名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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アサクサデンエンのイメージビジュアル
アサクサデンエンAsakusa Den'en
Asakusa Den'en

アサクサデンエン

通算成績31戦8勝

獲得賞金38,097万円

生年月日 1999.03.22(平成11年)毛色 栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
アサクサデンエンの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
4 GII阪神カップ 阪神 芝1400 5人気 藤田伸二 1:20.7 上り34.9
7 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 8人気 田中勝春 1:59.4 上り35.1映像
13 GII毎日王冠 東京 芝1800 1人気 藤田伸二 1:46.3 上り34.9映像
2 GI安田記念 東京 芝1600 10人気 藤田伸二 1:33.0 上り33.8映像
15 GIドバイデューティーフリー アラブ首長国連邦 芝1777 武豊 1:56.4 映像
6 GI香港マイル 香港 芝1600 藤田伸二 1:35.2 映像
4 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 9人気 蛯名正義 2:00.3 上り33.2映像
1 GI安田記念 東京 芝1600 7人気 藤田伸二 1:32.3 上り34.3映像
1 GII京王杯スプリングカップ 東京 芝1400 6人気 後藤浩輝 1:20.3 上り34.6
3 GII読売マイラーズカップ 阪神 芝1600 10人気 四位洋文 1:33.7 上り33.2
4 OP岡部幸雄騎手引退記念 中山 芝1600 1人気 横山典弘 1:33.9 上り33.9
4 GIII東京新聞杯 東京 芝1600 2人気 横山典弘 1:34.3 上り33.6
2 OPニューイヤーS 中山 芝1600 1人気 蛯名正義 1:33.5 上り34.4
1 クリスマスC 中山 芝1600 1人気 藤田伸二 1:32.7 上り34.4
2 ゴールデンホイップトロフィー 阪神 芝1600 5人気 G.ボス 1:33.7 上り35.1
14 白秋S 東京 芝1400 4人気 横山典弘 1:24.4 上り37.0
3 市川S 中山 芝1600 2人気 横山典弘 1:34.8 上り34.6
1 錦秋特別 東京 芝1400 1人気 横山典弘 1:21.2 上り33.5
1 テレビ山梨杯 東京 芝1600 1人気 横山典弘 1:33.5 上り34.5
3 グリーンチャンネルカップ 札幌 芝1800 1人気 横山典弘 1:48.8 上り35.4
12 GIII函館記念 函館 芝2000 5人気 横山典弘 2:01.1 上り36.0
2 HTB杯 函館 芝1800 2人気 横山典弘 1:49.3 上り37.0
3 むらさき賞 東京 芝1800 2人気 後藤浩輝 1:49.0 上り35.2
1 八ケ岳特別 東京 芝1800 2人気 後藤浩輝 1:47.3 上り33.5
8 千葉日報杯 中山 芝1600 2人気 後藤浩輝 1:34.7 上り34.1
3 房総特別 中山 芝1600 2人気 後藤浩輝 1:34.8 上り35.3
6 伏見特別 京都 芝1600 2人気 武豊 1:35.4 上り34.5
6 日高特別 札幌 芝2000 1人気 田中勝春 2:02.4 上り36.3
4 GIIIユニコーンS 東京 ダ1600 8人気 後藤浩輝 1:37.3 上り37.8
1 ひいらぎ賞 中山 芝1600 5人気 後藤浩輝 1:34.3 上り35.0
1 2歳新馬 東京 芝1600 3人気 後藤浩輝 1:37.6 上り36.2

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
アサクサデンエンの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
SingspielIn the Wings In The WingsSadler's Wells
High Hawk
Glorious SongHalo
Ballade
ホワイトウォーターアフェアWhitewater AffairMachiavellianMr. Prospector
Coup de Folie
Much Too RiskyBustino
Short Rations
STORY

