)で、ステージチャンプに乗ってほぼ同時に入線し、同じように拳を上げて、写真判定で二着だったことがある。今度は間違えていなかった。 カナダのホテルでは、自分の管理馬が最下位に敗れた夜に、藤沢が国際電話の受話器越しで実況を聞いていたという。映像を確かめたのは、帰りの飛行機の中である。 1937年のハッピーマイト以来五十九年ぶり、史上二頭目。出走権が復活してからは、初めての若い天皇賞馬だった。
戻ってきた鞍上
一か月後のジャパンカップで、岡部が鞍に戻った。二番人気。先行して四、五番手を進んだが、直線で伸びず、後ろから来る馬に次々と抜かれて十三着。デビュー以来はじめての二桁着順で、勝ったシングスピールから三秒離された。 レース後、記者のひとりが故障を疑い、壊れたのではないかと訊いた。岡部は、壊れたのは馬体ではなく頭のほうだと切り返し、走る気がなかった、と振り返っている。 この一戦が消したものは、着順よりも大きかった。天皇賞のあと、吉田照哉は菊花賞を勝ったダンスインザダークとこの馬を連れて、翌年ヨーロッパへ渡る計画を立てていた。エプソムのコロネーションカップ、アスコットのキングジョージ、成績次第では秋のロンシャン。いずれも二千四百メートルの競走である。その二千四百のジャパンカップで大敗したことで、話は立ち消えになった。ダンスインザダークも、菊花賞を最後に引退している。 有馬記念は使わなかった。この馬の秋は、そこで終わった。
二つのクビ差
半年休んで、1997年6月15日の鳴尾記念で始動する。GIを勝った馬として、出走馬のなかで最も重い五十九キロを背負っていた。先行して直線で抜け出し、前を走っていた空馬――騎手を落としたまま走り続けた馬――も交わして先頭で入線する。藤沢はこの週まで、三週で四つの重賞を勝った。 七月六日の宝塚記念。岡部が同じ厩舎のタイキブリザードに乗ったため、鞍上はふたたび蛯名になった。中団から進み、逃げ馬が脱落するのに合わせて位置が上がる。直線ではそのタイキブリザードとの競り合いを制して抜け出した。そこへ、後方から末脚を伸ばしたマーベラスサンデーが来る。ゴール手前で交わされ、クビ差の二着。 秋、毎日王冠を一番人気で勝つ。先に抜け出したツクバシンフォニーを直線で捉えて半馬身差だった。 十月二十六日、二度目の天皇賞(秋)。単勝一・五倍。一年前に顔を合わせたサクラローレルもマヤノトップガンもマーベラスサンデーもいない。代わりに、札幌記念から来た牝馬エアグルーヴがいた。 この日は前年と正反対の流れになる。若いサイレンススズカが後続を大きく引き離して逃げ、千メートルの通過は五十八秒五。バブルガムフェローは離れた三番手でじっと我慢し、エアグルーヴは中団にいた。直線でスズカが止まると、前にいたこの馬が先に抜け出す。そこへエアグルーヴが差してきた。競り合いはゴール前までもつれ、抜かせはしなかったが、抜き返せもしなかった。クビ差の二着。三着以下は、五馬身うしろだった。 十一月二十三日のジャパンカップは、エアグルーヴとイギリスのピルサドスキーを加えた三強と言われ、一番人気はこの馬だった。二頭を前に置いて先行し、直線でエアグルーヴが動き、ピルサドスキーが並ぶ。届いたのはその二頭だけで、この馬は伸びきれずに三着に終わる。 有馬記念は回避した。それが、現役最後の判断になった。
拓いた道
早来で種牡馬になり、初年度から三桁の繁殖牝馬を集めた。京成杯を勝ったアーリーロブスト、プロキオンステークスのトシキャンディ、ニュージーランドのGIを勝ったRockabubble。母の父としては、JBCスプリントを制したダンシングプリンスがいる。晩年は門別へ移り、2010年4月26日の夜、肺炎で死んだ。十七歳だった。母から続く牝系はその後も伸び、2012年の東京優駿は、同じ牝系のディープブリランテが勝っている。 時計を先へ回す。2022年2月28日、藤沢和雄が定年で調教師を退いた。JRA通算千五百七十勝。翌三月一日、その厩舎の三十三頭を引き継いで開業したのが蛯名正義である。カナダへ発つ前に自信を持って乗れと言い残した男の看板を、その一言で初めてのGIを勝った男が受け取った。蛯名は後年、あの馬を「自分がステップアップするのに大きなきっかけとなった馬」[^1]と呼び、四歳(現三歳)で古馬に挑むのは主流ではなかった、当時としてはすごいことだった、と続けている。2026年6月15日、蛯名は騎手部門の顕彰者に選ばれた。騎手からの選出は十二年ぶりで、前回選ばれた四人のなかには、この馬の主戦だった岡部幸雄がいる。 秋の東京に三歳馬がゲート入りしても、いまは驚かれない。2002年には同じ藤沢厩舎のシンボリクリスエスが同じ盾を掲げ、若い馬が古馬の頂に挑むことは珍しい話ではなくなった。驚かれなくなったこと自体が、この馬の残したものである。並ばれてから、もう一度伸びる――府中の直線でバブルガムフェローがやってみせたのは、それだけだ。その半馬身の先に、いまの秋がある。
出典:中日スポーツ・東京中日スポーツ「バブルガムフェローでつかんだGⅠ初勝利…『自信を持って乗っていいからな』藤沢和師の言葉で蛯名正義は殻を打ち破れた」2022年2月25日配信、https://www.chunichi.co.jp/article/424265 、閲覧日:2026年8月3日。
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