名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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エイシンヒカリのイメージビジュアル
エイシンヒカリA Shin Hikari
A Shin Hikari

エイシンヒカリ

通算成績15戦10勝

獲得賞金43,761万円

生年月日 2011.05.03(平成23年)毛色 芦毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
エイシンヒカリの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
10 GI香港カップ シャティン 芝2000 2人気 武豊 2:02.1 映像
12 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 2人気 武豊 2:00.6 上り35.5映像
6 GIプリンスオブウェール イギリス 芝2000 1人気 武豊
1 GIイスパーン賞 フランス 芝1800 4人気 武豊 1:53.2 映像
1 GI香港カップ 香港 芝2000 9人気 武豊 2:00.6 映像
9 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 2人気 武豊 1:59.1 上り34.7映像
1 GII毎日王冠 東京 芝1800 1人気 武豊 1:45.6 上り34.0映像
1 GIIIエプソムカップ 東京 芝1800 2人気 武豊 1:45.4 上り34.6映像
1 OP都大路S 京都 芝1800 1人気 武豊 1:45.7 上り35.0
9 GIIIチャレンジカップ 阪神 芝1800 1人気 岩田康誠 1:46.8 上り36.4
1 OPアイルランドT 東京 芝2000 1人気 横山典弘 1:58.3 上り35.8
1 ムーンライトH 阪神 芝2000 1人気 岩田康誠 1:59.6 上り35.5
1 三木特別 阪神 芝1800 1人気 岩田康誠 1:47.8 上り32.8
1 3歳500万下 京都 芝1800 1人気 和田竜二 1:45.5 上り34.5
1 3歳未勝利 京都 芝1800 1人気 岩田康誠 1:45.7 上り34.3

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
エイシンヒカリの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ディープインパクトDeep ImpactサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
ウインドインハーヘアWind in Her HairAlzao
Burghclere
キャタリナStorm CatStorm Bird
Terlingua
Carolina SagaCaro
Key to the Saga

引退後・牧場での映像

ゴール板の先の時間
STORY

旅程 — この馬の物語

2011年生まれの芦毛の牡馬。父ディープインパクト、母キャタリナ。主な勝ち鞍は香港C・イスパーン賞・エプソムC。

超特急の名を貰う

2011年5月3日、北海道新ひだか町の木田牧場に芦毛の牡馬が生まれた。父ディープインパクト、母キャタリナ、母の父ストームキャット。芦毛は1994年生まれの母から受け継いだ色である。父ディープインパクトと母の父ストームキャットという組み合わせは、2013年のダービー馬キズナ、同年の桜花賞馬アユサン、2014年のエリザベス女王杯を勝ったラキシスと同じ型だった。血統表にはNorthern Dancerが5×4で入る。 馬主は栄進堂、冠名はエイシン。その冠名に足されたのは、超特急の名だった。ひかり——東海道を走るあの列車から採られている。名前の後ろ半分は、速いことと、前を行くことを、あらかじめ約束していた。 一族は地味ではない。半姉のエーシンクールディは父Distorted Humor、地方の牝馬シリーズGRANDAME-JAPANで2011年と2012年の古馬シーズンチャンピオンになり、その仔が2020年のフェアリーステークスとターコイズステークスを勝ったスマイルカナである。つまりスマイルカナにとって、この馬は叔父にあたる。半兄のエーシンシャラクは父タイキシャトル、岩手の早池峰スーパースプリントを勝って種牡馬になった。母の一族をさかのぼれば、サンタアニタハンデキャップを勝ったSir Beaufortがいる。 預けられたのは、エイシンの馬を長く預かってきた栗東の坂口正則厩舎。宮崎の生まれで、伯父も従兄弟も、のちには実子までも調教師になるという一族の出である。1990年にはエイシンサニーでオークスを勝っていた。ただ、それきり大きなタイトルからは遠ざかっていた。 体質が弱く、デビューは遅れた。2歳の一年を、この馬は走らずに過ごした。