旅程 — この馬の物語

1999年生まれの栗毛の牡馬。父Singspiel、母ホワイトウォーターアフェア。主な勝ち鞍は安田記念・京王杯スプリングC。

浅草の田園

1999年3月22日、イギリスで栗毛の牡馬が生まれた。 母はホワイトウォーターアフェア。1997年にフランスのポモーヌ賞を勝ち、イギリスのジョンポーターステークスでは牡馬を相手に勝った牝馬である。ヨークシャーオークスで2着、アイリッシュセントレジャーで3着。繁殖に上がって最初に産んだのが、この栗毛だった。 父はSingspiel。1996年のジャパンカップと、翌年のドバイワールドカップを勝ち、1998年から種牡馬になった。つまりこの馬は、母の一番仔であり、父の初年度産駒でもある。どちらから見ても、最初の一頭だった。 生産したのは、当時この牝馬をイギリスに持っていた関口房朗。日本での馬主になったのは、東京・元浅草の田原源一郎である。広告物の製作会社を営む実業家で、若い頃は自動車レースの世界にいた。1963年の第1回日本グランプリ。ダットサン・フェアレディ1500のハンドルを自分で握り、国内スポーツカーのクラスで優勝している。 馬主としての冠名「アサクサ」は、自身が育った浅草から取った。勝負服は桃色の地に黒の蛇目を散らし、袖も桃色。その色は、このときすでに三十年以上ターフに出ていた。 2001年11月4日、東京競馬場の芝1600メートル、2歳新馬。鞍上は後藤浩輝で、3番人気だった。勝った。翌月のひいらぎ賞も勝ち、2戦2勝で二歳を終える。厩舎は美浦の河野通文。この馬は最後まで、この厩舎を離れなかった。

四年

三歳の春、陣営はダートを試している。6月のユニコーンステークスは、初めての重賞挑戦で4着。夏の札幌、日高特別は1番人気に推されて6着だった。そこから五か月、出走表からこの馬の名が消える。三歳の一年で走ったのは、二度きりだった。 四歳は、条件戦の一年になった。1月の伏見特別6着から始め、中山で3着と8着。東京に替わった5月の八ケ岳特別を、後藤浩輝で勝つ。三勝目である。 夏は北海道へ渡った。函館記念は芝2000メートル。二度目の重賞で、12着だった。秋は東京へ戻り、テレビ山梨杯と錦秋特別を連勝する。乗っていたのは横山典弘。この馬の手綱を、生涯でいちばん多く握った騎手である。 12月の市川ステークスで3着。そして、また消えた。 次に名前が載るのは十か月後、2004年10月31日である。理由は公にされていない。五歳の一年で走ったのは、三度だけだった。 復帰戦の白秋ステークスは14着。12月のゴールデンホイップトロフィーで2着に入り、暮れのクリスマスカップを勝つ。鞍上は藤田伸二。この馬にとって、最初の藤田だった。

五月のレコード

2005年、六歳。 年明けのニューイヤーステークスで1番人気の2着。東京新聞杯4着。中山の岡部幸雄騎手引退記念でも1番人気に支持されて4着。阪神のマイラーズカップは10番人気で3着だった。勝ち切れない。しかし、着順表の上のほうから落ちてこない。そういう馬になっていた。 5月15日、東京の芝1400メートル。京王杯スプリングカップ。6番人気だった。 鞍上は後藤浩輝である。三年半前、この馬に初めての勝利を運んだ男が、久しぶりに戻ってきていた。 内から抜け出して、1分20秒3。東京の1400メートルのコースレコードだった。 二十三戦目にして、初めての重賞勝ち。六歳の五月だった。

府中の坂

6月5日。東京は晴れて、芝は良だった。 この年から安田記念は、香港のチャンピオンズマイルと結ばれたシリーズの一戦になっている。香港からは、その初戦を勝ったブリッシュラックと、同じレースで2着に敗れたサイレントウィットネスが来ていた。サイレントウィットネスはデビューから十七連勝を積み上げた馬で、香港最強のスプリンターと呼ばれていた。連勝が止まったのは、その前走である。日本側にも皐月賞馬がいて、桜花賞馬がいて、高松宮記念の勝ち馬がいた。 そのなかで、アサクサデンエンは七番人気だった。 鞍上の藤田伸二は、この馬なら距離が延びたほうがいい、抜けた存在のいないここには勝機がある、と踏んでいたという。GIのタイトルからは、三年近く遠ざかっていた。 ゲートが開く。出足は良かった。行きたい馬を行かせて、藤田は控えた。ローエングリンが引っ張り、サイレントウィットネスがその背中を見る位置に付ける。アサクサデンエンは中団の、七、八番手にいた。 最初の二ハロン目が十秒七。速い。だが中盤で息が入り、隊列はそのまま四コーナーへ流れ込んだ。三コーナーでも四コーナーでも、この馬の位置は動いていない。動かさなかった、と言ったほうが近い。 府中の直線には坂がある。上り切ったところから、ゴールまでは二百メートルほどだ。仕掛けたのは、そこからだった。 前ではサイレントウィットネスが粘っていた。前走から二十キロ以上も体重を減らしていた馬が、それでもまだ先頭を争っていた。アサクサデンエンがその脇へ並ぶ。かわす。 かわした瞬間、別の脚が来た。四歳の牝馬、スイープトウショウ。三週間後に宝塚記念を勝つことになる馬である。 クビ差だった。一分三十二秒三。三着のサイレントウィットネスまで、三頭が同じ時計でゴールを過ぎている。逃げたローエングリンは、後ろから数えたほうが早い場所まで下がっていた。その手綱を握っていたのは、前走でこの馬を重賞の勝ち馬にした後藤浩輝である。 ゴールの後、藤田は拳を握った。インタビューで、こう言っている。 「久々に、男・藤田になれました」[^1] この日、田原源一郎は七十五歳。馬主として登録して、四十年目だった。冠名「アサクサ」を背負った馬は数えきれないほど走り、重賞も勝ってきた。GIだけが、来なかった。四十年目の六月に、それが来た。

