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アドマイヤジュピタ
通算成績14戦7勝
獲得賞金3億2,657万円
生年月日 2003.03.01(平成15年)毛色 栗毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 9 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 2人気 | 岩田康誠 | 2:28.0 | 上り35.1 | — | |
| 1 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 3人気 | 岩田康誠 | 3:15.1 | 上り34.7 | 映像 | |
| 1 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 4人気 | 岩田康誠 | 3:08.7 | 上り34.7 | — | |
| 4 | GII日経新春杯 | 京都 芝2400 | 1人気 | 岩田康誠 | 2:27.8 | 上り37.5 | — | |
| 1 | GIIアルゼンチン共和国杯 | 東京 芝2500 | 2人気 | 村田一誠 | 2:30.9 | 上り35.1 | — | |
| 1 | 鳴滝特別 | 京都 芝2200 | 1人気 | 岩田康誠 | 2:15.0 | 上り33.6 | — | |
| 2 | 美作特別 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 岩田康誠 | 2:00.8 | 上り35.0 | — | |
| 1 | 3歳以上500万下 | 新潟 芝1800 | 2人気 | 吉田隼人 | 1:46.8 | 上り34.0 | — | |
| 1 | ゆきやなぎ賞 | 阪神 芝2200 | 1人気 | 岩田康誠 | 2:16.0 | 上り35.7 | — | |
| 3 | OPすみれS | 阪神 芝2200 | 1人気 | 安藤勝己 | 2:19.1 | 上り35.0 | — | |
| 2 | OP若駒S | 京都 芝2000 | 3人気 | 四位洋文 | 2:03.3 | 上り34.3 | — | |
| 1 | 2歳未勝利 | 阪神 芝2000 | 3人気 | 岩田康誠 | 2:03.3 | 上り36.0 | — | |
| 3 | 2歳未勝利 | 阪神 芝1600 | 5人気 | 岩田康誠 | 1:37.9 | 上り37.2 | — | |
| 8 | 2歳新馬 | 京都 ダ1400 | 2人気 | 武豊 | 1:27.6 | 上り36.7 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父フレンチデピュティFrench Deputy | Deputy Minister | Vice Regent |
| Mint Copy | ||
| Mitterand | Hold Your Peace | |
| Laredo Lass | ||
| 母ジェイズジュエリー | リアルシャダイReal Shadai | Roberto |
| Desert Vixen | ||
| アサーションAssertion | Assert | |
| Yes Please |
旅程 — この馬の物語
2003年生まれの栗毛の牡馬。父フレンチデピュティ、母ジェイズジュエリー。主な勝ち鞍は天皇賞・アルゼンチン共和国杯・阪神大賞典。
木星の名 ― 早来の栗毛