外ラチのすぐ側まで

2014年4月26日、京都の芝1800m。三歳の四月にようやく迎えたデビュー戦だった。岩田康誠を背に、スタート直後から好位につけ、後半でペースを上げて2着に5馬身の差をつけた。 二戦目からは、逃げた。5月18日の京都は和田竜二に手綱が渡って500万下を勝ち、6月7日の阪神・三木特別は岩田に戻って上がり3ハロン32秒8。9月28日のムーンライトハンデキャップも逃げ切り、無傷の四連勝となる。菊花賞の有力候補にも名が挙がったが、距離が長すぎるという理由で、陣営はそこへ向かわなかった。 五戦目は10月19日、東京のアイルランドトロフィー。逃げ馬には厳しいとされる舞台で、横山典弘は前半1000mを58秒2で飛ばす大逃げを打った。ところが直線、馬はコースの内から外へ大きくよれ、外ラチのすぐ側まで達してしまう。それでも2着に3馬身半をつけて、五連勝。速いのに、まっすぐ走らない。癖馬、破天荒——そういう言葉が付き始めたのはこの頃である。 初めての重賞挑戦は12月13日のチャレンジカップだった。単勝1.9倍の1番人気。1000mを58秒台で飛ばしたが直線で失速し、9着。六戦目にして、初めて他馬に先着を許した。勝ったのはトーセンスターダムである。

武豊が乗る

2015年5月16日、京都の都大路ステークス。五か月ぶりの実戦で、鞍上に武豊が座った。稍重の京都を逃げてグランデッツァを1馬身1/4抑え、六勝目。この日から引退までの九戦を、エイシンヒカリはすべてこの騎手と走ることになる。 6月14日、東京のエプソムカップ。それまでの飛ばすだけの逃げとは違い、落ち着いたペースで後続を引きつけながら先頭を進んだ。直線で内から迫ったサトノアラジンをクビ差だけ退けて、重賞初制覇。手綱の主が替わって、逃げ方が替わっていた。 秋初戦は10月11日の毎日王冠。13頭立ての8枠13番から先手を取ると、上がり3ハロン34秒0という数字を逃げたまま出し、ディサイファ以下を寄せ付けなかった。前へ行って、直線でもう一度加速する。この馬の形が完成した一戦だった。 重賞を二つ持って、残るはGIだけになった。

ハナを譲った日

2015年11月1日、天皇賞(秋)。18頭立ての2番人気に推された。 ゲートが開くと、先頭に立ったのはクラレントだった。エイシンヒカリはハナを譲り、二番手を追走する形になる。二戦目から前走まで、この馬は八戦続けて先頭にいた。前に馬を見ながら直線を迎えるのは、デビュー戦以来である。 伸びなかった。上がり3ハロン34秒7は決して悪い数字ではなかったが、勝ったラブリーデイから0秒7差の9着に終わった。 「G1の壁かも」[^1]。レース後、武豊はそう言った。 それでも陣営は歩みを止めなかった。次に選んだ舞台は、暮れの香港だった。

出典:スポーツニッポン「【天皇賞・秋】エイシンヒカリ逃げずに9着…武豊「G1の壁かも」」2015年11月2日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/11/02/kiji/K20151102011430860.html、閲覧日:2026年7月27日。

沙田のレコード

2015年12月13日、香港・沙田競馬場の芝2000m。13頭立ての外めの枠から、単勝38.0倍の9番人気。日本からはヌーヴォレコルトも参戦していた。 ゲートを出るなり先頭に立ち、そのまま行った。行きたがる馬をぎりぎりのところで御しながら、直線に入ってもう一段ギアを上げる。内から伸びたヌーヴォレコルトも、外から来たブレイジングスピードも届かない。着差は1馬身1/4。時計は2分00秒60で、このレースが2000m戦になった1999年以降の最速だった。 日本馬のワンツーだった。日本調教馬が香港カップを勝つのは、2001年のアグネスデジタル以来、十四年ぶりである。武豊は2013年にトウケイヘイローで逃げて2着に惜敗していたが、このレースを勝つのは初めてだった。そして坂口正則にとっては、1990年のオークス以来、二十五年ぶりのGI制覇だった。 この年のロンジンワールドベストレースホースランキングで、エイシンヒカリは123ポンドの8位タイに置かれた。日本調教馬では最上位の評価である。