出典:日本中央競馬会「第55回 安田記念(GI)レース結果」2005年6月5日、https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/yasuda/result/yasuda2005.html、閲覧日:2026年8月2日。

海と、馬群の中

秋は天皇賞(秋)へ向かった。九番人気。 前半の千メートルが六十二秒台という遅い流れで、終いの脚だけを比べる競馬になった。この馬は上がり三ハロン(最後の六百メートル)を三十三秒二で走って四着。上位三頭は同じ二分〇秒一で入っている。勝ったのは十四番人気のヘヴンリーロマンスだった。 12月、香港へ渡って香港マイルは6着。勝ったのはハットトリックである。半年前の安田記念で、この馬のはるか後ろにいた馬だった。 年が明けて三月、ドバイ。デューティフリーの鞍上は武豊。父Singspielは九年前、この国のワールドカップを勝っている。同じ初年度産駒のムーンバラッドも、三年前に同じ競走を勝っていた。息子は父が走った土地で二桁着順に終わった。 帰国して、二度目の安田記念。十番人気だった。 前の年とは流れがまるで違う。メイショウボーラーが引っ張り、千メートルの通過が五十八秒一。二ハロン目からずっと十一秒台が続く、息の入らない競馬になった。 アサクサデンエンは、その速い流れの後ろにいた。三コーナーで十八頭の十六番目。四コーナーでも、まだ後方の一団にいる。 直線で馬群を割った。上がり三ハロンは三十三秒八。レース全体の上がりより〇秒七速い。内で粘るダイワメジャーを抑え、外から差を詰めるジョイフルウィナーも抑えて、二着。先に抜け出していたブリッシュラックには、二馬身半だけ届かなかった。 七歳の六月だった。前の年に先頭でくぐったゴール板を、今度は後ろから追いかけて、二番目に過ぎた。

桃、黒蛇目散、桃袖

秋の毎日王冠で、この馬は一番人気に推された。重賞で一番人気になったのは、生涯でこの一度きりである。結果は十三着。勝ったのはダイワメジャーだった。 三週間後の天皇賞(秋)。同じゲートに、母を同じくする弟がいた。 スウィフトカレント。父はサンデーサイレンス、母はホワイトウォーターアフェア。兄がイギリスで生まれたあと、母は社台グループに買われて日本へ渡った。この弟は2001年、その日本で生まれている。 弟は横山典弘を背に、ダイワメジャーの半馬身後ろで二着に来た。兄が条件戦を回っていた頃、何度も手綱を握っていた騎手である。兄は七着だった。 12月17日、阪神カップ4着。これが最後の一戦になった。 その十八日後、2007年1月4日。田原源一郎が肺炎で亡くなった。七十七歳である。 所有していた競走馬と、桃に黒の蛇目を散らした勝負服は、妻の慶子へ引き継がれた。その年の2月、慶子の名で走るアサクサキングスがきさらぎ賞を勝つ。秋には菊花賞も勝った。「アサクサ」の名は、四十年待った人がいなくなった年に、もう一度大きなレースの先頭にいた。 母は日本で仔を産み続けた。2007年に生まれた牡馬が、皐月賞と有馬記念とドバイワールドカップを勝つヴィクトワールピサである。母が死んだのは2010年4月27日、その仔が皐月賞を勝った一週間あまりあとのことだった。はじめに産んだ仔が府中のマイルでGIを勝ち、のちに産んだ仔がドバイでワールドカップを勝った。 田原源一郎は、勝ち方を知らない人ではなかった。1963年、自分でハンドルを握って、自分のクラスの頂点を走っている。ただ、馬の背には乗れない。馬主にできるのは、自分の代わりに走ってくれと頼むことだけだ。頼み続けて四十年目の六月、七番人気の六歳馬が、坂を上り切ったところで返事をした。 返事は一度きりだった。桃色の服はそのあとも府中へ何度も出て、二度と先頭では戻らない。それでも、あの六月の午後に東京競馬場の直線を最初に抜けていったのは、浅草で育った男の色だった。

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