2003年3月1日、北海道早来町――いまの安平町――のノーザンファームに、栗毛の牡馬が生まれた。父はフレンチデピュティ。芝もダートも問わない万能の種牡馬である。ただ、長い距離をこなす血は母方に流れていた。母ジェイズジュエリーの父リアルシャダイは、京都の3200mを二度制したライスシャワーを送り出した種牡馬である。 馬主・近藤利一の冠名「アドマイヤ」に、木星を意味するジュピターを継いで、アドマイヤジュピタと名づけられた。母の同腹の姉プロモーションは1997年のクイーンステークスを勝った牝馬で、その仔が、十二日遅れて同じ春に生まれたアドマイヤメイン。いとこ同士の二頭は、どちらも近藤の水色の勝負服を着ることになる。 預けられたのは、栗東の友道康夫だった。小動物の獣医になるつもりで大学へ進み、馬術部で馬に出会い、厩務員から調教助手へ上がって、六度目の挑戦でようやく調教師免許を手にした男である。2002年11月に十馬房で開業し、初めての重賞を勝ったのは、この馬がデビューする二か月前のことだった。 デビューは2005年11月13日、京都のダート1400m。鞍上は武豊で、8着。芝に替わった二戦目が3着、三戦目の阪神・芝2000mで、岩田康誠を背にようやく勝ち上がった。武豊がこの馬に跨ったのは、この一度きりである。
飛節のボルト
年が明けると、この馬は世代の上位に名を連ねはじめる。京都の若駒ステークスは四位洋文を背に2着、不良馬場の阪神・すみれステークスは安藤勝己に導かれて3着。そして自己条件のゆきやなぎ賞を二馬身突き放して二勝目を挙げ、オープンへ上がった。ダービー候補という言葉が、栗東で囁かれはじめていた。 その翌日、右後脚の飛節に骨折が見つかった。 秋の菊花賞を目指し、患部にボルトを入れて補強する手術が行われる。骨は繋がっても、強い追い切りには耐えられなかった。菊花賞は断念された。皐月賞も、東京優駿も、彼のいない場所で行われた。 その東京優駿の直線を、逃げて残り100mまで先頭で走っていたのが、いとこのアドマイヤメインである。青葉賞を逃げ切って府中に戻り、メイショウサムソンにクビ差だけ届かなかった。同じ牝系から十二日違いで生まれた二頭のうち、一頭がダービーの坂を上っていたとき、もう一頭は厩舎で脚に鉄を入れていた。 復帰は翌年の夏までずれ込む。一年四か月あまり、彼はレースをしなかった。
目方
2007年7月29日、新潟の芝1800m。休養中に条件が降級していて、彼は500万下から出直した。馬体重は前走から四十キロ増えて510キロ。それでも吉田隼人を背に勝った。秋の阪神・美作特別は一番人気でクビ差の2着、続く京都の鳴滝特別は二着に五馬身をつけ、上がりは33秒6。長距離馬の脚ではなく、切れる脚だった。 十一月、まだ条件馬の身のまま、東京のアルゼンチン共和国杯へ格上挑戦する。手綱は村田一誠。二番人気に支持されると先行から直線で抜け出し、重賞勝ち馬のトウカイトリックを退けた。骨折から一年八か月、彼は自分の格を、自分で証明してみせた。 年末の有馬記念には向かわなかった。友道が定めた的は、翌春の京都にある。年明けの日経新春杯はその最初の関門になるはずが、デビュー以来もっとも重い512キロの体を絞り切れず、一番人気に推されながら四着に敗れた。勝ったのは、同じ水色の勝負服を着たアドマイヤモナークだった。 三月の阪神大賞典には、十キロ絞って現れた。内埒沿いをするすると進み、直線で抜け出すと、前年の勝ち馬アイポッパーとポップロックの追走を振り切り、二着に二馬身半をつけた。3000m。この距離で、彼は初めて明確に強かった。 五月四日、京都。一番人気は前年の菊花賞馬アサクサキングス。二番人気は、春秋の盾に続けて天皇賞三連覇を狙うメイショウサムソン。アドマイヤジュピタは三番人気で、そしてこれが、彼にとって初めてのGI出走だった。
最後にゲートを出た馬
晴れて、芝は良。ゲートが開いた瞬間、十四頭のうち一頭だけが遅れた。芝に脚を取られたのだ。アドマイヤジュピタは、最後に走り出した。 岩田康誠が描いていた絵は、これまで通り二、三番手につけることだった。それが、一完歩で消えた。 「まだ3200mある。この馬の瞬発力なら届く」[^1]。そう腹をくくって、押すのをやめる。前にはメイショウサムソン、ドリームパスポート、ポップロック。逃げるホクトスルタンははるか先を行っている。追わない。流れに乗る。図らずもそれは、淀の長丁場でもっとも走りやすい位置だった。 京都の3200mは、三コーナーの丘を二度越える。一度目の坂を上って下りきるまで、岩田は動かなかった。 二周目。三コーナーの上りで、好位のアサクサキングスが内から逃げ馬に迫った。