シャンティイの十馬身

2016年、陣営はまず前年と同じ沙田のクイーンエリザベス2世カップを目指したが、状態が合わずに断念し、行き先をヨーロッパへ変えた。大目標はロイヤルアスコットのプリンスオブウェールズステークス。その前哨戦に選んだのが、5月24日のイスパーン賞だった。 舞台はシャンティイである。改修工事に入ったロンシャンの代替開催で、距離も本来の1850mではなく1800mだった。連日の雨で芝は重く沈み、馬場はフランスの表記で「collant」と発表された。スピードで押す馬には向かない条件と見られ、単勝は7.2倍の4番人気まで下がっていた。 ゲートを出て先手を主張したが、外からヴァダモスに来られてハナを奪われる。この馬にとっては最も嫌な形のはずだった。ところが武豊は逆らわず、二番手で我慢させ、荒れていない外めを回した。直線半ば、前へ並びかけてすっと抜け出すと、そこからは差が広がる一方になる。ゴール板を通過したとき、2着のDariyanは十馬身後ろにいた。勝ち時計1分53秒29。21世紀のG1競走の着差としても、当時の歴代九位に数えられる大差だった。 逃げる形を思い描いていたので今日の展開には驚いた、と前置きしたうえで、坂口はこう続けた。「これで胸を張って、イギリスのロイヤルアスコットに向かえますね」[^1] 速報のレーティングは129ポンド。カリフォルニアクロームらを抑え、ジャスタウェイ以来となる日本調教馬の世界単独首位だった。英レーシングポスト紙のランキングでも一位に置かれ、ブックメーカーはプリンスオブウェールズステークスの一番人気にこの馬を据えた。 名前の後ろ半分が、ようやく実体を持った春だった。

出典:ラジオNIKKEI 競馬実況web「【イスパーン賞】(フランス)~エイシンヒカリ圧勝!「胸を張ってロイヤルアスコットに」」、http://www.radionikkei.jp/keiba/post_8901.html、閲覧日:2026年7月27日。

アスコットと、東京の直線

6月15日、アスコット。プリンスオブウェールズステークスはわずか6頭立てで、単勝1.67倍。数字の上では、勝ったも同然の扱いだった。 果敢にハナを奪った。しかし道中で行きたがり、早めにスパートをかけたことが仇になる。直線で止まり、6頭の最後尾でゴールした。勝ったのはMy Dream Boatだった。 帰国後、陣営は先の予定を明らかにする。秋の天皇賞を国内の最終戦とし、暮れの香港カップを最後に引退して種牡馬になる、と。 10月30日、天皇賞(秋)。逃げ馬には願ってもない1枠1番を引き当て、モーリスに次ぐ2番人気に推された。ハナを切り、1000m通過は60秒8。緩い流れを作ったが、道中はラブリーデイに終始ぴたりとマークされ続ける。直線半ばで失速し、12着。十四戦目にして、初めての二桁着順だった。 武豊は、優等生すぎたのかもしれない、と振り返っている。誰にも譲らず、絡ませず、思うままに行ってしまう——そういう破天荒さが、この日の東京では出なかった。国内のGIは、とうとう勝てないままだった。

最後の一周

2016年12月11日、沙田。ラストランの香港カップは12頭立てで、モーリスに次ぐ2番人気だった。 レース前、パドックで放馬した。人を乗せないまま、この馬は自分ひとりで一周した。最後まで、自分の流儀だった。 そのまま出走し、1枠1番からハナを切る。一時はホースオブフォーチュンに競りかけられたが、向正面でリードを広げ、直線の入口では後続との差が七馬身ほどに開いていた。残り200m、外からモーリスに交わされ、そこで止まった。10着、2分02秒18。 「惜しかったが、精いっぱいやった」[^1]。武豊はそう言った。 2017年1月12日、競走馬登録を抹消。15戦10勝、うち海外は4戦2勝。国内で勝った重賞は二つ、GIは二つとも海の外だった。 種牡馬としては新ひだか町のレックススタッドに立ち、2020年の秋にイーストスタッドへ移った。産駒は地方競馬でしぶとく走っている。エイシンシュトルムとエイシンケプラーが南部駒賞を勝ち、エイシンヌウシペツがサマーカップを、エイシンハリアーが兵庫ユースカップを勝った。2025年にはエイシントルペードが岩鷲賞と早池峰スーパースプリントを制している。早池峰スーパースプリントは、エイシントルペードにとって伯父にあたるエーシンシャラクが勝ったのと同じ競走である。母の父としても、2026年のネクストスター東日本をメイクセンスが勝った。 シャンティイで勝ったイスパーン賞は、2026年からアガ・カーン4世賞と名を変えた。あの十馬身が刻まれた競走の名は、もう残っていない。それでも、重い芝で後続を置き去りにしたあの日、世界で一番強い馬として数えられていたのは、まっすぐ走らないこの馬だった。超特急の名は、伊達ではなかった。

出典:スポーツ報知「【香港カップ】ラストランのエイシンヒカリは10着 武豊「惜しかったが、精いっぱいやった」」2016年12月11日配信、https://web.archive.org/web/20161214080333/http://www.hochi.co.jp/horserace/world/20161211-OHT1T50206.html、閲覧日:2026年7月27日。

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