外からメイショウサムソンが上がってくる。それに合わせて、はじめて手が動く。坂を下り、四コーナーを回るとき、四頭が横に広がっていた。内にホクトスルタン、真ん中にアサクサキングス、外にメイショウサムソン、そのさらに外にアドマイヤジュピタ。 直線。一気に伸びたのは、いちばん外のアドマイヤジュピタだった。先頭に立つ。 そこへ、内からメイショウサムソンが差を詰めてくる。その背にいたのは武豊――二年半前、この馬のデビュー戦で手綱を握っていた男である。二頭の首が交互に伸びる。伸びて、また伸びて、ゴール板の下を通り過ぎた。 アタマ、前に出ていたのはアドマイヤジュピタだった。3分15秒1。最後にスタートを切った馬が、最初にゴールへ飛び込んだ。岩田は何度も腕を振り上げた。
出典:日本中央競馬会「第137回 天皇賞(春)|レース成績データ」、https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/haruten/result/haruten2008.html、閲覧日:2026年8月1日。
四つの水色
その日、京都の芝を近藤利一の勝負服が四つ走っていた。一着がアドマイヤジュピタ、五着にアドマイヤフジ、六着にアドマイヤモナーク。そして最下位の十四着に、いとこのアドマイヤメインがいた。ダービーの直線を先頭で駆けた馬と、そのダービーに出られなかった馬が、二年後、同じ盾を争ったことになる。名を刻んだのは、後者だった。 天皇賞は、鞍上の岩田康誠にとっても、調教師の友道康夫にとっても、馬主の近藤利一にとっても、初めてだった。岩田は2004年、地方所属の騎手のまま菊花賞をデルタブルースで勝ち、中央のクラシックを制した最初の地方競馬の騎手になっている。二年前に中央へ移り、この日、はじめて盾を手にした。友道にとっては、開業から五年半でつかんだ、最初のGIだった。 春のグランプリは待たずに休養へ入る。七月には十万ユーロの追加登録料を払って凱旋門賞に登録された。出走が決まったかのように報じられたが、実際には選択肢をひとつ買っただけで、その後の調教で挫石を発症し、秋は当初の予定どおり国内で走ることになる。 復帰戦の京都大賞典は、盾の日より十四キロ軽い体だった。九着。翌週、右前脚に浅屈腱炎が見つかり、10月22日付で競走馬登録は抹消された。 14戦7勝。GIのゲートに入ったのは、あの一度だけだった。
美沢の背中
2009年、社台スタリオンステーションで種牡馬になった。種付料五十万円に九十四頭の牝馬が集まる。だが生まれてきたのは十九頭だった。受胎率は上がらず、シンジケートは翌年の継続を断念する。種牡馬としての生涯は、一シーズンで終わった。 去勢され、せん馬になって、彼は苫小牧の美沢へ移された。ノーザンホースパーク。生まれた早来とは隣り合う町で、同じ胆振の空の下である。乗馬に向けた馴致には手こずったが、やがて落ち着いた。隣に人がいれば悪さをしない馬になり、上級者に限ってではあるけれど、外から訪れた人がその背にまたがることを許された。天皇賞馬に、乗れる。そういう馬になった。 馬場馬術の大会にも出た。人とコンビを組んで、優勝したこともある。ゲートの中で脚を取られ、最後に走り出した馬が、今度は人の合図に従い、決められた図形を静かになぞった。 2023年11月28日、老衰で死んだ。二十歳だった。 競馬という物差しだけで測るなら、この馬が残したものは細い。GIは一つ、産駒は十九頭、血の線は太らなかった。けれど、あの五月の一鞍は、六度目の受験でようやく免許を取った調教師にとっての、最初のGIだった。友道康夫はそこから、マカヒキ、ワグネリアン、ドウデュースと日本ダービーを三度制する調教師になる。その最初の扉を押し開けたのが、この栗毛だった。 彼自身は、血ではなく背中を差し出して、競走馬として走った三年の、五倍の歳月を生きた。淀の直線でアタマだけ前に出たあの脚は、いまは映像の中にしか残っていない。けれど、美沢の馬場で彼に揺られた人たちの身体には、たぶん、まだあの背中の律動が残っている。
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